第9話 親友

 八月の終わり。まだ、暑い日差しの燦々と照りつける中、二人の男が山道から下りてくる。辺りは、木々に囲まれ、暑い日差しが遮られている。遠くには川のせせらぎが聞こえ、緑の葉たちが風に揺られて、サラサラとした新鮮な空気を振りまいている。

 二人の男は、お地蔵さんの目の前で立ち止まると、真剣に手を合わせて祈りを捧げている。ゆっくりと目を開いて、森を見渡すよう振り返る二人。ほんの三十日ほど前に、無残な状態で吊るされた遺体を発見した、あの木と木の間に向かい、目を閉じて祈りを捧げるのである。それは、遠い過去のようでもあり、おそろしい過去でもあった。


 それから四十五年前の失踪事件に遡(さかのぼ)り、平松文具店の店主 傷害事件から野中 吾一殺人事件に至るまで、忌まわしき過去の出来事をなぞり、不必要な傷を増やす事になった中井刑事。二人以外の誰もいない、この場所で静かに感傷に浸っている。


 背が低く、銀縁眼鏡をかけた額の広い男が、深いため息とともに口火を切った。


「なあ、久(ひさ)。俺達、昔はさ、あんなに一緒に遊んでばかりいて、仲が良かったのに、何時からだったっけ?あまり遊ばなくなったのは・・」


「なんだ?藪から棒に・・。まあ、タカ坊と遊ばなくなったのは・・そうだなぁ・・高校に入った頃からじゃないか?お互いに通う学校が違ったし、部活動も忙しかったからな」


 中井刑事が涼しげに貞平の額を見つめる。


「おいおい、何処を見ながら言っているんだよっ!そう言えば、そうか・・高校の頃からだったかな。なんか遠い過去のようで、つい最近だったような妙な錯覚に陥るよな?」


「まあ、時間軸っていうのは記憶を曖昧にさせる実に厄介な代物だと思うよ。学生時代は、楽しい思い出が多いけど、こう、仕事に追われて、家庭に追われていくと、お互いに歳ばかり食って、身になる思い出なんて、皆無になっていくんだろうな」


 中井刑事が森の遠くを見つめながら言った。貞平は風にざわめく森の新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んでいる。中井刑事がそれを横目で見ながら、続ける。


「そう言えば、タカ坊のところの事件は、えらく酷いものだったな。いや、事件と言うのか・・天災なのかな・・」


「ああ、あの大量自殺は酷かったよ。何が起こっているのか、俺達自身も全く予期できなかったんだからな。その後の豪雨と大量の死者。まるで悪夢を絵に描いたような惨事だった。・・まあ、そっちの事件はドロドロとした陰湿な事件だったな。何と言うのか・・。後味が悪い結末と言うか・・」


そう言う貞平に中井刑事が深いため息を付いて言う。


「そうなんだよなぁ・・。もし、俺が刑事でなければ、高松の過去なんて、知らなくて良かったと思うよ。あんな恐ろしく忌まわしい過去なんてな」


「だろうな。仮に、知ったところで、俺達には、どうすることもできないからな。特に、血筋と言う厄介な代物は、他人が口を挟めない、昔からタブー視されてきた事柄だからな」


「確かにな。だからこそ、今回のような忌まわしき遺伝子の輪廻と言うものが発生するのかもしれないな。はぁー。俺達には分からないが、想像を絶するような見えない壁の中で暮らすようなものだな」


「コップの中の出来事も、当の本人たちからすれば、世界が壊れそうなものなのかもしれないな・・」


二人は森の中へと視線を移した。燦々と輝く太陽が木々の間から差し込み、大地を照らす。秋の虫たちの声と鳥のさえずりが混ざりあって聞こえている。


「なあ、タカ坊。俺は不思議に思っている事があるんだが、聞いてもいいか?」


「ああ、どうぞ」


「あのお前たちが、平松のおばちゃんを助けに行った時、おばちゃんは”幽霊が本当にいる”って言ったんだよな?」


「ああ、確かに言ったよ。でも、それは野中 吾一の事を指したのか、高橋 昌代の事を指したのか、分からないんだが・・。本人に聞いてみたんじゃないのか?」


貞平の言葉に、頭を掻きながら中井刑事が言う。


「いやー、そうなんだけど・・本人は覚えていないって言うんだよなぁ。幽霊とは、一体誰を指して言ったのか・・。妙に引っかかってさ」


「ただな。今、俺が推測するに、平松のおばちゃんが吾一に殺されなかったのは、あの亡くなった弘さんが自分を守ってくれたと咄嗟(とっさ)に思ったんじゃないかな。・・と、まあ、そんな非科学的な意見になるんだがな・・」



「ふふっ、それなら何となく無理のない推測だな。平松のおばちゃんを幽霊が守ってくれたのか・・。あっ!」


「んっ?!どうした?」


中井刑事が弾かれたように叫んだので、思わず貞平が振り向いた。


「そう言えば、あの子も、そんな事、言っていたな。ほら、あの赤い帽子を被って、眼鏡を掛けて、背の高い三国君って居ただろう?」


「ああ、あの理路整然と物をいう子の事か」


「あの子が言っていたんだよ。あの高松と遭遇し、吾一の死体を発見した時、何で、この祠に来たのかって聞いたら、”僕にもよく分からないんですが、気づいたら来ていました”って」

