第5―1話「七瀬紫莉、友達ができる」


「ねえ、ゆーゆの友達に、まだ文化系の部活に入ってない人っていない?」

 放課後の部室に入って早々、楓先輩はそんな事を聞いてきた。

 その質問の意図を尋ねてみると、どうやらこの部活の存続のために部員があと一人必要だと言う。そもそも『百合になりたい部』は正式な部活として認められていないようで、先日クラス担任の先生からは「一ヶ月以内に部員を確保できない場合、今後空き教室の利用を許可しません」と警告されてしまったらしい。

 それもそうだ。試しに生徒手帳を確認してみれば、そこにはこう書いてある。「生徒が自発的に新たな部活を発足する際には、部長、副部長、会計の各役職が最低でも一人ずつ確保されており、かつその明確な発足理由を担任教師に届け出る必要がある」と。

 というか、私は勝手に副部長のポジションにされていたのだった。

「知らないよ。だいだい、私は今年からの編入生だから、まだ友達とかいないし」

「ええっ、ゆーゆって編入生だったの? なんで今まで教えてくれなかったの!」

「いや、だって、教えたところで何も変わらないでしょ」

 私が編入生だと黙っていた事の何が不満なのか、楓先輩は「う~う」と唸っていた。

「まあ、それについてはまた今度話しましょ。とにかく今は部員確保の方が先決よ」

「え~え、面倒くさいなあ」

 そんな私に向かって、楓先輩は不気味に笑いながら一枚の紙を取り出す。

「ふっふっふっ、これを忘れたとは言わせないからね」

 それはどこか見覚えのある用紙であった。

「なんだっけ、これ?」

「とぼけても無駄よ。ちゃんとゆーゆの署名もあるんだから。はい、ここ、そして今あなたが果たすべき義務はこの項目。『第三、部長から部員補填の求めがあった場合はただちにクラスメイトより最低でも一名を連れてくる事』」

「ああっ! これって、私が楓に騙されて書いた入部届の契約書じゃん!」

「騙したなんて人聞きが悪い。ゆーゆが自分の意志でこの書面にサインしたんだから」

 まさか、あの時の入部届がこんな形で悪用される事になるなんて。

「とにかく、ゆーゆには部員としての義務を果たしてもらわなくちゃね?」

 こうして私は嫌々ながらも強引に部員補填の義務を課せられる事になった。

 翌日、私の気分はとても憂鬱であった。

 一限目の数学、因数分解でたすき掛けがどうとかはまったくもってどうでもよく、今の私が解決すべき問題は「友達のいない女子高生Yが部員を勧誘する方法」なのである。いちいちチョークで黒板を叩く数学教師の熱弁するたすき掛けとやらで、友達の一人や二人ができたら苦労はしないのだ。

 数学の授業が終わると、私は教壇に上がって黒板の板書を消していく。出席番号の遅い順から日直を回していくという捻くれた担任教師のせいで、早くも日直の番が回ってきたのだ。

 板書を消しながらも考えるのは、やはり部員の事である。

 生徒手帳の校則によれば、生徒は複数の部活を兼部する事が認められていて、運動部二つと文化部一つの計三つに所属する事ができる。楓先輩が言うには「運動部を兼部している子はいても、その上で文化部を掛け持ちしている子はそんなにいないから、すぐに見つかるよ」との事だが。そういう問題ではない。

 友達でもないのに、急に部活の勧誘なんかをしたら絶対にウザがられる。それにクラスの生徒のほとんどが内部中学からのエスカレート組なんだから、今更よく分からない文化系の部活に入ろうなんて思わないだろうし。

 はあ、編入した時に一人でも友達を作っていれば、こんなに悩む事もなかっただろうに。

「ちょっと、ユキ! やめなって!」

 黒板の数式を消していると、不意に背後からそんな声が聞こえてきた。

 何か揉め事でも起きたのだろうかと思った私は教室を振り返る。

 すると、不思議な事に、教室にいる何人かの女子が見ているのは私の方であった。ある女子は呆れたような表情で、またある女子は面白いものを見るような表情でこちらに視線を注いでいるのである。

 もしかして、私がいけない事でもしたのだろうか。いやでも、よく見てみれば、みんなの視線は私の下の方、教壇よりも低い位置に向けられていて……。

「……あっ」

 私と目が合ったその子はまるでスカートを下から覗き込むような姿勢でしゃがんでいた。

 私が咄嗟にスカートの裾を押さえると、彼女は慌てて立ち上がる。

「違う違う! 私はスカートを覗き込んでいたんじゃなくて、脚を見ていたの、脚!」

「な、なんだ、そうだったんだ」

 私はほっと胸を撫で下ろす。

 あれ、でも脚を見ていたってのは何の言い訳にもなっていないような。

「その、なんで私なんかの脚を見ていたの?」

「だって、綺麗なんだもん。七瀬さんは身長もあるし、股下が高くて、脚はすらっとしてさ」

「えっ、ええ?」

 そんな風に見られていたんだ。なんだか恥ずかしい。

 私は今だけでいいからスカートの裾が伸びてくれと思った。

「あはは、急にごめんね? 私って脚フェチでさ、実は入学式で見かけた時からめっちゃ気になってて、しかも同じクラスじゃんってなって話し掛けたかったんだけど、七瀬さんって大人っぽい雰囲気だから気ぃ合うかなって迷ってる内に、結局タイミング逃しちゃって」

 これってもしや、友達を作るチャンスなのでは?

