4-107.生きとし生ける万物讃歌Ⅳ(中編)

※今回も前回と同様、ケルベロス視点から展開されていきます。

※これは十月十六日の更新分となります。

待っていてくれた方、本当に本当に申し訳ございませんでした!!!!!!!!



 ――一つになる。それは一柱の『神様』になるということだ。

 我には最初、何を言っているのかわからなかった。

先行した言葉を解釈するより前に、その男神は矢継ぎ早に言葉を付け足していった。

我の横を歩くその足取りも、説明をしている最中は速くなっているような気がした。


 一つになることとは、家族全員が一つの生物となることを意味し、『今』ある命を統合する。つまりは、物理的な意味で一つにすることを言っていたらしい。

これ以上なくわかった筈なのにわかれていない。

心の奥底にあるモヤモヤが依然消えてくれず、そんなことができるのかと、脳内は疑問で埋め尽くされていた。

家族の身体をバラバラにして、つなぎ合わせるとでもいうのだろうか。

そんなことをしたら、家族というていすらなくなる。

……いや待てよ、そんなの『今』に始まったことなのか。

もう何年もの間、我の思い描く家族像とは全く重ならない家族像を目に映してきている。

我の家族の定義で言えば、もう家族なんてずっといなかったも同然だった。それなら、いいんじゃないだろうか。

言葉を発しても伝わらない。あちらから伝えてくる言葉もない。

そうだ、もういい。頑張らなくていい。

捨てた選択を肯定したあの日から、認めてくれなくなったあの日から。世界はこの結末を望んでいたのだ。

きっとこの扉を開いた先で、我の提案を聞いて反対の声など上がる訳もない。

それは既に、これまでの家族生活が物語っている。


 話を聞き続け、遂に目の前に立つ自宅の前。

いつもなら深呼吸をすると共に、何分か開けるのを躊躇する扉を、今日は無時間ノータイムで手に掛けた。

そのまま力一杯引き、狭い部屋の全貌を見回すと、そこには我のことを待っていたのか、正座しながら食卓を囲む三柱の姿があった。

いつもならもっと子供が動いていてもおかしくないのに、何があったのだろう。

どことなく不気味さを感じながら、会釈をして男神を先に座らせ、その隣に我も腰かけた。

正妻は少々驚くような表情を……特に見せる訳もなく無表情を貫いていた。

こんな、見ず知らずの男神がいるのに、よく能面でいられるものだ。


 さて、どう話してやろうか。きっと今日は特別で、我からも、正妻達からもしたい話があるらしい。

こんなことは滅多にというか、過去これまでにも初期の頃にしか見受けられなかったかもしれない。

折角だ。話を聞いてからにしよう。どうせロクなものでは……。


――私達、もう終わりにしませんか?


――え?


 一瞬の内に頭の中が真っ白になった。いきなり何を言ってるんだ。

終わり、何が。冗談じゃない。結婚してからもう随分と長い時間が流れたじゃないか。

最初は本当に幸せで幸せで、それで……そこからは上手く、上手くいってなかった。

だが、ここが我達の家だった。それが普通だった。

いつもここでご飯を食べていた。会話こそなかった。笑顔もなかった。だが、それらが全部、日常の風景だった。

確かに何もなかった、なかったけど……いや、そうじゃない。そうじゃ…………。


――もう限界なの。貴方が縛っていたの。

私達に喋らせず、この偽りの家族を続けようと。


――は? お前、何を言って。

君と我とは両者の同意の上で結婚しただろう?


――いいえ。違うわ。私は同意してない。貴方が同意を装っただけ。

付き合っていた時から、もう私は貴方に縛られていた。


――それで何年も何年も、同じ屋根の下で暮らさなきゃいけなくなったってことなのか? いやいや、おかしいだろ?

