光が照らす約束は

美山幻夢

第一部 栄光の才と災

【プロローグ ミレーユ二十五歳】

【プロローグ ミレーユ二十五歳】


 風は北風から西風に変わってきている。乾いた空気から、どことなく湿り気を帯びた匂いが混じっている。木々や草花が目を覚まして、おはよう! と、話し掛けてきてくれているように感じてしまう。もうまもなく春が訪れようとしているのね。

 私はこの季節の変わり目が好きだ。特に冬から春に変わるこの時期が一番好き。別に冬が嫌いという訳ではない。冬は冬で好きな所はたくさんある。ただ寒さを耐えて、この時期の暖かい日差しに包まれた時に、「今までよく頑張ったね」と励ましてくれているような気がして、元気が出る。そう思えるから好きなんだ。

 あの日から何年が経ったのかな。それまで、毎週のように日曜日は決まってここを訪れる事が日課になっている。本当は毎日来たいのだけれど、そうそう自由に動ける立場に無いから仕方ない。

 ここはバネンシア王国領内の端っこにある小高い丘で、周りには豊かな自然が目一杯に広がっている。標高はさほども高くはなく、そんな遠くを見渡せない程度なので、ハイキングやピクニックには丁度良い。緩やかな勾配を少し登るだけで直ぐに頂上まで到達出来てしまう。その頂上は結構な面積で平らに整備されていて、村1つ位は収まりそうな広さだ。その中心にはこの丘の唯一の建築物がある。大きくはないけど2階建の立派な聖堂で、この丘の“主”は自分である。と言わんばかりの存在感を醸し出している。

 小さな頃からこの丘が好きで、ちょくちょく遊びに来ては、土だらけになりながら楽しそうに良く笑う遊び仲間が増えていったのよね。

 彼と初めて出会ったのも、この場所。私が一人ぼっちで居ると勘違いしたのかな? お花で編んだ冠を作ってくれたのよね。おの時は本当に嬉しかったな。

 それからも、この丘で会うようになって、自然と仲良くなっていったな。色んな遊びを教えてもらったっけ。私も初めての事だらけで、すごく楽しかったのを今も覚えてる。私の大切な大切な思い出。

 私だけじゃなく、王国の殆どの人々が、この丘をとても大切に思っている。

 年に一度の収穫祭をこの丘で秋に開催するのだけれど、その時は色んなお店が出て、王国中がお祭り状態で晴れやかに賑わう。子供からお年寄りまで皆が皆、笑顔に包まれる一日。

 その収穫祭も、戦時中は自粛されていたけれど、5年前の戦争終結以降は再び開催されるようになり、人々に笑顔が戻ったのよね。

 とても良い事だと思う。戦争は残酷よ……。大切な人を奪われない世界でいてほしい。もう二度と起きてほしくない。奪ってほしくない。


 午後も三時近くになると、子供達の楽しそうな声があちらこちらから聞こえてくる。昔の私達のように無邪気な笑い声は、暗い感情を浄化してくれるようで心地良い。

 聖堂の前まで来ると、人の気配がしなくなってくる。特に怪しいとか、危険な建物という訳じゃない。ただ単に“何も無い”のだ。名物となるような物は無いし、遊び道具が中にある訳でもない。宗教的な意味合いで使われる事も無いし、人が住める機能もあまり無い。この聖堂の中に用事がある人間は、掃除に現れる人を除けば、私を含めてごく少数でしょうね。

 どれくらい前に建てられたものかはわからないけど、かなり古い建物というのは分かる。

 中は解放されていて、自由に出入り可能だ。一応は王国の管理下にあるのだが、人々もこの聖堂を愛してくれているのだろう。自ら手入れや清掃に訪れてくれていて、そのおかげでいつも綺麗に清潔に保たれている。

 正面入口から入ってみると、真ん中に通路が奥に伸びており、左右に幾つかの小部屋が並んでいる。通路の奥にはまた扉があり、私が用があるのはその扉の奥。その扉の前に来るまでに左右の小部屋の数は七つ。左に三つ。右に四つ。左の部屋は右の部屋より大きいのでしょう。

小部屋の中は、ガランとしてる所もあれば、テーブルとイスがセットされている部屋もある。 右の小部屋の一つは、誰かが勝手にキッチンに改修しており、ある程度の調理は出来る様になっている。

