紅い果実
酒田青
紅い果実
星も月も見えない暗い夜、かすかに誰かの歩く音がする。その男の顔は見えない。寂れた地域の土が踏み締められた道、馬車も通らぬ静かな道を歩く足音だけが精細に聞こえる。ひたひたひた。足音は空き家の竹垣を越え、庭に入り、寒々しい無人のそこに立ち尽くす。冷え冷えとした神無月の新月の闇は、何よりも不吉に思える。じゅっ。男は
どこからか女の泣き声がする。
男は構わず土を掘り返し始めた。お前を掘り返してやるんだよ、何を泣くことがある。そう呟きながら。本当はそんなつもりはない。女が隠した証拠品、男の持ち物である品、それがここに一緒に埋まっているのだ。
ぐしゃ。男の背中に何かが落ちた。弾んで地面に落ちたのは、
それは鉄の、血の香りがした。落ちた柘榴から匂い立つ香りは、女を殺したときの、まさにその瞬間の香りだ。男は、うっ、とうめいた。それでも掘り続けた。穴は深く、広くなっていく。畜生、どこにいやがる、と埋めた男はつぶやく。
柘榴は無数に落ちてきた。男に落ち、男に落ちずとも地面で割れ、血の香りをさせる。生臭い匂い。紅い鉄の、血の香り。
あたしのあたしのあたしのあたしの――。
柘榴の木が、鳴く。女の声で鳴く。
足を――根元から――斬って――あんたの――大切な――大工道具で――。
男は懸命に土を掘る。汗が目に入ったのか、時折大袈裟な動きで顔を拭く。柘榴はその間も構わず降って来る。血の匂いをさせて。男は一心不乱に、もう何を掘っているのか、何を掘り出そうとしているのかもわからない様子で土にシャベルを突き立て続けた。
あたしの目玉は? ねえ、あたしの目玉はどこ?――。
男は体を起こし、シャベルに体を預け、息を吸う。何度も何度も。心を整えようとしてならば、この濃厚な血の香りはそうはさせてはくれないだろう。濃密で、滑らかで、まるで血の海で溺れているかのような臭い。
痛い、んだよ、目が、痛、い、足を足を、痛い、のこぎり、目が、あ、ああ、あああああ。
木の鳴き声は、悲しげなものから明確な泣き声に変わった。男にまとわりつくようなその声は、ねっとりと渦巻いて男の周りで嘆く。男はシャベルを落とす。
あたしを殺す殺す殺す殺すんだね、痛い、痛い、血、血、血――溢れている、体、から、なくなって、いく、血、血、血、血――。
果実は次々に落ちてくる。闇でなければこの量の柘榴はどこから落ちてくるのだろうと見上げるくらいの。雨のように、柘榴は落ちる。もはや認めるしかない。この匂いは男が嗅いだことのある女の内臓の匂いだ。人間の内容物の――。男はしゃがみ込む。血の果実が男の上に落ちてくる。息ができない。苦しくて仕方ない。
「ああ」男はうめいた。「ああ」
殺した女が殺人者を呼んでいた。埋めた女が叫んでいた。もう女からは逃げられない。逃げようとしらばっくれようと、この匂いはついてくる。どこまでも。
痛い、痛い、痛いんだ、い、たい、痛、い、い、た――。
「助けてくれ」
男は叫ぶ。絶叫する。それから走り始めた。竹垣を越え、土の道を走り、ずっと遠くまで新月の闇を。けれど女の声はずっと聞こえてくる。体に柘榴が落ち続ける。そして血の匂い。
痛いんだよ痛い足が斬られたんだ痛いんだよ目がないんだなくなってしまったんだ痛い――。
「許してくれよ」
男は泣きじゃくり、どこまでも、この世ではないどこかを走り続ける。道に灯りはない。何も灯らない。あるはただ闇と静寂ばかり。
痛いんだよ痛いんだよ痛いんだよ痛いんだよ痛い――。
紅い実は男の上に落ち続ける。男がすっかり果実の汁で濡れてしまっても、辺りが血の臭いに充満しても、構わず落ち続ける。
気づけばまたあの庭にいた。
男はまたシャベルを手にした。そして土を掘った。掘っても掘っても女は出てこない。しかし女は泣き続ける。男はうつろな目を紅い地面に向け、のろのろとシャベルを突き立てる。
ああ、ああ、ああ――痛い、痛いんだよ、痛い、痛い――。
紅い果実 酒田青 @camel826
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