一花咲かせる

坂水


 斎場は人、人、人、人、人で溢れかえっていた。

 あまりの人いきれと暑さに眠気を感じたが、さすがに遺族として惰眠を貪るわけにはいかない。

 かよう、高祖父の葬儀には大勢の人が集まった。玄孫やしゃごとして、また新時代を担う〈スージン〉としてまったく嘆かわしいことであった。

 ひっそり家族葬にするつもりが、こんな一大イベントになってしまったのは、国の規制緩和、高祖父のわがまま、そしてもちろん、家族の監督不行届が原因だった。


 ──そうはいっても、昔は悪いことじゃなかったしのう。法改正もされたわけで、そう目くじら立てんでも。


 祖父は言った。隣で曾祖父がうんうんともっともらしく頷く。


 ──まさかじいちゃんが自分で自分の葬儀を〝ぷろでゅーす〟するとは思ってもみなかったし。


 祖父がぼやく。隣で曾祖父がうんうんともっともらしく頷くけれど、多分、意味はわかっていない。


 〝じいちゃん〟とは祖父の祖父であり、つまり私にとっての高祖父であり、家族で話しているとややこしい(ちなみに私には戸籍上の父はおらず、母は私を望んで独りで産み育てた)。

 高祖父は己の死後、自分が計画した葬儀が執り行われるよう準備しており、また自分の死亡広告を出すよう、無節操に手を打っていた。動画共有サイトの動画広告、駅前デジタルサイネージ、田んぼアート、ポスティング、サンドウィッチマン。

 病院で寝たきりだった百二十三歳にどうしてできたのか。

 インタラクティブ回想法によるヘッドギアが原因だった。

 回想法とは、懐かしい映像や物に触れたり体験したりして、脳を活性化させ、認知症の進行予防などに活用される一種の心理情療法だ。

 昨今ではネット上に双方向インタラクティブな回想法ができるサイトがあり、高祖父は専用ヘッドギアで二十四時間アクセスしていた。

 昔の楽しかった記憶を繰り返すそれ。終わらない夏休み、永遠の青春、尽きることのない蜜月。

 だが、高祖父はそれらを堪能するに止まらず、セキュリティの穴から広大なネットの海へ漕ぎ出し、知恵を身につけ、助言を得て、時には小金を稼ぎ、自分の葬儀を手配したのだった。

 

 人波を掻き分け辿り着いた親族の控え室で、お茶を啜り、差し入れの和菓子をむしゃむしゃと食べる祖父と曾祖父を前に、私はかなり苛立っていた。自分自身に対しても。

 祖父と曾祖父を責めたが、もちろん、私や母にも責任はある。

 私は一年のほとんどを──いや、一生を活動・・に費やしており、家族をほったらかしにしていた。その自覚はある。けれど遺伝子に刻まれた約束であり、母はむしろそんな私を誇りに思ってくれていた。

