砂漠渡りと長月
野森ちえこ
ごっこ遊びとあいつのルーツ
中学生のころ、なにかというと『ごっこ遊び』にしてしまうやつがいた。
苦手なことも『ごっこ遊びだと思えば案外たのしめる』というのが、そいつの持論だった。
テストまえには優等生ごっこ。貧乏くじを引いてしまったら不遇のヒーローごっこ。
イヤなこともしんどいことも、たとえ失敗してもうまくできなくても、それが『ごっこ』なら、あまり落ちこまないですむ。まあいいかと思えるのだと。
なかでも特にぼくの記憶に残っているのは『砂漠渡りごっこ』だった。
現在では考えられないが、当時の運動部では下級生は水分補給禁止なんてとんでもルールがあたりまえのように存在していた。
そこであいつは、グラウンドを砂漠に見立て、水飲み場をオアシスに設定したのである。
オアシスという名のゴールにたどりつくには、さまざまな試練――という名のトレーニングをクリアせねばならないというわけだ。
どんな困難も『ごっこ遊び』にしてたのしんでしまうやつだった。
こんなむかしのこと、なぜ急に思いだしたのか――いや、よそう。しらじらしい。
ごっこ遊びが得意だったあいつは、
芸名の由来は知らないが、今じゃ日本を代表する実力派俳優である。
もっとも、本人にとっては『ごっこ遊び』の延長でしかないのではないかという気がする。
冷酷な殺人鬼になったかと思えば、気弱な教師になったり熱血弁護士になったり、じつにイキイキのびのびとスクリーンの向こうで暴れまわっている。
あいつはぼくじゃないし、ぼくはあいつじゃない。それぞれの道があって、それぞれの人生を歩いている。そんなの当然だし、くらべるようなことじゃないとは思うのだが。
あいつの活躍を見聞きすると、時々どうしようもなく今の自分が惨めに感じてしまうことがある。
会社がつぶれ、恋人に捨てられ、実家の父は投資詐欺だかなんだかにひっかかって無一文。ショックで寝こんだ母はすっかりボケてしまった。
社会の底で、はいずるように生きている。もしもあいつが今のぼくとおなじような状況になったとしたら、はたしてどんな『ごっこ遊び』にするのだろう。
――小学生のころ、いじめられっ子だったんですよ、僕。
派遣でようやく得た工場の仕事。休憩室にはいった瞬間、テレビからあいつの声が聞こえてきた。
最近は新作映画のPRのために朝から晩までどこかしらの番組に出ているようだが……いじめられっ子? あいつが?
内心首をかしげながら、昼ごはんとペットボトルのお茶を持ってテーブルにつく。つい気になって、テレビが見える席をえらんだ。
中学ではどちらかといえば人気者だったあいつからは、そんな影を感じたこともない。事実だとしても、にわかには信じがたい話である。
しかしつぎに出てきた言葉にはさらに驚かされた。
――僕クォーターなんですけど、それをよく思わない人もいたみたいで。
当時から整った顔立ちだとは思っていたけれど、外国の血がはいっているなんて思ってもみなかった。
演技かどうか知らないが、司会者も驚いているところを見ると、あまりおもてには出ていない情報らしい。
母親が日本とアラブのハーフで、祖母の国がサハラ砂漠にあるのだという。
ずっと差別や偏見にさらされてきた母親を見てきたからこそ、自分までそのルーツのせいでいじめられているなんてとてもいえず、それで行きたくない学校に行くために考えだしたのが、ごっこ遊びだった。苦肉の策であったはずのそれが、気がつけば単純にたのしくなっていて、結果的に俳優を目指す原点になったのだと、悲壮感のかけらもなくあいつはテレビの向こう側でさらりと笑った。
祖父はすでに他界しているが、祖母は現在も砂漠の国で暮らしているという。
思えばあいつとは部活が一緒だっただけでおなじクラスになったことはない。家に行ったこともないし、もちろん母親に会ったこともない。
なにも知らないとまではいわないが、ぼくが知っているあいつなんて、ほんの指先程度のものなのかもしれない。
――中間色を表現できる俳優になりたいですね。
番組の終了時間が近づき、今後の目標をたずねられたあいつはそう答えた。
悪のなかの善。善のなかの悪。そんな、ある意味わかりやすいものだけでなく、自分のものですらとりこぼしてしまうような、ちいさな感情を拾える俳優になりたいと。
わかるようなわからないような答えであるが、その流れで長月境という芸名の由来も語られた。
――なんか九月に縁があるんですよ。母が砂漠を越えてはじめて日本にきたのも九月だし、その数年後、父と出会ってはじめてデートしたのも九月。で、結婚したのも九月。これで僕の誕生日が九月なら完璧なんですけど、そこまでうまくはいかないですね。でも、俳優デビューは九月でした。狙ったわけじゃなくて、たまたまなんですよ。デビューがきまったときに社長にその話をしたら、じゃあ芸名長月でいいかって。ものすっごく軽くきまりました。ほら、九月って夏と秋の境目でしょう。だから、長月境。もう、そのまんまですね。でも、そのころから中間色を表現できるようになりたいと思ってたし、自分自身も四分の一砂漠の国の血が流れてる。僕にぴったりの名前なんじゃないかと思ってます。
砂漠渡りごっこをしていたあいつは、あのときすでに本物の砂漠を知っていた。
飛行機を乗り継ぎ、砂漠を渡り、祖父母に会いにいく。あるいは、祖父母が会いにくる。
その事実に、ぼくはなぜだかひどく胸をうたれていた。
痺れたように身体が動かない。
いつもたのしそうだったあいつがどんな思いを背負っていたのか、ぼくには想像もつかない。
ガタガタと、誰かが席を立つ音にふと我にかえった。
まずい。あと十五分で昼休憩がおわってしまう。どんだけぼんやりしていたのか。あわてて塩をふりかけてまるめただけのおにぎりにかぶりつく。
とうとつに目の奥が熱くなった。
負けらんねえ。
負けてたまるか。
そんな思いがこみあげてくる。
なににかはわからない。
あいつにか。人生にか。自分にか。
わからない。わからないけれど、そんなのどうだっていい。
ひとつめを片づけふたつめのおにぎりにとりかかる。
負けられない。
負けちゃいけない。
全身の細胞がそういっているような気がする。
最後のひと口をペットボトルのお茶で流しこむ。
負けられない。
ただただ、そう思った。
(了)
砂漠渡りと長月 野森ちえこ @nono_chie
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