終 さあ、神を信じなさい
お会いできて光栄です、
今日は私のために時間を取っていただき、感謝いたします。
真言くんにはいつも良くしてもらっていますよ。こんな私を、先輩、先輩と素直に慕ってくれて。心根がまっすぐなんですよね。
梔子さんは私の悪い噂をよくご存じでしょうから、実際にこうしてお会いしていただけるか不安でした。それでも、「誤解があってはいけないから、一度話を聞いてみよう」とお考えになっていただけたのですよね? さすが真言くんのお母さまだ。
まず私に関する噂のほとんどは、根も葉もないものです。
何が真実かをお話しましょう。恥ずべきことですが、私は公衆の面前で実の妹を吸血し、つぐみの
無論、我々全体の安全を脅かす、大変愚かな行動です。
この町へ来たのも、私が更正したと認められ、外へ出ることが許されたからです。
……ええ、両親には絶縁を申しつけられました。
とはいえ、二十歳になるまでは生活費を仕送りしてくれるそうですから、親の愛とは偉大なものですね。これ以上両親の顔に泥を塗らないためにも、故郷には二度と戻るつもりはありません。新しくやり直すと決めたんです。
妹ですか? あのときは本当に気が動転してしまって……歳が離れていたぶん、可愛がっていましたから。
このまま死なせるよりは、と本能で思ってしまったんでしょうね。後で調べたら、昔のつぐみも、故人を埋葬する前にその血を吸ったそうです。
写真、見ますか? ね、可愛い子でしょう。学校でも友だちがたくさんいて、兄よりよっぽど人気者だったんです。それに――
――ああ、もうこんな時間ですか。そろそろ帰らないと。今日はありがとうございます、梔子さんの誤解が解けて良かった。
いや、まだ私が怪しいとおっしゃるなら、またこうしてお話しましょう。これ、うちの共用電話の番号ですが。それでは、また。お気をつけて。
◆
こうしてお話するのも三回目ですね。今度は三人でどうですか。え、二人がいい? 真言くんと旦那さんに申し訳ないなあ。
梔子さん――え、下の名前で? じゃあ、
じゃあ今日は何のお話からしましょうか。
真理さんは専業主婦ですが、家のことを一人で回したり、お
ふふふ、まだまだ愚痴は尽きませんか。前回のお話も凄かったけれど、もっと激しいバトルがあったんですか? へえ、それは聞きたいなあ。ふうん――
――なるほど、真理さんは本当に、旦那さんのため真言くんのため、身を粉にして働いてらっしゃる。あなたを見ていると、私は両親に恥ずかしい。
こちらの都合はさておき、真理さんはこんなにがんばっているんだから、もっと報われていいですよ。今より楽で気持ちの良い生き方があると、私は考えています。
病は気からと言いますが、人間は気の持ちよう一つで、人生がまったく変わってしまうんです。でも気をしっかり持とうにも、今は情報化社会でしょう。
選択肢が多いことは豊かな証ですが、多すぎれば選択しようという気力を奪っていきます。それは、逆に言えば気力の貧しさなんですよね。
頭の体力、精神的な気力には限界があるというのに、この上自分自身の機嫌や感情に振り回され、それでも意志の力をふりしぼって大切な、決断をくり返し行う。人生はその連続です。自分の気をしっかり持つのも、楽じゃありません。
人類の叡智は、こうした選択と決断を後押しし、我々に楽をさせるための社会基盤を築き上げてきました。電気、ガス、水道、交通機関などです。健康と公衆衛生を教育し、予防注射を打ち、清潔で安全な水を手に入れ、家はいつでも温められる。
そうすることで、人は生きるために必要な様々な選択肢に対し、「何も考えなくても安全で正しい道に進める」こと、すなわち「豊かさ」を手に入れました。
でも、さっきも言ったように、現代ではそれでも無数の選択肢があって、どれを選べばいいか答えが見つかりませんよね?
お手軽に答えを得るなら、占いを利用してもいいでしょう。無数の選択肢の中から、適当な、おそらくは最悪ではないだろう道を示してくれます。
これは大幅な気力の節約になりますから、大したことのない選択には頼ってみるのもいいかもしれませんね。
そんないい加減なものでは嫌だ? ええ、真理さんには必要ないだろうと私も思っていましたよ。実はね、人類はちゃんと、こうした需要に応えるインフラをとっくの昔に発明しているんです。それが、気力の豊かさ、神さまというものです。
ビックリされました? 別に私はスピリチュアルな話をしたいわけじゃありません。神さまも、しょせんはガスや電気と同じ、人間が何も考えなくても、楽して生きるための社会基盤の一つですよ。
そういう風に作られて、大昔から利用されているんです。
ただ、今存在している神さまは、どれもこれもアカスナ向けで、私たちつぐみ向けは一つもありませんが。
気づいてらっしゃいますか? 真理さんの地区は、お寺が集会所でしたね。でも、熱心な仏教徒と言うわけではない。はい、ええ。そうですよね。
結局、私たちにとっての宗教は、アカスナの社会で身を守るための隠れみのだ。でもねえ、宗教には宗教の効能があるんですよ。
それを利用しないのはもったいないじゃないですか。だったら、私は私たちのための神さまが欲しいと思うんです。
――考えてみたい? ええ、いいですよ。ゆっくりお考えになってください。大丈夫、あなたのがんばりは私が一番よく知っていますから。
どうぞよき人生を。
◆
久しぶりですね、真理さん。もう私の話は忘れられたかと思いましたが。いやいや、冗談ですよ。まだ一、二週間のことですし。意地悪でしたね、すみません。
ええ、その話ですね。神さまは、別に信じているから何か良いことが起こる、なんてものじゃないですよ。ただ何か悪いことが起きた時、困っている時、これも神の思し召しだろうと納得を与えてくれる。そうすると楽になる、というものです。
まあご利益については他にもいくつかありますが、代表的なところはこういうものですね。でも、これじゃネガティブすぎるから、別の側面をお話しましょう。
真理さん、私たちつぐみは、この社会で肩身を狭くして生きることで、卑屈になっていると思いませんか? もっと、一人の人間として、自尊心を持って生きていきたくありませんか? より良いあなたの人生を生きるために。
世間では普通ではないもの、常識から外れたものは、悪いものだと決めつけ、恐れます。今やヒトを襲わなくなった我々が、正体を隠し、吸血鬼と呼ばれるのを恐れて厭うのも、同じことです。でもね、考え方が逆なんですよ。
普通ではないということは、世俗のものではない、つまり聖なるものなのです。
我々つぐみは吸血鬼という本性を隠して生きていますが、そこには秘められた聖なる性があります。我らを導く神に心をあずけ、己の聖性と向き合うのですよ。
たとえ血液製剤という糧があっても、私たちは種族として弱りつつある。今こそ、己の本性から目を背けず、自分たちが潰そうとしている輝けるものを見出すのです。
私は妹の血を吸って、啓示を受けました。
真理さん、私のことは信じなくて良いから、私が聞いたこの真実は信じてください。信じる者は救われる、と言うでしょう?
◆
ああ、真理さん。ついに決心がつかれたんですね。真言くんの応援も良かったですか。では、後は旦那さんだけだ。
皆で神を信じましょう。そして吸血鬼である誇りを持ちましょう。
我々はアカスナではない、アカスナに迎合するつぐみでもない、気高い鬼です。
さあ、神の名を唱えましょう――――
吸血鬼のための新興宗教入門 雨藤フラシ @Ankhlore
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