詐欺師にアップルパイを
ながる
第1話 くず男に制裁を
待ち合わせはいつもの喫茶店だった。
隣町の、カフェじゃなくて喫茶店。店内の釣り鐘型のライトは昼間でも薄暗い感じで、ジャズなんかが流れている。いつ行ってもお客はまばら。下を向いてコーヒーをすする人たちは、誰も彼も世間から身を隠しているようだった。
「なんで制服?」
珍しく時間通りにやってきて、嫌そうに顔を歪めたまま、彼氏のトウマが向かいの席に座った。
「もうちょっとで着れなくなるから、女子高生とのデート気分を味わってもらおうかと思って」
「んな気分になるかよ。変な噂になっても困るだろ?」
キヨイコウサイをしていれば、そんな気にすることはないと思うんだけど。
いかにもな溜息を吐かれるものの、全く気付かぬふりで、私は隣に置いていた紙袋の中から持ってきたものを取り出す。付き合い始めた頃の、無邪気な笑顔は再現できているだろうか。
「喜んでくれると思ったんだけどな。ごめんね。トウマの好きなアップルパイ焼いてきたから、食べて機嫌直して? 今回は頑張ったんだよ? 生地から作って、リンゴも厳選して……」
ちっ、と周りに聞こえるような音量の舌打ちがした。通路を挟んで斜め向こう隣りに座っているカップルが、ちらりとこちらに視線をよこす。
「あー。もう限界。無理。俺そんなにアップルパイ好きじゃねーんだわ。ちょっと褒めたらそればっかり。いい加減飽きもするって」
「そう……だったんだ……ごめんね。でも、ほら、せっかく作ったし……嫌いじゃないんでしょ?」
「いらねーっつってんだよ! それも、お前も! あぁ、うぜぇ!」
立ち上がるトウマを視線だけで追いかけて、哀しい顔を作る。
「……最後なの? ねえ、じゃあ、わがまま言わないから……これだけもらって? トウマのために作ったんだよ……」
潤む瞳の上目遣いに、若干の罪悪感はあるのだろう。トウマは数秒迷った。
でも、ちらりと窓の外に目をやると、「いらねぇ!」と背を向けて行ってしまった。
私はテーブルに残されたワンホールのアップルパイを睨みつける。
「ちょっと、聞いてるの!? 信じらんない。面倒見きれないわ」
斜め向こうの女性が、イライラした様子で立ち上がった。そのまま肩で風を切って出て行ってしまう。大仰な溜息が聞こえて、伸ばしっぱなしで手入れもされていない頭をかいている男が、ふと、こちらを振り返った。
もろに目が合う。
今日のこの店には、別れのワルツ辺りがお似合いだろうか。お互い、特に感情のこもらない目と目を見つめ合って、それからその人は私の前のアップルパイに視線を落とした。流れるように立ち上がってこちらにやってくる。私の向かいに身を落ち着けると、無言のままアップルパイに手を伸ばしてホールごと持ち上げ、かぶりついた。
何が起こっているのか判らなくて、しばらくアホみたいにその姿を眺めてしまう。サクサクと小気味いい音をたてながら彼の口に収まっていくパイは、リスのようにいったんその頬に収まって膨らんでいた。
我に返ったのは、男の手にするアップルパイが半分以上その口の中へ消えてから。
「……あの」
掠れた声は、焦りの表れだったんだけど、その人はそうは取らなかったようだった。
「どうしようか迷ってたんだろ? 捨てるくらいなら、俺が食うよ。もったいねぇなぁ。美味いのに」
やけ食いのつもりなのか、悪びれもしないので、そのままにしておいてもいいかなと、ちょっと思い始める。いきなり他人の物を口に入れる人、どうなってもいいよね? パイ生地をぼろぼろこぼしながらも、ワンホール食べてしまって、その人はにっかりと笑った。
「この店のケーキよかうまいぞ。まあ、元気出せ」
そこで初めて、この人は私を励まそうとしているのかもしれないと思い始める。多分、会話は筒抜けだっただろうし。そうならなんだか可哀想なので、私はちゃんと告げることにした。
「ええっと……申し訳ないんですけど、それ、下剤入りなんですよね。ごめんなさい。馬鹿みたいな量は入れなかったんだけど」
Tシャツによれたジャケットというラフな服装のおじさんは、にっかりと笑ったまま動きを止め、青褪めた。
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