 2階建の建物だけど、2階があるのは小部屋の上だけ。それも各小部屋ごとにしか階段は設置されていない。通路からは2階に上がる術は無いのだ。その2階はベッドがある部屋もある。これも勝手に置かれた物だ。それも手入れが行き届いている。人々はどこまでこの聖堂を愛してくれてるのだろうか。……私もだけど。

 通路は吹き抜けで、天井は高い。窓はなく、薄暗いが、奥の扉を開けると今日の目的地に到着だ。扉の奥には馬車が三台程は並ぶ広さの部屋があり、2階部分は無く天井は高く吹き抜けになっている。御神体や十字架といった“拝む”対象は居ない。お供えものを並べる台なども無い。ただただ中央に、膝くらいまでの高さに一段上がった台座が、人が三人位は乗れる広さでそこにあるだけだ。

 私はこの場所を“お祈り場”と呼んでいる。人々がどう呼んでいるかは知らないけれど、名称にあまり意味は無い。意味を成すのは、名称ではなく、これに伝わる“伝説”の方だ。

 その“伝説”は王家に代々伝わる……と言った大袈裟なものではなく、巷の若い女子受けのありきたりの内容なのだが、伝説通りにならなかった例は一度も確認されてないらしい。

 私もその伝説を信じる者の一人。信じる事をやめたら、全てを諦める事になる。諦められない。諦め切れない。信じていたい。信じるしかないの……。

 その台座には天井に埋められたステンドグラスから差し込む陽光が降り注ぎ、色とりどりの光が台座にいる人を暖かく包むのだ。特に聖地だと言う訳ではなく、人工的に演出された背景でしかないのだけれど、不思議に何かしらの“力”があるように感じてしまう。

 人は弱い生き物だ。何かにすがり、何かに支えられて初めて、自己というものを創生していく。もちろん、それらが無くても強い人は居る。国王であるお父様がそういう人だ。羨ましいな。私もそんな強い人になりたかった。

 そうした人々の“想い”があの“伝説”を創りあげたのだろうか。支えられる“何か”をここに求めて足を運ぶのだろうか。今の私が正にそうだ。“伝説”にすがり……“伝説”を祈り……“伝説”の通りになる事を願って、この場で祈り続ける。

 ただひたすら、あの人の無事を……。


 あの日、あの人とこの場所で“伝説”の通りに交わした契り。それは2人だけの秘密。それを果たすために……あの人を感じるこの場所で、あの人の無事を祈るために、私はここを訪れている。日曜日のこの時間しか、ここを訪れる機会が無いのだけれど、それでも充分だ。ここで祈る事しか私には出来ない。でもそれも残りわずかの時間しか許されていないのを知ったのは、つい最近の事だ。

 私ももう二十五歳。ここまで自由にさせてきてくれただけ、ありがたい事なのかも知れない。

 王家の生まれというのは、何不自由なく日々の生活が約束されていると思う。人々の想いに応え、人々の安寧を提供し続けていれば、その恵まれた生活はある意味幸せでしょう。

 己の感情を押し殺すという犠牲の元でね。

私の思想が自由すぎるのかな?王家の人間としては少し不適格なのかもしれない。

 昔の私ならこの王家の不自由を全く不自由と思わなかったでしょう。あの戦乱を生き延びてから変わったのかもしれない。

 いえ。やはり、あの人の存在が一番大きく影響しているのでしょう。私の価値観を大きく変えたのは、あの人と出会えたから。


 台座に上り、片膝を付いて胸の前で手を握る。色とりどりの光に照らされて私は祈る。

 もうあの人が生きているという確証はどこにもない。でも逆に生きていないという確証の方が遥かに無い。だから私はここで待てた。約束を果たさんとする為に。“伝説”を信じて。またあの人に会いたいがために。もう幾度となく諦めた方が楽になるかも知れないと思ったことだろう?

 それぐらいで諦められる程度の想いだったならば、どんなに良かっただろう?

 何もかも投げ出して自分から探しに旅に出たいと何度思ったことだろう?

