あの夏、サイトウは花火になった。
くれは
打ち上げ花火の音で誰かの死を知る
人は死ぬと打ち上げ花火になる。
わたしがまだ死というものを理解できていなかったくらいに幼かった頃、朝起きたらおばあちゃんがベッドの上で打ち上げ花火になっていた。わたしはおばあちゃんの打ち上げ花火姿を見てはいないから、これは後から聞いた話。
救急車を呼んだけど死んでしまった人を戻すことは当然できなくて、自宅での死だったので警察も呼ぶことになって、そこから両親はばたばたと大変だったらしい。
川沿いの葬儀場まで車で行った。夕暮れどきに葬儀が執り行われて、おばあちゃんの花火が打ち上がったのは日が暮れてから。
鮮やかな赤と凛とした白。大輪の菊。その花火を見て、大人たちはしんみりと「あの人らしいね」なんて言っていた。その光景は、わたしもなんとなく覚えている。後で見た写真に上書きされているような気もするけど。
その日はおばあちゃん以外にも葬儀があって、牡丹の花火も打ち上がったし、小さな蝶の形の花火もあった。
その蝶の花火のことは、もっとはっきり覚えている。幼かったわたしがそれを指差して「ちょうちょ」と言うと、お母さんはなんとも言えない顔をして「そうだね」と言った。
あの頃のわたしは、本当に花火のことを何もわかっていなかった。「今のがおばあちゃんの花火だよ」なんて言われたけれど、おばあちゃんが死んで花火になったのだと理解したのはもう少し大きくなってからだった。
そして、わたしが「ちょうちょ」と指差した小さな花火は、どうやらわたしと同じくらいの子供のものだったのだと知ったのは、最近になってからだった。
中学一年の秋。その日、帰りが遅くなった理由はなんだっただろうか。思い出せないけれど、家への坂道を登る頃には、すっかり日が暮れていた。
夏の間はいつまでも明るかったのに、ふと気付けば、夕暮れは静かにひんやりと通り過ぎてゆくようになる。秋分の日を過ぎれば、急に夜が濃くなってゆく。
わたしの家は、山の中程にある。山を削って作られた新しい住宅地だったのは、わたしが生まれるよりもずっと前のこと。今ではただ不便なだけの場所だ。自転車が使いにくい。唯一の良いところは、見晴らしが良いところ。
坂道の途中で、車道を逸れて階段を登る。近所の人たちだけが使う、急だけれど近道の階段だ。人とすれ違える程度の幅はあるし、電灯もあるし、手入れもされている。たまに猫もいる。いつも通っている慣れた道。
電灯の灯りを辿ってその階段を登っている途中で、ぼんやりと立っていたのがサイトウだった。
薄暗がりの中、佇むその人影に、わたしは悲鳴も上げられずに固まった。向こうも驚いたようにわたしを見て、それで同じクラスのサイトウだと気付いた。そのときのわたしはサイトウに対して、物静かで目立たない男子という印象しか持っていなかった。もしかしたら、何かの連絡とかで話したことくらいはあるかもしれない、そのくらいの距離感。
家が近所だった覚えはなくて、わたしはサイトウの姿を随分と唐突に感じていた。
「なんでここにいるの?」
わたしの問いかけに、サイトウは右手を持ち上げた。人差し指を伸ばして、わたしの後ろの景色を指差した。それを追いかけて、わたしは振り返る。いつもと変わらない景色があった。ここからは、川がよく見える。小さな灯りが寄せ集まった街の向こうに、川は暗く沈んで見えた。
どういうことかと、視線をサイトウの方に戻そうとしたとき、植物が茎を伸ばすように、川岸から光の筋が上に伸びていった。
暗い空に、青い花が開く。遅れて、どん、と聞こえたかと思えば、そこからさらにたくさんの小さな白い花がいっせいに開いた。ぱらぱら、と音がやってくる。
そうか、誰かが死んだのか。
咲いた花が砕け散るように光って消えてゆく。残った煙は、秋の冷たくなった風に流されていった。
二つ目の花火はなくて、わたしは少しほっとした。煙が散ってしまった頃になって、サイトウがようやく声を出した。
「ここからだと、よく見えるって最近気付いて」
「葬儀が?」
「そう、花火が」
わたしはサイトウの声に眉を寄せた。つまりサイトウは、人の葬儀が見える場所を探して、ここに来たということだ。
