4-106.生きとし生ける万物讃歌Ⅳ(前編)

※今回は、ケルベロス視点から展開されていきます。

※これは十月十五日の更新分となります。

待っていてくれた方、本当に本当に申し訳ございませんでした!!!!!!!!



 ――あぁ、これはきっと走馬灯なのだろう。もう我の命は尽きてしまうのだ。

タナトス主神の命令は単純明快で、侵略行為をしてくるであろう『オリュンポス十二神』一行を皆殺しにせよというものだった。

我は三つの魔法を行使することができる分、他の『神様』よりは抜きんでた力をもっていると思っていた。

その力は、或いは『オリュンポス十二神』にも通用するのではないかと、希望的観測をしてしまう我もいた。

だが、結果は魔法行使の源泉である三つ首全てを切り落される、散々なものとなってしまった。

これでは顔向けできたものではない。主神は何と言うだろうか。

二柱の首をったとて、称賛には値しない。

全部まとめて滅してこその名誉。主神もそれを期待していた。

我は期待にそぐうことが叶わなかったのだ。


でも、何だろう――この違和感は。


 何かが胸に渦巻いている。もう何も景色を見られない六つの朱殷が、揺らいでいる気がした。

最後の最期が、三柱に戻ってしまうなんてな……。僅かに感じる地面が湿っていく。

枯れたと思っていた涙腺はまだ生きていて、我に教えてくれたのかもしれない。


――我はまだ死んでいなかったこと。この『今』の『今』までも生きていたということを。


 でも、お父さん、最期までできなかった。貫けなかった。

アイツとの約束、果たしたかった。いや、我との約束でもあるか。

脳内を駆け巡る記憶の濁流が、我を戒め、またこの世界に留めさせていた。

膨大な記憶量であるせいか、悲観がどこか嘘っぽく感じる。

これが違和感の意味であるならば、どうだろう。

感覚でしかない希望の一端を信じ、我はどこまでも記憶の荒海を潜っていった。




×××




 ――思い出すのはもう随分と大昔のこと。我がまだ、地獄の番犬ケルベロスとなる前の話だ。

我の家族は冷え切っていた。我が何と言おうと、快い反応が返ってくることはない。

そんなの当たり前すぎて、最早何とも思わなくなってしまっていた。

そうか、こんなにも寂しかったんだ。今さらの孤独が苦しい。

決して広い部屋で暮らしている訳ではないのに、何なら時折膝や脚が当たって熱を感じるというのに。どこまでも希薄で、味気ない。

これが家族と言っていいのか。


 結婚当初は我も正妻も仲が良く、常に同じ時間を過ごしていた。

二柱の子供ができ、漸く生活も安定してきた頃、それはごく小さな事件が起こった。

きっと我の中で、心理的に緩んでしまうことがあったのだと思う。

何かのきっかけで怒鳴ってしまったのが、これまで少ししか不具合を起こしたことのない歯車を、大いに狂わせていくきっかけになってしまった。

原因すら思い出せなくなっている時点で、我に文句を言う筋合いなど残されていないだろうが。

不和は一度垂らされれば、その一滴が許されてしまえば、もうそこから際限なく広がっていく。

少しの怒りが、少しの要求が、日々を追う毎に過激になっていく。

一方的に撒き散らされる唾の嵐が、容赦なく子供に降り掛かった。こんなの誰も望んじゃいなかった。

正妻は酷く病んでいった。我とぶつかり合うことを好まなかった彼女は、我の無茶ぶりにも何かと対応していった。

その様は切り貼りして流すには、本当に酷なものばかりだった。


――物を取ってこい。


――面白い話をしろ。


――掃除ができてないじゃないか。


――もっと我に感謝しろ。我のおかげで生活できているんだ。そのことを忘れるんじゃない。


――子供の面倒は君の役目だろう。どうして礼儀すらなっていないんだ。


――おい、君。どうして挨拶すら返さない。無言のまま見つめることを教えたのか。


――お前のことを言ってるんだ。何をするべきか、わかるだろ。


――ちゃんとしてくれよ。もう自分で色々としなきゃいけない時期なんだから。


――誰も何も返せないのか。それで家族か。いるだけで満足か。そうじゃないだろう。


――求めるのは会話だ。笑顔だ。おい、なんか言ってくれよ。答えてくれよ。


――何のために口が付いている。面白いこと言って笑わせてくれよ。

笑顔で一杯の家庭にしようって、我達言ったよな。そうだよな?


 独りよがりが我の正体だった。自分が『神様』であることは間違いない。

それでも、自分だけが『神様』な訳ではない。ここにいる、家の中にいる家族皆、『神様』なのだ。

我だけが優遇される世界などある筈もない。

 定職に就けなかった我は、その日暮らしのお金を稼ぎながら、家族を養っていた。

疲れはあったと思う。正常な思考など、疾うの昔に死んでいた。

裕福な生活をさせられている訳でもない我が、何を言っているんだ。

死ぬ間際の『今』に思えば、滑稽以外の何物でもないが、当時は何も配慮できなかった。

家族を何とかしようとしていた、我の行動が言葉だけで終わるならどんなにか良かったか。

狂気は言葉だけで止まってくれる程、優しくなかった。痣さえ携えた関係性に、健全の二文字など考えられない。

もう誰も息していないのと変わらなくなっていた。


 これが、我の偽りの正義を掲げて戦っていた時期のこと。

ここからはもう、そんな偽善すら捨て、ただ無を求めた。

偽善者になんて、なりたくなかった。だからこそ、あの偽善が何より輝いて見えた。

あれが真の偽善者であると知らしめられた。我の至らなさを痛感させられることとなった。

悔しかった。何としても潰したかったのに。簡単に潰れるほど、柔くも優しくもなかった。

ちゃんと首を落としてきた。いや、落としてくれたとも言えるだろうか。

いやいや。いやいやいやいや…………あり得ない。


 こうして家族全体を不和で包み込んだ我は、何となく居場所を失っていき、そのまま発言もしなくなっていった。

正妻や二柱の子供から発せられる言葉はない。自然と無言が自然となった家族は、何も様子が変わらなくなった。

いつ見ても何をしても、同じ光景が流れ続ける。不思議と別れようという提案がなされることもなく、何年も何年も過ぎ去っていった。

いつしか願った無が叶うことになったが、叶ったところで幸せになれはしなかった。本質は、笑顔が欲しいだけだったのに。

こんなにも近くにいるのに、遠く感じるなんて。

この家に、この部屋に、この空間に、何の意味があるのだろうか。

不和は我一柱ではどうにもならない疑問に変わっていった。もう、誰も相談を受けてくれる相手はいないのに。

一柱だけでいる『神様』など、ちっぽけで情けない存在だ。そう心の底まで理解させられた。


 どうしようもない気持ちの行く末は、ある日唐突に決められることとなった。

とある外套フードの男神に出逢った我は、言い知れぬ魅力に憑りつかれ、その男神の言葉を素直に受け取り始めた。


――わかり合えないなら、一つになればいいじゃないか。


 淡白な食卓の待つ家に少しでも遅く帰ろうと画策する我に、謎の男神はそう声を掛けてきた。

肩を叩かれ、振り向き様にこんなことを言われても普通なら怖くて逃げ出してしまうだろう。

だが、我にとっては願ってもない提案のように聞こえた。

これが救いになるかもしれない。怪しさしかなくとも、もう我一柱で処理のできる問題の範囲内を優に超えている。


 『今』ではもう誰かわかる。地獄界の状況を把握しているなら、たった一柱に確定されることだろう。

事実上の死に臨した我は、わかり合えない気持ちをわかってくれる存在がいたことが何より嬉しかった。

気づけば、出逢ったその日に我は一つの決断を下していた。


――我達、家族は共に生きよう。何か術があるのだろう?


 我の好意的な反応に二度頷くと、家まで案内するよう頼まれた。

我は何の疑いもなく、帰路の道を急いだのだった。

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