「なるほど・・えらく曖昧な答えだな。ただ、何となく導かれて来たとすれば、それはきっと縁だろうな」


貞平が思わせぶりなことを言うので、中井刑事が訝しげな顔を向ける。


「なあ、久。あの野中 弘さんが亡くなったのは、いつ頃だったか分かるか?」


「確か、四十五年前の八月八日だったな。過去の捜査記録では」


「じゃあ、三国君たちが吾一の遺体を発見した日は?」


そう言われて、背筋に冷たいものが走る中井刑事。


「そ、それは・・確かに八月八日だが・・。偶然の一致じゃないのか?」


「本当に、そう思うか?偶然と言うのは、あまり重ならないもんだ。三国君たちが、ここに来たのも、その後を追って友達が駆け付けたのも、久に連絡をしたことも、全てが揃い過ぎちゃいないか?」


「確かに・・」


「俺は、今まで、あまりに非科学的な事件には、異を唱えてきたんだが。ただ、最近、色々な奇怪な事件と向き合うようになると、感化されてしまうんだろな。見えないものの力が何か現世で物事を動かしているようなそんな気がするんだ」


貞平がそう言った瞬間だった。


”うふふふっ・・”


まだあどけない男の子の声のような甲高い笑い声が聞こえた気がする。貞平と中井刑事が一瞬、耳を澄ませる。


「お、おい、タカ坊。今、何か聞こえなかったか?」


「い、いや空耳だろう・・」


 二人は辺りを見渡していると、中井刑事の視線が一点に止まった。それは、白色の透明度を持った二人の子供のような姿をしたものが木の上に腰かけているように見えるのだ。中井刑事は貞平のシャツの袖を掴むと、小声で


「お、おいっ!タカ坊・・・・。み、見えるぞっ!あ、あの木の上だ・・」


と、耳打ちする。だが、貞平は目を見開き、口をへの字にしたまま、


「それは、錯覚だよ、久。そろそろ手を合わせて帰ろうか」


 そう言って、素っ気なくお地蔵さんの方へと向き直った。だが、実際には、貞平にも見えていたのだ。二人の子供の姿が。例え、現実がそうであっても、それを肯定できないと貞平は心に決めていたのである。中井刑事も、仕方なく、お地蔵さんに向かうと、お供えとしてあんずの飴を二つ置いた。二人は再び手を合わせて冥福を祈った。


「ところで、久。高松 寅之助は、どうなるんだろうな?起訴は免れられんだろうが、実の父親殺しと言っても、あんな悪魔みたいなやつじゃなぁ・・」


「ああ、そうなんだよ。まあ、現職の警官が殺人に加担したわけだが、事情が事情だしな。俺は減刑嘆願書を出すつもりだよ。若くて尖がってて時々、ヘマをやらかしてお荷物だったけど、最近じゃ、俺よりできる奴だったしな」


貞平が口元を緩める。


「それなら、俺も書いてやるか。減刑嘆願書」


「おいおい、なんでお前まで書くんだよ!あいつの事ほとんど、知らないだろう?」


「それでもいいさ。お前が信用しているなら、俺も信用しよう。早く出てきて、平松のおばちゃんの面倒でも見て貰わんといけないしなぁ」


中井刑事は目頭に熱い物を感じながら、満面の笑みを浮かべた。


「さて、久よ。そろそろ、冷たい物でも食いにいくか?」


「なんだ?またか・・。お前、夏になると、虫取り網と籠を持ち歩いて、夕方近くになると、いっつも平松文具店に寄って、買い食いばっかしてたからな」


「それじゃ、今から虫取り網と籠でも買いに行くか?童心に戻ってさ」


「あのなぁ。いい歳して、虫取りなんてやめとけよ。恥ずかしいだろう?」


「いいじゃねぇか。折角、田舎に帰って来たんだからさぁ・・。じゃあ、それが嫌なら、今から広瀬川で魚釣りでも良いぜ」


「どうせ、浅瀬に居る魚の近くの岩に大きな石をぶつけて、気絶させて浮かび上がらせるんだろう?それで、普通の釣り人に激怒されて、俺達が散々怒られたじゃないか!どんだけ迷惑をこうむっていると思っているんだよ!全く・・」


「まあ、そう言うなよ、久。まずは、平松文具店に行って買い出しに行こうぜ」


「まずは、アイスだろう?氷と取ると見せかけて、実は小豆アイスを取る気だな?」


「はははっ・・。良く分かったな。だが、最近は抹茶アイスを取る事もある」


「全く・・。タカ坊は、相変わらず、ねじ曲がっているな」


「根性と性格は、ねじ曲がっているってよく言われるぜ」


「そうか、頭は薄いのになぁ・・」


「余計な事を言うんじゃないっ!そろそろ、どうしようか考えているんだからさ・・」


 貞平が頭を掻きながら、中井刑事を見る。中井刑事も童心に戻ったように、バカな会話を楽しんでいる。二人はゆっくりと歩きながら、車の停めてある氷上神社の方へ山道を登っていく。二人は何十年と言う時を経て、遠ざかったはずの距離が近づいていくのを感じた。


 そんな二人を見つめる小さな目があった。うっすらと浮かび上がる白い影。小さな子供の形をした白い影が二人並んで、お地蔵さんの前に立っている。その顔に笑みを浮かべると、静かにあんず飴を取って口に放り込んだ。二人は、静かに貞平と中井刑事に手を振る。二人の影が見えなくなるまで、二人の子供は手を振り続けていた。


-了-

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死霊鬼の森 伊藤 光星 @genroh_X

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