真相編

「國府田さんにもお伝えした通り、私は犯行手口の粗さがずっと気になっておりました。長年の経験からですかね、殺人という目的を果たすには釣り合わない上、どうも納得いかない点がありました。そこで発想を変えてみました。もしその粗い手口が、実は敢えてやっていたことだとしたら……まさに、ひっくり返してみたんです。するとですね、自分でも驚くべきことに毒の回避トリックもその意味も、まるで霧が晴れるように、すぅっと見えてきたんです」

「鴇和田さん」

「はい?」

「勿体ぶるなんて、意地が悪いですわ。トリックについて早く教えて下さいな、気になりますわ」

「失礼致しました。お許し下さい、悪気はないのです。ではまず、仰っていたトリックについて。今回に関して、その表現は適さないかもしれません。この事件には最初からトリックなんてものは、存在していなかったのですから。そこに引っ張られてしまっていたせいで、どうも分からなくなっていたのです。あくまで結果的に発生した、言い換えれば偶然が引き起こしたもの……あっちなみに、この偶然は過失という意味ではありませんよ」

「なら、どういった部分のことを偶然と?」

「勿論、毒ですよ。毒。花子さんは、毒を口にしなかったのではなく、できなかったのですよ」

「まるで彼女が失敗したみたいな言い方ですね」

「ええ。まさに、そうなんです。花子さんは失敗したのです、毒を飲むということに。毒を飲みたいだなんてこと、普通はあり得ません。しかし、それは殺人をしようとしているから、ですよね? つまり、その前提が無ければ、あり得る可能性だって出てくる、ということになるはすです。その発想に至った手がかりは花子さんの動機である、ご主人の不倫でした」

「申し訳ないのですが、話が見えませんが」

「では、私なりの結論を申し上げましょう。花子さんが立てていたのは殺人の計画ではありません。本当は、無理心中・・・・の計画だったのではないでしょうか?」

「……」

「そうならば、毒を注入したところに印を付けるなんて、そんなことしなくていい。ご主人からどこを貰ってもいい。共に死ぬのが目的なのですから、ただその起きることに身を任せておけばいい。今回のことは殺すには難し過ぎますが、心中するにはあまりにも簡単なわけです。まあ、身を任せた結果、運命に裏切られてしまいますがね」

「……」

「だから当然、警察に暴けるはずがないんです。誤解のないように、また身内だからというわけではなく、日本の警察は大変優秀です。世界の中でもトップクラスです。何故なら、故意を見つけるのが巧みだから。しかし、今回のようなことには、警察もお手上げです。どんなに真実に近づけたとしても、殺人である目で見てしまっている以上、決定的証拠を見つけ出すことは、極めて難しい。花子さんは夫を失った哀しき未亡人ではありません。無理心中を果たすことができなかった不運な女性なんです。いかがでしょうか」

「素晴らしい。素晴らしい推理です。ほんの僅かな情報と短い時間で、関わった誰よりも真相に近づいてました」

「近づいた、ということは誤り?」

「いえ、誤りではありません。その通り、正解であることには違いありません。しかし、少しだけ足りない部分があった」

「と言いますと?」

「小田原まで……あぁ、もう十分もないですね」

「えっ? ああ、本当だ。もうそんなに経っていたのか……」

「では、急ぎましょうか。まず、鴇和田さん、花子さんがなんでトリカブトを選んだのか、お分かりになられますかね」

「それは庭で育てていたから、などでしょうか」

「いいえ。わざわざこのために手に入れました。勿論、足がつかないように慎重に」

「聞き方から推察する限り、何か理由があるということですか」

「ええ」

「そうですね……では、二人の思い出の花、だとか」

「いいえ。そう言った意味では、えんゆかりもありません」

「だとすると……あっ、もしかして花言葉?」

「おっ、正解です。ご存知でしたか」

「以前担当した事件で花屋さんにお話を伺う機会がありましてね。確か、トリカブトの花言葉は、復讐、だったかと」

「その通り。でも、実は花言葉って一つの花にいくつかあって、トリカブトも復讐だけでは無いんですよ。あなたは私に死を与えた。ええ、そうです。ご自身の不倫によって、旦那さんは花子さんに死ぬという選択肢を与えた、というわけです」