 だからこそ、高祖父の仕打ちは許しがたかった。世代間の差といえばそれまでだけれど、自分たちの尻拭いをさせているという自覚がまったくない。


 こんこん、とノックの音が響く。きっと母だ。彼女も忙しい人で今日も遅れるとの連絡が入っていた。

 はい、と扉を開ければ、予想外ではあったが、想定範囲内の人物がいた。見上げるほどに背が高い。まあ、小柄な私と比べればほとんどの人は高いのだけれど。


「本日はご愁傷様、お日柄も良く、お招きありがとう」


 言いながら彼は、ふわふわ真っ白なホイップクリームじみた花束を差し出してきた。


「皮肉はよして。私が招いたわけではないわ」

「だけど、遺伝子を受け継いでいる」

「言われなくても玄孫としての義務は果たすわよ」


 軽口の応酬は久しぶりだった。自然と浮かんだ笑みを向ける。


「ともかく来てくれてありがとう。でもなに、その格好は」


 学友であり、同志でもある男、クロエだった。ちなみに同じ産院で生まれた幼なじみでもある。

 彼は黒のスーツのインナーに、たっぷりのフリルをあしらった緑のシャツ着ていた。目を射るほど鮮やかで、動く度に軽やかに揺れる。


「あれ、おかしい? 冠婚葬祭には、自分のアイデンティティをあらわす服装をするんじゃなかったっけ?」


 問われて首を捻った。実のところ、私も葬儀は初めてなのだ。喪服黒い服を着る、とは聞いた記憶があるけれど、細かいマナーはわからない。


「まあ、スーツは黒だし、いいんじゃない。でもだったら私も着替えた方がいいのかしら」

「君の場合、一目瞭然だから大丈夫だよ」


 もっともな言ではある。私のアイデンティティを語るならば、私自身をさらけだすのが一番手っ取り早い。

 お茶を振る舞おうと急須に手を伸ばす。だが、彼は首を振り、


「実は腹ぺこなんだ。近くにレストランとかカフェとかないかな」

「あら、まだ自分で上手くできないの?」

「できるさ、でもまかないきれない。君は平気なの?」


 ふふ、と笑った。彼とは強みも弱みもさらけだす間柄である。実はちょっと眠いの、と正直に告白した。


 *


 祖父と曾祖父に断り、クロエと共に控え室を出た。彼は遺族である私が場を離れて良いのか気にしていたけれど、構わなかった。

 高祖父は、葬儀の進行は全て業者がするよう手配しており、遺族としてすべきことはほとんどない。前時代の葬儀では、悲しみを忘れるために遺族が忙しなく立ち働いたというが、昨今の葬儀では様相が変わってきていた。


「故人の自己アピールの場、逆お誕生会、つまりは駄々よね」

「手厳しいなあ」

「でなけりゃ、私や母への嫌がらせ」


 斎場の地下にオープンカフェがあったが、もうすぐ始まる葬儀の場所取りのためか空いていた。彼はホットサンドと紅茶、私は眠気覚ましの珈琲を注文する。あまり栄養素を摂ると身体が怠けるから、とクロエはホットサンドは半分こして寄越してきた。

 私の言葉を受けクロエは、ちょっと穿ち過ぎじゃない、身内だよ、と頬にケチャップをつけて言う。その言葉に微笑んだ。

 身内だからこそ。高祖父は私の出生を、最後まで反対したという。


「子どもの頃、おまえなんかレジ袋だと言われたわ。当時は意味がわからなかったけど」


 ははっとクロエは笑い、


「誉め言葉だよ。啓蒙活動としては一定の効果があったらしいから」


 まんざらでもないふうに言う。

 今では遺物だが、昔、レジ袋と呼ばれる白いビニル袋が小売店で日常的に使用されていた。国の環境施策として有料化され、その後、完全廃止となるが、廃プラのうちレジ袋が占めていたのは2%、環境改善にはほぼ影響がなかったという。だが、クロエの言う通り、プラスチックに頼らない生活様式の提案には貢献したようだ。

 私たちは〈スージン〉の第一世代であり、実務よりも広告塔としての役割が大きく、また期待されている。理解はしていたが、一抹のむなしさを感じないでもなかった。

 そんな心持ちを読んだのか、クロエは話題を変えてきた。互いの近況や〈スージン〉同志の気の置けない会話となり、それが心地良かった。


『葬儀にお越しの皆様にお知らせします。本日19時30分より、ツシマ家葬儀を執り行います。参列賜りますよう、移動をお願い申し上げます』


 アナウンスが二度、三度、繰り返される。

 行こうか、クロエが先に立ち上がり促した。けれど私の脚は動こうとしない。名を呼ばれるが、俯いたまま。

 私は高祖父に嫌われていた。溺愛していた曾孫の子として、受け容れがたい存在だった。私は私で、使命に奔走したフリで、高祖父に会おうとしなかった。未だ帰らない母は、本当は後悔しているのかもしれない。身内の反対を押し切り、私を産んだことを。

 嫌がらせ、なんてなまぬるいものではない。これはきっと。


「・・・・・・復讐だわ」


 足音が響き、先に進んでいたクロエが傍らに立つ。


「あの噂、本当だと思う?」


 うわさ、意味がわからず、私はのろのろと顔を上げた。


「葬儀に参列した皆、ある言葉を呟いてしまうっていうあれ」


 その噂は知っていた。都市伝説めいていて、深く考えたことはなかったけれど。


「意味を知ろうが知るまいが、つい、言ってしまうらしいけど、本当かな」


 さあ、と私は小首を傾げる。じゃあ、確かめてみようよ、クロエは言ってそう手を差し出してくる。

 その緑色を帯びた大きな手に、私は自分の小さな手を重ねた。



 前時代、とあるウイルスによってパンデミックが起き、人が密となる集まりは制限された。そこで人々は仮想空間に集まり交流する、ディスタンスイベントを発展させていった。この流れはパンデミックが収束した後も主流となり、現代へと引き継がれている。

 パンデミック収束後アフターパンデミック、次に人類が取り組んだのは脱炭素社会カーボンニュートラルの実現だった。前時代からの課題ではあったけれど、一丸となりパンデミックに打ち勝った人間はやる気に満ち、今度はどの国が主導権を握るか、追い着け、追い越せの脱炭素競争が始まった。


 地球規模の会議が幾度となく繰り返され、国家間、各国での法整備・法改正が進んだ。

 脱炭素社会の完全実現を命題とされた私たちの世代は、生まれた時から厳しい制約を受けている。子々孫々へ想いを馳せれば当然のことだった。社会共通資本を未来に残さねばならず、私たちの行動で未来は変わると正しく理解している。

