だからこそ、壊される前に出会えてよかったです。きっとなんらかの力が働いたのでしょう。どうせ壊れるのだから描いた本人はただ絵を描いただけに過ぎないのでしょうそれでも誰かの心に深く刻み込まれしかも救ってみせたのだから絵には力があるのだ信じてみたくなった
絵描きの主人公が取り壊されるアパートの壁に絵を描いている夏のある日、アイスキャンディー売りの男性と出会い、物語は意外な方向に進んでいきます。夏の田舎の風景、取り壊されるアパート、アイスキャンディー、男性の過去、それら全てが失われたもの、あるいは失われつつあるものに思え、深いノスタルジーを感じました。終盤の鯨の絵と男性の過去の交錯は心に染みました。もう現実では出会えない、失われた日本の夏を感じさせてくるれる.......そんな作品です。
無くなった祖母が所有していた、取り壊し予定のアパートの壁に、自由に絵を描く「私」。夕方、通りかかるアイスキャンディー屋のおじさんから、思わぬことを聞いてしまう。気温は細かく描写した作品のため、物語作品に没頭したような臨場感が味わえます。一人称語りですが、感情的ではない文章のため、こちらが感じ取る余白も多いです。彼女が、その絵を描いたのは、偶然では何かがあったんじゃないか、そう思わせる、静かに染み入る作品でした。
手を伸ばせば掴めそう。でも掴めば四散する泡のよう。この作品からは、まさにそんな印象を受けました。決して洪水のようではなく、穏やかに入ってくる文章がその情景を頭の中で作り上げ、その場にいたわけでは無いのに懐かしいような、そしてまた何か強烈なインパクトがあるわけではないのに、しっかりと心の中に残るような、とても不思議な作品です。