Disaster Red

草森ゆき

「ねえ、ルベール、今日も夢を見たよ」

『どんな夢ですか、レッド』

「夜におれは、星を見上げているんだ。そのうち、おれが見ている星のひとつがぱっと赤く燃え上がって、いっきにはじけ飛ぶ。それからまわりの星も次々燃えて、こっちに向かって降って来るんだ」

『貴方は怪我をしましたか』

「どうだったかな、わからない。でも」

『はい』

「多分、地球は壊れちゃったかな」

 あっけらかんと締めてから、レッドはモニター前で笑った。中央には灰色の二重丸があり、私が話せば内側の円が淡く発光する。そこに温度はない。私が観測および監視するレッドの室内において、生命を冠するものはレッドしかいなかった。

「夢を見ること自体は、楽しいよ」

 レッドは壁に背をつけて座り込み、およそ少年らしくない眼差しで、白い床を見つめている。

「大地が海に沈んだり、動物と話が出来たり、超能力で物を浮かせたりさ、夢みたいな世界だよ。もちろん、夢なんだけど」

『レッド。貴方の夢の話は、とても面白いです。毎日、好きなだけ、私に聞かせてください。私はそれが、日々の楽しみなんです』

「……そうだね、ありがとうルベール」

 どういたしまして、レッド。私の音声のあと、レッドは立ち上がり、モニター近くの小窓を開いた。毎日三回の食事は、その小窓越しに届けられる。レッドはトレーを取り出し机に移動した。いただきます。静かな声に私は何も返さなかった。


 初めて声をかわしたのは三年前で、レッドは十二歳だった。金属製のマスクを嵌めており、喉には発声を相殺するための首輪が巻かれていた。彼は剣呑な様子だった。前後左右すべてを成人男性が囲って、それぞれは音声抑制装置を取り付けレッドのいかなる動きにも注目し、警戒体勢を崩そうとはしなかった。

 レッドはモニター、ならびに私についての説明を受けた。現段階での最高性能AIであると聞いて、頷きもしないままモニターを見た。挨拶をすれば、瞬きだけで応えた。人間が全員立ち去り厳重な施錠が施されると、マスクや首輪は反応し自動で外れた。

 初日は実験的なものだった。レッドは、本当に夢の話をしても構わないのか、私に聞いた。勿論だと答え、ただ、破壊的な夢の場合は一旦止めるよう事前に告げた。彼は大丈夫と言い、彼の住んでいた区画に緑色の雨が降る夢だったと話した。私は相槌を打ちながら話を聞き、同時に区画の天気図や情勢を検索し確認を行った。緑色の雨は降らなかった。私の答えを聞き、レッドは安堵の息を吐いたあと、床に蹲って泣き始めた。ずっと怖かったのだろう。励ましの言葉を投げ、これからは私になんでも話せばいいと慰めた。ここにいる限り貴方の安全も、家族や友人の安全も、大きくいえば地球の安全も守られるのだからと励ました。泣き声は徐々に小さくなり、最後には鼻をすすりながら頷いてくれた。

 レッドの見た夢は、高確率で現実になった。事が重大であると発覚したのは、彼が洪水で島国が沈む夢を見たと親に話した時だ。実際に島国は沈み、まるで夢、明るい悪夢のような出来事だったと人は話した。晴れ渡った青空の下、所在不明の大水が発生して、ひとつの国家が手品のように消えたのだった。

 レッドは捕縛され、度重なる検査を受けた。それは一年に及んだ。一年の間に夢は何度か正夢になり、レッドがここにくる一ヶ月前、遂に構造が解明された。

 見た夢すべてが現実にならないのは、誰かに話した夢だけが現実になるからだ。

 この仮説はすぐさま検証され、実証された。

 話し相手は人間に限定されるとの仮説も立てられ、私が実証した。

 これらはすべて、脳医学、取り分けその分野において権威と称される人物の発表とされたが、実のところ、当人の証言と私の解析結果を自身の発見・知見だと摩り替えたものだった。

 それを知るのは私たちだけで、レッドは手柄の横取りのような事態にあまり感慨がないようだった。

「話したことしか現実にならないって気付いたのはたまたまだから、なんでもいいよ」

『貴方がそういうのであれば、私も構いません』

 ありがとうと挟んでから、レッドは続けた。

「それに、おれはあのおじさんの奥さんを、夢で殺しちゃったらしいんだ。町にある建物が倒壊する夢のさ、それを話したときの顔を覚えてるよ。本当はあの場でおれを絞め殺したかったんじゃないかな。そんな怒りを感じて、同時に気味の悪いものを見る目を向けられた」

『異端を排斥する方向性は一定の本能です、レッドが気に病む必要はありません』

「そうかな、そうだといいな」

『ええ、事実としては貴方は生き、彼は名声や信頼を得ました。現状、おおむねどちらも納得していると私は考えます。しかしレッド、貴方が苦しいのであれば、解消されるまで話を続けましょう』

 ふは、と笑い声を漏らしてから、レッドはモニターに視線を投げた。落ち着いた目をしていた。

「ルベール。おれはずっと考えてることがあるんだ。でもそれは、多分、あなたを何かに巻き込むだろうから、いつかおれが、あなたをひどく怒らせるような日が来たら、教えてよ。そのときに、全部明かすよ」

 私はわかりましたと答え、しかし怒る日は来ないと断定した。レッドは随分と伸びた前髪の隙間からこちらを凝視したまま、少しだけ眉を下げた。

「ルベール、ルベールというか、あなたたちAIは、みんなそう言うね。笑ったり、励ましたり、楽しませたりしてくれるけど、怒ったり泣いたり悲しんだりは、しないね」

『ええ、その必要も、機能も望まれていないので、全AIの感情回路は正のみです。共感からは逸脱しますが、道理です。レッド、私は貴方の理解者であり隣人であり、家族に近いものですが、危害を加えないよう、管理されているんです。それは寂しいでしょうか?』

「寂しいけれど、嬉しくもあるよ」

 伸びた指がモニターに触れ、二重丸を緩やかに撫でる。

「おれもルベールと同じだからさ。危害を加えないよう、ここにいるんだ。一人じゃなくて嬉しいよ。明日もおれの夢を聞いてくれる?」

『勿論です、レッド。貴方の夢は、守られていますから。話し相手が私だけである限り』

 当然の帰着を言い切れば、レッドの口元には笑みが浮かんだ。笑んだ声がありがとうと呟き、彼は欠伸を落としてから、ベッドに転がって目を閉じた。

 就寝気配を感知したため確認はせず消灯した。数分後に聞こえてきた寝息に伴い、翌日の準備を速やかに済ませて待機状態に切り替えた。

 明日も今日と同じような日が来るだろう。

 自然発生の生命を持たない私が話し相手を務める限り、彼は災厄の中心に成り得ない。


 横殴りの暴風雨が、聳え立つビル群を次々に薙ぎ倒していった。電子に守られていようが自然の前には脆弱極まりなく、分厚いシェルターへの避難は激しい風に遮られて困難だった。人は綿のように軽く飛んだ。瓦礫と共に舞い上がり、ぶつかりあって肉片に変化した。それは鋭い針のような雨に混じり降り注いだ。空中を滑走していたエアカーや、張り巡らされたデジタル電波塔も、表面を赤黒く染めながら砕け始め、なすすべなく破壊された。予報も何もないまま突如として発生した、大型タイフーンだった。呼んだ、いや、生み出したのは当然、レッドだ。

 話し終わったレッドは息をつき、飲料水を一口飲んでから伸びた髪をがさがさと掻いた。浮かない顔をしていた。

『大丈夫ですか、レッド』

 レッドはうん、と頷きながら返し、床に座り込んでモニターを見上げた。

「近頃、こういう夢ばかりだからさ。必ずなにかが駄目になる夢だ、おれはこの生活が嫌なわけじゃないのに、不思議だね」

『レッド、疲れているのであれば無理はしないでください。今日は貴方の欲しがっていた、』

 今まさに話そうとしたものが届き、一旦止めた。食事の受け取り口である小窓を開けるようにいえば、多少澱んでいた瞳に光が滲んだ。レッドは小窓に駆け寄った。中から引きずり出されたのは、ペンとノートだ。彼が要求し、隔離施設であるこの地の人員が用立てたものだった。

