後編
その部屋の自動ドアの上には、ランプが設置されていて、緑色のランプが点灯していた。サニーさんはそれを見上げて、ほっとした様子だ。
「彼女は執筆中、誰も部屋を入れたくないんだ。あのランプが赤色の時はダメだけど、緑色だから、休憩しているのかもしれない」
「分かりました」
自動ドアをくぐると、部屋の真ん中に机があり、僕らに背を向ける形で、女性が座っていた。くるりと振り返ると、僕らを見て、微笑みかける。
コーヒーカップを持ったまま立ち上がった、その六十代くらいの女性を、サニーさんは紹介した。
「彼女はラック。小説を書いているよ」
「よろしくね」
「あ、どうも」
「潜水艦で遭難したと聞いたわ。災難だったわね」
「いえ、サニーさんたちのお陰で、一命をとりとめました」
柔らかい物腰で、僕のことを心配してくれるラックさんに、僕は少々面食らった。
他の人たちは、目の奥にぎらぎらするものが見え隠れしていて、そのエネルギーに圧倒された。ラックさんは、作業中、人を入れないと聞いていたので、彼ら以上に情熱的な人かもしれないと思っていたからだった。
ラックさんの机は、よく見ると、大きなものと小さなものの二種類に分かれていた。小さいものの方には、クッキーのある皿とコーヒーカップのソーサーが置かれている。
大きい方の机には、IT機器は置かれておらず、右と左とに紙の山が分かれていた。右側の山の方が、左側よりもよれているように見える。その真ん中には、黒いインク入りの小さなガラス瓶と、それに入るくらいに小さな筆があった。
「小説は、パソコンなどで描いていないんですね」
「ええ。文章作成ソフトだと、小説的な文章はAIがはじいてしまうから、使えないの」
「この道具は?」
「みんな手作りよ。特に紙は、たくさんの量が必要で、作るのも大変だけど、その時に自分の考えをまとめることが出来るから、すごく楽しいのよ」
紙を見るのは大分久しぶりだった。手作りの紙は、色も白というより少し暗くて、表面が荒いような気もする。
しかし、右側の紙の山には、そんなことがどうでもよくなるほど、びっしりとした文字が書かれていた。これが、ラックさんの小説かと、読んでみようとすると、ひょいとそれが持ち上げられた。
「一番上は、一番新しいページだから、最初から読むのなら、これからね」
「あ、お気遣い、ありがとうございます」
一番下のページを、山の一番上に置き直したラックさんは、そのままそれを僕に渡した。
ざらざらと荒い紙の手触りと、意外とある重みを感じながら、僕はラックさんの小説を読み始めた。
「この星には、全てがあった。
色褪せた服、繋がらない端末、破れた本、割れた瓶、はがれたトタン、用途不
明のネジ、何かの動物の毛皮、ヒビの入った義眼、欠けたキーボード、空っぽの
USB、白くなったモニター、食べかけの携帯食、パンクしたタイヤ、エンジンが
抜かれた自動車、子どもに大人、赤ん坊、犬とか猫とか、鳥とかネズミとか。
何でもある。足りない物は、作ってしまえる。だから不満は無かった。
この星で生まれたから、この星以外を知らないんだと、輸送船の奴らに笑わ
れたが、別にどうでも良かった。俺は幸せだったからだ。」
小説は、ごみ捨ての星に生まれ育った少年が、映像でしか見たことのないバラには、いい香りがするという話を聞き、初めてごみ捨て星を脱出して、バラを見に行こうとする話だった。
少年が、ごみを運ぶ輸送船に密航した場面で、現在の小説は止まっていた。僕はそこまで読んで、溜息をついた。教科書に載っている小説よりも、濃ゆくて、のめり込ませるような物語だった。
「ありがとうございます。これは……すごい、お話ですね」
「こちらこそ、ありがとう。そう言ってもらえて、嬉しいわ」
この小説の感想を言い表したいのに、僕はそれにぴったりな言葉を持っていなかった。それをもどかしく思いながら言った身も蓋もない感想を、ラックさんは有難そうに受け取ってくれた。
