第2話「七瀬紫莉、告白をする」


 放課後、私は『百合になりたい部』の部室へ足を運んだ。

「あっ、良かった、ちゃんと来てくれたんだ!」

 部室に入った私は楓先輩の向かい側の席に座りながら、自分の鞄の中を探る。

 彼女は机の上に腕を乗せて頭を低くし、こちらの顔を覗き込んでくる。

「正直、初日からバックレるんじゃないかって心配だったの。思い返せば、私も結構強引な事しちゃったし、本当は嫌だったんじゃないかって。……ねえ、聞いてる? ゆーゆ?」

「聞いてる聞いてる。てか、その『ゆーゆ』って何? もしかして私の事?」

「そう、紫莉だからゆーゆ、可愛いでしょ?」

 なんて独特なセンスだ。普通、あだ名って名前の形を上手く残すものだと思うんだけど。私の名前だったら、「ゆかりん」とか「ゆかっち」とかさ。もはや「ゆ」しか残ってなくて、それだと「ゆ」の付く名前だったら誰にだって通用してしまう。

 と、色々と言いたい文句はあったものの、私はぐっと堪えた。あだ名を付けてもらえたのは初めての事だったし、ちょっとだけ嬉しくもあったし、文句を言って普通の呼び方に戻ったら嫌だし。

「まあ、良いけど。……はい、先にこの本返しとく」

 私は鞄の中から二冊の漫画を取り出した。楓先輩が疑うような目で「ちゃんと読んだんでしょうね?」と言いながらもそれを受け取る。

「もちろん最後まで読んだよ。まあまあ面白かった」

 そう、これは『百合になりたい部』の活動の一環である。

 百合の事を何も知らない私はその最低限の知識を学ぶべく、当面の間は楓先輩の持っている百合漫画を借りて、学校の勉強とは別に百合の勉強をするよう義務付けられたのだ。

 今回楓先輩から貸してもらった百合漫画の内容は、いわゆるお嬢様学校に入学してきた幼馴染の少女二人がお互いに対する自分の気持ちと向き合っていくというストーリーである。

 最初の方こそ顔をしかめながら流し読み気味であった私だが、漫画の中の少女達が真剣に悩み葛藤する姿を見ていく内に心を動かされて、いつの間にか普通の恋愛漫画として読み進めていたのだった。途中で三角関係ならぬ四角関係にも発展して、内心ひやひやしつつも、序盤では片想い状態であった幼馴染の一人を応援している自分もいて、最後にその子が報われた時には心の底から「良かったあ」と胸を撫で下ろした。

 少女漫画という事もあって、綺麗で可愛らしい絵柄だったのも読破できた理由の一つだ。

「オッケー。じゃあ、記念すべき新入部員との初の部活動、最初のテーマは『友達から告白された時の断り方』についてよ。早速だけど、例えばゆーゆには幼馴染がいたとして、もしその子から突然告白されたらどう断る? ああ、もちろん同性の子ね?」

 私は考える。事前にこういうディスカッションをすると知らされてはいたものの、実際に面と向かって意見を求められると、どんな言葉で表現をすれば良いのか頭を悩ませてしまう。

「ええっと、私だったら、『ちょっと無理かも』って言っちゃうかもしれない」

「どうして?」

「だって、今まで一緒に遊んできた幼馴染でしょ? 私には幼馴染がいないから分かんないけど、そういう本当に仲の良い友達って、家族みたいなものだって言うんじゃん? 人によっては兄弟や姉妹の感覚に近いって聞くし。そう考えると、幼馴染からの告白ってまったく予想もしていなかった不意打ちって感じで、どちらかと言えば生理的嫌悪感と精神的なショックの方が大きいと思う。これまでの何気ないスキンシップとかでも、相手はそういう感情になっていたのかもって考えちゃって、まともに相手の顔も見れなくなるじゃないかな」

 漫画で読む分には「これはこれで有りなのかも」とは思ったし、片想いをしている幼馴染に切ない感情も覚えたが、それが実際に我が身に降りかかったとなればそう単純に考えるわけにもいかない。

「そうだよね。私もゆーゆと同じ、そう考えるのは自然な事だと思う。でも、ゆーゆが言ったように、そんな反応になってしまうのはまったく予想していなかったからだよね? 今こうして百合の存在を知って、もしかしたらその幼馴染が告白してくるかもしれない、ってある程度身構える事ができていたら、少しは違った反応になるんじゃない?」

