トンネルの向こう側

 俺は今、天界で休養中だ。

 この前まで、キュートな三毛のゴールデンハムスターだった。

 ハムスターをやったのは2回目だ。ここの事務局長の計らいで、前回と同じ飼い主の元へ転生し……まあ、やるだけのことはやって来た……つもりだ。


 いろいろあって、傷だらけでここへ戻って来た俺の身体は、天使たちの魔法であっという間に綺麗になった。見事なハム生だったと天界で噂になってますよ、と、可愛い天使が耳元でそっと教えてくれた。

 今思えば、愛する人の為に力を尽くし、その人の掌の上で命を終えられたなんて、ハムスターとして最高に幸せな一生だったのかもしれない。


 そうして前回同様、俺はふわふわとした明るい部屋で思い切り休養を取らせてもらっている。いつも思うが、ここでの時間はどのくらい経過したのかがまるで分からない。

 で、今朝、庭へ出てあくびをしていたら、あの大きく白い翼の美しい天使——ガブリエルが、再び俺の前へ舞い降りた。

「局長がお呼びです。至急の要件だそうです」

「へ……至急?」

 俺はまだ眠い目を擦りつつ、彼と一緒に飛び立った。


 高い雲へ降り立ち、あの白く光るトンネルをまた潜るのかと思ったら、彼は違うルートを歩いていく。

「あのー、トンネルは?」

「トンネルの前に、局長があなたに大事なお話があるそうですよ」

 ガブリエルは、振り向くと俺に向けて小さくウインクした。


 銀色に輝く天井の高い部屋で、転生事務局長は相変わらずスマートな身のこなしでにこやかに立ち上がった。

「やあ、来たね。待ってたよ。

 早速だが、今日は君に大事な話があって、至急来てもらった次第だ」

「あの、話って……?」

「君の下界での仕事は、天界でも評判になってるよ。あれだけの行いはそうできるものではないとな。

 それで、今朝私の上司から指示があったのだ。君にある提案をするようにと」

 彼は、俺の前へ大股で歩み寄ると、優しく微笑んだ。


「君、人間に転生する気はないか?」


「は?……人間ですか?

 なんか噂によると結構人間って大変みたいじゃないですか。急にそういう話をされてもすぐには……」

 困惑する俺に、彼はニッと悪戯っぽく笑う。

「ただの人間じゃないぞ。

『沙樹』という女性を知ってるな?」


 沙樹。

 その言葉に、俺の記憶がビリビリと反応する。


「彼女が、一年ほど前に結婚してな。相手は『昴』という男だ。

 彼ら夫婦の『息子』となる魂が必要になったのだ」



 沙樹と、昴が結婚。

 俺が、その息子に転生する——?


「——本当ですか」

「嘘などつくものか。どうするかは、君次第だ」

 彼は、窓を向いて続けた。

「ただ、一つ呑まなければいけない条件がある」


「条件?」

「これまでの君の魂の記憶を、全てリセットすることだ。

 君の魂のバグを解消できるトンネルが、この程やっと完成してな。そのトンネルを潜れば、君の記憶は全て消える」


 記憶が消える。

 それは、沙樹との幸せな時間が——沙樹そのものが、俺の中から消え去るということだ。


 俺は、暫くじっと俯いた。


 記憶は、失いたくない。

 けれど——


 たとえ記憶が全て消えても、俺はまた彼女を愛するだろう。間違いなく。

 そして今度こそ、俺は誰よりも彼女の側に寄り添うことができる。

 彼女を深く愛し、彼女を支え続けることができる。

 息子として。


 俺は、真っ直ぐ顔を上げた。

「転生、希望します」


 俺の答えに、局長がくるりとこちらを向く。

 ダンディな顔の前に勢いよくサムズアップを出して、彼はニカッと微笑んだ。

「よし! じゃ決まりだ!

 ならば、あのトンネルを今すぐ潜ってこい!」



 彼女は、今度は俺に何という名を付けてくれるのだろう。

 彼女の柔らかな笑顔が、瞼一杯に浮かぶ。 


 そんな俺の意識を、真っ白く輝く光が呑み込んでいった。





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ハムスターだけど、君を愛してる aoiaoi @aoiaoi

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