「死ぬ、選択肢?」

「確かに花子さんは、心中を計画していました。その目的を果たそうとしていたことも、叶って欲しいと願ったウエイトが最も占めていたということも、同様に確かなことです。しかしわたくしが花子さんの殺意について、こう言ったのを覚えていらっしゃいますか? 殺意は一応ありました、と」

「そうか……花子さんは殺める気が……いや、殺める気もあったということですか」

「気づいたみたいですね」

「もしかして、死ぬのは自分でも、ご主人でも、二人共でも良かった?」

「伝わってきましたかね。花子さんはシュークリームに毒を入れました。ひとつ、ご主人が自殺したように見せるため。ふたつ、花子さんを殺したように見せるため。みっつ、二人で心中するため。三つのうちどれが起きるか本人にすら分からない。けれど、いずれかは必ず起きる。まさに、神のみぞ知る結末、というわけです」

「しかし、もしふたつ目が起きた場合は? 殺したことにはならないでしょう」

「いいえ、一つ目か三つ目なら肉体的に、二つ目なら社会的に殺したことになります。いずれにしても、殺すことはできるのです」

「自らの命を投げ出すことになろうとも、果たそうとする殺人……正直、花子さんのお気持ちは、私には理解できませんな」

「多分ですが、もう分からなくなったのではないでしょうか。一生添い遂げると誓い合って、浮気されてショックで、ふざけるなと殺意が湧いてきた。けれど旦那さんを愛していて、失いたくはなくって。離れることになってしまうかもしれない。だったら、離れないように、離れられないようにすればいいんだって考えた。この方法なら、自身の命を賭したとしても、添い遂げることができる。そして、恨みと愛情、その二つを伝えられるのではないか。そう思ったら自分自身を止められなくなってしまった……あの頃の彼女はこんな気持ちでいたのではないかと思うんです。でも、結局は離れてしまった。ひとりぼっちで取り残されてしまった。彼女ね、生まれた時からずっと、どこか恵まれてないんです。不幸体質というんですかね。可哀想な人なんですよ」

「可哀想?」

「ええ。鴇和田さんもそうお思いなのでしょう」

「あれれ。どうやら大きな勘違いをさせていたみたいですね」

「え?」

「確かに私は國府田さんに、花子さんは不運だと言いました」

「でしょう?」

「しかし、それは愛を愛のまま続けられなかったことに対して不運であると言ったのであり、可哀想などという同情は一つも抱いておりません。私の言い方に問題があったのかもしれませんが、認識を正すために少し強い言葉で申し上げます。私はそもそも花子さんに同情などしておりません」

「あら、本当にお強い言い方ですこと」

「國府田さん。あなたは花子さんの行動が愛だとか仰っていましたが、私には身勝手な言葉にしか聞こえません。言わせてもらえば、ただの詭弁。愛していれば人の命を奪っていいなんて、そんな理屈、あってなどいいはずがない」

「では、花子さんが抱いていたのは殺意であったと? どうなるのか、事の顛末を知らなかったのに?」

「知らなかった……だとすると、この殺人はなんとも恐ろしい」

「恐ろしい?」

「失礼。言い直しましょう。どんな殺人も恐ろしい行為ですが、この殺人は余計に恐ろしい。身震いさえしてきます」

「身震い……どういったところがでしょうか」

「花子さんは自身が死んだとしても、旦那さんを亡き者にするためならば、自らの命を引き換えにしてもいいと考えていたところが、ですよ。消極的な犯罪行為に見えて、実はこの上ない執念を感じます。愛情か殺意か、きっかけがどちらの感情で突き動かされたのだとしても、これほどまでに手段を選ばない、なりふり構わない動機はそうそうにあることではありません」

「そうなんですかね、刑事さんではないわたくしには分かりませんわ」

「なら、國府田さんにも分かるお話を。最初花子さんは、不幸にも旦那さんを亡くしている、と、花子さんをそう形容しましたよね。ですがね、不幸にしたのは、愛情という素晴らしい感情を哀れな方法でしか表現できなかった、花子さん自身です。彼女に不幸が降りかかったんじゃない。自ら不幸の中に飛び込んだんですよ」