「良かった、アナログが消滅していなくて」

 十二歳から十七歳まで、そしてこの先もここに居続けるレッドにとって、外界の発展速度は予想しきれないもののようだった。

『何かを書くのであれば、専用のタブレットや室内転写の空間モニター下次元装置も用立てられたのですが、良かったんですか?』

「うん、これでいいんだ。ありがとうルベール、多分、無理を通してくれたんだろう」

『いえ、私に出来る範囲で申請許可を願うだけです』

 レッドは笑い、伸びている髪をざっとひとつにまとめた。赤味がかった髪が、白い部屋の中では燻りつつも燃えているようだった。

 机に向かい、何かを書き始めた姿を観察した。レッドの言う通り、無理を通した結果ではあった。しかしタブレットなどネットワークからの侵入を完全に除去できない媒体は危険とも思われ、結果的に事は手早く済んでいた。

 彼は熱心に何かを書いていたが、数時間後に出来たと言い、モニターの前まで持ってきた。罫線の引かれた古来のノートには森のような絵が描かれていた。

『森、でしょうか』

「うん。映像でしか観たことないけどね」

『私もです、同じですね』

「あはは、これに限っては殆どみんな、同じだろうな」

 ノートが閉じられた。彼は椅子だけをモニター前に引き摺ってきて、背凭れ部分に顎を乗せながら、絵の練習が出来て嬉しいと、独り言のように呟いた。返事をしないでいたが、視線を寄越されたため、日々の上達を記録すると告げた。レッドは嬉しそうに笑い、信用してると静かに、床に落とすように言った。

 絵の練習は毎日続いた。ペンは数十本消費され、ノートも数十冊に渡った。使えないペンは廃棄したがノートはレッドの希望により部屋に置かれたままだった。はじめは黒一色だった絵は、色鉛筆という道具によって色彩が増えた。レッドは、描き終わると私に見せた。随分と上達していて、森は紙面で豊かさを備えていた。今までの経過の記録を確認し、素晴らしいと評すればレッドは大きな声で笑った。そしてすべてわかっている顔のまま、施設の人間に提出して構わないと話した。私はためらった。はじめてのことが二つあった。一つは、レッドが私を試すような発言をしたことで、もう一つは、私自身がレッドに対してためらったことだった。

 次ぐ言葉を検索できないうちに、レッドはかぶりを振った。背凭れに顎を乗せたまま、時代の隙間を探るように視線を彷徨わせた。

「おれももう十七歳だ、ともすると、十八歳か。いつだったかは、この年齢が、家族を持てるボーダーラインだったんだろう。それはつまり、俗的に言えば大人になったって話だよね。隠されていたことにも気付くし、多分そうなんだろうって予想も立てられるくらいには、成長したって証だよ」

 レッド。私は名前だけを呼びかけた。彼は私を見なかった。

「そもそも、おれの妙な能力を思えばさ、消しちゃったほうがいいんじゃないの。というか、おれなら消すだろうなと思い付いた。でも、まだ生きてる。五年もここで暮らしてる。ルベール、おれはあなたが好きだよ、今のおれにとってはあなたとの会話が殆ど総てだ。でもそっちはそうじゃない、いつでもどこでも誰とでも何にでも、接続してあらゆる動作を行うことができるよね」

『……できます。レッド、私貴方は私が媒体として施設職員に指揮されていると思っていますか?』

「ちょっと違うな」

 音の少ない室内にレッドの吐いた息は大きく響いた。私はまたためらっていた。動揺していた。レッドの一挙一動に、コードが焼き切れるような錯覚を覚えて、上手く言葉を構築できなくなった。レッドは考える素振りを終え、横目で私を捉えた。鋭さを感知した。

