2:明日に足を伸ばし、更なる行く末に視線を据えて
口うるさい実兄を押しのけたアーイントは、
「なによ! あんな往来でお説教しなくたってっていいじゃない!」
憤慨から足を早め、街から外れた平野部の入り口に座り込んでいた。
探索者たちが日課のために姿をあらわすまで、まだいくばくかある時刻。
風と、風に揺れる木々と、野獣らのいななきだけが響く、静かが満ちる狭間だ。
「私だって、家宝の鎧を台無しにしていいか、すごい悩んだのよ!」
己の宝物であると同時に、ゴルドライン家に遺された唯一の誇りでもあるのだ。
けれど兄は、その逡巡を無駄だと叱責してくる。
言いたいことはわかる。
けれど、自分にも言いたいことはある。
それを頭ごなしに叱りつけられるとは。しかも、顔見知りばかりが行き来する道の真ん中でだ。
せっかく大手柄を上げて揚々と戻ってきたというのに、こんな仕打ちなんて。
唇が、自然と尖ってしまっても仕方がない。
「褒めて欲しいわけじゃないけどさ……」
魔王の力で、黒く禍々しく塗り替えられた家宝の鎧を見下ろし、ため息を。
そんな意気の下がった耳に、地面を蹴り近づく足音と、
「おう、こんなとこにいたかよう」
相棒の息切らした声が届いた。
※
「私を領主に?」
魔王の誘惑は、予想の埒外からのものだった。
「おうさあ。例のポコポコがアイちゃんに懐いているからよう、管理を頼みたいんだとさ」
「え、いや、だって、私は人間よ? それこそ、領内の魔族に任せた方が……」
「言ったろう? 魔族ってのは数が少ないよう。割り振る人手は足りないし、領内管理なんざ特殊な技術、持っている奴の方が少ないさあ」
確かに、昨日にルナと合流できた開拓村は、おおよそ村と呼べるものではなかった。
「人手が足らんってことは、開拓が進んでいないってことだよう。魔王領は、森の拡大に圧されつつあるのさあ」
「……じゃあ、ポコポコだけじゃなく、開拓を進めるのも役割ってこと?」
「切り開いた分だけ自分の領土だよう」
美味しい話だ。
けれど、難点がある。
「けどさ、人手がないんでしょ? 領主なんて言って、蓋を開けたら私一人だけとか嫌よ」
「へっへっへ。その辺は、ギルドが踏まえてあるさあ」
「ギルド?」
「おうよ。いま、ペイルアンサで一番需要が高いのはなんだよう?」
「……なぞなぞ?」
「なんでだよ。アイちゃんだって欲しがっているだろうに」
自分も?
はて、と首を傾げると、ユーイがため息。
「家だよ。人が住む場所さあ」
「あ」
「まったく。人の部屋を我が物顔で……」
「ご、ごめん……けど、それが?」
「家を建てるには建材が必要だろう?」
「わかった! 得た木を、ペイルアンサに売るわけね?」
「その鎧とポコポコで、輸送にも問題はないさあ」
とにかく生存圏を広げたい魔王領側で伐採を進め、ペイルアンサと交易を広げる。ひいては魔王領の現金収入になるのだ。
しかし、とアイは眉を寄せる。
「けど、それがどう領民の確保の話になるわけ?」
「ギルドはよう、とにかく建材を確保したいんだ。知っているだろ?」
「ええ、まあ……調査の仕事もあったしね」
「だから、探索者の中から希望者を移住させる算段なのさあ」
もとより、土地や遺産を得られず、食い詰めた三男四男が主な構成員である。
畑を得られ、安定した生活を提示されたなら、そちらを採りえる者は結構な割合で存在しているはずなのだ。
「なにより、ペイルアンサを圧迫している頭数を、いくらかでも圧縮できるかもって目論見よう」
「現状を改善する手で、将来の利益を創るわけね……ギルド長が?」
「計画としては、前から領主さまと協議していたらしいよう。俺が向こうで狩りを教えていたのをヒントに、開拓の指導と人員の派遣を、てな」
「そこに、ルナが私を指名したから、ってことね」
事態はおおむね把握できた。
あちらと、こちらと、そちら。
三方の利害が一致した、妙手と思う。懸念は、教会がどこまで強硬な姿勢に出るかだけれども、首脳たちが思い至らぬわけないリスクだ。とうに検討済みだろう。
「まあ、今すぐじゃないよう。人員や土地の選定が終わるころには秋になるだろうから、次の冬を越えてからさあ」
突然に広げられた未来図。
それはアイの。
アーイントの。
家宝を預けられた、ゴルドライン家末子の、
「じゃあ、家を再興できる、ってこと?」
胸を熱く、高く、大きく高鳴らせるに、十分な絵図面だった。
※
けれど、怯みもする。
家族が集まれるのなら、それは嬉しいことだ。
けれど、先日に再開した誰も彼も、今に応じて幸せを享受していたのだ。
それを、自分が求めるままに取り上げるなんて、許されることだろうか。許してくれるだろうか。
なにより。
「鎧、こんなことになっちゃって怒らないかな……」
家宝が。
祖父が身一つで勝ち得たゴルドライン家の誇りが。
賜ったキセキを塗りつぶし、魔王の力を宿しただなんて。それも、ちょっと『あんな感じ』の魔王に。
次兄は、背を押してくれた。
戻ってきたら説教をぶつけてきたけれど、可か不可かで言うなら許可であろう。
けれど、長兄は、母は、姉は?