「不幸に飛び込める程、勇気のある人ではないですよ。花子さんは」

「……國府田さん」

「ん?」

「事件はこれで、百パーセントでしょうか」

「はい」

「そうですか……ちなみに國府田さん、花子さんと現在もご交流はあるのでしょうか」

「ええ。ありますよ」

「なら、是非お伝え頂きたいことがあるのですが」

「なんでしょう」

「たとえ裁判で勝ったとしても、あなたは人を殺した十字架を一生背負うことになる。背負い続けるんです。そしてそれはいつかどこかで、何らかの罰として身に降りかかるでしょう。そのことだけは覚えておいて下さい、と。このままお伝え頂ければと思います」

「……」

「ああ、減速し始めてましたね。もう着くみたいだ。國府田さん、お隣の席、ありがとうござい……」

「時折、見るんです」

「はい?」

「怖い夢。とっても怖い夢。ふと目を覚ますと、真っ黒な空間にいるんです。何故こんなところにいるのかと記憶を巡らすも何も出てこない。どうにか脱出しようと、辺りを見回していると、ふと遠くに動くモノを捉えるんです。こちらに向かって歩いてきている。目を凝らすとそれが旦那さんだと気付くんです。遠くでぼんやりとしていた形がはっきりとしてくる。髪はワックスで塗り固めているだとか、仕事用の濃紺のスーツを着ているだとか、首を不自然に曲げているだとか、パクパクと動かしている口からは泡を吹いているだとか。さらに近くにやってくる。するとね、今度は声が聞こえるの。何故殺したんだ、何故殺したんだ、ってずぅっと繰り返しているの。怖い。嫌だ。今すぐ逃げたい。でもね、動けないんです。足がすくんでいるんじゃない。まるでコンクリートで固められたかのように、自分の意思で動かすことができない。動け動け動けと、もがいてもがいてもがいても駄目。ふと気配を感じ、落としていた視線を上げると、もう目の前に立っているんです。そして突然、肩を両手で強く掴まれ、大きく口を開け、低くつんざく叫び声を上げるところで、目を覚ますんです。短距離でも走ったように呼吸は乱れて、真冬でも枕は汗でびっしょり。この恐ろしい悪夢は多分、一生見続けるのでしょう。ふと殺人の瞬間がフラッシュバックした夜に、ようやく忘れられた頃に前触れもなく突然に。もしかしたらこれこそが、彼からの罰、なのかもしれませんわね。花子さんはもう、自首することさえも許されないのですから」

「そうですね」

「この話をする時に鴇和田さん、休暇中とはいえ警察の人間に話して良いのか、訊ねてきましたよね。わたくしは、無罪となったから、と答えました。けど、本当は、刑事さんだと知ったからなのかもしれません。ずっと裁かれずに一人抱えていた重荷を、首に括られ続けていた枷を、下ろしたかったのかもしれません」

「……どうやら減速し始めたみたいだ。では、私はこれで」

「鴇和田さん」

「はい?」

「もしあなたと事件の時に出会えていたら、花子さんは何か変われたでしょうか。罪悪を感じ、罪を償うことができたのでしょうか」

「どうでしょうね。正直に言ってしまえば、私には分かりかねます。彼女の気持ちの問題ですからね。しかしです、本当に罪を償いたいと思っているのなら、今からでも遅くはない。これだけは断言できます。償いはいつしてもいいのですから、と花子さんにはお伝え下さい」

「……やはりあなたみたいな方と、もっと早く出会えていればよかった」

「お褒め頂き恐縮です。が、私はそんな大した人間ではありませんよ。推理が完璧じゃなかった、ただのしがない刑事です。おっと、駅に着いてしまった。國府田さん、お隣の席とお話、ありがとうございました」

「こちらこそお付き合い下さり、ありがとうございました」

「お元気で」

「お元気で……安楽椅子刑事さん」

「ん? 今、何か仰りましたか?」

「いいえ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

不幸な女性〜罪と罰〜 片宮 椋楽 @kmtk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