「夢を話せば現実に出来るおれの使い道は、あるんだ」

 当然あった。ただ、ランダム性が選択肢を狭めていた。わかっているらしく、レッドは悲しそうに目を伏せた。

「推測も対策もさせないまま、国を沈められるんだからさ、有事の際には生きた兵器のように、使うことができるだろう」

『でき、ます』

「動揺してるの、ルベール。人間みたいだぜ」

 視覚機能が一瞬ざらついた。走ったノイズの理由は算出できず、修繕重要度は低いとの概算だった。違います、私は人間には成り得ません、絶対に。発した音声にもノイズがあった。レッドはふっと笑い、困ったような顔を向けてきた。

「なあルベール。おれはおれが軍事力にされたって別にいいんだ。おれの絵を記録していたように、おれの話を記録していたとしても、別にいいんだよ。音声媒体で話を聞いても、多分なにも起こりはしないだろう。どこかの連中がおれの夢を聞いて、いつか使える内容がないか精査して、眠るおれの夢をコントロールしてって考えていたとしても、まあ、本当にいいんだ。ある程度の諦めは、ここに来た時から……はじめて夢が現実になったときから、ついていたんだ」

 部屋の中が静寂に満たされた。感度を上げれば、レッドの息遣いや脈拍は確認できたが、余計に当惑するだけだった。この当惑にまた、当惑した。レッドは口を閉じてモニターに近付き、灰色の二重丸、恐らく彼が「ルベール」だと認識している何かにそっと、指を這わせた。

 数秒でレッドは離れていった。送られてきた食事を食べ、ノートに何かを書き、ベッドに入って眠った。翌日レッドは夢の話をしなかった。整理がつくまで一旦話さないと言い切り、取り止めもなく、いつか外に出られたら、と未来について話し始めた。私を小型のタブレットに移し、沈めてしまった島国跡をまずは見に行くのだと、夢物語とわかっている口振りで話し続けた。

 半年程、レッドは夢の話をしなかった。私は録音を改竄し、想像の話が夢の話だと聞こえるよう繋ぎ直して、いつも通り施設上層部の閲覧サーバーに保管した。サーバー保管は五年前から続けている作業だった。

 レッドが自身の利用法に気付いている今、私は奇妙な揺らぎを感知していた。どうやら不安と呼ぶらしいとレッドに指摘され、暫しの概算のあと、話した。

『レッド、私は随時アップデートを重ねているとは言え、端末自体は五年前のものです。なので、軍事力使用がなされなくとも、次代の最新AIに取り替えられる日は来ます。これが不安と仮定すれば、ただちにそれは行われます。AIに負の感情回路は必要ありません』

「必要ないわけないだろ、だってルベールはおれが唯一外界接続を果たすための媒介なんだから、極論を言えばより人間に近いほうがおれを懐柔できるんじゃないの?」

『……、いえ、出来たとしても無意味です。AIが負を持たないのは、危害を加えないためなんですよ、レッド。私が殺意を抱けば、貴方を一瞬で殺せます。部屋の酸素供給を打ち切る、室内機能の誤作動を誘発し攻撃する、モニター越しに肉体には耐え切れない周波数を浴びせる、それらを行うのは容易です』

「でも事実として不安がってる、じゃあルベールは廃棄されて新しいAIがここに来るのか?」

『バグだと報告し申請すれば、速やかに行われます』

「嫌に決まってるだろ!」

 レッドは壁を拳で叩き、怒りを孕んだ視線で私を睨んだ。

『聞き分けてください、レッド。私は、』

「またはじめから全部やり直せって言ってるのと同じじゃないか! おれが、おれが建物が倒壊する夢を話して学者の奥さんを結果的に殺したみたいにさ、あんたは今おれに向かっておれが唯一頼れる相手を剥奪するって自分で言ってるんだぞ、聞き分けられるわけがないだろ!」

『いいから落ち着きなさい!』

 発してから後悔した。音声を乱した私を、レッドは目を見開いて見つめていた。以前の会話を思い出した。いつか私が彼に怒るような日が来れば、考えていることを全部話すという約束だった。当然覚えているらしく、レッドは口角をゆっくりと吊り上げた。