「誰か知り合いの葬儀だったの?」
聞きながら、もしそうなら葬儀場に行ったはずだと気付く。それとも、葬儀場に行くほどの仲ではない相手だったのだろうか。
「いや、知らない人」
「知らない人の葬儀を、わざわざ見に来たの?」
わたしの声に、サイトウは少し目を伏せた。
「花火が、好きなんだ。小さい頃から、ずっと」
その声にはためらいがあった。サイトウはきっと自分でも、それが人の死を愉しむようなことだと、気付いてはいたのだと思う。だから今ここで、わたしが「不謹慎だよ」なんて言うことに意味はないような気がして、何も言えなかった。
わたしが黙っているからか、サイトウは言葉を付け足した。それはさっきよりもずっと、言葉足らずだった。
「綺麗だと思うんだ」
わたしは、幼い頃に見た蝶の形の花火を思い出す。
それを指差して「ちょうちょ」と言ったわたしは、きっと今のサイトウと同じだ。今だって、見知らぬ人の死の結果を見て、綺麗だと思った。夜空に咲いて、はらはらと消えてゆく光の粒は、何もかもお構いなしにどうしようもなく綺麗だ。
「わたしも、綺麗だと思う」
わたしの声に、サイトウは少しびっくりしたような顔をして、それから少しだけ笑った。
「あれが人の死だって、わかってるつもりなんだ。でも、綺麗だと思う。だからどうしても、見たくなるんだ」
サイトウは、わたしを通り越して消えてしまった花火を見ているみたいだった。暗い中に浮かぶ白い顔。
「綺麗だと思うけど、わたしは、見ると怖くなる。あれが死ぬことだっていうのが、どうしようもなく怖い」
言いながら、どうして今日初めて話すサイトウに、こんなことを言ってるんだろうって思った。
人の死を理解できるようになって、「花火が綺麗」だなんて軽々しく口にしてはいけないのだと気付いた。家族が葬儀場で見上げて「おばあちゃん綺麗」って言うのと、見知らぬ人の花火を遠くから「綺麗」と言うことの間には、決定的な差があるような気がしていた。
だからわたしはこれまで、花火を綺麗だと思うことも怖いと感じることも表に出さないようにしていた。だというのに、わたしはサイトウの言葉に引き摺られて、それを初めて人に話した。
サイトウはわたしの方を見て、静かに微笑んだ。
「怖いのもわかる。でもきっと、怖いから余計に綺麗に見えるんだと思う」
サイトウのその微笑みは、花火の最後に消えて落ちてゆく光のようで、そのまま消えてしまいそうに見えた。それでわたしは、サイトウから目を離せなくなった。
わたしがサイトウと話したのは、結局それっきりだった。
その後もときどき、階段のその場所でサイトウを見かけることがあった。暗い中、電灯の灯りに佇むサイトウの姿をぼんやりと眺めることはあったけど、何か話すほども親しくはならなかったし、目が合っても挨拶することもできずにそっと目をそらすだけだった。
クラスではそもそも関わらない。
サイトウがどう思っていたのかは、わからない。
中学二年の夏休み前、水死体の写真が回ってきた。
川辺の草に引っかかって、浮かんでいる打ち上げ花火。どこかで傷でもついたのか、それとも濡れたせいか、周囲を覆っている皮がぱっくりと割れて、そこから中身の火薬が流れ出している。
最初はなんだかわからなくて、しばらくまじまじと眺めてから、それが本物の死体だと気付いた。怖くなって、わたしは自分のスマホから、その写真データを削除した。
隣のクラスに、その写真にショックを受けて学校を休んだ生徒もいたらしい。その水死体の写真は、保護者や教師の知るところとなった。それで、突然の自習時間ができた。
同じクラスのイガラシという男子が、クラスで声高に「あの写真を撮ったのは自分だ」と言っていた。彼は教師に呼び出されたけれど、そのことすら誇らしげに語っていた。イガラシとよく話す男子たちは、それに話を合わせてにやにやとしながら「やばいよ」とかそんな相槌を打っていたけれど、ほとんどの生徒は無視をしていた。もっとあからさまに、うんざりした視線を向けている生徒もいた。