 言われてみればそうかもしれない。

「確かに、それだったら告白されても『やっぱりそうだったんだ』ってなるかな」

「その時はどんな返事をする?」

「う~ん、無理なのは変わらないけど、その気持ちに応えられなくて申し訳ないというか、とにかく謝るかもしれない。『ごめん、私は女の子が好きとか、そんなじゃないんだ。だから君と付き合うなんて考えられない。本当にごめん』みたいな?」

「そうそう、さっきよりは大分柔らかい断り方になるよね。でも、あともう少し、大切なのは自分の気持ちにばかりじゃなくて、相手の気持ちにも目を向けてあげる事。確かにゆーゆも同性から告白されて怖いかもしれないけど、相手はそれ以上に、拒絶される事に大して大きな不安と恐怖を抱えているの」

 なるほど、今回私が読んだ百合漫画でもそうだった。

 片想いをしている少女は幼馴染との関係性が崩れてしまう事に怯えていた。だから、自分の気持ちを打ち明けられなかったのだが、ある時ついにその気持ちが溢れて勢いのまま告白してしまった。それを幼馴染は一度突き放してしまう。ああ、その時の少女の傷ついた表情を思い出すと、今でも心が締め付けられる。

「だからね、『ごめん』って謝るよりも、『ありがとう』って伝えてみたらどう?」

 楓先輩はそう言う。

「『今まで私は女の子を好きになった事がないから、君を好きになる事はできない。これからもそれはたぶん変わらない。でも、私の事を好きになってくれて、ありがとう』ってね」

 それは綺麗な断り方だと思った。綺麗過ぎて、見方によっては一番残酷かもしれない。

「それが正解なの?」

「ううん、正解なんてない。だけど、間違いはたくさんあるわ。だから、そのたくさんある間違いを避ける事が唯一の正解なの。同性の友達から告白された時に一番やってはいけないのは相手を突き放す事よ。『気持ち悪い』だとか、『無理』だとか言って、相手を傷つける必要なんて一切ないの。私達ができる事は、とにかく相手の気持ちを受け止めて、同性を好きになれない事実と告白してくれた事への『ありがとう』を伝えるだけね」

 女の子が女の子を好きになるのってとても辛い事なんだと思った。漫画みたいに上手くいけば良いけど、現実はきっとそんなに簡単じゃない。

「それじゃあ、これを踏まえた上で同性からの告白を断る練習でもしてみよっか。私から告白するから、ゆーゆは上手く断ってみて?」

 私と楓先輩は席を立って向かい合う。

「ゆーゆ、実は私、貴女の事が好きなの。その、恋愛的な意味でなんだけど……」

 えっ、そこも『ゆーゆ』なの? この大事な場面で普通あだ名を使うか?

 そう突っ込みたくなったが、咄嗟にそれを抑える。冷静に考えて、告白の経験が皆無な私に突っ込みを入れる権利はないのだ。

「そ、そうなんだ、ええっと……」

 私は言葉に詰まってしまう。

 駄目だ。なんて返事をすれば良いのか分からない。頭の中で想像するのと実際に口に出すのとでは感覚が違って、言葉選びが難しく、最初に切り出すべき一言が全然見つからない。返事を待ってじっと見つめてくる楓先輩を見ると、なおさら焦ってしまい頭が混乱してくる。

 それを見かねたように、楓先輩はふと表情を崩した。

「そうね、難しいよね。分かった、私がまず手本を見せるわ」

 彼女が自分に告白するよう促してきたので、私は恥じらいを押し殺しつつも口を開く。

「楓先輩、実はずっと前から好きでした」

「えっ、私の事が好きなの?」

 楓先輩は思い詰めたように目を伏せる。すぐに返事をしないこの間の作り方がとても演技とは思えず、あまりに真に迫っていたため、彼女の言葉を待っている私の胸は高鳴って息が詰まりそうになった。

 ようやく顔を上げた楓先輩がゆっくりと穏やかな笑みを浮かべて一言。

「む~りっ!」

 そう彼女がウィンクすると同時に、私は容赦ない腹パンを喰らわせていたのであった。

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