成し得たと胸を張って報せたい気持ちも大きい。
けれど、その報せが凶報になりえないものか。
「なんだよう。アイちゃん、ビビってるのかよう」
「そりゃあ……まあ……」
「まったく……それぐらいしおらしく部屋を貸してくれって言やあ、俺だってよう」
「な、なによ! だって……なにそれ、オジサン?」
からかわれ、眉を立てて振り返ると、何物かを眼前に突き付けられた。
それは、飾り気のない簡素な便箋で、
「手紙?」
「おうよう。兄ちゃんから預かってきたよう」
「兄さんから?」
受け取り、宛名を確かめると母と長兄の連名が記されている。
予感が背を温めた。
「こないだの食事会のお礼だとさあ」
背の熱が、首を伝って頬に広がる。
「苦労したらしいぜ? アイちゃん、いま住所不定だからよう、役所から泣きつかれて、兄ちゃんが預かっていたらしいよう」
だから、頬が赤らむ。
「あと、伝言。家族、全員が同じ気持ちだってさあ」
遠くても、別れても、家族は繋がっているのだ。
それに、分かってくれているのだ。
「アーイントが成したいように成すよう。それがどこに至ろうと、人様に胸を張れることならゴルドラインの誇りだ、ってよう」
「なによ兄さん……そんなの、オジサンに言伝しなくても……」
「アイちゃんよう……ついさっき、自分が何をしたのか思い出せよう……」
「……あ」
突き飛ばしたのを思い出し、そういえば良い勢いで飛んでいったな、なんて冷汗が滲み出てきた。
そんなこちらの『やべぇ……』の顔を横目に、先達は高く笑う。
だから、つられて小さく笑って、広がる森を見上げやた。
彼方には巨影が、輪を書いて飛んでいる。
「あ、ポコポコだ」
「へっへっへ。アイちゃんを見つけたのかもよう」
「ほんと? だったら、ほんと可愛い子ね……あれ、近付いてない?」
「……だなあ」
「やばくない?」
「おう。後ろ見ろよう。白カードが出勤してきているよう」
「だめじゃん!」
安全とされる平野部にドラゴンが舞い降りたなら、白カードたちの阿鼻叫喚は間違いなし。
焦るアイにユーイは、軽く笑う。
「それじゃあ、もう一仕事だなあ」
「オジサン?」
「ポコポコを森の奥、魔王領まで連れていくよう」
「え? けど、ギルドの許可が……ああ!」
立ち上がったユーイの胸に躍るカードの色を確かめ、合点する。
「今日だけは、俺がエスコートしてやるさあ」
「さすが!」
懸念は晴れ、少女も足軽く立ち上がる。
二人は肩を並べれば、
「お手柄ね! 私が領主になったら、オジサンを騎士にしてあげるわ」
「おうおう。平民にはこの上ない出世だよう」
「あと、レヴィルも教会長で招こうかしら」
「へっへっへ。ダンにも、食うに困ったら頼るように言っとくよう」
笑いあって、明日に筆を走らせる。
幾重に塗られるどの色も、ひどく明るく楽し気であるから。
少女の足取りは、浮かれるように軽い。
進みゆくこれからを、まっすぐに輝く瞳で見据えて。
了
指に弦を 背に糧を 歩む足にはこれまでを ごろん @go_long
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