「ううん、別に良いよ。私も実はクラスの子に話し掛けたかったんだけど、編入生って立場だから疎外感を覚えちゃってて、このままぼっちなのかなって悩んでたんだ」

「なんだ、それなら早く声を掛けてあげれば良かったね。あっ、ちな私の名前は藍原透(あいはら ゆき)って言うの。漢字で名前を書くと、透(とおる)ってよく間違われるけど、女の子のユキだから覚えといてね?」

 藍原さんは爽やかな笑みを浮かべて、さりげなくウィンクをしてくる。

 髪型はセミショートでさっぱりしているし、ぱっちり二重瞼と小鼻の可愛らしい顔で、すごく喋りやすそうな良い子だ。ついさっきまで私のスカートを覗くような姿勢で脚を見ていた子とはとても思えない。

「うん、私は七瀬紫莉、よろしくね」

 切っ掛けは少し変だったけど、念願の友達が作れて嬉しかった。

 それからあっと言う間に昼休みになって、彼女はお昼を一緒に食べようと誘ってくれた。いつも一緒に食べている別の友達がいたみたいなのに、わざわざ私のところへ来てくれたのは彼女なりの気遣いだったのだろう。

 その昼食の間、藍原さんはこの学園での過ごし方だったり女子グループごとのカースト順だったりを教えてくれた。編入生である私にとって、そういう情報は結構ありがたい。

 昼食を済ませた後、私がお手洗いに行こうと席を立ったら、藍原さんも「私も行く」と言って付いて来た。洗面台を前に、彼女と並んで手を洗いながら、ふと私は楓先輩から課せられた不当な義務を思い出す。

「藍原さんって、部活入ってる?」

「うん、サッカー部に入ってるよ」

「他には?」

「ううん、それだけ。七瀬さんは?」

 聞き返されると思っていなかった私はどう答えようか迷う。

「一応、文化系の部活に入ってる」

 ええい、ダメ元だ、このまま勢いで誘ってしまおう。

「それでなんだけど、私の入ってる部活が部員一人足りなくてさ、先輩に探してくるよう言われてて。もし良かったら、入ってくれたりしないかな? 幽霊部員でもオッケーだから」

「あ~あ、別に良いよ」

「えっ、良いの?」

 自分で誘っておきながらそう聞き返してしまった。まだ何も詳しい話はしていないのに。

「うん、だって困ってるんでしょ? 私、文化系で入りたい部活なかったし、丁度良いかなって思ってさ。それでその部活って何部なの?」

 至極当然の質問をされて、私は返答に窮してしまう。ここで部活名をはっきり言ってしまったら、この話自体がなかった事にされかねない。とりあえず、部室に連れて行くまでは上手い具合に誤魔化さないと。

「えっと、女の子同士の友情というか、そういう心理学的なのを研究する部活みたいな?」

「へえ、うちにそんな専門的な部活があったんだ! 初めて知ったよ!」

 純粋な反応をする藍原さんを見て、私の心にほんの少しの罪悪感が芽生える。

 だが、致し方ない。この機会を逃せば、私には二度と部員勧誘をできる気がしないのだ。

 その日の放課後、私は藍原さんを連れて例の部室へと入った。私を出迎えた楓先輩は藍原さんの姿を見るや、よくやったとばかりに両手でグッドサインをした。

「やったわ! これでようやく『百合になりたい部』が正式な部活として認められるわ!」

 それを聞いた藍原さんがきょとんと首を傾げる。

「『百合になりたい部』? その百合ってなんですか?」

「ああ、はいはい、君もゆーゆと同じな訳ね。百合ってのはこういうの言うの」

 楓先輩は以前私に見せた百合漫画を彼女へ手渡す。

 藍原さんはその漫画を受け取ってさっそく読み始めた。

 最初はさくさくとページを読み進めていたので、案外耐性があるタイプなのだろうかと思っていたが、次第にページをめくる手がかすかに震え出して、突然漫画を勢い良く閉じてしまったかと思うと、次の瞬間顔を真っ赤にしたまま卒倒するかの如くぶっ倒れてしまった。

 ああ、私は初めての友達になんて事をしてしまったのだろう。

 今になってそう後悔したものの、後の祭りなのであった。

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