ビューンと飛んでく終末

外清内ダク

ビューンと飛んでく終末




 世界が終わるんだと知ったのは、頭越しに交わされる大人同士の会話からだった。向こう隣の山野のおばちゃんが「いやよね、終末なんて」とご近所さんの噂話くらいのテンションで愚痴るのを、母は曖昧な愛想笑いでしのいでいたのだ。僕の背丈はようやく絶叫マシンの身長制限をクリアできる程度しかなく、母の表情は天を仰ぐようにしてうかがわなきゃいけなかった。

 暑くもないのに母の額ににじみだした汗が、「しまった」という心の声を如実に代弁しているように見えた。

 やがてしゃべり飽きたおばちゃんは去っていき、僕らはふたたび並んで歩道を歩き出した。無言の母に、思うように回らない舌で僕は尋ねる。

「世界って終わるの?」

 母は僕を撫でる。

「そうね……どうもそうらしいよ」

「そうなんだ。どうするの?」

 無邪気な子供は、その無邪気さゆえに邪気の化身だ。母は決して僕と視線を合わせようとせず、黙々と歩き続けた。訊いてはいけないことを訊いてしまったのだということは、幼い僕にも分かる。その罪を誤魔化したい一心で、僕は努めて子供らしくしゃべってみせた。

「家庭用核シェルター買ったらどうかなあ? ネットで買えるんだよ、今」

「そうねえ」

「宇宙に逃げたら? イーロン・マスクに頼んだら助けてくれないかな」

「イーロン・マスクも忙しいでしょ」

「そうかなあ。そっかあ」

 母が不意に手を差し出してきたので、僕は戸惑いながらそれを握った。僕は子供だけど、お母さんと手を繋いで、なんていう歳でもないのだけど。

 そこから先はスーパーまでずっと無言で、晩ごはんの買い物中もふたことみこと、何を買うか相談しただけだった。米袋をナップサックに入れて背負うのが僕の仕事。そこで僕は、母がいつもの10kgパックじゃなく、小さな5kgのやつを買ったことに気付いた。帰る間ずっとその意味を考え続けて、玄関間際でやっと理解した。

 もう食べきる時間もないってことだ。たかだか10kgの米でさえ。

 宿題も手伝いも片付けた僕は、それからずっと大乱ダイランをやっていた。ゲームの中には世界を滅亡の危機から救ったファイターが掃いて捨てるほどいる。マリオもリンクもカービィも、よく知らないけどクラウドもそういう人のはずだ。でも僕らのこの世界は誰も救ってくれない。リンクはここにはいないし、イーロン・マスクは忙しすぎる。

 そして僕は……あまりに知るのが遅すぎた。

 そうだよ。いっつもそうだ。人生に関わる重要な情報は、いつも大人だけで話して、大人だけで決めて。僕らは漏れ聞いた大人たちの会話の切れ端と、盗み見た顔色から、自力で事情を察するしかない。降りてくるのは決定事項。大事な話は頭の上をビューンと飛んでく。いったいどうすればいいだろう、なんて一緒に頭を悩ます権利さえ僕らにはない。

 そしてたぶん、大人たちにだって、もうどうにもできないんだろう。世界が終わるという、この事態を。

 僕は夕飯を食べ、お風呂に入り、歯を磨いて、寝て、起きて、学校に行き、帰って、宿題して、算数の自主勉強をして、家の手伝いして、Unityいじって、作りかけのモーション少し調整して、また夕飯食べて、風呂に入った。昨日のうちにネットで調べて、世界がどうして終わるのか、それがどのくらいどうにもならないことなのか学んだ。《無限コンクリート》。僕らはみんな埋め立てられる。白でも黒でもない、灰一色の世界になる。

 それは別にいいけど、作りかけのゲームだけは完成させておきたかった。

 僕がもし大人だったら、充分な能力と資金があったら……いつかそうなるはずだったんだ。大学行ったら学生ベンチャー立ち上げて、何年かかけて会社大きくしたらGAFAのどれかに買ってもらうつもりだった。そうしたら何億円も手に入る。世界を終末から救う研究ができたかもしれない。できただろうか。無理だったかな。いま世界にいる大富豪たちが、同じこと考えなかったはずないもんな。みんなが知恵を尽くして、お金も残らず注いで、それでもきっと……無理だったんだろう。

 でも、無理でもいい。僕にもやらせてほしかった。せめて最後の一瞬まであがく機会がほしかった。ひょっとしたら役に立つかもしれないじゃないか。どんなひらめきがブレイクスルーを起こすか分からないじゃないか。人間の歴史はその繰り返しだったじゃないか。なのに僕はお風呂に入ってる。ゲームひとつ完成させられないまま、せっかく勉強したことを何にも活かせないまま、ただ死んでいく。せめて母や父がもっと早く教えてくれていたら。子供に恐怖を覚えさせたくない、なんてそんな余計な親心いらないから、せめて対等に扱ってくれていたら。ひょっとしたら僕が世界を救うことだって。人類全てを救うことだって、ありえたかもしれないのに……。

 また一日があたりまえのように過ぎ、あたりまえのようにお米が減る。米びつの底の方の5kgが3kgになり、2kgになる。僕は毎日学校に行く。宿題をする。自由時間にはゲーム作りをひたすら進める。

 僕は僕に残された時間を、精一杯使わなきゃいけなかったからだ。

 ある夜、なんだか無性に水が飲みたくなって目が覚めて、僕はキッチンに降りていった。そして階段を降りきったところで、ドアの隙間から灯りが漏れていることに気付いた。

 僕は足音を殺して近づき、キッチンをのぞき込んだ。

 母が、椅子に体を沈めて、震えていた。

 僕は混乱した。意味が分からなかったんだ。どうしてこんな夜中に起きてるんだろう。あんな所にただ座って何してるんだろう。なんで震えているんだろう。

 僕はそっと、部屋に引き返そうとした。だって、これは大人の世界だから。訊いたってどうせ教えてくれない。何か重要なことが起きているのかもしれないけれど、重要なことは子供の頭の上をビューンと飛んでいくものだから。僕には関係ないことだから。余計な口出ししても仕方ないんだ。そうに違いないんだ。

 僕は階段を半分のぼり、立ち止まって、座り込んだ。

 耳を澄ました。キッチンからはなんの物音もしない。母はまだあそこにいるんだ。震えてるんだ。ひとりで。どうして。どうして。どうして……

 唐突に、僕はひらめいた。

 僕は階段を降りた。キッチンに向かい、今度は怖れずにドアを開けた。母がびっくりして僕を見る。僕は涙でぐちゃぐちゃになった母の顔を見つめながら、そばに行き、母の手を握った。

 どうして今まで、こんな簡単なことに気づかなかったんだろう。

 最後のお米を買いに行ったあの日、母が急に僕と手をつなごうとした。

 あのとき母は、僕に救いを求めていたんだ。

 恐怖で心が壊れそうになって、僕にすがりつきたかったんだ。

 母は、僕を抱き寄せて泣いた。

 僕は母の背中をさする。震えが止まるまで、何時間でもさする。

 世界を救うには、時間も力も足りないだろう。

 でも、大切なひとを一人救うだけならどうにかできるかもしれないと、僕は思った。



THE END.

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