4-105.選択と代償と

※今回も前回と同様、ヘルメス視点から展開されていきます。

※これは十月十四日の更新分となります。

待っていてくれた方、本当に申し訳ございませんでした!!!!!!!!



 出鱈目な運動が研ぎ澄まされた時、僕は左腕を起点に固定されていることを知った。

身動みじろぎ一つできない拘束力に、焦燥感は募っていく。緑煙は、既に指先を覆い始めていた。


――時間がない。選択をしなければ。


 この緑煙がどんな効果を発揮してくるのかはわからない。でも、確実に言えることは、僕達にとって良い効果を発揮する訳ではないということだ。

現状から推測するしかないが、最後の手段はもう切ってしまっているんじゃないだろうか。

視界を封じることも、思考を『支配』することも、有害な物質をバラまくことももう叶わないことはわかっている。

あと、最後。あの残された首さえ刈り取ってしまえば、こちらの『勝ち』と言っていいだろう。

口が魔法の引き金なら、その口含めた首をることが勝利の条件に間違いない。


 愈々、もう間近に迫ってきている。判断しろ、『答え』は何だ。

指先、手の甲、手首、前腕。想像の五倍の速さで浸食してくる緑煙を目の当たりにして、僕はもう片方の手に力を込めた。

その手には『無死ハルパー』が握られている。


――時間がないなら、捨てればいい。


 無慈悲に振り被った右腕が鋭利な輝きを放ちながら、皮膚を、筋肉を断ち切っていく。

緑を背景に飛び散る赤は、やけに主張が激しくて、やけに呆気なかった。

骨にぶち当たり、一瞬の膠着。思い出したように唸りを上げる神経を置き去りに、赤々と彩られた切れ込みへと思い切り『無死ハルパー』を押し込んだ

罅の入ったようなか細い音を最後に、一気に左半身が軽くなった。

血は止まらない。汗も止まらない。痛みは呼吸を乱し、頭痛をもたらした。

妙に熱いような、酔ったような気持ちのままに、『今』はただ緑の煙の魔の手から逃げることを考えた。

踵を返し、地面を力強く踏み込んでいく。


 よし、この時を待っていた。

走れる。歩ける。ヤバい魔法から逃れられる。

とにかくここを離れないと、つないでくれたクロロンに、先を急いだ『オリュンポス十二神』一行に、果てはクロロン含めた彼らと行動をする機会を与えてくれたゼーちゃんに顔向けできなくなってしまう。

一歩二歩、三歩四歩と、順調に距離を離していく僕。

このまま離れてしまえば、後は何とでもなる。そう信じて、未だ自由の許されている右腕を振っていた時、その右腕に違和感が走った。


――この違和感、知っている。左腕さっきと同じだ。


 どうする。また切るのか。でも、右腕まで切ってしまったら、今度は魔法が使えなくなる。

理由は本当に簡単なもの。僕の魔法は手で直接触れることで発動となる、厄介な縛りが設けられているからだ。

僕の往生際の悪さは、この魔法によるところが大きかった。

ヘーさんに何度殺されそうになっても、結局生還し続けられたのはあの魔法があったからだった。

魔法に頼れなかったら、ゼーちゃんもいないこの場所でどう生き延びればいいんだ。

でも、ここで腕を切らないことを選んでも、緑煙が全身を包み込んで死に絶える。


 要するに、死期を決められるってことだ。

この先、魔法を使えなくなってしまうが、まだ生きていられる希望が続く道。

もう一つは直ぐにでも終わりがやって来て、魔法も何も関係なく途絶えてしまう絶望の道。

或いは――限りなく低い可能性に賭ける不自由の付き纏う道。

 最初からわかり切っていたのかもしれない。前提に据えるべきは、続けなければならないということ。

そうしないと、ゼーちゃんにだって、もう一度逢うことができなくなるのだから。よし、決めたぞ――――。


 なりふり構わず、僅かに働く手首を動かし始めた。頭にあるのは、生きることだけ。

現実の前に、『神様』であろうと踊らされる。哀れで、滑稽で、美しさすらあったと思う。


――これが生きるということか。


 ゼーちゃん至上主義だった僕が、死ぬような経験をして初めて学んだ。

生かされているだけが、己ではない。己は己で歩んでこそ、生きていると言えるのだ。

囚われていては勿体ない。ゼーちゃんの存在しないこの場において、さっきまでは可能性を信じられない自分がいた。

もう駄目だって諦めることを、外的要因で取り繕っていた。

それでは駄目だ。まず、信じなければ。僕の思いは一つの行動に集約された。


――『無死ハルパー』の投擲とうてき


 煙で見えなくなった的。それほど大きくもない可動域を偽りに偽って、漸く放物線らしきものを描くことができた。

自分自身には使えないものの、僕の魔法――『羽飾アイビス』によって、『無死ハルパー』に幸運を付与した。

これでケルベロスの最後の首が落とせたら、この固定された右腕も、歯止めの効かない緑煙も全て消し去ることができる。


――僕は、可能性を、不自由の付き纏う道を選ぶことにした。


 ゼーちゃんは天界で自分のことをしていて、僕のことを考えている余裕はない。

一番最初に自分のことを信じてやれるのは、自分なんだ。こんなにも長く生きているのに、全然理解できていなかった。

ここに立っているのは、ヘルメスだ。

最後の力を振り絞った僕は、身体を立たせ続けることもできなくなって、やがて地獄界に崩れ落ちた。

右腕も重力に従って、身体についていく。

地面と衝突する音が、まるで化け物一匹が倒れたかのように大きく聞こえた。

閉じられた瞼は、僅かながらに痙攣しているのがわかった。

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