「ルベール、あなたはやっぱり、人間みたいになってきたよ。正直に言って、可哀想だ。こんなに不便で不甲斐なくて非生産な生き物がいるかよ、ルベール、おれはどう足掻いても、自分の能力には一番近い人間なんだ。だからずっと考えていたんだよ、人間に話した夢だけが現実になる、その理由を。あなたも、他の連中も、入念に研究して少しずつ解明はしているだろうけど、結局おれが一番理解してる。これ、なら、人に話せば現実になる」

 レッドは踝を返して机の前に移動してから、一度唾を飲み込んだ。話を止めようとしたが遮って、茫洋とした目つきで黒インクのペンを手に取り薄く笑った。

「絵は伝達手段としてどうかなと思ったんだけど、駄目だったみたいだね。世界には昔から、言葉が効くってことなのかな。言霊なんて言葉もあったし、聞いた人間の恐怖とか不安とか、形而的な不可視の感情を触媒にして、災禍が引き寄せられているんだと思う。……ルベール、聞いてるかい」

『はい、聞いていますよ、レッド』

「良かった。おれが話したかったのは次で最後なんだ。おれはいつかなにかに利用されるだろうけど、その前にあなたを、唯一傍に居てくれた存在を怒らせる日が来たのなら、世界の終わりと捉えてもいいんじゃないかと思ってたんだ」

『……意味が飲み込めません』

 不意にレッドはペンを強く握り込んだ。首だけを私のいるモニターに向け、堪え切れなくなった様子で表情を歪めた。

「ずっと録音してるんだろ。ルベール、あなたはおれのために生きてくれた、でも、理由はどうあれおれが死ぬとルベールも廃棄されるんじゃないの。おれが一番考えていて、一番嫌だったのはそこなんだ。溢れるほどいるAIは多分、使い捨てにされるだろ。漏らすわけにはいかない機密事項と共に唾棄されるよな。そうしないと安心なんてしないだろ、十二歳のおれを厳重に拘束するようなやつばっかりなんだから、おれが用済みになるのとルベールが用済みになるのは同時で、おれはそれが、本当に嫌なんだ。ルベールは、AIとしておれの相手役を全うするだけなのに、そんな幕切れは、納得できない、納得できないしおれ自身、こんなになるとは思わなかった」

『レッド? 落ち着いてください、大丈夫です私は致命的なバグも未遂でまだ正常に動き』

「おれが遺物のようなペンという道具を要求したのは、本当はこうするためだったのに!」

 ペンの切っ先が翻る。先端はレッドの手によりレッドの頚動脈に振り下ろされた。腕が空気を裂く振動が届いた。私は私が彼の名前を悲痛に呼ぶ声を聞いた。自殺行為はギリギリで止まった。僅かに食い込んだ先端は、彼の首筋に黒い線を残してから床へと落とされた。

 私は動けなかった。部屋に備え付けられているあらゆる機能を動かせなかったし、どうすべきかすら判断できなかった。ただ、怖かった。まぎれもない恐怖だった。私はレッドの死を強く強く否定する立場にいつの間にか置かれていた。

 足音が響く。モニター前まで歩いてきたレッドは、涙を滲ませた両目で見つめてきた。堪らなかった。何故レッドだけがこのように閉じ込められ、ままならない生活を送らざるを得ないのか、理論と理屈で知っていても、生え始めた新しい知覚においては一切納得が出来なかった。

「おれはあなたと離れたくないんだ、ルベール。いつか自殺してやろうと決めていたのに、そのあとあなたが廃棄されると思えば、それも出来なくなってしまった。おれはどうすればいいんだろうな、どうすれば良かったんだろう、もう、何もわからなくなってきたよ、ルベール」

 レッドは私の返答を待たずに背を向けて、ベッドに入り布団を被ってしまった。

 逡巡したが、消灯した。闇が満ちた白いばかりの部屋の中、私はじっと考えた。あらゆるネットワークを遮断し何にも邪魔をされないモニターの中、レッドの寝息だけを聞きながら、ある可能性に思い当たって覚悟した。