 でも、あの人は約束を破った事が無い。どんなに些細な事でも、言ったことは必ず実行してきてくれた。あの人の最後の言葉は「またここで会おう」だったはず。

 その約束を、他の誰でもない私が信じないでどうするの? もう何度となく自問自答による葛藤を抱えてきたことだろう。その結論は変わる事なく今日を迎えている。それも間もなく終わりを迎える時が来ただけ。そう、それだけ。

 父である現国王は引退する。時期国王として、戴冠する継承権は私にしか無い。女王として即位するのと同時に婚礼を行い、夫となる人と新しい人生が始まるのだ。

 夫となる人は、先の戦乱で王国を勝利に導いた英雄と、人々に称えられている。実際その通りだし、彼が居なければ、まだ戦争は終結していなかったかもしれない。女王となる私に相応しい人物であるのは疑いようがない。王国の未来は安泰だ。人々はそう考えているでしょう。 

 けれども……王国の未来を……人々の未来を想うよりも、自分の感情を優先してきている私は国を背負う資格など無い。

 こんな私に、人々の想いを受け入れる度量など今は無い。そう……今はね。

 

 うん。もうやめよう。暗い事ばかり考えてもしょうがない。私は生きていかなければならないの。でなければ……死んでいった人々、そして私を今でも支えてくれる皆の為にも、生きていかなければならないの。前を見て歩いていくの。あの人にも顔向け出来ないし、まして夫となる彼を侮辱する事になる。彼は私を愛してくれている。幸せな事じゃないの?愛してくれている夫に、慕ってくれる人々。私にはこれ以上の幸せは無いでしょう。そう……幸せなの。

(グゥーっ)

 え! このタイミングでお腹が鳴るの?

私ってばどれだけ食い意地が張ってるのかしら? おっかしいの! あ、ダメ。笑いが止まらない! そう言えばいつも大事な時に限ってお腹の虫が鳴るのよね。あの時とか。あっ、あの時もそうね。ん? あの時も確か……。

 やだ。今になって恥ずかしい——。

「王女さまー!ミレーユ王女さまー!」

息を切らしながらお祈り場に駆け足でやってきたのは、私が生まれる前から王家に仕える私の“爺や“だ。正式な役職名はあるのだけれど、覚えてない。名前も長いので、いちいち呼んでられない。物心ついた頃からずっと“爺や“と呼んでたから。爺やでいいよね?

 髪の毛は全部が全部、真っ白だ。細い目は開けてるのかどうかが見分けがつかないほどで、シワシワの顔は笑うと更にシワシワになる。私よりも背が低い事を気にしているようで、底上げした靴をいつも履いている。そこが可愛いのよね。

「どうしたの? 爺や。そんな大声で呼ばなくても聞こえるわよ?」

「何を言われますか。婚礼も近いのに、まだこのような所にお出でと聞いては、居ても立っても居られないですぞ! 最悪、王女が婚礼を蹴って逃げ出すんじゃないかと思いましたわ!」

「あら? そんな風に思われてたの? 哀しい。とても哀しいわ。爺やは私を全然、信用してないのね?」

 顔を下に向けて、わざと語尾を小さく喋ってみる。これで大体の人は誤魔化せるはずだ。

「王女。ワシにはその演技は通用しませんぞ?」

 ダメか。この爺やにだけは通じないのよね。やっぱり爺やは私の事をよく理解している。実際、あの人に会えれば私は婚礼を蹴って国を投げ出して遠くに旅に出ていてもおかしくない覚悟を決めている。

 おそらくそこまで見抜いてるのね? それを何としても引き留めに来たのね?

 あの時も爺やだけは、あの人の事を反対していた。けれども反感はしていない。私の心情を察してくれて、一応は受け入れてくれていた。

 でも国の事を考えると反対は当然だと思う。その時の私は国の事は全く考えていなかったけれど、爺やはいつも自分の事よりも、この国と私の未来を真剣に考えてくれている。

ありがとう。大好きよ爺や。でも……でもね?

「わかったわ。私の負けよ。戻りましょ?」

「ありがとうございます。王女。少しお待ちくださいませ。馬車を連れて参りますので」

 そう言うやいなや、さっそうと扉の向こうへ走り去って行く。元気ねー! 今年いくつになるのかしら? 少しは自分の身体も労ってほしいものだわ。まだまだ頼りにしていきたいんだからね?

 立ち上がり、爺やの後を追って扉まで来た時に、ふと、お祈り場を振り返ると、そこには変わらずにステンドグラスを通した陽光が優しく降り注いでいた。

 今日も会えなかった。この繰り返しの日々も今年で終わり。来年からは、ここには来ないでしょうね。今年で終わり。婚礼まで残り十日間。あと1回は、ここに来れるかな? そして来週も同じ結果を迎える。そしてその時こそ、はっきりと言うの。あの人に向かって。

 ……さよなら……と。

 だからお願い。せめて残りの十日間は、まだ夢を追わせてほしい。それが私の【祈り】

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