しかし、この小説は、どこまでが本当の事なんだろう。主人公の性別は変えているけれど、ラックさんは自分の体験を描いたのではないかと、僕は疑っていた。
ごみ捨ての星に、故郷を追われた人たちが住み着いてしまったという問題は、二十年ほど前に解消されていた。ラックさんの出生が、実はそのようなものでも何ら可笑しくはない。
だけど、さすがにそのことを正直に尋ねることは失礼なので、僕はちらちらと彼女を窺っていた。このぶしつけな目線に気付いたのか、それとも同じことをいつも言われるからなのか、ラックさんは苦笑しながら首を横に振った。
「このお話はね、私の体験でもなく、モデルもいない、一から作ったお話よ」
「え!? そうなのですか?」
「もちろん、舞台となった星について調べたり、ごみ捨て場の難民問題についての資料を見たりはしたわ。でも、私自身は、地球の普通の家の出身よ」
そう言われて、僕はますます感銘を受けた。一からお話を作る。想像も出来ない苦労があるはずなのに、耐えがたい魅力を感じる。
教科書に載っていた小説は、作者が体験や歴史上の出来事を元にしているものだけだった。それらとは、作り方も描き方も、まったく違うので、そう感じてしまうのだろうか。
ぼんやりそんなことを考えていると、これまで黙っていたサニーさんが、「ところで」と口を挟んだ。
「ラックは、創作禁止法改定のデモに、参加していたことがあるんだ」
「この中で一番古株だからねぇ」
サニーさんの話に、ラックさんは謙虚な笑みを浮かべる。
僕は、そんなラックさんの顔を驚きの表情で眺めていた。今、目の前の彼女を見ても、自分の主張を政府に叫んでいる様子を想像できない。
「それは、いつくらいの事ですか?」
「戦後四十年近くの事ね。十分に復興していたから、そろそろ創作を自由にやることを認めてほしいという声が、溢れ出していたのよ」
「しかし、情熱的な人が多い分、警察からの締め付けも強かった。投獄されたものも、多かったらしいね?」
「ええ。警察の横暴は本当に酷くて、刑務所の中、誰にも会えないまま、亡くなった人もいたわ。これがきっかけで、禁止法改定派は、口を噤んだり、私の様に隠れたりするようになったのよ」
サニーさんの言葉を引き継いで、ラックさんは暗い表情で当時を語った。自分の命を顧みず、世の中を変えたいと思ったことなんて、僕には無かった。
創作の、何が彼女たちをこんなにも突き動かすのだろう。純粋な疑問を胸に、僕はラックさんを見据える。
「創作は、そんなに楽しいのですか?」
「楽しい……そうね、難しい話ね」
ラックさんは、言い淀んでしまったことを申し訳なさそうに苦笑する。
「政府に見つからないようにしたり、仲間を失ってしまったり、怖いこともたくさんある。創作を続けるために、あきらめてしまったことも一つや二つじゃない。それなのに、いつでも調子よく書けるものじゃないのよ。頭を抱えて、思い悩んで、生み出した一行を、明日には消してしまうということだってあるわ」
「じゃあ、どうして、」
創作を続けるのですか、という僕の残酷な質問の前に、ラックさんは笑いかけた。心から嬉しそうに。
「私は、思い描いた物語を、形にしてあげたい、ただ、それだけの理由で、創作を続けているわ」
僕は何も言えなかった。そして初めて、彼女たちが羨ましいと思った。
突き動かされるように、創作をする。それは、使命感なのかもしれない、遊び心なのかもしれない、顕示欲なのかもしれない。でも、その衝動に従うことを、ここのメンバーは、楽しんでいて、創作をしている自分を誇りに思っている。
今まで、創作禁止法に何の疑問を抱かなかった自分が、恥ずかしくなった。僕は生まれながらにして、大切なものを奪われたままになっていたんだ。
そのまま、小さくなっている僕の隣で、サニーさんは端末を取り出し、画面を見ていた。
「先程、君の潜水艦の修理が終わったようだ」
「あ、分かりました」
サニーさんの一言で、僕は現実に返った。自分が遭難していることを、殆ど忘れかけていた。
非常に図々しいことに、ここまで来て、コロニーを離れるのが惜しく感じていた。ナイフルさんのアトリエを出た時とは、一八〇度気持ちが変わっている。
でも、僕はお邪魔している身だから、これ以上わがままは言えない。
サニーさんに「ハッチに行きましょうか」というと、苦笑しながら「ちょっと待ってくれ」と返された。
「潜水艦に乗り込む前に、トイレに行かなければ」
「ああ、そうでしたね」
潜水艦乗りの常識もうっかり見落としていて、僕は赤くなった頬を搔いた。
ラックさんに挨拶をして、彼女のアトリエを出た後、隣のドームの休憩室の隣にあるトイレに行った。トイレの壁は、サニーさんによって、空色と雲の模様に塗られている。
「お待たせしました」
廊下で待っていたサニーさんと合流した直後だった。
突然、廊下の天井のすべてが、真っ赤に点滅し、どこからともなく、低いブザーの音が鳴り響いた。僕は驚きのあまり、その場で飛び上がった。
「ど、どうしたんですか?」
「まずい。警察が、コロニーに侵入した」
険しい顔をしたサニーさんの言葉に、僕の血の気がさっと引いた。
青ざめて口をあわあわとさせている僕に、サニーさんはポケットから畳んだ紙を出し、僕に押し付けた。
「これを顔に付けるんだ。もしも、カメラに映っても、これで誤魔化すことが出来る」
「はいっ!」
声をひっくり返しながら頷く。
開いてみると、それは目元と口元が開いていて、それ以外は複雑な模様が浮かび上がった仮面だった。警察の胸元の小型カメラが、人相を判断しづらくする仕掛けらしい。
それを付けてから、みんなのアトリエがあったホールに向かって、廊下を走る。
その途中、サニーさんはちらりと端末を見て、舌打ちをした。
「警察の妨害電波によって、防火扉を遠隔操作できなくなっているらしい。廊下を出たら、手動で閉めるしかないな」
僕が、分かりましたと言いかけた瞬間、すぐ後ろで、どかどかと遠慮のない足音が複数分聞こえた。
「止まれ!」
その鋭い叫びに、僕の足は完全に竦んでしまった。振り返ったサニーさんと、目が合う。
逃げてください。僕は声に出さずに訴えた。捕まってしまっても、僕には創作をした証拠がないから、すぐに解放されるだろう。でも、サニーさんは……。
しかし、サニーさんは立ち止った。血が出そうなほど、唇を噛みしめている。
どうして、逃げないんですか。そう言いたい僕の背後で、複数の足音が立ち止まった。銃を構える音がするのに、動かないのは、こちらを警戒しているのだろう。
「そのまま、両手を挙げて、こちらを振り返りなさい」
警察のリーダーらしき女性の指示通りに、僕は彼女たちと対峙する。コロニーに入ってきた警察は五名ほど。全員が電撃銃をこちらに向けていた。
あれに撃たれたら、死にはしないが、気絶するんだろうな。あまり現実感がないためか、そんなことを客観的に考えてしまう。
つまり、僕は完全に諦めていた。
その瞬間、一番前の列にいた、まだ十代くらいの、頬に傷のある金髪の少年が、自身の銃を頭上に掲げた。
「うわああああああ!」
彼は、泣き叫ぶような声とともに、引き金を引いた。赤く点滅する天井の光によって、真っ赤に染まった稲妻が、下から上へと走る。
僕は驚いたが、それ以上に戸惑っていたのは、警察たちの方だった。全員がその少年を見つめた瞬間を、サニーさんは逃さなかった。
「走れ!」
サニーさんの言葉に、僕も走り出す。
廊下から隣のドームへ移った直後、サニーさんは壁のボタンを一つ押した。目の前を防火扉が立ち塞がる。続けて、隣のボタンを押すと、またどこかの扉が閉まる音がした。
「廊下の両方の防火扉を閉めた。これで、しばらく彼らは閉じ込められるはずだ」
時間稼ぎが成功したが、それでも、早くここから脱出しなければならない。
小走りのサニーさんの後に続きながら、僕の頭の中では、少年の謎の行動を思い返していた。
「あの少年は、なぜあんなことをしたんでしょうか?」
「その疑問が、創作の第一歩だ」
口の端を持ち上げながら、サニーさんはそう言った。
僕は、戸惑いよりも喜びの方が大きかった。僕にも、創作の萌芽がある。サニーさんにそう認めてもらったことが、こそばゆくも嬉しく感じた。
◇
たどり着いたハッチには、三十代ほどの男性だけがいた。
僕らの顔を見てほっとした彼を、サニーさんは「ナイフル!」と呼んで駆け寄った。つけていたお面を外したので、僕も彼女に倣う。
「みんなは?」
「すでに脱出したぞ。後は俺たちだけだ」
ハッチにあるのは、二台の潜水艦だった。一つは、僕のもので、もう一つはサニーさんの黄色い鯨の潜水艦だった。
細かい調整はナイフルさんが既にやってくれていて、あとは僕が乗り込むだけだと聞かされても、僕は気になることがあって、そこを動けなかった。
「サニーさんとナイフルさんの作品はどうするのですか?」
途中で回収するのかと思ったが、僕たちはまっすぐにこちらへ来た。
この質問に対して、サニーさんの顔は、初めて泣き出しそうなほど曇ってしまった。
「置いていくしかない。だが、作品を立体スキャンしたデータは、私が肌身離さず持っているから、展覧会は開催できる」
「でも、もしも作品を警察が見たら……」
「間違いなく破壊されるだろうね」
断言したサニーさんに、僕は何も言えなかった。
サニーさんやナイフルさんの作品が、膨大な時間と努力をかけて作ったことを、僕は知っている。データは残っていても、あの作品は、宇宙に一つだけなのに……。
うつむいた僕の肩を、ナイフルさんがぽんと優しく叩いた。
「青年の気持ちは心から嬉しい。俺たち以外に、作品の命を惜しんでくれる奴がいる、それが、あいつらへの、一番の供養だ」
「はい……」
鼻を啜った僕を見て、ナイフルさんはどんよりとした空気を払うかのように、大きく手を鳴らした。
「さ、さっさと脱出しよう」
「君から、先に逃げてくれ」
「はい。あの、」
僕は、二人を見上げた。夜のように暗い海の底でも、太陽の様に誇り高く輝く二人を。
「僕も、いつか、創作が出来るでしょうか。法律を犯す勇気はありませんが、でも、それでも、」
「ああ、もちろんさ」
サニーさんはにかっと笑った。隣で深く首肯するナイフルさんが、口を開く。
「こんな馬鹿げた法律、いつまでものさばらせるつもりはない。あと何十年かかろうとも、撤廃させてやる」
「それにだ、君、頭の中は自由なんだ。そこで好きなだけ、創ればいい」
僕は、深く頷いた。そして、二人に両手を出す。
「展覧会、絶対に成功させてください」
「約束するよ」
「楽しみにしててくれ」
ナイフルさんとサニーさんと、僕は固く握手を交わした。
そして、潜水艦に乗り込む。ナイフルさんの言うとおり、ちょっとの調整で、すぐに動き出した。
ハッチを潜り、海へと出る。酷かった故障が嘘のように、後ろのプロペラは何の問題もなく回ってくれた。
後部カメラのモニターを見ると、テールライトに照らされて、サニーさんとナイフルさんが乗った、鯨の潜水艦がの姿が見えた。僕が浮上しているのとは反対方向へと、進み始めている。
太陽のように黄色い鯨よりも深く潜った先、海底に小さな町がありました。そこで暮らす人々は、朝も夜も関係なく、絵を描いたり、曲を奏でたり、木を彫ったり、物語を紡いだりして、楽しく暮らしていました。
明るい海面に向かって、ゆっくりと浮上する潜水艦の中、僕は頭の中で、出来たばかりのお話を語り続けていた。
鯨よりも深く 夢月七海 @yumetuki-773
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