Egoist suicide.

aza/あざ(筒示明日香)

Egoist suicide.

 



 見掛けたのは、一人の少年を寄って集って殴る蹴る光景。

 その、囲いの中で。

「……」

 つまらなそうに、けれど、つらそうに唇を微かに噛む少年。


 思った。


“ああ、アレは、僕だ”

 と。







   【 Egoist suicide. 】




「……?」

 少年が、肩を叩かれたのは学校の水飲み場だった。流れる水に突っ込んでいた頭を上げ、声の方向を見る。声の主は制服姿ではなかった。私服で、自分より年上の男────そこで少年は首を傾げた。知らない相手だったからだ。どこか既視感が在るので、多分教員だろう、とは思うのだが。

 学校は合併に次ぐ合併で少子化と言われても生徒の数は多く選択授業も多い。自ずと教員の数も集中し、顔も名前も知らない先生も出て来る。

 ゆえに、少年はこの教員もこの類いだろうと思った。堂々と校舎内にいるからだ。


「……先生、何か用ですか?」

 誰かは知らなくても見覚えが在るっぽい教員へ、頭から流れる水滴を拭って少年は言った。すると教員と思しき男は「先生……」呟いた。今度は少年が首を傾げる番だ。何を不思議がっているのか、呟きが聞こえなかった少年にはわからなかった。もっとも、聞こえたとしても少年にはわからないだろうけれど。

 教員は自らのポケットからハンドタオルを出すと、少年へ差し出した。

「うん、そう、用が在るんだよ……鬼田おんだたすくくん」


 そう微笑む教員へ少年、佑は「……」訝しげに片方の眉を上げた。きだ、とか、おにた、とか読まれる名前の正解を知っていると言うことは、やはり教員なのだろうが……なぜ自分を呼ぶのかわからない。

「わからない?」

 教員らしい青年は表情を変えず、それどころか笑みを深くした。

「本当に?」

 その弓なりに細められた目が、“知らない訳が無いだろう”と暗に告げる。何だか見透かされているようで、佑は居心地の悪さに「……わかりません」ぶっきらぼうに言い放つ。


「“もう、やめたら”────と言ったら?」

 青年の科白に、佑は顔色を変えた。

「『いじめ』……て、いるんだろう? 落沢おちさわじゅんを」




 落沢潤は、佑の同級生だった。

“おんだ、だよね。よろしく”

 入学して五十音に采配された席で前後だった。

“たまたま知っててさー。俺もさ、同じで、地名では在るんだけど読まれたこと無いんだよね”

 きだ、だとか、おにた、だとか読まれる名字をあっさり読んだ初めての同級生だった。


 最初は仲良くやっていた。幼いころ名字に『鬼』の字が入っていながら、小柄でひょろい体格によく揶揄されており、長年の処世術として佑にはお調子者のきらいが在った。

 それは、高校生になっても同じだった。


 ノリが良くなければ“いじ『り』”は容易く“いじ『め』”になる。

“お前、鬼って付いてんのに全然怖くねーよなぁ”

おにた・・・くぅん。プロレスしよーぜぇ”

おにた・・・くんさー、『鬼』なんだもん、鬼強いっしょ?”

おにた・・・くんのっ、強いとーこ見てみたいっ!”

 乱暴に振られる“フリ”に、佑は愛想笑いで躱していた。


 だとしても、躱し切れなくて無理矢理巻き込まれる『プロレス』に、青痣が絶えなかった。


 コレが唐突に終わったのは。

おんだ・・・くん”

 落沢潤が割って入ったからだった。


“落沢……”

“先生が呼んでるよ……鬼田くん”

 笑顔で、場を崩すこと無く、佑を救い出してくれた。


 最初こそ、渋々絡んで来ていた連中は何も言わなかった。

 けれど。


“お前うぜぇんだよ。ホモかよ”

 度重なれば、邪魔された苛立ちが積もり積もった。


 元より有り余った衝動を『プロレスごっこ』なんぞに費やしていた連中だ。爆発した途端、暴力に変換されエスカレートするのは、何も不自然なことでは無い。


“いじ『り』”が“いじ『め』”になったのは、落沢だった。




「嫌なんだろう? 見ているのは」

 殴る蹴るされる落沢を、見下ろす佑。首に肩に回された腕で佑は逃げられず、いじめの光景をずっと見ていた。

 ぐるりと回されたヤツらの腕がまるで首輪や枷のようで、落沢を助けることや庇うことはおろか、逃げ出すことさえ出来なかった。

「……」

「嫌になっているはずだ。見ていたくないんだろう?」

 青年から、教員から投げられた問いに佑の唇が引き攣った。


 嫌になったはず? 見ていたくない?

 当然だ。あんなモノ、見ていたいはずが無い。


 哄笑が響く中央で、殴る蹴るされる落沢。殴るのも蹴るのも代わる代わるで、佑を捕らえる腕も、代わった。だから一瞬でも一度は離れ……だけど。


「見たくないんだろう?」


 見たくはない。

 けど、動けなかった。


 突き出され打ち付ける拳と繰り出される膝や足で、揺れるタオルみたいに体を曲げる落沢。

 青や紫に皮膚を染め変える落沢。

 踏み付けられこちらをぼうっと見る落沢。


「見たくないんなら、」


 怖くて、怖くて、怖くて。

 自分に向けられたらと思うと。

 あの異常な真ん中に自分が引き摺り込まれたらと想像すると。


 見たくないのに。

 動けなかった。

 ちょっとでも動いたら、放り込まれそうで。

 爪先も、髪の毛一本、自分で動かせなかった。


 ……落沢の濁った眼が。


 こんな佑を射貫いていた。


「お前が、どうにかするしか、無い「────どうしろってんだよ!」

 青年を、佑は遮った。


 腹が立った。

「どうしろって言うんだよ!」

 教員であるくせに、事態を把握しているなら、何でお前が動かない。

 そう考えて、腹が立った。


「俺だって嫌だよ! どうにかしたいよ! でも出来ないんだよ!」

 出来ない。

 動けなくなる。

 暴力の嵐に、四方八方からの拳や肘や膝や足で錐揉みになる落沢に、恐怖を覚え動けなくなるんだ。

 アレが自身になったらと想像が過って動けなかった。

「俺だって、出来るならやってるよ! 出来るならっ、」


“……大丈夫?”

 落沢は、助けてくれたのに。

“気にしなくて良いよ、大丈夫だから”

 佑が助けなくても、責めなくて。

“大丈夫”

 落沢の瞳が、どんどん昏く鈍く、濁って行くのがわかっていたのに。

 自分可愛さに、動かない・・・・


「お、俺だって……!」


 喚き散らす佑を、青年は静かに見守っていた。

 見守る双眸は痛切な光が宿っていた。


 佑は、力いっぱい抱えていた思いを吐き出して、肩を上下させていた。

 黙って見詰めていた青年が、何某か紡ごうと唇を開いたとき。


「きゃぁあああああ!」

 悲鳴が響いた。


「おい、アレ見ろよ!」

「屋上、屋上」

「誰か柵に登ってる!」

「おい、先生に呼べよ!」


 騒然となる校内に、二人も騒ぐ先を見遣って。

「なぁ、アレ、落沢じゃね」

 誰かの一言に、弾かれたように叫んだのは。

「────走れ!」

「ぇ……」

 教員だと思った青年だった。


 今まで、佑が喚いても平静を保っていた青年が必死の形相で、佑へ叫んでいた。

「お前なら知ってるだろ! 立ち入り禁止の屋上、唯一鍵が壊れた出入口!」

「何で……」

 立ち入り禁止の屋上へ繋がる出入口は、二又に分かれている校舎に幾つか在るが、その内一つだけ人為的なのか鍵が壊れていた。

 知っていた同級生が、落沢を暴行する場所の一つにしていて、佑も連れて行かれていた。


「走れ! 手遅れになるぞっ!」

 青年の叫びに、理解する前に佑は走り出していた。


 青年の面差しに圧されたのも在るのだけれど。

“手遅れになるぞっ!”

 何より吐き掛けられた文言が、佑を急かした。




 かくして、全力疾走で屋上へ辿り着いた佑の眼前では、信じられない情景が繰り広げられていた。

「お、落ち着けよ、落沢!」

「そ、そーだよ! ちょっとした冗談だったじゃん!」

 この期に及んでフザケたことを口にする連中を「うるさい!」柵を半分跨いだ状態で威嚇する落沢。

 手にはカッターナイフが握られていて、コレを振り回すものだから、誰も近寄れなかった。

 誰かすでに切り付けられたらしく、蹲って腕を押さえている人間を支えている図も見えた。


「わ、悪かったよ……こっち来いって!」

「もう何もしねーからさっ」

 さすがに悪ふざけが発展しただけで、平然とこの状況を楽しめる本物の『悪』はいないようだ。今にも飛び降りそうな落沢を前に怖気付き、唆したり囃したりせず説得しようとしている。

 人を暴行出来ても人殺しにはなりたくないらしい、なんて────とんでもなく莫迦げていた。


 緊迫し混乱する場で、逆に佑は冷静になって来る。体育はそこそこの佑だけど、一階から屋上へ一気に駆け上がったのは心臓と肺が痛かった。全身も軋んでいる。

 だけれども、佑は深呼吸し息を整えると「落沢……」踏み出した。


「っ……来るな!」

 佑に気が付き、落沢がカッターナイフを振り回す。

 奇妙なことに、直接振るわれていない暴力を恐れ動けなかった佑は、今まさに刃が向けられているのに歩みを止めなかった。

 酸素の回っていない脳みそで、恐怖心が麻痺しているのかもしれなかったが。

「落沢」

“……大丈夫?”

 落沢なら、意味も無く自身を傷付けない気がしていたからだ。


 佑は手を伸ばした。落沢のカッターナイフを握る手が「来るな!」この手を拒むみたいに横薙ぎにする。刃は佑の手を掠め、肌を裂いた。血が滲む。

「ぁっ……」

 佑の手が切れたことで、びくりと体を震わせた落沢の行動が鈍る。佑はそこを逃さず、落沢の手を掴んだ。

「は、放せっ!」

 落沢は佑に手首を掴まれ振り払おうとするも、掴まれているのはカッターナイフを握っているほうで、先程のことが脳裏を過るのだろう。落沢は暴れるのをやめた。


 佑が傷付いてしまうからと自己を抑制してしまう落沢に、ああやっぱり落沢だと佑は考えてほっと安堵の息を吐く。

 そうして、佑はおとなしくなった落沢に零した。

「ごめん」

 佑の謝罪に、落沢は唇を震わせ「何で、」と信じられないものでも目にするみたいに、佑を凝視する。


「ごめん、俺、こんなんなるまで落沢のこと助けられなかった……落沢は、俺を助けてくれたのに……!」

 吐露した言葉に引き摺られて、涙が溢れて来る。

 ごめん、と一つ洩らせば、一つ落涙した。


 ごめん。ぽろり。

 ごめん。ぽろり。

 ごめん。ぽろり。


 泣きながら謝る佑に、落沢もぶんぶん首を振った。

 そんなことない、と声にならなかったのは、落沢も泣いていたからだ。

 二人で泣いていた。落沢の佑に掴まれた腕はもう力無く垂れていたけれど、佑の力も抜けていたけれど。

 手は離れなかった。


 そして、ようやく駆け付けた教員たちに囲まれ、佑たちは連行される。

 教師に支えられ連行される途中、佑は不意に視線を感じ、そちらへ見ると、青年がいつの間にか立っていた。

 青年は微笑していた。

 この場で場違いにも微笑む青年を誰も見咎めなかった。それどころか、誰も青年を感知していない。


 誰にも気付かれない青年はうれしそうに、心底安心した風に笑って言った。

「良かった、間に合って」

 場違いな笑みを浮かべる青年の囁きは、場に合ったものだったけども、佑以外に耳には届かなかったようだ。


 刹那、移動で教員の体に青年が隠れてしまった。再度教員越しに現れた向こうの景色には「……あ……」青年の姿はどこにも無かった。







 鬼田佑が次に目を覚ましたのは、白い天井と白い壁、カーテンでぐるりと包囲された病室だった。

 もぞりと体を動かす。窓辺が目に入った。そこには棚が在り、置かれていたのは一つの写真立てだ。

 本来なら白い花瓶も在るはずなのだが、見当たらない。佑は半身を起こした。

「あ、起きたね鬼田くん」

 反対側へ首を巡らせれば、窓辺に在ったはずの白い花瓶を抱える青年がいた。

「来てたんだな。


 落沢」


 佑に呼ばれた青年、落沢潤は笑顔で応えた。


「まったく、話を聞いたときは、本当にびっくりしたよ」

 落沢はきれいに花を生けた花瓶を窓辺の棚に戻した。少し傾いたらしい花を調節する落沢に、几帳面さは変わってないなと佑は思った。

「悪い悪い。いや、何、とっさで」

 言い淀んで目線を外す佑に、落沢はゆるく苦く笑った。

「とっさ、ねぇ」

「……」


 悪さして言い訳する、子供に向ける笑みだ。特に同業となった最近では、佑も見慣れてしまった。

「とっさに、階段から落ちそうになった生徒を庇って落ちるなんて……本当、変に無謀で行動力の在るところ、変わっていませんね?


 鬼田先生・・?」


「……」

バツが悪そうに、佑は苦笑する。


 現在高校の教師をする佑は、偶然同じく教師となっていた落沢と赴任先で再会した。

 学校は可も不可も無い、言うなれば中堅校で日々教員として過ごしていた。

 そんなある日、階段で生徒同士の喧嘩が起きた。

 どうも一方が一方を揶揄い、どんどん調子に乗って度が過ぎた辺りで揶揄われた側が反発したらしい。

 ど突き合いにまでなり、押された生徒が階段を踏み外したのと、佑が制止に来たのは殆ど同時だった。


「みんな無事だったから良かったものの……打ちどころ悪かったらどうするの?」

 ぐちぐちと花を直し終えた落沢は、腕組みして佑に見下ろす。佑は背を丸くしつつ「すみませんでした」謝った。

「鬼田くんに至っては一時期意識不明になるしさぁ。昨日起きるまでずっと冷や冷やしたんだからね。本当にもうっ……」

「悪かったって……でも、」

「うん?」

「間に合って良かった、……今度『も』」


 佑の両眼が落沢を見た。落沢は瞬間真顔になってから、ゆっくり破顔した。

「そうだね、間に合って良かったね」


「ああ、今度も」

 佑は、噛み締めるように零した。




 佑の言う今度も、とは。

 果たして今回の生徒のことだったのか、それとも。


 鏡で傷の具合を確かめる佑は、映る己にあの日の青年を見付けて、満足そうに頭へ撒かれた包帯を傷跡の残る手で撫でた。




   【 了 】

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