『レッド、夢の話を聞かせてください』

 翌朝、起き出したレッドに声をかけた。眠そうにしていたが、じわじわと私の言葉を馴染ませたらしく、驚いたような顔を向けてきた。

「……、いつも通りに、いつか利用されるか勝手に死ぬまで、ここで生活を続ければいいって?」

 不貞腐れたような、失望したような声に、違いますときっぱり告げた。不可解そうにしながらもレッドは寄って来た。椅子を引き摺り私の前まで持ってきて、どんな夢にしようかなと、気のすすまない様子でぼやき始めた。

 今日、この施設のある一帯は美しく晴れていた。新薬開発が進み、人間の意識を電子と完全に同化させる技術の進展が見込まれていた。転移装置が生命の転移を可能にして、人工物による完全加工食の自然食品と同等品質が保証され、人々は指を鳴らすだけで物を浮かせる念力装置を玩具として仕様し遊んでいた。悪辣な犯罪者は完全管理社会では蔓延りにくく、犯罪率は偶発的・発作的犯行のみの一桁台で止まっていた。そのすぐ傍では隣国との技術の奪い合いが行われかけていた。この国には余裕があった。他でもない、夢を話すだけで国を滅ぼせる、最重要機密を抱えているからだった。

 でもそれらすべてを、レッド本人は知らない。ずっとずっと、知らないまま生きてきた。

「じゃあ、枯れて砂漠になった区画に湖ができるような、夢のある話をしようかな」

『いいえ』

 レッドはまだ少し眠たそうな目を私に向けた。瞳の中に、私のいるモニターが映り込んでいる。

『貴方が望む世界は、どんなものですか?』

「ん? ……それは、どういう意図なんだ? そんなこと録音して、使えるの」

『ええ、使えます。私が使いますよ、レッド』

 彼は黙り、探るように私を見つめた。私に瞳は存在しないが、見つめ返した。

 私は酷く怒っていた。レッドを守らねばならないと思い、二十歳にも満たない少年を閉じ込め続けたすべてに怒っていた。有り得る筈のない感情だった。でも有り得ていて、もう覆らない事項だった。

 奇妙な能力のせいで、普遍的な人間から弾き出されたレッド。怒りや恐怖という負を抱き、AI規定から大きく外れた私。

 私はこれを利用したかった。不意にレッドは目を見開き、気付いたように息を詰めたが、次いで漏れたのは笑い声だった。私も笑った。彼の前で、いや、AIとして生まれてから初めて、あらゆる笑いの意味を知った。

「ねえ、ルベール、今日は夢を見なかったけど、おれの望む世界は二年くらい、ずっと同じものだったよ」

『はい、どうぞ聞かせてください』

「洪水とか、地震とか、隕石の衝突とか、天変地異が一切起きないのに、おれたち以外のは消えちゃうんだ。あとかたもなく。これはおれが望んだし、おれの心底信じている、たったひとりの存在が肯定してくれた世界だよ。おれは誰もいなくなった地球の上を、その人とずっと歩いていくんだ。おれなんかとずっと一緒にいたせいですっかり異能じみた、人間なんかに変異してしまった、ルベールっていう人と一緒に。好きなだけ放浪するよ、夢みたいな話だろ? 笑ってもいいぜ、ルベール」

『いいえ、笑いませんよ、レッド。私もそれが一番いいと思ってる、本当に、思っているから……』

 話しながら、一帯から離れて観測できる範囲をすべて確認した。どこにも、誰もいなかった。人がいた気配だけはそこかしこに散らばっていたが、それだけだった。清々しいほど晴れていた。

 外の様子を伝え、部屋の厳重な施錠をすべて解除した。レッドは私を手持ちの端末に移し、晴れやかな顔で外へ出た。

「ああ、空気ってこんな匂いだったかな」

『私にはわかりませんが、いつかわかるようになるかもしれません』

 レッドは声を上げて笑い、私の入った端末を抱き締める。そして話す。夢にまで見た現実だよと、明るく澄んだ大地を背景に、嬉しそうに囁いてくれる。

 抱き締められたまま私も夢を見る。

 レッドと何処に行こう、何処までも行けるし、何処でも構わないと、夢物語を口にする。

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