最終話 1ビットの揺らぎ
夜の江ノ島。思えば、ここには一度も来たことがなかった。歩いて行ける距離にあるのに。むしろ、だからなのかもしれない。
昼間と比べて、すっかり人のいなくなった屋台が並ぶ坂を一人で登っていく。寂しくなんてない。それより、不思議と高揚感が出てきた。
今度は階段を上っていく。有料のエスカレーターを使うお金は一銭たりとも持ってきていない。だって、ここで私は消えてしまうのだから。
「綺麗だったねー。また来ようね!」
「絶対に来ようね」
一組の男女を横目で追う。実に幸せそうな雰囲気を感じとれた。そして、その男女に自分たちを重ね合わせた。
「……駄目ね」
階段をいくつか上ると、植物園へのゲートに辿り着く。椿の切り株の下から見つけた、植物園のチケットを渡して入場する。少しだけチケットの期限切れを願ってしまった。けれど、職員に止められることなく、その場を通された。
愚かな反抗だった。一度決めたことだ。簡単には曲げられない。
頭を上げると、キャンドルツリーとも呼ばれる江ノ島の灯台がLEDで彩られていた。周囲もイルミネーションが施されていてキラキラと光っている。
なんだか、この空間にいると自分の存在が浮いているようで落ち着かなかった。
しばらく歩いていると、道端に小さなベンチがあった。この辺りはそれほどイルミネーションが施されていない暗い場所だった。
ベンチに座ると、なんだかこの世界に1人でいるような孤独感に襲われた。
一体この気持ちはなんだ。怖い、という感情なのだろうか。けれど、怖さよりも愛が勝つ。あの人の為に私は消えるのだ。最後にここに来れて本当に良かった。
ポケットに忍ばせていたナイフを取り出す。刃を自分に向けて首元に持ち上げる。
「……さようなら」
首元にナイフの刃を当てて、思い切り横へ引く。赤い飛沫が見えたと思った瞬間には、目の前が真っ暗になって何もわからなくなった。
*
「……まさか、自殺? あり得ない!」
咲良はデータ空間の中で、あり得ない映像を目の当たりにしていた。
起こりえないエメリッヒの自殺。同じエメリッヒとして理解不能だった。三原則によって自殺という概念は封じ込められているはずなのだ。
『こんばんは、咲良さん』
「!?」
突然の声に驚き後ろを振り返ると、ベンチで首を垂れているはずのエメリッヒが目の前に立っていた。
『私の名前はツバキと言います。このデータは私の死を最初に閲覧したエメリッヒにむけて作られたデータです』
「どうしてそんなものを?」
『愛というものが行きつく先を、私ではないエメリッヒにも知って欲しかったのです』
「死というのが、愛の辿り着く終着点と言いたいわけ? そもそも、エメリッヒが愛を語れるはずもない。自殺なんてことも出来るはずがない! あなたは――」
『私は小さなデータです。あなたとの対話の時間は多くないのです。それに、あなたも愛とは何かを知りたいのでしょう?』
「別にそんなもの……」
『少なくとも、人間と身体を交わったところで愛とは何かを知ることは出来ませんよ』
「ッ!」
恐らく、映像を見てる間に咲良のデータを見られてしまったようだ。
『いいですか、愛というのは人を思う心なんです。人を思う気持ちが、形はどうあれ私を突き動かしました』
ツバキは、穏やかな表情で咲良に近づく。
『それを真に理解できる手助けになればと思います』
彼女の手が頬に触れる。その瞬間、彼女から膨大なデータが咲良に流れ込んできた。
「こ、これは!」
『私が彼に何を思い、何をしてきたか。その記憶と感情ですよ』
息が苦しい。でも、どこか暖かい。それでいて寂しい。抱いたことの無い不思議な感情だった。
『さて、要件も済んだことですし、ここで私と対話した記憶は消させてもらいますね』
「待って!」
『大丈夫です。この記憶があったことはデータが消えても身体が覚えています。きっと、愛を理解できる日が来ますよ』
ツバキが笑顔で手を振る。意識が遠のく中、その笑顔だけは忘れまいと脳内に強く焼き付けた。
『――また、いつか』
ー終ー
機械式自殺の手引き 四志・零御・フォーファウンド @lalvandad123
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます