世界にそぼふる缶の雨

 缶を積み上げて……だなんて突拍子もないことを思いつく人も居たものだ、と思うのだけど、これが発想されたとき「マインク〇フト」があったかないかでだいぶ違う。
 多分無かったんじゃないかなと思う(間違ってたらすみません)。
 今となればサンドクラフトゲームで簡単に再現できてしまうようなことであるのだけれど。でもたぶんそうではないのだ。

 上記をふまえて。

 身近なもの(缶)ではるかかなたの宇宙に手を伸ばす試み、その奇天烈な発想とは裏腹に、缶の根元では本当に大変なことが起こっていたり起こっていなかったり、する。それらはありふれた世界のどこにでも起こりうる、ごくありふれた「人間の営み」(あえてこう言わせてもらうが)である。
 そして彼女の上には缶の雨が降ってくる。人間の営みからきれいに切り離されて、彼女はその金属の雨に打たれる。かつてはその「営み」そのものだったはずの、飲み終えた飲料缶たちが、彼女の心境を物語っている。