第4話
「わあ! 広い部屋ー!」
最上階ワンフロアのマンションで、鶴子が感激の声を上げる。
最初の夜の出会い以来、猿渡は、あの店に通うようになっていた。しかも、いつも鶴子を指名する形だ。
そして今日、彼女を自分の部屋に招いたのだった。
いわゆる同伴出勤であり、夜には一緒に店へ行く手筈になっている。それまで時間はたっぷりあるし、こうして部屋まで来た以上は彼女もそのつもりのはず。そう思いながら猿渡は、リビングからベッドルームへと通じる扉に、男の欲望のこもった視線を向けていた。
そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、鶴子は本当に嬉しそうな表情を浮かべている。
「こんな部屋で暮らしていたら、それだけで開放感いっぱいですねー」
「鶴子ちゃんだって、昔は社長令嬢だったわけだろ?」
「あら、社長令嬢なんて大袈裟な……。うちは小さな会社でしたから、普通に一軒家でしたわ。どちらにせよ、どうせ昔の話ですけどね」
鶴子にとっては、古傷を抉られるような話題なのかもしれない。猿渡は少し後悔したが、少なくとも彼女の表情は明るいままなので、一応は安心する。
その『後悔』もあって、彼女の気持ちを盛り上げたい、と強く思った。
「開放感というなら、外へ出てみるかい? 都会の真ん中だけど、それはそれで景色が良いものだよ」
「この高さなら、さぞや素敵な見晴らしでしょうね! 是非お願いします!」
猿渡は鶴子を連れて、ベランダへと向かう。
「本当に素敵! 心が広々として、何もかも忘れてしまうくらいに……」
「満足してもらえたようで、僕も嬉しいよ。でも……」
ここで猿渡の頭に浮かんだのは、また昔話ネタだった。
「……恩返しが終わったとしても、ここから飛び去っていかないでくれよ」
「ああ、鶴の恩返しのラストですね。『鶴』には翼がありますけど、私は大丈夫ですわ」
猿渡の冗談に対して、鶴子は笑顔で返す。
しかし彼女の『笑顔』は、にこやかなものではなく、むしろ冷笑に思えて、猿渡は背筋が寒くなった。
なぜ鶴子は、こんな表情を見せるのか。猿渡が戸惑う間に、
「でも『鶴』は飛べても『猿』は飛べないのですよね、猿渡さん」
冷たく言い放った鶴子は、力一杯、猿渡を押す。
こうして猿渡は、わけがわからないまま、マンションの最上階から突き落とされて、死んでしまうのだった。
「仇はとったわ、お父さん」
彼女が見下ろす先にあるのは、猿渡の死体。はるか下のコンクリートに叩きつけられて酷い有様になっていたが、彼を悼む気持ちは、彼女には全く湧いてこなかった。
「臼に潰されて死んだ猿も、こんな感じだったのかしら」
頭に浮かんだのは、猿渡が口にしていた昔話。鶴の恩返しよりも、猿蟹合戦の方が自分には当てはまっている、と彼女は思う。
「もともと復讐する気なんてなかったけど……。向こうからチャンスが転がり込んで来たんだもんね。せめてもの親孝行だわ」
最上階のベランダに立ったまま、加仁田鶴子は、自分に言い聞かせるように呟くのだった。
(「猿鶴合戦」完)
猿鶴合戦 烏川 ハル @haru_karasugawa
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