第3話
「ぐっと良くなりましたね。でも、まだまだ改善の余地がありそうです。例えば……」
書き上がったものを編集さんに送ると、さらなるアドバイスを返されて、二度目の書き直しが始まった。
その原稿が半分くらいまで進んだ頃、原稿そのものとは別件で連絡が入る。
「弊社の法務部の方から、そろそろ正式な契約締結をお願いします、と言われました」
契約書の作成だ。
これもプロ作家ならではのステップであり、ますます気持ちが引き締まる。
「契約書は郵送しておきます。お金が絡む問題なので、よく読んでからハンコ押してくださいね」
「はい、もちろんです」
「たまにいるんですよ。あとになって『話が違う!』みたいに騒ぎ出す人……」
「大丈夫ですよ、私は」
冗談だとは思ったが、被せる勢いで即答しておく。とりあえず作家デビューできれば嬉しいという立場であり、印税額などの問題で揉めるつもりは全くなかった。
「では、ついでに、これも今のうちに決めておきましょう。最初はどれくらい刷りましょうか?」
編集さんの質問に、私は一瞬、言葉を失ってしまう。
そういうことは、出版社の方で決めるべきではないだろうか。それこそ、お金が絡む問題だ。細かいシステムはわからないが、たくさん刷るためにはその分だけ予算も多く必要だろう、という程度は推察できた。
「きぬやま様の方で決めてください。そちらのご予算に応じて」
「……え?」
今度は無言ではなく、間抜けな声を返してしまった。
「ええっと。私がお金を出すのですか。それでは自費出版ではないですか」
少しの間を置いてから、私は問いかける。自分でも意識しないうちに、いつもより厳しい声になっていた。
「もちろん自費出版ではありません」
相手の口調は、全く変わっていなかった。
「最初に申し上げましたよね。協力して出版しましょう、と。協力出版です」
私は知らなかったのだが……。
製作や流通に関わる費用を作家側が全額負担する自費出版と、お金を出すのは出版社側だけの商業出版。それら二つの間に、もう一つの形態があるらしい。
協力出版とか共同出版とか呼ばれるものであり、初期投資の「全額」ではなく「一部」を作家が負担するのだという。どんな本であれ作家と出版社が協力して共同で作り上げるはずだが、特に金銭面においてもそれが行われるために、このような名称になっているのだろう。
私の場合も、この協力出版だった。最初の頃に「弊社がお金を注ぎ込む価値がある」という言葉があったが、結局のところ、期待したほど売れなくても、出版社は大きな損をしないシステムだったのだ。
契約書の記載によれば、最低でも百万円、希望する印刷部数や流通経路次第では三百万円ほど払わねばならない、という話だった。しがないサラリーマンの私が、ポンと出せる金額ではない。手間も暇もかけて、ここまで改稿作業を進めた以上、まさに断腸の思いだが……。
今回の話は、丁重にお断りさせてもらった。
こうして、小説家きぬやまサトの誕生は幻に終わった。
これ以降、ブログや小説投稿サイトで「私の小説が書籍化!」みたいな報告を見ても、嫉妬の炎で胸を焦がすことなく、まずは冷静に出版社をチェックするようになった。
協力出版や自費出版を扱っているところならば「これもそうに違いない」と冷めた目で見るようになったのだ。
今でも私は作家デビューを夢見ているが、夢は夢に過ぎないと思っている。実現する可能性が乏しい話だからこそ、漠然と「夢見ている」と言えるのだ。
現実を知ることができたのは、良い経験だったと思う。
(「小説家きぬやまサトの誕生」完)
小説家きぬやまサトの誕生 烏川 ハル @haru_karasugawa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
カクヨムを使い始めて思うこと ――六年目の手習い――/烏川 ハル
★212 エッセイ・ノンフィクション 連載中 300話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます