中編
最初に案内されたのは、サニーさんのアトリエだった。自動ドアが開いた瞬間、中の色彩よりも、廊下まで漂ってきた匂いにくらっとした。
植物や土などを固めたような匂いがする。僕は袖で鼻を抑えながら、その部屋に足を踏み入れた。
中は、物で溢れていた。椅子、机、棚などの家具以外にも、パーソナルコンピュータ、通信端末のようなIT機器、電気スタンド、湯沸かし器などの電化製品もある。それらすべてが、絵の具で塗られていた。
確かに壁や床は白かったが、その周りには、絵の具が飛び散っている。きょろきょろと一通り周りを見て、あることに気が付いた。
「キャンパスがありませんね」
絵画に詳しくない僕でも知っている、キャンパスはどこにも置いていなかった。
僕の疑問を聞いたサニーさんは、悲しそうに眉を下げる。
「そうなんだよ。この国では、キャンパスは許可を得ないと買えないんだ。代わりに、廃棄物に色を塗っているのだ。それはそれで工夫のし甲斐があって楽しいんだがね」
「そうなんですか……。では、絵の具はどうしていますか?」
「植物の葉や実、鉱物をすりつぶしたり混ぜ合わせたりして、色を作っているよ。ちなみに筆も、動物の毛を拝借して、作ったんだ」
サニーさんは、上から下まで、黄色の濃さが変遷していくように塗った机の上を見せてくれた。確かに、葉っぱや鉱物があちこちに転がり、すり鉢でそれを砕いた後も見える。
僕は、絵の具を作る過程よりも、机の黄色の方が気にかかった。周りを見ると、パソコンの画面を上から下に差し込むような形だったり、紺色に塗られた椅子に星のように散りばめていたり、湯沸かし器の押しボタンに咲いた花だったり、あちこちに黄色が見える。
「サニーさんは、黄色が好きなんですね」
「ああ。潜水艦もその色に塗ってしまうほどだからね、気になる色ではあるのだろう」
「どうしてですか?」
「ずっと海の底にいると、太陽が懐かしくなるからだろうね」
そう言って、サニーさんは微笑んだ。そこには、海底にいるからだけではなく、創作のために政府の陰に隠れなければならないという自分の現状も関係しているのではないのか、僕はそんな風に勘ぐった。
サニーという偽名にも、似たような願いが込められているのかな。彼女の作品を一つ一つ眺めながら、そんなことを思う。晴れた日のように、明るく楽しく創作をしたい、そんな気持ちがあるのかもしれない。
サニーさんのアトリエを出て、次のアトリエへ着いた。自動ドアが開くと、ポロン、ポロンと、耳に心地よい音が流れてきた。
この部屋が完全防音になっているために気が付かなかったが、一人の四十代ほどの男性が椅子に座り、楽器を演奏してた。見たことのないその楽器は、楕円にの上の方にくびれが一つあり、縦にそれを貫いた木の板には、六本の鉄製の線が張られていた。
僕らに気が付いて、演奏を止めたその男性を、サニーさん派紹介してくれた。
「彼はティッチ。作曲家だ」
「やあ、よろしく」
「失礼しています」
気さくな挨拶をしたティッチさんから、僕の目線はすぐに、彼の抱える謎の楽器に移った。
「あの、その楽器、穴が開いていますけれど、大丈夫なんですか?」
「はは、面白いこと言うね」
愉快そうに笑った後、ティッチさんは薄くて小さな板のようなもので、弦を上から下へ、一気に弾いた。ポロリンと、柔らかな音色が零れる。
「この穴は、音を鳴らすのに、必要な部分なのさ」
「あ、そうなんですか。すみません、変なことを言って」
「アコースティックギターは初めてだろう? その反応が普通だよ」
ティッチさんは、僕の無知丸出しな言葉にも、軽やかに笑ってくれた。
アコースティックギターには、ボタンなどは付いていないようなので、電子で動いているわけではないようだ。電子楽器の以外の楽器を見たのは初めてだった。
「この弦を弾いて、穴で響かせるんだ。聴いてみるかい?」
「はい、お願いします」
僕が頷くと、ティッチさんは右手の破片で、弦を弾き始めた。ぽろん、ぽろりんと流れるメロディーは、心がギュッと抱き締められたような切ない気持ちになる。聴いていると何故か、穏やかな風に揺れる林の木々が頭に浮かぶ。
最後に一音を弾いて、ティッチさんの演奏は終わった。僕とサニーさんは拍手を送る。
「美しい音色でした。この曲は、ティッチさんが作ったのですね?」
「そうだね。電子楽器だと、存在しないメロディーを弾こうとしたら、プログラムで止められてしまうから、このアコースティックギターぐらいでしか、作曲活動は出来ないんだよね」
「アコースティックギターは、ティッチさんが作ったのですか?」
「いや、このギターは、僕の先祖が代々、受け継いできたものなんだ。これ自体が作られたのは、もう、五百年くらい前になるかな?」
「へえ……」
電灯を浴びて、艶々と光るアコースティックギターは、それほどの年代物だとは思えない。きっと、故障したとしても、ティッチさんや先祖たちが、地道に直していったのだろう。
きっと、大変な苦労があったんだろうなぁと僕が思っていると、「ちなみに」とサニーさんがティッチさんに話しかけた。
「先程の曲名は、なんて言うのかい?」
「木陰の町で、だよ」
ティッチさんは微笑みながら、そう教えてくれた。
僕は、自分が曲を聴きながらイメージしていたものが、さほど曲名と離れていないことに感じ入っていた。一方、サニーさんはおや、と驚いた顔をしている。
「先日聞かせてもらったものと同じ曲名だが、少々曲調が変わっているようだね」
「ああ、今の気分に合わせて、アドリブを入れたんだよ」
「え、そんなことをしてもいいのですか?」
自分で作った曲とは言え、ルール通りにしなくてもいいのかと、僕は尋ねた。
すると、ティッチさんは、悪戯っぽく笑う。
「いいんだよ。楽譜は僕の頭の中にしかないのだから、自由自在さ」
それから急に、寂しそうな顔をして、溜息をついた。
「創作が禁止される前の資料によると、他人が作った曲でも、演奏者の解釈でアドリブを入れることは盛んに行われていたらしいんだよね。その文化が失われて、嘆かわしいよ」
「創作禁止法の弊害の一つだね」
サニーさんも同調して、幾度も頷いている。
僕は、決められた曲ならば、それに沿って演奏するのが絶対だと思っていたので、二人の反応はピンと来ない。そもそも、演奏者が個性を出してもいいのだろうかという疑問が湧いてくる。
僕らはティッチさんに分かれの挨拶をして、その部屋から出た。サニーさんの背中を見て歩きながら、先程の二人の話を思い返す。
創作の世界は奥深くて、ちょっと触れただけでも頭痛がしそうだ。まだ、サニーさんの仲間がいるのだろうかと、好奇心と恐怖が半分ずつの気持ちのまま、次のドアをくぐった。
最初、この部屋には人がたくさんいる、と思ってしまった。しかし、よく見ると、それは木で出来た人型の彫刻だった。
老若男女の、服を着ていたり裸だったりする、ポーズも様々な人間大の彫刻が、全部で七体あった。だけど、これを彫った人の姿が見えない。僕が辺りを見回していると、サニーさんが説明してくれた。
「ここはナイフルという名前で活動している、彫刻家の部屋なんだ。彼はエンジニアも兼ねていてね、君の潜水艦の修理をしているよ」
「そうでしたか」
潜水艦を直してもらっているのなら、お礼を言いたいのだけれども、別の部屋で作業しているらしい。
ラフな格好の男性が、空に向かって歌を歌っているかのような彫刻が目に留まった。近付いて、よく見ると、木の表面は削られたとは思えないほど滑らかだ。
「これ、どうやって作ったんですか?」
「彫刻用の道具は、ナイフルも持っていないんだよ。市販のナイフや包丁などの刃物を使って、地道に削っていったんだよね」
「時間がかかりそうですね……」
「ああ、君の想像している十倍ぐらいの時間を要するよ」
さらりとサニーさんが告げた言葉に絶句して、僕はもう一度彫刻に近付いてみた。
歌っている男性の顔は、清々しい笑みで、今にも声が飛び出してきそうだ。膨大な時間の経過など、感じさせられないくらいに。
「材料の木はどうやって集めたのですか?」
「主に流木だね」
「こんなに大きな流木もあるのですか」
「いや、一つ一つはさほど大きくはないよ。体の部位をそれぞれ作って、組み合わせているんだ。例えば、ここの膝の部分とか」
僕は、サニーさんが指差した左の膝に出来るだけ近付いて、観察してみた。しかし、はみ出した接着剤どころか、繋ぎ目さえ見えない。
「とても高性能な接着剤を使っているのですね」
「接着剤はどこにも使っていないよ」
「え? では、どうやって繋げているのですか?」
「一方の部分にはでっぱらせて、もう一方にはそのでっぱりと同じ大きさの穴を開けて、そこを組み合わせているのさ」
サニーさんが説明を聞いて、見えない部分がどうなっているのかを想像することが出来たのだけど、実感が湧かない。ただ、彫刻が支えも無しに直立しているので、ちょっとやそっとでは、膝が取れたりは出来ないのだろう。
「サニーさんの絵もそうですけど、こういう技術って、どのように身に着けるのですか?」
「全部独学だね」
「……誰も教えてくれないのですね」
「政府が認めたクリエイターでも、技術を伝授することは禁止されているからね。ネット上も色々探して、ディープウェブにも手を出してみたのだが、創作のやり方は、ろくなものが載っていなかったよ」
「ここまで作れるまで、どれくらいかかったのでしょうか……」
「うーん、私は、まだ伸びている途中だから、何とも言えないが、ナイフルは、繋ぎ目の見えにくい組み合わせ方を身に着けるまで、二十年以上かかったと言っていたよ」
目の前にあるのが、ナイフルさんの汗と血の結晶だと自覚して、僕は途端に怖くなった。
潜水艦の操縦でも技術は必要だが、ちゃんとマニュアルは用意されていて、訓練期間もあった。それすらない状態で、自分の頭の中だけにある完成に向けて、努力を積む……考えるだけで、立ち眩みがしてしまいそうだ。
サニーさんから「大丈夫かい?」と、気を使われながら、キャパオーバーしそうな僕はナイフルさんの部屋を出る。
「次が最後のメンバーだよ」というサニーさんの言葉に、安堵したのは言うまでもなかった。
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