結婚前も結婚したての時期も君は話してた。我と生きることを肯定的に捉えていた。会話も笑顔もあったって。


――暮らさないといけなくなった。話してたのも好意的だったのも、あれらは全部、貴方の理想。

私の本音じゃない。私は貴方の魔法で操られていた。演じることを強要させられていただけなの。

ね、そうなんでしょ? そこの『神様』。


 ここに来て話の矛先が向いたのは、今日初対面ながら家まで連れてきた男神。我の頭は付いていけなくなっていた。

一体何が起こっているんだ。二柱は知り合いなのか。まさか、二柱が結託して、我を陥れるつもりじゃ……。


――そう、全部嘘っぱち。死んでたんですよ。自分を自分たらしめる自我が。

全ての元凶は、ここにいるコイツ。奥さんは何年も何年も意志もないままに、付き従うことしかできなくなっていた。

だから今日、俺が救いに来たということです。


――救う、アンタ何言って⁉


――えぇ、救うんです。もう見ていられなくなりましてね。

屍に動く義理はない。俺が言いたいことはただそれだけです。


――屍⁉ おい、妻は生きてるだろうがよ‼


――貴方は怒ってばかりだった。自分で動かしている筈の道具にキレて、何がしたかったの?

所詮、貴方には無理だった。他者と暮らしていくってことがね。


――そうなんです、奥さん。コイツには所詮無理でした。屍の意味がわからないんですか?

勿論、死者ということを指しています。まだ貴方がやったこと、わからないんですか?


――我がやったこと……。


――はぁ、そうですか。まぁ、いいでしょう。特別に教えてあげます。

貴方が家族ごっこのために用意した奥さん、それに子供さんは全部全部、だったんですよ。


――い、意味がわからない。死者は生き返らないだろう⁉ そんなの常識じゃないか!


――では、日々大量に送られてくる死者を全て手作業で処理していくとでも言うのですか? そんなの無茶でしょう。

あまりに雇用が追い付きません。ただでさえ格安で日雇いを募集しているというのにね。

だからこそ、新たな命としてもう一度始められるようになるまで、俺達は仮の命を与えるんです。

勝手に動けるようにして、作業を効率化します。その中には、地獄界で延々と働くことを選ぶ者もいます。


――なんだそれ。


 ずっと何を言われているのかわからなかった。

言葉通り受け取れば、我は三柱の死者を家族と見立てて、ずっと自分の理想をということらしい。

仮の命で動くにはきっと体力も必要になる。死者と言っても普通に動き続けていた。

死を続けるために、食事もしていたということなのだろうか。

地獄界は、我がよく働きに行く場所でもある。そこで見つけて拾ってきたと考えるのは無理のある推測でもない。


 もしかして本当に、我は……。何故かその記憶だけ頭に残っていなかった。

労働の日々がそうさせたのか。ただ幸せを求めて創り上げた虚像だったのか。

だが、やはり気になることもある。理想を体現している筈なのに、我が苦しむ方向に進んでいったのは何故なのだろう。

会話と笑顔は、我にとって重要な意味をもっている。その根底の元に幸せが生まれると確信している。

ならば、そこに苦しみを求めるだろうか。

『今』の我なら、決してそんなものは求めない。少しでも多く言葉を交わし、笑い合う経験を積み重ねたいと思う筈だ。

『今』じゃなく、過去が顔を出す。根底が丸っきり異なっている。

苦しみがあったからこその会話、笑顔の渇望ならどうだ。

我が非道徳的になった理由は、理由は……心理的な緩みだったか。

何かの要因があって、導火線に火が付き、罵声を浴びせ始めた。

では、その何かは、何だ。

我が日々の大半をつぎ込んでいたのは、仕事と家族。

魔法をもっていても、続柄が良くなければ評価されることはない。

幾ら『神様』といえど、ちっぽけで情けない存在。家族をつくる前も後も、嫌と言うほど頷かされた。


我が本当に求めていたものは――完膚なきまで追い込んでくれる状況であり、幸せを諦めさせてくれる居場所だったのかもしれない。


 どこかで思いたい自分がいた。幸せは誰の元にも降ってくる。頑張ってさえいれば、いつか光の中に導かれると。

でも、何年、何百、何千年と命を削っても、一向に風向きは変わらない。

このまま朽ちていくのは嫌だ。それならいっそ死んでしまおうか。

即刻死ぬのはもったいないかもしれない。だが、勝手に『今』は動いてくれない。

どうすれば変わるだろうか。お金も頭数もない現状。

何かが欲しい。何かがあれば、変わっていくかもしれない。

…………では、一つ実験してみよう。嘘偽りでも幸せが掴めたら最高じゃないか。


 眼前には、『今』正に地獄界で拷問を受け続けている女神がいた。

『神様』で拷問を受けているなら、きっと訳アリなのだろう。我の計画には都合がいい。


 そうして、気付けば拉致し、共に暮らし始めた。

もし地獄界で厳正な管理が敷かれていればお仕舞いだっただろうが、それならそれでいいと思った。

怯えながら一週間、二週間と過ごし、一か月過ぎて確信した。

これならいける。何のお咎めもない。理想は目の前にある。

浮かれた我は二柱の子供を地獄界で発見。見つけたその日に連れ帰り、我達は疑似的ではありながらそれらしい家族となった。

思い起こしてみると、確かに死んでいてもおかしくないことが発覚してしまった。

きっと我の魔法も無意識の内に発動していたのだろう。

我自身、ケルベロスになる以前以後で魔法の存在を自覚していない。

魔法は『神様』であれば使えるのが定例ではある。

実際、我にも使えていた。話を聞くに、我の元から離れられなくさせるような魔法であることが推測される。

何も考えていなかった分は正直面喰ったが、ここで気になってくるのは外套フードの男神が何のために接触してきたかだ。

正妻とのつながりがあるにも関わらず、我にも話を持ち掛けてきた。

正妻へかかった魔法があったとすれば、『今』はその魔法が解除されているということになる。

きっと子供二柱も解除されていることだろう。我が振り撒いていた不和がいきなり咎められる。

その時を窺ったように現れた外套フードの男神。我を手招いた話は、家族と一個体になったらどうかという、トチ狂った提案だった。

恐らく全ての種明かしがなされた『今』ならわかる。この男神が何かを企んでいると。

空間にいる全員の眼差しが我を突き刺す中、満を持して真正面で捉えた男神の顔に確信を吐こうとした。


――黒幕は……


 と、口が開いた瞬間。我含めた家族全員が床へとへたり込み出す。

これが男神の魔法だった。当時の自分が魔法の凄まじさを嫌というほど理解させられた、最初で最後の時だった。


――ねぇ、お父さん。お父さん。


 頭の中で声が聞こえる。


――お父さん、僕。僕は辛かった。


 何だ。誰の声なんだ。


――僕はもっと、お母さんやお姉ちゃんと会話もしたかったし、笑い合いたかった。勿論、お父さんともね。


 どこか胸が痛かった。

誰だかわからないのに、涙が溢れて止まらなかった。心が決壊していた。


――あの空間はどこよりも寒くて、どこよりも痛かった。

日に日に痣が増えていく。罵声と共に、怒声と共に、大事な何かが欠けていく。

お父さんは知らなかったと思うけど、僕達禿げ始めてたよ。白髪もあったし、クマができてた。


 初めて聞いた。これが息子の声だった。

だが、何故。何故我の脳に響いてくる。


――僕、僕。僕、何度も死にたくないよ。僕、大人になりたいよ。なりたかったよ。

だって、知らないんだ。何もかも。

生前も虐められてて、自由がなかった。家族に味方はいなくて、居場所がなかった。

死んでよかったって、その時ばかりは思っちゃった。新しい神生を送れるなら、それでいいって。

でも、現実はそう優しくなくて。地獄はまた繰り返された。

毎日を飲み込んだのは、お父さんの支配だった。


 …………。


――でも、今日でやっと、お父さんの地獄ともお別れできるみたい。


 ……おい、それって。


――実験は失敗したんだってさ。僕だけだった。


 僕、だけ……?


