『百合になりたい部』に入部させられた七瀬紫莉の高校生活
坂本裕太
第1―1話「七瀬紫莉、入部する」
先輩と私だけしかいない二人っきりの教室にて。
先輩はスカートの裾を手で軽くはたきながら、後ろ手に教室の扉の内鍵をかちりと下ろす。
「絶対に、逃さないから」
息切れを起こしているのか、彼女の肩は軽く上下していた。
あまりに衝撃的な出来事を前に、私は困惑の色を隠せない。
「ええ……」
一体、どうしてこうなったのか。
――――――――
蝶蘭女学園。偏差値六十一で可もなく不可もない中高一貫の女子校。特別頭の良い学校という訳ではないが、毎年限られた編入枠に多くの志願者が集中して、その倍率はなんと約四倍と都心の有名私立高並に人気のある学園なのだ。
今年春、私はその狭き門を突破して、晴れて蝶蘭女学園へ編入した。
蝶蘭四年生、つまり学園内の高校一年生である。
この学園の魅力はなんと言っても自由度の高い校則と種類豊富な部活動だ。髪型には長さとか色とかの制限はほとんどないし、スマホやお菓子などの私物も持ち込めるし、高価過ぎる物でなければオシャレをする事だって許されている。部活動もスポーツ系や文化系を問わず活発に行われていて、大会やらコンクールやらで優秀な成績を出しており、この学園から数多の人材をスポーツ界や芸能界へ輩出している。
勉強第一だった今までの私にさようなら。これから始まる新しい高校生活でまったく別の自分に生まれ変わってやる! ……はずだった。
私の思い描いていた高校デビューは一つの大きな誤算で早くも崩れ去ってしまった。
それは友達が作れない事である。
ただでさえ、自分から誰かに話しかけに行くのも難しいのに、ようやく勇気を振り絞って教室を見渡してみれば、そこに私の入り込む余地はなかった。どこを見ても、周りにはすでに仲の良いグループが出来上がっていたのだ。
それも当然の事だろう。ここは中高一貫校なのだから、クラスメイトのほとんどは学園内の中学校からエスカレーター式で上がってきた生徒ばかりだ。新しく友達を作る必要なんてないのである。
親しげに楽しくお話をしているところへ、新顔の私が厚かましく入っていくなど到底無理な事だ。私のメンタルはそんなにタフじゃない。
高校生活三日目にして、私はクラスの置物と化す事になった。
ああ、こんなはずではなかった。本当は編入初日にさっさと友達の一人や二人を作ってしまって、絶対に孤立する事のない自分の居場所を確保しておくはずだったのに。それから、中学時代で色々と犠牲にしてきた楽しい事をうんと取り戻してやろうと思っていたのに。
クラスメイトの誰とも一言も話す事なく迎えた放課後。
私はせめて部活動に所属しておこうと思った。部活動に入れば、誰かと接する機会はきっとあるだろうし、私自身もたぶんもっと明るく振る舞えるようになる気がする。たぶん、いや無理かもしれない。
校内の掲示板にある部活案内のコーナーを見ながら、私は考える。
どうせならスポーツ系が良いな。サッカーとか活躍できれば友達できそう。私の身長を活かすなら、バスケとかバレーもありかな? でも、練習は厳しいかも。文化系は地味、というイメージはこの学園に限っては間違いだ。歌手やアイドルを真剣に目指す部もあれば、競技かるたでより上の段位を狙う部もある。
どの部活も私には難しそうだ。
そう思って、掲示板から視線を切ろうとした時、興味の惹かれる部活名が目に入る。
掲示板の隅っこに小さな文字で『百合になりたい部』とあった。活動内容の詳細はなく、ただ部員募集中である事と部室の場所だけが記載されている。
私はそれがどういった部活なのか気になった。
百合といえば、あの百合の花だろうか。その花になりたいと言うのはおかしな話だ。もしかすると、「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」のことわざにあるような、美しい女性になるために自分を磨く部活なのだろうか。
どんな生徒がどんな活動をしているのか、ちょっとだけ覗いてみよう。
私はスマホから校内マップを開いて、その部室へと向かった。
『百合になりたい部』の部室は高校棟内の一階、正面玄関から一番遠くに離れた廊下の行き当たり、あまり生徒が寄って来なさそうな場所にあった。普段は空き教室らしく、扉の上にあるネームプレートには教室名が書かれていない。廊下側の窓には目隠し加工がされていて、中を見る事はできなかった。
私は恐る恐る扉をノックした。少し待っても返事がなかったので今度はそっと引き戸の扉を開けて、その隙間から中の様子を窺ってみる。
あれ、誰もいないのかな?
