打ち上げ花火〜音と光と思い出に

砂上楼閣

第1話

カタカタとキーボードを叩く音が静かに部屋に響いている。


時刻は19時と比較的早い時間帯だ。


いや、一般的にみて職場にいるには遅いか早いかは微妙な所かもしれないが、少なくとも繁忙期は終電間際まで、下手をすると泊まりもあるのでまだまだ夜はこれからと言える時間帯だろう。


机に置かれた電子時計は今日が土曜日だと表示しているが、仕事が終わらない限り休日などはない。


なので今日はいつも通りの平日と言える。


そんな事わざわざ言葉にするまでもない。


ふぅ、やれやれ。


画面から目を離して息を吐く。


肩の強張りを感じて、ゆっくりと姿勢を正した。


こういう時、いきなり思い切り伸びなどをしてはいけない。


若い頃ならいざ知らず、そんなことをすれば肩や背中、腰がつったり痛める危険性がある。


なぜか腿やふくらはぎまで連鎖した時は痛みのコンボに年甲斐もなく涙したものだ。


ゆっくりと小さく、小刻みに体の部位ごとの調子を確かめながら行わなければ。


下手に痛めれば長引く。


気軽に病院に通うことなど出来ないのだから、体は大切にしなければならない。


急な動きには注意せねば。


そんな事を考えながら首を回した次の瞬間、不意に遠くで爆発音が響いた。


体が本能的にびくりと反応し、次いで体は大丈夫かと反射的に固まった。


落ち着け、自分を信じろ。


よし、痛みはない。


驚いた拍子に肩と頬がドッキングしたり、半回転して後頭部が見えたりもしていない。


待て、やろうと思えば肩に頬は届くし、首が半回転して見えるのは後方の景色だ。


いや、肩と頬くらいはつく、よな?


よし、落ち着け。


ゆっくりと首を傾けろ。


多少肩を上に上げるズルはしたかもしれないが、ちゃんと頬は肩に触れた。


なんだ、まだまだいけるじゃないか。


俺もまだ若い。


額にじっとりと浮かんだ冷や汗を拭い、そういえばと、断続的に続いている音に意識が向いた。


ドン!ドン!と響いてくる音。


僅かに部屋の窓を震わせるその音には覚えがあった。


窓に近付き見てみれば、周囲の建物の隙間から僅かにカラフルな火花が見える。


そういえばもうそんな時期か。


しばらく前に梅雨は終わり、茹だるような暑さの続く毎日。


夜も鳴り止まない蝉時雨は今がまさに夏真っ盛りだと教えてくれる。


どうやら今日は近くの河川敷で花火大会が行われる日のようだ。


花火は夏の風物詩。


毎年同じ時期に同じ場所で行われる。


建物に遮られてほとんど見えないが、色鮮やかな花火がありありと脳裏に浮かんでくる。


去年もここから花火の様子を見た。


その前の年も、その前も。


ほとんど音と、ほんの少しの火花だけなのは同じだったが。


いつのまにか一年が過ぎ去っている。


ほんの数百メートル程度の距離で、毎年行われる花火大会。


そういえば、この花火を直接全部見たのはいつだったか。


記憶の中にある花火大会。


音と光だけで、毎年見に行った気になってはいたが…。


記憶を辿って思い出すのは子供の頃。


人混みの中、親に手を引かれて歩いた屋台通り。


肩車してもらって、すぐそばで見た大きな花火の音と光。


子供の頃は毎年家族で行っていた。


それがいつしか、そう、高校に上がる頃には行かなくなっていた。


最後に行ったのはもう10年以上も前になるのか。


そう思うと不思議な気持ちになる。


毎年音と光で感じていた花火大会。


打ち上げ花火そのものを見る事なく夏を終えていたのか。


歩いて十数分のこの距離を。


ただそれだけで満足して、行った気になっていたのか。


そう思うと、これまでの10数年、とてももったいないことをしていたのではないかという気持ちになった。


そう、ほんの十数分。


行って、見て、帰ってくるまでに1時間とかからない。


別に急ぎの仕事はない。


1時間くらいの遅れ、いくらでも修正はきく。


なんならちょっと長めの休憩にちょうどいいくらいだ。


この先数十年、音と光だけで行った気になって、子供の頃の記憶に満足させられるだけでいいのか?


そう思ったら居ても立っても居られない。


冷房の効かない屋外に出る。


夜とはいえじっとりとした暑さだ。


歩き出して数分で、冷房で冷えていた体から汗がにじむ。


わきや背中が汗で不快だ。


しかしそれも、視界が拓け、夜空に開く花火が目に飛び込んでくるまでだった。


記憶にあるものよりも遠くて、小さくて、けれど10年以上ぶりに見た打ち上げ花火。


足を止めて思わず見入ってしまった。


思い出との食い違いはあれど、肌を震わす音の響きと目にも眩しい花火の様子は、新鮮な感動を与えてくれた。


色鮮やかで、色んな形をした花火。


華々しく咲いては余韻を残して消えていく花々。


気付けば花火大会が終わるまでその場に立ち尽くしていた。


来年もまた来よう。


今度は家族を誘って。


そんな事を考えながら会社へと戻る。


さて、仕事の時間だ。


どこか晴々とした気持ちで、伸びをした。


しばらく見上げていた首と肩を少しばかり痛めたのはご愛嬌だ。

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