 制約の一つに〝イベント〟があった。前時代から忌避されるようになっていたが、感染症拡大ではなく、また別の意味から。人の集まりには不要の移動や、照明・冷暖房・大量のゴミが伴い、脱炭素社会の理念と相反する。私たちの世代にとってそもそもイベントは仮想空間で行うものであった。

 しかし、ここ数年、脱炭素社会と逆行する流れが生まれつつあった。脱炭素社会前の社会を懐かしみ、復古を願う〝新懐古主義〟である。

 正直なところ、老人たちの妄言と思っていた──五年前、一部イベントの規制緩和の改正法案が成立するまでは。

 国政選挙前であり、投票率の落ちていた高齢者層の取り込みを狙ったのだろう。

 ちっぽけな島国で、いくつか行事が行われただけで地球の温度が急激に上昇するわけでもなく、人々のガス抜きにはちょうど良いぐらいだったかもしれない。

 けれど、私たちにとっては存在意義を根幹から揺らがされる大事だった。鬱となり、自殺寸前まで追い込まれた同志を知っている。

 あれから五年の月日が流れ、世界の潮流は依然として脱炭素社会であり、私たちも活動を続けている。

 高祖父の葬儀は完全なる脱炭素社会を目指す地球規模の潮流に立小便で抵抗するようなもの。つまりは身内としては恥ずかしく、迷惑きわまりなく、それなりにショックだった。

 クロエはそんな私を気遣って、同志の目があったものの、葬儀へ参列してくれたのだろう。

 私たちは手を繋いだまま、人気のない通路を往く。私はクロエを遺族席へと招待した。彼は無邪気にいいのと喜び、そのてらいのなさに逆にこっちが赤面してしまった。会場へとつながる外扉を開けると、あたたかくふわりとした風が頬を撫でる。

 夏の闇夜は柔らかく、今日は湿度が低いのか、軽い。その中で、私の手を引く彼の指先がほのかな金緑色を放っているように見えた。

 今はまだ幼なじみで学友で同志だが、互いに憎からず思っているのは明白で、あとは時間ときっかけの問題だろう。

 もしも、二人の子を誕生させるなら。

 その場合、どちらの形質をどう採り入れるかは、ディスカッションのテーマになるだろう。その子は〈スージン〉からさらに飛躍した未来の旗手となる。間違いなく。


 パンデミック後の我が国の脱炭素社会への取り組みは目覚ましかった。議定書の基準を大幅にクリア、高環境性自動車を開発、脱炭素都市モデルを構築、人工光合成の実用化を実現させた。

 そして、満を持して着手されたのが、地球規模で脱炭素社会をリードする人材の輩出──すなわち、〈スージン〉の誕生と育成だった。

 〈スージン〉とは生粋の地球人を名乗り、つまりは〈粋人〉、次世代型地球指導者モデルとして遺伝子を操作されて生まれた者を指す。人間本位ではない、地球全生命の牽引者。

 その多くは、新時代にふさわしく地球上の生物の遺伝子を組み込まれていた。


 友人の緑の色を帯びた肌は、艶やかな緑色を帯びて美しい。光合成するウミウシ、エリシア・クロロティカの遺伝子が組み込まれているためだ。ゆくゆくは栄養素を体内で生成できるよう。

 私に組み込まれたのは、ハダカデバネズミの遺伝子だった。彼らの寿命は約三十歳と一般的なネズミに比べて長く、老化とがんに耐性がある。また巣穴での低酸素状態にも耐えられ、一種の仮死状態──つまりは小冬眠に入って生命を保つ。

 他にも驚くべき特性があるが、その名のごとく全身毛が無く、出っ歯という、一般の美的感覚からすると、かなりユニークな外見が際立っていた。

 もちろん、私はその形質を採り入れていた。啓蒙活動として、象徴として、広告塔として。やはりレジ袋のようなものかもしれない。だが、私は己の使命に誇りをもっていた。他人に粋狂すいきょうの産物、すなわち〈粋人〉との陰口を叩かれても。

 だからこそ、高祖父に腹を立てた。一方、高祖父は愛する曾孫ひまごの子が私であることに腹を立てた。曾孫の選択であったとしても、曾孫、そして自身にかけらも似ていない異形の玄孫やしゃごを受け容れられなかったのだ。


 複雑な胸中のまま、遺族席に座る。クロエは黙り込んだ私を低酸素状態かと心配したが、屋外なので眠気はなかった。それでも彼のいたわりに感謝した。

 母の席はまだ空いている。心配になって携帯端末を確認するとメッセージが入っていた。


『ごめんなさい、トラブルが発生して間に合いそうにないの。葬儀は撮影してアップロードしておいて!』


 母は生物学者であり、自ら〈スージン〉を生み出したその道の第一人者である。参列できないのではと危ぶんでいたが、やはりだった。

 それにしても軽い文面で、葬儀を観る意志があるのは少し意外だった。


 外の照明が消され、葬儀開演直前となる。

 濃紺の帳の裾に人々のシルエットが浮かび上がり、屋外斎場の座席以外にも点在しているのが見て取れた。斎場は河川近くの開けた場所に建っており、周囲は野原で、その上にビニルシートを広げている人もいる。高祖父の葬儀になんと多くの人が集まったのか。

 〈スージン〉としては許しがたく、けれど身内としてはありがたく思うべきで、胸の内はまだらに染まる。

 かすかなささやきは聴こえてくるが、おしなべて静かだった。こんなにも大勢いるのに、厳かで、穏やかで、同時に期待に満ちている。家族連れ、寄り添う恋人、子供らと引率する大人、祈りに似て独り佇む人。

 時折、極端に背が高かったり、尖っていたりと独特な人影もあり、もしかしたら私たち以外の同志も参列してくれているのかもしれない。その皆が、葬儀の始まりを待っている。もしかしたら、母のように、この場にいない誰かも。

 なんとはなしに、人の有り様の理想を見た気がした。反脱炭素行為だというのに。


 ──なんだか、いいね。


 同じことを感じたのか、クロエがそっと耳打ちしてきた。思うんだけどさ、と彼は続けた。


 ──君の高祖父はあまり難しく考えてなかったんじゃないかな。


 と。一筋の光が中天へ向かってまっすぐ伸びる。

 それが葬儀の始まりの合図だった。

 その一線は光の茎が伸びていく様子にも、迷信じみて言えば人魂が天に昇るようにも見えた。先行したそれを追うように、何本もの光の茎が伸びゆく。

 次の瞬間、破裂音と共に、視認できる夜空いっぱいに花が咲いた。

 咲いては消え、咲いては消え、一際大きな金菊花がパぁっと開く。その花弁が一枚一枚が尾を曳いては散り、曳いては散り、最後にはすぅっと闇に溶け消えた。

 息つく暇もなく、次々と光の花が狂い咲く。

 ぱぱぱぱと連続する音と共に、色とりどりの小菊が夜空を埋め尽くして火花を散らすさまは、さながら一面の花畑。時にハートやら土星やらかわいらしい形が浮かび、打ち上げ音にも負けない子ども特有の澄んだ声が上がる。

 祖父の仕組んだ葬儀イベントに私は瞠目していた。

 葬儀というイベントにおける二酸化炭素排出が緩和され、花火を打ち上げるというのはわりとポピュラーな演出だった。花火という概念は知っていたし、映像を観たこともある。だけれど、こんなふうに体感するものだと初めて知った。火薬の匂い、空気の震え、夜空に投げ出されたような浮遊感、そして人の興奮と歓声と共感と。

 

 ──〝一花咲かせる〟って言葉があるだろう。最期に文字通り花を咲かせて、お別れしたかった。もしかしたら、靴下にプレゼントを入れる気分だったのかもしれないよ。


 花火に照らされ、いつもの緑ではなく、頬を紅潮させた幼なじみの表情は優しげだった。


 ──だとしたら、復讐のためっていう推理は、とんだ思い上がりだね。


 一言多い彼の肩をこつき、寄り掛かる。暑いけれど、悪くなかった。

 いつか私が葬儀を執り行ったなら──いや、私の、子どもの、子どもの、子どもの、子ども──玄孫よりもずっとその先。人間や〈スージン〉ばかりでなく、異なる生物が集うような葬儀が執り行えるだろうか。おとぎ話さながらの情景がふと浮かんだ。

 そんな日は来るはずない。人と人、人と〈スージン〉、血縁があってすらその交流は、拙く、迷い、ままならないというのに。あまりに大それた夢物語。でもなんだかそれは素敵に思えた。

 夜空に大輪が花開き、枝垂れ、幾筋の流星となり落ちてくる。斎場にいる、斎場からはみ出た誰にも降り注ぐ。手を伸ばせば触れられる、平等な慈雨のように。

 もちろん、錯覚だ。刹那の幻。だからこそ代わりを模索しなくてはならない。少なくとも、初めの一歩を踏み出さねば。


 そこかしこから人々がとある言葉を叫んでいるのに気付く。意味は知らない。本人たちも多分知らないだろう。検索すればわかるかもしれないけれど、それも野暮に思えた。発したくなる気持ちはなんとはなしに理解できる。

 傍らの人と微笑み合い、小さく声を重ねた。たまや、と。





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一花咲かせる 坂水 @sakamizu

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