ミューリンガンの仕事

尾八原ジュージ

ミューリンガンの仕事

 朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。同時に同じ内容の放送が、市役所のスピーカーから人気のない街へと響き渡った。

 ミューリンガンは政府から与えられた予備バッテリーから充電コードを外し、テレビを点けっぱなしにしたままシェルターを出た。

 今日もひどく暑い。太陽がじりじりと照りつけ、あちこちで陽炎が立っている。

 ミューリンガンの頭部にあるスピーカーから、音声が流れ始めた。

『世界の終わりまであと七日になりました。惑星モンタへの移動が始まっています。残っている方はいませんか? 世界の終わりまであと七日になりました。惑星モンタへの移動が始まっています。残っている方はいませんか?』

 その少しざらついた音質、それに不格好に出っ張ったスピーカーと眼球代わりのカメラを見れば、彼がコミュニケーションを主な任務としたロボットではないことが一目でわかる。だが、彼にとって見た目はさほど重要な項目ではなかった。

 旧・青空ヶ丘市の西区全体がミューリンガンの担当だ。この地上に取り残された生物がいないかどうか隅々までチェックし、発見の際は回収・保護するのが彼の仕事だった。この時代、生物は生物というだけでとても貴重だ。

 担当エリアは広いが、期限いっぱいまで使えば全域を回ることは十分可能だとミューリンガンは判断し、歩いた。安定した二足歩行機能は、彼に与えられた見回りの任務にぴったりだった。

 途中で生物特有の電気信号を発見したミューリンガンは、一度放送を停めて辺りを探した。廃校になった小学校の軒下で、彼は巣の中にうずくまっているツバメを一羽見つけた。大変珍しいものだ。

 ミューリンガンは二メートルほど腕を伸ばし、目にも止まらない速さでツバメを捕獲すると、持っていた籠に入れた。それからレーザーで、巣の周りのコンクリートの一部を丁寧に、静かに切り取った。

 巣の中には卵が入っていた。貴重な宝物をそっと抱えて、ミューリンガンはプログラムに従い、一旦シェルターに戻った。


『世界の終わりまであと四日になりました。惑星モンタへの移動が始まっています。残っている方はいませんか?』

 この三日間、ミューリンガンが保護したのは最初のツバメのほか、カラスが一羽とハエが一匹ずつだった。土の中もよく探せば何かがいるかもしれないと考えたが、それを実行する掘削用の手足を持っていないし、予定の期日もオーバーしてしまうので諦めた。いずれにせよ、昔から汚染が進んでいた土中に生命がいる可能性はさほど高くない。

 三日間の間に、街の気温はぐんと上昇し、今朝の時点で摂氏四十二度を示していた。スピーカーから決まりきった音声を流しながら、ミューリンガンは担当区画を練り歩いた。別の区画にも彼と同じようなロボットがいるはずだが、それらは回収対象ではないので特に会いたいとは思わなかった。

 区画内に大きな団地の廃墟があり、ミューリンガンは、今日はここを見回ろうと決めていた。すでに電気や水道などの供給は止まっているものの、建物自体は十分住める強度を保っているし、外階段の隅などは外部よりも涼しい。生き物が潜める場所はありそうだと思った。物陰が多いから猫などがいるかもしれない。猫もまた貴重だ。

『世界の終わりまであと四日になりました。惑星モンタへの移動が始まっています。残っている方はいませんか?』

 スピーカーを鳴らして歩きながら、ミューリンガンは生物の電気信号を探した。太陽は中天にあり、眩く地上を照らしていた。

 やがて彼は、敷地内の一番奥の棟の、一階の隅からにおいがすることに気づいた。有機物が腐るとき特有のにおいだ。電気信号も感じられる。彼はスピーカーをつけたままそこに近づいていった。

 一階の部屋の奥、日に焼けてささくれだった畳の上に、三体の人間が倒れているのをミューリンガンは見つけた。うち二体は成人の男女で、すでに死んでおり腐敗が始まっていた。寄り添うように倒れている十歳ほどの男の子には、まだ生命反応があった。適切な処置を行えば救えるはずだった。

 ミューリンガンは彼を抱き上げ、シェルターに戻った。遮るもののない光と熱とが、ふたりにじりじりと照りつけた。


 元より、太陽は少しずつ地球に近づいていた。しかしそのスピードが突然早まったことが発覚したのは、今から百年ほど前のことである。接近は止まらず、遠からず地球が死の星となることは確実だった。

 それに伴って、惑星モンタへの移住計画が政府から公表されたが、人間の中にはそれを拒むものがいることをミューリンガンは知っていた。彼らは定められた宇宙船に乗らず、自らを死んだことにして地球に残ることを選んだ。それがなぜなのかミューリンガンには理解できない。する必要もなかった。

 団地で回収した少年もまた、両親が移住を拒んだために地球に居残っていた。おそらく戸籍上は死んだことになっているだろう。

 生物を保護したときに備えて、シェルターには食糧や水、医薬品などが備蓄されている。気温も適切な状態に保たれ、ミューリンガンが保護した生物は、シェルターの一角で保護されていた。

 熱中症の治療を受けた少年は、早々に意識を取り戻し、巣ごとケージに入れられたツバメを夢中で眺めていた。まだ幼いが、両親が死んだことは理解しているようだった。彼はミューリンガンに、ミツルと名乗った。

「みんな騙されてるんだって、父さんと母さんは言ってた。移住計画なんか嘘っぱちだって」

 ミューリンガンはそのような陰謀論が流行っていたことを知っていた。それに殉ずるように地球に留まり、命を落とした人々がいることも知っていた。

『移住計画は安全なものです。ご安心ください』

「うん。少なくともこんなところに残ってるよりはマシだって、オレにもわかるよ」

 ミツルは呟いた。ミューリンガンは決してコミュニケーションに長けたロボットではないが、それでも彼は少年の顔に、悲しみや寂しさといったものを読み取ることができた。

『ミツルは悲しんでいますか? またそのことに関して、何か私にできることはありますか?』

「別に。うちの親おかしかったし、迷惑してたから。いいよ」

 そう答えるとミツルはツバメの巣に向き直り、しばらく口をきかなかった。ミューリンガンも重ねて問いかけることはしなかった。


 人類が地球から完全撤退する、その日が迫っていた。ミューリンガンは毎日街に出て、予定していたコースを歩き回り、小さなクモとゴキブリを連れ帰った。

 ミツルがそうしたいというので、ミューリンガンは生き物の世話の仕方を彼に教えた。それらの作業を問題なくこなせるとみて、生き物たちの世話はミツルの仕事に決まった。彼にも何かやることがあった方がいいと、ミューリンガンが判断したのだ。

 六時間に一度、保護した生き物たちの様子をみるために、ミューリンガンはシェルターに帰った。日中、ミツルは起きていて、ロボットが帰還すると嬉しそうな素振りをみせた。

「おかえり!」

 ミューリンガンは「おかえり」と言われる経験は初めてだったが、それに『ただいま』と応えることを知っていた。ミツルは帰ってきたミューリンガンに子犬のようにつきまとい、不在の間にあったことを熱心に話した。

 ミツルは抱卵中のツバメをよく眺めていた。彼は水槽の中を見ながら、一度だけとても重要な秘密を打ち明けるように、ミューリンガンにこう言った。

「前にオレ、親に迷惑してたって言ったじゃん。でもさ、父さんも母さんも最後は、残った水を全部オレにくれたんだ。だから迷惑とか、言わない方がよかったかなって後から思った」

 ミューリンガンは、黙ってそれを聞いていた。


『世界の終わりまであと一日になりました。惑星モンタへの移動が始まっています。残っている方はいませんか?』

 その日、街を歩くミューリンガンに、宇宙船からメッセージが届いた。本日夜九時、職員がシェルターに迎えにいく、という内容だった。

 ミューリンガンはそれに間に合うよう、夜八時半、予定より少々早い時間にシェルターに戻った。ミツルが少し驚いた顔で、それでも元気よく「おかえり!」と出迎えた。

『ただいま』

 そのときミューリンガンは、職員の来訪についてミツルに教えることをなぜかためらった。その理由は結局わからないままに放っておかれ、三秒のちには彼のスピーカーから、ミツルの惑星モンタへの移住に関する必要な情報が発せられた。

 移住担当の政府職員は、時間きっかりに現れた。専用車に乗せられるミツルはそのとき初めて、ミューリンガンがシェルターに残ることを知った。

「モンタで会えるんだよね? そうだよね?」

 ミューリンガンが口を開く前に、職員が「大丈夫だよ」とミツルをなだめた。なのでミューリンガンは何も言わずに済んだ。

 生物の回収に使用されたミューリンガンたちロボットは、このまま地球に廃棄される予定であることを、ミツルは知らないまま旅立った。


「おはようございます。世界の終わり当日になりました。本日、移住担当局は地球から完全撤退いたします」

 朝、ミューリンガンがテレビをつけると、ニュースキャスターがそう告げた。彼もまた今は宇宙船の乗客のはずだ。ミューリンガンはふと、ミツルのことを思い出した。

 すでに担当地区の見回りは終了したはずだったが、ミューリンガンはシェルターを出て、七日前に歩いたエリアに向かった。生物を回収し保護することが彼の仕事だった。ほかには何もなかった。

 熱で溶かされたアスファルトがミューリンガンの足にくっつき、彼は何度か転びかけた。やがてツバメを保護した小学校までやってきたとき、彼は生物の発する電気信号を感知した。ひどく弱々しいそれを頼りに、彼は物陰から一匹のネズミを回収した。

 ネズミはひどく衰弱し、死にかけていた。ミューリンガンはそれを両手に掬うように持って、シェルターに向かった。

 静まり返った街を、太陽がじりじりと焼いていた。とうとう溶けたアスファルトに足をとられて、ミューリンガンはその場に膝をついた。

 背中を焼かれながら、彼はそっと手の中を覗き込んだ。ネズミからはすでに電気信号が絶えていた。死んでいる。

 ミューリンガンはネズミを持った両手を日差しからかばうように、自分の胸の前に移動させた。そのとき、気温の上昇に耐えられず熱くなったバッテリーが、彼の胴体の中で破裂した。

 ネズミの死骸を抱きしめたままミューリンガンは停止し、そのまま二度と動くことはなかった。

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