――あぁ、最期にこれだけは言わせてよ。

僕からお父さんに向けた、親孝行かも。

嬉しいな。何の思い出もないけれど、それでも。僕とお父さんは家族だったって、そう思えるから。

じゃあ、聞いて。お父さん。


 あぁ、我は最低で最悪だ。

こんな大事な時に、本当にどうしようもないことを思い出してしまった。気付いてしまった。

気付かなければ、まだ幸せだった。二柱の思い出が綺麗に光って見えたのに。

また、一柱にさせてしまった。お父さんとやっと話せる。

そんなタイミングで、そんな状況で…………そういえば我、息子達の名前すら知らなかった。


――僕、戦いって好きじゃない。お父さんはずっと何かと戦っていた。

だから何でしょ。僕達に手を出したのは。

殴ると、ちゃんと痛いんだよ。知ってた、お父さん?


 我は全部を狂わせた。勝手に巻き込んで、あんなに小さかった子供に、多くのことを背負わせ過ぎてしまった。

年齢ばかりが太っていても、何も意味をなさない。大事なのは、生きることを生きることだ。

ただのうのうと過ごしていても、周りは変わっていかないし、自分も変われない。

変われなければ、こうして気付かぬ内に他者を傷付けてしまうだけだ。

向き合うこと、自分だけに頼らないこと、求めすぎず、ただ受け入れること。

沢山の過ちを犯してきた。それらがこのたった一言だけで赦されるなんて思ってもいない。

だが、言わせてほしい。これが報い。これが贖罪。

我が選んだ、『生きること』だ。


――約束する! 我は、今後戦いを避けていこう。

受け入れ、理解する。その心をもって生きていく。


――………………おい、一体何を言ってるんだ、お前は。


――何をって、約束だ約束。息子との、最初で最期のな。


――あぁ、息子、ねぇ。死んじゃったのは済まなかった。

でも、見てみろ。他は


――他はお前になった?


 下から立ち上がる光景に、ここが家ではないことを自覚させる。

やけによく見える視界に疑問符を並べながら、用意された場所へと歩いていく。

何故四つん這いで歩かされているのだろう。視界はよく見えるだけでなく、低くもあった。


 目の前の鏡を見て驚愕が前面に顔に出た。これが我なのか?


――三つの首に、狼のような姿見。かつ蛇の尾、獅子のたてがみをもった、要するに化け物になったんだよ、お前は。


――……。


――今後、お前の名前は地獄の番犬ケルベロスとなる。よく覚えておけ。


――……。


――なんだ、そんなに格好いいか? 嬉しいね、創造を任された身としては。

まぁ、やったのはアスクレピオスなんだが。


――……。


――さて、ここで長居している時間もない。手短にお前に求めることを話す。

お前には地獄界への入場門を警備してもらう。無法者達が集まる、言わば世界の最下層だ。

地獄界から逃げ出そうとしている者、地獄界を破壊に導こうとする者、お前自体に危害を加えようとした者に制裁を下してくれ。

俺からは以上だが、何か質問あるか?


――……。わかりました。


――そうかそうか、わかればよろしい。

では、頼んだぞ、地獄の番犬ケルベロス。


――はい。


――おぉっと、どうした息子よ。何だ、遊んでほしいのか。

いや、俺には無理だ。あのお犬さん?

何を言ってる、あのお犬さんもこれから仕事。あっちで召使い達と遊んでいなさい。

じゃあ、またな。……ケルベロスも早く持ち場につけよ!


――はい。


 我の記憶はあの男神に連れ去られてから段々と薄れていき、話の途中から彼には賛同するべきだという認識が生まれていた。

もう後のことは大分と記憶から抜け落ちていた。

だが、一つだけ覚えていたことがあるとするならば、戦いに関する、息子との約束だけ。

以降、地獄界の入場門を守護まもり続けていたが、殆ど咎人をいたぶることはしていない。

今日、命じられた『オリュンポス十二神』への対応が久しぶりの戦いだった。

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世界の滅亡、五秒前。 種山丹佳 @kusayama_nika

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