そう思って、私が中へ入ると、それまで死角になっていた窓際の席に人影を見つける。
その一人しかいない生徒はじっと机に向かって、読書に夢中になっていた。
一目見て、可愛い子だと分かった。長い黒髪に、整った横顔、遠目でも分かる手入れされたまつ毛の先と唇の艶。編入した初日から感じていた事だけど、さすが人気の女子校だけあってモデルやアイドル向きの可愛くてキラキラした子が当たり前のようにいる。
声を掛けるべきか私が迷っていると、つと彼女はこちらに気付く。その途端、驚いたような表情と共に、お手本のようなガタッという音を鳴らして勢い良く立ち上がった。
「えっ、嘘、もしかして入部希望者?」
私はどう答えようか悩む。
「ああ、えっと、入部希望っていうか、ちょっとどんな部か気になって……」
彼女は足早に近寄ってきて、私の手を取って握り締める。
「やった、これで部の存続が現実的なものになるわ! 貴女は記念すべき部員第一号よ!」
「ちょっと待って! 私、まだ入るって言ってない。それに私が部員第一号? 確かに他の部員はいないみたいだけど……。そもそも、『百合になりたい部』ってどんな部活なの?」
「どんな部活って、名前の通り、百合になる事を目的とした部活よ」
「いや、その『百合になる』ってのが意味分かんないだけど」
私がそう聞くと、彼女はふと困ったように眉をひそめる。
「えっと、もしかして百合が何なのか分からないの?」
「百合って、花の事でしょ? ことわざにもある、あの百合の花」
彼女は納得したように「ああ、なるほどね」と頷き、一人考え込むようにして「まさか、何も知らないのここに来るなんて。いや、むしろ、知らない方が部活動の趣旨としてはぴったりよね」と独り言を零す。
私は少し怖くなった。しかも、よく見たらタイの色が違うからこの人は先輩だし、思いっ切りタメ口を使ってしまった。一刻も早くここから離れよう。
「あの、やっぱり私、大丈夫です」
そう言って、私が部室の扉に引き返そうとした瞬間、先輩は目にも留まらぬ速さで駆け出したかと思うと、私の真横を走り抜けたところで一度盛大に転び、痛そうに左足をさすりながら涙目になりつつも部室の扉の前に辿り着いた。
先輩はスカートの裾を手で軽くはたきながら、後ろ手に教室の扉の内鍵をかちりと下ろす。
「絶対に、逃さないから」
息切れを起こしているのか、彼女の肩は軽く上下していた。
あまりに衝撃的な出来事を前に、私は困惑の色を隠せない。
「ええ……」
急に走り出したせいで乱れた呼吸を落ち着けようと、彼女は深呼吸をする。
「ほら、入部届にサインをしてくれるまで、ここから出してあげないよ?」
それは困った。だが、先輩はある事実を一つ忘れている。
「じゃあ、私はそこの窓から廊下に出ます」
そうして窓の鍵に手を掛けるや否や、彼女は泣きつくように私の胴体に抱き着いてくる。
「ちょっと待ってよ! 貴女が入部してくれないと、本当にこの部はなくなっちゃうの!」
「そんなの知らない! 訳の分からない部活なんてなくなっても仕方ないでしょ!」
「お願いだから! そもそも貴女が入部しなかったら、私達の物語はここで終わっちゃう!」
「ちょ、それを言うのは卑怯でしょ!」
このメタ発言によって、私は『百合になりたい部』に入部させられる事になったのであった。
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