湿度の高い暑い日で、教室の空気はひどく重たい。まるで水の底に沈んでいるみたいだった。水の中で、イガラシやその周りの声だけが、変にぼんやりと反響して響く。小さな声でささやかにお喋りする生徒もいたけれど、さざなみのようなその声は、ざわりと聞こえたかと思うとすぐに止まる。本を開いているけど、文字は読めなかった。
息がしたくて顔を上げれば、サイトウの姿が目に入った。机いくつか離れた斜め前の席。
サイトウは、一人うつむいていた。その姿勢のまま、手に持ったスマートフォンをじっと眺めている。わたしの席からは、伏せた顔は見えない。
きっとサイトウのスマートフォンの画面には、あの水死体の写真が表示されているんじゃないかって思った。サイトウにはもしかしたら、あの写真の向こうに、夜空に広がる光が見えているのかもしれない。
わたしはそこで、自分がひどく残酷な想像をしていると気付いて、耐えきれなくなって立ち上がる。
後ろの席のユカが顔を上げて、わたしの顔を見て目を開いた。
「どうしたの?」
「暑いから、気分悪くて」
「保健室行く? ひどい顔色」
ユカの心配に、首を振って答える。
「大丈夫、ちょっとトイレに行ってくる」
「一緒に行こうか?」
「大丈夫だと思う」
ユカはまだ心配そうにしていたけれど、あとは黙って見送ってくれた。わたしは小さく「ありがとう」と言って、一人で教室を出る。
蒸し暑さは教室の外も変わらなかったけれど、教室と切り離されて、やっと呼吸を取り戻せた気分になった。
サイトウが死んだのはそれからすぐ、夏休みのはじめだった。担任からの連絡では事故という話だったけど、スマートフォン越しに聞く噂話では自殺だなんて言われていた。
葬儀の日取りは、夏休みの終わりだった。葬儀まで時間がかかるのは、それだけサイトウの死体の損傷が激しかったということだ。死体を綺麗にする仕事の人がいて、その人が損傷した死体を元の綺麗な打ち上げ花火に修復する。そのための時間。
本当のところはわからない。サイトウがどのように死んだのか、わたしは聞かなかったし知らないままだ。
サイトウの葬儀には、担任とクラス委員が代表して参加するらしい。他にも行きたい人がいれば、とは言われたけれど、わたしは行かなかった。葬儀に参加するほど、サイトウと親しかったわけじゃない。
葬儀の日、暗くなる頃に家を出た。夏は日が長いから、葬儀もだいぶ遅い時間に始まる。お母さんに一言呼び止められたけど、クラスメイトの葬儀だと言えば、それ以上は何も言われなかった。
いつもの階段を少しだけ降りて、そこで立ち止まる。いつかサイトウが、花火を見るために立っていた場所。その場所に立って、わたしはサイトウの花火が上がるのを待つ。
今日の葬儀の予定は、サイトウだけ。だから、次に上がる花火がサイトウの花火。
わたしはぼんやりと暗い川面を見下ろして、あの時のサイトウの言葉を思い出す。花火が好きだと言っていた。サイトウはそれで、自分も花火になってしまったのだろうか。
怖いから余計に綺麗だと言っていた。死ぬのは、怖くなかっただろうか。それとも、怖い思いをして死んだからこそ、花火は綺麗なんだろうか。
やがて、川岸から一筋の光が空に伸び上がった。真っ直ぐに空に向かって伸びていって、途切れたかと思うと、金色の光が広がった。
どん、とお腹に響くような音がする。
見事なしだれ柳だった。いく筋もの光の糸が広がって、地面に向かって落ちてゆく。その軌跡は、はらはらと光を撒き散らしながら、やがてすうっと消えていった。光が消えてもなお、ぱらぱらとその弾ける音が淡く残る。
サイトウのことはほとんど知らないのに、なんだかその花火はサイトウらしいと思った。そして、やっぱりすごく綺麗だった。
花火というのは、やっぱり人の死の結果だ。サイトウの言う通り、だからこんなに綺麗なんだと思った。
わたしは少し泣いたけど、自分でもなんで泣いているのか、よくわからなかった。
打ち上げ花火が上がる音で、空に咲く光の花で、今日もわたしたちは誰かの死を知る。
あの夏、サイトウは花火になった。 くれは @kurehaa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます