【第一章 反撃の旗印】

【第一章 反撃の旗印】


 嫌な世の中になったもんだねぇ。いつから世界はこんなにギスギスギスギスとするようになったのだ? 王都の中心だというのに、行き交う人々の顔には笑顔が少なく、何処となく遠慮がちだ。子供達の無邪気な声は何処に消えたのだ? ほとんど消えている。代わりに兵士の歩く姿が増えている。しかもバネンシア王国領だと言うのに、その姿はガーランド帝国兵ときている。奴らが偉そうに歩いてるのを見るだけで胸糞悪くなる。

 王国は実際には戦っていないが、形式上は敗戦国なので仕方ないとは言え、やはり良い気分になれない。本当にあれで良かったのか? 戦う前から負けを認めちまってよ。戦ってみないと結果なんて分かりゃしないだろうに。ま、後になって俺がどうこう言ったって現状が変わる訳でもなし。この現状を変えるために俺達みたいな者がいるんだ。まあ今の内に虚勢を張ればいいさ、帝国兵さんよ。必ず俺達がみんな駆逐してやる。必ずな——。

 街の中心部に向けて足を進めていると、出店が多く連なる市場に出くわす。ここだけは戦前と変わらない活気が溢れていた。物が売れれば、王国民だろうが帝国兵だろうが、どっちでも構わないという商売人特有の気質が成せる活気だ。その気質を毛嫌いする奴も居るが、俺は好感を持っている。なんとも逞しい精神じゃないか。“勝つんだ!”という執念がそうさせるのではないだろうか? 売れれば勝ち。売れなければ負け。はっきりしていて俺の性に合っている。

 もっとも俺は商人じゃなくて兵士だがな。

お前達商売人の根性を見習って俺も勝ちに行くから、その時は支援してくれよな?

 しっかし、シレンの奴め。何だってこんな市場に俺達を集めるんだ? 騒々しくて作戦会議どころではないだろう。まあいっか。細かい事を考えるのは面倒くせぇ。シレンが何も考え無しに指示するとは思えねぇ。俺は帝国兵を相手に暴れるだけさ。

 市場もやや奥まで来ると鍛冶屋がある。やっと目的地に到着だ。そこの店主とは昔馴染みで、今回の集合会議の幹事と聞いている。

 控えめな看板には“準備中”の札が掛けられている。ドアは開けっ放しにされているのか? 無用心だなぁ。っても泥棒の心配は無いだろう。儲かっているとはとても思えないようなボロ屋敷だからな。よく潰れないものだ。

 カウンターにも誰も居ない。ったく、仕事する気あるのか?あのじじいは。

「おーい。バラック! 頼んでおいた鎖は出来上がったか? 受領しに来たぜー!」

 鎖の受領は今回の集合会議の参加者だけが知っている合言葉だ。これもシレンの指示らしい。鎖と言うものは、小さな輪っかがたくさん繋がって初めてその体裁を成す。一人一人じゃ何の役にも立てないが、全員が手を取り合えば強固な絆に変わる。確かシレンはそう言っていたな。俺が参加するきっかけになったのは、この一言だ。あいつ俺より二十も年下の十八歳だぞ? 確かミレーユ王女と同い年だっけか? あいつといい、王女といい、何だって化け物ばかり飼ってるんだ?この国は。だが一つ言える事がある。あいつらに任せとけば、この国の未来は安泰だ。ミレーユ王女が王国に戻ってきたら……の条件次第だがな。

「誰じゃー? あー。バランか。ワシにそんな偉そうにするのは、お前さんくらいじゃ」

 カウンターの奥に続く出入口のようなもの(昔はドアがあったらしい。それらしき跡が残っている)から出てきたのは、熊……みたいな巨漢の老人だ。白髪がいい感じに頭の一部だけを染めており、口髭など無い端正な顔立ちは、左目から顎まで長く大きなキズ跡をつけているが、それでも若い頃はさぞ女にモテていたんだろうな、と容易に想像出来る程の容姿だ。元王国騎士団の名に恥じない身体は、本物の熊を素手で倒せる程に鍛え上げられている。実際バラックは素手で熊を倒した事があるらしい。顔のキズもその時に負ったものだ。こいつもある意味で化け物だ。

「よー! バラック! あいも変わらず繁盛してそうにねえな。あんた、食ってけてるのか?」

「ふん。減らず口は変わらんな。ワシは大物取引しかせんと前から言っとるだろう? お前さん達の分の調達だけで十分じゃ。ほれ? 後はお前だけだ。皆んな来ておるぞ」

 クイッと顎で奥を指すその表情は緊張しているのか? いつもの、のらりくらりとした態度とは違って“凄み”がある。これはいつもの集合じゃないな。いよいよ動くか? そう思いつつバラックの横を抜けて奥へ進んで行く。ニ、三メートルほど薄暗い通路が続き、ドアが現れる。そのドアの向こうが今回の会議の場所。ここに来るのはニ回目だ。中は客間で奥に暖炉があり、ソファーが七つ円形に向き合うように並んでいる。その内の五つは既に座られており、本当に俺が最後だったらしい。残りの二つは俺とバラックだ。

「よう! 久しいなバラン! ちゃっちゃと座ってちゃっちゃと始めようぜ!」

 話しかけて来たのはこの中で俺が最も苦手とする奴だ。とにかく下品なんだ。俺も人の事は言えた方じゃないが、そんな俺が可愛く見える程の下品な奴だ。頭も髭も皮膚は何処だ? と探すほどにモジャモジャで、体も大きい。正真正銘の熊だ。今は着てないが、冬には熊の毛皮を着ると言うので、バラックが倒した熊はお前か? と問いたくなる。何でこんな奴がメンバーなのか未だに理解不能だ。シレンの見る目もこいつだけは間違ってるとしか思えない。

「ランドルフ。お前今日は風呂に入ってきたか? 失礼のないようにしろよ?」

「ガハハハっ!お前に言われちゃお終いだ」

それをお前に言われちゃ俺がお終いだ!という言葉を何とか飲み込んで、バラックと共にソファーに掛ける。時間をムダにしてしまうからな。

「さて、皆さん。各々の準備がある中で、お集まりいただきありがとうございます。早速ですが、全員での集合は今回が最後になると思います。……お解りですよね?」

 最後だけ一呼吸置いて皆を見やってから話すシレンの口調は重く、だが静かに諭すようだ。

 こいつ本当に十八歳か?俺が十八の頃はまだまだガキでどうしようもないような奴だったけどな。どんな環境で育てばこうなるんだ? 何事にも沈着冷静というか、落ち着き払っていて、動揺とか、困惑とか、そういう感情が欠如してるとしか思えねえ。まあ、そんな奴だから安心してリーダーを任せていられるんだが……。

 一番の特徴と言えば肩ぐらいまで伸ばしているその銀髪だ。産まれながらの色素がどうのこうのと説明されたが、良く分からん。黒、赤、茶、金と人間の髪の毛は色々あるが、銀は珍しい。日に当たるとキラキラして眩しいくらいだ。切れば良いのに、鬱陶しくないのか以前聞いたことがあったが、切れない理由があるらしいが、教えてくれなかった。

 もう一つ特徴的なインパクトを醸し出してるのは、その蒼い目だ。こいつ程綺麗な蒼い目をした奴を俺は知らない。これも色素がうんたらかんたら……頭が痛くなる。あの目で口説かれりゃ落ちない女は居ないだろうに、女っ気が全然ねぇ。もったいねえよなぁ。俺があいつなら毎晩のように……。

「バラン? 聴いてますか?」

「あ?あぁ。すまねぇ。続けてくれ」

 こいつが頭を張れる一番の理由がこれだ。恐ろしく視野が広い。そして動体視力がずば抜けて高い。その視界に入っている動くものは全て探知するってんだから驚きだ。さっきも俺が視線をわずかに他所に向けた次の瞬間に話しかけて来やがった。聞く所によると飛んでくる矢の軌道すら視えるというから、とんだ化け物だ。

「では改めて。王国が帝国に屈し、ミレーユ王女が帝国に囚われてからニ年。帝国に反旗を翻す為に組織した我々の準備期間は、順調に計画通りに進んでおり、もうじき完遂します。そこで一足早いですが、計画の第二段階の王国を出て帝国領に入る者は、明朝に出立しようと思いまして、皆様にお集まりいただきました。」

 そうか、やはりな。いよいよ動き出すか。

訓練と諜報と補給の日々を思い出すと、ニ年なんて、あっという間だったな。俺の方の準備に抜かりは無い。

 計画というのも内容は至ってシンプルだ。ただしタイミングがシビアで、各々の役割に対しての遅れは、他の者への影響が大きく、計画自体が瓦解するかもしれない。失敗は許されない。二重三重のもしもの保険も用意しなければならない。ゆえに準備は念には念を入れてニ年もの月日を消費してしまっている。

「かねてからの申し合わせ通り、帝国に行く者として、ボクとフィル。そしてバランの部隊でお願いします。王国に残る部隊と、他国に行く部隊も各々のタイミングで行動をお願いします。特にバランの部隊の者は、今夜は家族と共に過ごしていただいて下さい」

「分かった。でも明日になって、行きたくないって言い出す奴らが出て来るかもよ?」

「それならそれで構いません。強い志がないと生きて帰って来れない。ボクが家族と過ごして欲しいのは、帰る場所があるんだと再認識してほしいからです。死にに行くんではないんです。生きて帰って来るのです。皆も心して聞いて下さい。“真に強い人間は死を恐れない者ではなく、死を乗り越えて生き残る者”だと言う事を。各々の部隊全員に周知徹底をお願いします」

 確かに。俺みたいな孤独な人間ばかりじゃない。あの計画に沿うと俺たち帝国行きは死人が出ない方が奇跡に近い。生半可な覚悟では生き残れない程の過酷さが待っている。ま、俺の部隊だ。“死”なんて恐れていない。臆病風に吹かれたり、危険を前に尻凄みするような奴は一人もいない。だからこそ言ってるんだろう。

 実際に俺はこの作戦で帝国を倒せるんであれば、命なんて惜しくない。くれてやる。一人でも多くの帝国兵を道連れにな。そう決意して組織入りしたんだが……シレンが死なせてくれないときた。あいつに子供が出来たら抱っこしてやる約束をしちまったからなぁ。どんな些細なことでも、男と男の約束は必ず守る俺の性格を知った上での約束だ。やられたぜ。

「では皆さん。今日はこれで。バランの部隊は明朝にここで落ち合いましょう」

「おいおい! ここで? 全員合わせて二十人は居るぞ? ゾロゾロと居合わせたら怪しまれねぇか?」

「大丈夫です。木を隠すなら森の中。人を隠すなら人の中です。様々な人種が集まる市場ならボクらが大荷物を持って移動していても、たくさん買い物したなぁ……位にしか思われませんよ」

 なるほどな。よく考えてある。恐らくはフィルの入れ知恵だな。シレンの隣には如何にも頭が切れそうな軍師が座っている。

 歳の頃は二十七、八歳か? 切長の目はどこまでも見透かしているように思える。あらゆる戦術を理解し、訓練でもどんなに不利な状況からでも最大の戦果を挙げる天才だ、チェスでも、誰が相手だろうと負けた事は一度しか無いらしい。その一度の負けた相手はミレーユ王女だという。

 まったく……そんな化け物が敵に居なくて良かったぜ。その化け物を救出する所から計画は始まる。化け物なんだから自力で帰って来れないのか? と、度々思う。

「オーケー! じゃあ俺は部下たちに通達してくるから先に出るぜ?また明日な!」

 隙を見て俺に何か言いたそうなランドルフを横目にさっさと鍛冶屋を後にする。王国に残るお前と違って俺にはお前に構ってる暇は無いんでな。

 さあて、忙しくなるぞ——。


         ♦️


 夜になると市場の雰囲気も昼の活発さとはまた違った活気に包まれる。酒、酒、酒。そこら中に酒の匂いがする。別にそれが悪いわけじゃない。逆に素晴らしい事だと思う。日々のご褒美に。疲れを癒しに。一人で浸りたい時に。酒はあらゆる人の要望に応えてくれる。そんなボクも酒に浸りに来てる人間だからね。

 明朝にはフィルやバランたちと共に出立だ。

王国に想いを馳せ、過去の思い出にふけり、未来を信じて酒に浸る。その最後の夜だ。明日からは戦場。憂いを今夜で全て吐き出す。少しでも迷いや葛藤があれば死ぬ。ボクは死ぬ訳にはいかない。ミレーユ王女と約束したのだから。

 市場の鍛冶屋とは反対方向に酒場が何軒も連なっている。その角の店の一番奥のカウンターがボクの指定席だ。いつもそこで飲んでいる。

 そこそこ繁盛している店なのに、不思議とそこの席に先客が居た事が無い。何故かいつも空いている。(だいぶ後になって知った事だけど、店主と常連客の計らいでシレン専用席にされていたのだけど、当時のボクは知る由もなかった)

 カウンターに着席したら、店主にいつもの葡萄酒を頼む。ここまではいつもの通り。この先に頭に浮かぶ事が毎回違う。これから先、自分がどう行動するべきか……頭の中を整理するのに、ここは最適な場所だった。

 本当なら明日以降の作戦の経過を思い浮かべて、誰も死なせずに完遂させるシミュレーションをするべきなんだろう。ところが、頭に浮かぶのはミレーユ王女との回想ばかり。

 少し悩んだけど、頭の中をシミュレーションに充てるのは諦めてミレーユ王女に絞り込む。こんな状態でシミュレーションしたって良い結果なんて残せる訳ない。だったら想いに任せて酒に浸る方が、酒も美味いに決まってる。

 ミレーユ王女に初めて会ったのは、聖堂のある“あの丘”だった。当時は十歳位だったかな?可愛い女の子が一人で何してるんだろう? て、何も考えずに遊びに誘い、お花の冠をプレゼントしたのがきっかけで仲良くなった。翌日に王女だったと知った時は驚いたなぁ。それからも王女とは“あの丘”で、ちょくちょく遊んでたっけ。あの時は本当に楽しかったな。王女の屈託の無い笑顔が好きだった。父が王国の近衛騎士団なので、自分もいつかは近衛騎士団に入ると聞いていたから、「この王女の笑顔をボクが守るんだ!」なんて誇らしげに思っていた。

 それがニ年前…そんなボクの想いは帝国の“絶対的な武力”の前にあっさりと敗れ去った。帝国軍は本当に強かった。王国が不意を突かれ、強襲されたとは言え、王国の反撃の余地すら与えない電撃戦で、瞬く間に帝国兵に王都をほぼ包囲された。その時、王女の側で護衛に就いていたボクと、同じく近衛騎士団のフィルに“その後”を託して、王女は自身を帝国に差し出す事で、バネンシア王国の滅亡を防いだ。

 あの時の王女の言葉は今も頭から離れない。



「シレン? フィル? 聞いてください。帝国の狙いは恐らくは私です。私は私を帝国に差し出します。そうすれば、これ以上の被害は防げるでしょう。心配いりません。私の力を利用したいでしょうから殺されはしませんよ。

 この先、帝国の世界への侵略は許されるべきではありません。横暴な支配では人々は幸福になれません。ですが、帝国は強大すぎます。個々の力では太刀打ち出来ません。今は無理でも、時間を掛けて“仲間”や“力”を集めて、強い絆を持って必ず帝国を倒して下さい。

 鎖って知っていますよね?あの小さい輪っかはあなた達一人一人です。その輪っかを増やせば頑丈な鎖になります。その大きくて長くて立派な鎖を持って帝国を倒して下さいね。

 大丈夫! あなた達ならきっと出来ます! 私が言うのですもの。それで説得力あるでしょ?

 あとシレン……? あの丘での約束……覚えてる?」

(もちろんです!王女!)

「ありがとう。私……待ってるからね? 平和な世の中になったら……またニ人で……」



 その先を言う事無く、王女はお供の侍女一人を連れて単独で帝国軍に出向いて行く。

 最後に見た王女の顔は、泣きそうな……申し訳なさそうな……恥ずかしそうな……そんな感情を含んだ、切ない笑顔だった。

 今でも情けなく思う。不甲斐ないと思う。ボクが守りたかったのは、あんな切ない王女の笑顔じゃない。心の底から微笑んだ笑顔を守りたかったのだ。ボクが必ず取り戻してみせる。ボクが好きな王女の笑顔を……。必ず……。


 どれくらい飲んでいただろう? 気付けば、葡萄酒のボトルは空っぽになっている。こんなに飲んでいるのに、上手く酔えない。考え事の内容が悪いのかな? そうだろうな。ほとんど懺悔に近い内容だ。あぁ、今夜は深酒かな。

「おい、シレン? 飲み過ぎると明日に響くぞ? ほどほどにしとけよな?」

 声がした方を見やると、入口からボクの席へ歩きながら「やれやれ、しょうがないな」のポーズをしているフィルが居る。

「フィルか。上手く酔えないんだ。何か話しをしてくれよ。」

「しっかりしてくれよ、リーダー? そんな事じゃ、お前が真っ先に死ぬぞ? あ、店主! 俺にも葡萄酒を頼む!」

 そう言いながら隣の席に座ると、葡萄酒と一緒に頼んだチーズを一口頬張る。

「やれやれ、しょうがないな」

 またさっきと同じポーズで今度は口に出して言う。

「昔々あるところに、一人の魔女が住んでいました。その魔……」

「なんだそれ? ボクを寝かしつける気かい?」

「まぁ、聞けって。お前の大事な人にも関わる話だ。一人の魔女が住んでいました。その魔女は見た目も普通の人間で、およそ世間がイメージするような姿ではなく、逆にその容姿は美しく天使の如く人々から愛されていた。そんな彼女が、とある事から魔女と恐れられるようになった。彼女、恐ろしく勘がいいんだ。その勘の良さで様々な大発見や奇跡を起こしてきた。」

「それまんまミレーユ王女じゃないか? 何でわざわざ魔女なんて呼ぶんだい?」

「お前、頭硬いな? 物語風にした方が面白いかと思ったんだが……お前には俺の語る物語に乗って酒を飲むなんて手法は無いのか? 上手く酔う為に話しを頼んだんじゃないのか?」

「あー。そういえばそうか。んで? その王……じゃなくて魔女はどんな大発見や奇跡を起こしたんだ?」

「うむ。その魔女はな? 金脈の細かい在り処を発見したり、鉄鉱山の細かい在り処を発見したり、街に運河を通す計画案を完璧に修正したり、森で迷子の子をいとも簡単に見つけたり、大雨の予知が完璧だったり、天才と言われた無敗の戦術家にチェスで勝ったりとかしたな」

 王女の功績まんまかよ。てか、自分を天才て言うなよ。まぁ事実、お前は天才だけど。

 金脈や鉱山は父王である国王と共に視察を行った際に、地図と現地を見て「この辺りかなぁ?」と指した場所がピンポイントだったと言う。運河建築計画も、図面をざっと見ただけで決壊しそうな場所や泥溜まりが出来る場所をこれもピンポイントで言い当てた。図面設計者が王女の意見を鵜呑みにせず、当初の図面通りに建築して、テスト放流の際に王女の意見そのままに決壊したり泥溜まりが出来た事に愕然としていた。今は修正された運河が正しく機能している。大雨の予想はしたりしなかったりで、した時の的中率は百パーセントだ。迷子の子供も森の中をほぼ一直線に子供まで進んでいって見つけたのである。

 王女には金脈や鉱山の知識なんてある訳なかった。ましてや建築家でもない。子供を迷子にした犯人でもなければ、天才的に知的という訳でもない。ほぼ全て“勘”によってもたらされている奇跡だ。

「でもさ? チェスなんて勘で勝てるものなの?」

「そんな訳ないだろ。あれは高度に戦略や戦術を駆使した頭脳戦だぞ? 俺も王女とは九連勝と、途中までは勝ってたのさ。でも、やっていく内に手強くなっていって、十戦目で負けてしまった。その時ずっと王女の仕草やら目線やら観察してたのさ。そういう分析こそ俺の本領だからな」

 王女? 魔女じゃないのか? フィルこそ自分の熱弁に圧されてるじゃないか。まぁいいや。興味はある。フィルの講釈で飲むとしよう。

「で? 分析屋の答えは出たのかい?」

「もちろん出した。仮説だけどな。確証は無い。だけどこれが真実だと思う」

「ふ〜ん。で、超能力か? 魔法か?」

「どちらも無い。人間が持つ能力だ。しかし、その才能は神がかり的だ。人間の領域を超えている。その点ではお前の動体視力もそうだがな」

「そんなもんなのか? ボクは自分が特別とは思ってないけどなぁ」

「そうさ。何年も訓練してようやくお前の背中が見えるかどうかが普通の人間だ。それをお前は天性の才能で最初から凌駕している。王女の能力もそうさ。何年も訓練して王女のようになれたとしても、王女の足元にも及ばないだろうな。それだけ突出している」

「で? その能力って何なのさ?」

「専門的な言い方をすれば“選択的注意”ってやつかな。それの上位互換版と思えばいい」

「せんたくてき……? ちゅうい……え?」

「アホなお前も似たような能力で成り立ってるんだぞ? お前の視野の広さは王女の能力に似ている。お前は自分の視界内に捉えた動きは大小問わずに察知するだろう?」

「ああ。皆んなそうじゃないのか?」

「普通の人間は、自分が注意を払っている事象だけを捉えてその情報を頭の中で整理する。視界の情報を全て拾って処理する容量が無いんだよ。パンクしてしまう。例えるとそうだな……舞台に踊り子が三人踊っているとしよう。皆んな踊り子に意識は行くだろう? 舞台袖の演奏者が途中、何人かこっそり入れ替わったとしよう。それがいつ入れ替わったのか、はっきりと認識している人は居ないはずだ。視界内には映ってはいるが、意識は踊り子に向いているから分からない。これが“選択的注意”だ。頭がパンクしないように必要な情報だけを選択して注意を向ける。ところがお前の場合だと、踊り子にも演奏者にも意識は向いて居ない。舞台全体を見ているはずだ。普通の人は踊り子を選択して“踊り”に注意を向ける。お前は舞台全体を選択して“動くもの”に注意を向ける。お前これを意識してやってないだろ? 無意識にそうしているんじゃないか? これがお前の能力の秘密さ」

「ふーん。確かにそうかも」

「しかし普通、そんな物の見方をしていると頭がパンクする程の情報量が一気に流れ込むはずなのにお前は何故か平気だよな?」

「ああ。ボクは悪魔か何かか?」

「心配するな。至って少し特殊な普通の人間だ」

「それ、褒めてんのか?」

「ここから少し難しいぞ? まず生き物には本能があるのは分かるな? 生存本能だったり帰巣本能だったりよく耳にするだろ? これは元々備わっている、生きていく為の能力だ。だが人間には、それプラス思考能力がある。この思考する領域を“理性”と呼ぶんだ。この“本能”と“理性”を使い分けて生きてるのは人間だけだ。もっと簡単に言うと、無意識の言動や行動は“本能”が働き、意識しての言動や行動は“理性”が働いている。お前の動体視力も“本能”が働いてるんだ。そしてその“本能“が捉えた情報は必要と判断したら“理性”に託され、託された“理性“が整理して、お前の意識によって処理される。それはほんの一瞬で頭の中で起こっている。そしてその情報処理能力の容量は普通の人間よりも遥かに多い。それも“本能”が司っている。ここまでは分かったか?」

「何となくだけどね。確かに動くものは視えるけど、その時に必要無い事は気にしちゃいないなぁ。その選定も“本能”がやってるのか?」

「そうだろうな。お前の中では“本能”と“理性”がラブラブでお互いを信用しまくってるんだろう。お前の“本能”と“理性”が動体視力と言う天性の才能を最大限発揮出来る様にしているんだ。生まれつきな」

「フィルはどうなんだい? その天才的な頭脳は本能から来てるのかい?」

「いや、俺の場合はほぼ理性の中で処理されている。自覚はある。人よりも情報の処理や計算が速いだけだ」

 さらっと自慢してきたよ……。

「ただ俺の能力は訓練すれば、容易く俺よりも上に行けるはずだ。まぁ俺程の天才になるには相当の訓練が必要だけどな」

 またさらっと言ってきたな。こいつナルシストだったっけか?

「で、王女はどんな能力なんだ? ボクと似てると言ってたよな?」

「ああ。似ている。王女も本能の領域で選択して注意を向けている。簡単に言うと、お前と俺の能力をまとめて本能の領域で実現出来てしまっている。王女が全体を眺めて選択的に注意しているのは“違和感”だな」

「もっと簡単に言ってくれないかな?」

「王女の起こした奇跡を分析してみた。まず金脈や鉱山の発見はな? 地図上には載っていないが、現地を少し離れて見てみると、その場所は周りよりも僅かに隆起して出来ている。そして近くまで行くと、生息している植物の種類が若干違う。これはよく観察していないと気付かない程の誤差だ。それを王女はあっさりとその誤差を“違和感”として本能で捉えた。運河の修正もな? 数値の計算がそこだけ間違えてるんだ。その間違いの“違和感”を指摘したんだ。森の迷子の発見は子供の通った跡が極僅かながらに残ってたんだろう。普通の人間には見分けが付かない程の痕跡だろう。俺とのチェスは回を重ねる程に強くなっていったのは、俺の差した手を学習し、自分が差す手を“違和感”で捉えてたんだろう。実際に王女は自分の番の時に手の動きが多かった。本能が察する“違和感”に対応していたんだろうな。大雨の予報がしたりしなかったりなのは、“違和感”を捉えた時だけ予報していたからだ。それは過去の経験から来ているんだろうな。急に湿度が上がったりとか、風向きが変わったりとかを感じた時に予報していたんだろう。まぁ、この辺りは俺の推測でしかないが……」

「王女はそれを自覚してるのか? 自分の力がどうのこうの言ってたのは……」

「してないだろうな。自分には直感力があり、その直感はことごとく当たっている……。その位でしか思っていないだろう。王女が本当に恐ろしいのは、俺の分析力に似た能力も本能の領域で行えてる事だよ。でないとチェスで俺に勝つなんて不可能だ。いいか? 要約するとだな? 王女は常に……かどうかは知らないが、お前みたいに視野が広く、視界に捉えた“違和感”を逃さず察知し、その“違和感”の正体を本能の領域、つまりは無意識の内に正確に分析、判明させている。ただ、理性の領域がそれを把握していないだろう。だから論理的に自分の口で説明出来ていない」

「なるほど。王女の能力は大体分かった。でも本当に人間の能力なのかい? ボクも王女みたいにその“違和感”を探れるの?」

「訓練すれば出来るだろう。ただし王女のような速さ、正確さには劣るだろうけどな」

 王女の能力については、大体理解出来た。本能だの理性だのと、うんちゃらかんたらと理屈こいてたけど、要は“直感”と一緒だ。それがやたらと正確なだけだ。それよりもコイツの分析力の方が恐ろしい。そこまで理論的に解析出来る頭脳の持ち主なんて、お前ただ一人だよ。

「なあ、フィル。一ついいかな?」

「何だ?」

「全然酔えないんだけど。フィルが来る前の方が酔えてた気すらするよ」

「な、何だと! 俺が物語を話してやっていたのにか? 何故だ?」

 こういう所がコイツの残念な所だ。

「うんうん。フィルもたまには本能で酒を飲んでみたら?そしたらボクの言ったことも分かるよ」

「俺は飲めないんだ! 知ってるだろう!」

 こういう所も残念だ。フィルに自分の酔いを任せたのがボクの失敗だな。

「そうだったな。まぁいいや。もう帰って寝るわ。また明日な!」

 そう言って店主に勘定を済ませ店を出る。フィルが何かを言いたそうにしていたが、相手にしない方が良い。どうせ講釈垂れて長くなる。

 ん? 昼間のランドルフをあしらったバランみたいだな。そう思うとクックッと笑ってしまっていた。ふと見上げると星空が綺麗で、ボクを見守っているかのように感じる。

「明日から戦場か。」

 ボクの頭にはもう自分のベッドしか見えていない。


 目を瞑ってからどのぐらいの時が経ったのだろうか? 気持ち良く寝ているはずなのに、陽光を感じる。正面からの風も感じる。聞こえるのは馬の蹄の音。それもかなり速い。そうか。馬に乗って走ってるのか。だから風が正面から……。

「わぁ〜! 速い速いー! ねぇシレン! もっと速く走ってぇ!」

 後ろから聞こえてきたのはミレーユ王女の声だ。胸に手をやると王女の腕がある。後ろから抱きつかれている。声が少し幼い気がするけど……。

「分かりました、王女! しっかり捕まっててくださいねー!」

 そうか。またこの夢か。久しぶりだな。ここ数ヶ月は見ていなかった。フィルが王女の話をしたのが影響したかな? 甘く切ないボクと王女の秘密の過去。忘れられない思い出。こうして何度も夢にまで見てしまう。

「きゃー! また速くなったー! 気持ちいい!」

 ボクと王女は馬に乗って“あの丘”まで駆けて行ってる。お供は居ないニ人きりだ。ニ人ともまだ十二歳の春の出来事。

 丘に到着すると、馬の速度を落として聖堂までゆっくりと馬を歩かせる。

「気持ち良かったぁ! また乗せてね?」

「はい。いつでも仰って下さい」

「もう! いつまでそんな改まった話し方してるの? シレンじゃないみたい!」

「えー! だって、親父に怒られるし……って、あ! 父に怒られてしまいますです。はい」

「ぷぷっ! な〜に? その言い方? ますです? 二人きりの時はいいんじゃない? それなら怒られなくて済むんじゃない?」

「そうですね。っあ! そうだすね。え? あれ?」

「あははっ! もう、笑わせないでよぉ!」

「いや。そんなつもりじゃ……」

 ボクなんかと一緒に居て、こんなに楽しそうに笑ってる王女の笑顔が大好きだった。この時は子供だってのもあり、王女とずっとこうして過ごしていられるんだと思っていた。そして王女もそう思ってくれてるんだと考えていた。

「ねぇシレン? 私ね? 前から思ってたんだけどね? シレンの髪の毛、綺麗で私は好きだよ」

「えー? 皆んな気持ち悪がってるよー? 王女だけだよ? そんな事言うの。」

「だからそんなに短くしてるのぉ? 勿体ないなぁ! 私の指より短いなんて、なんかヤダなぁ。ね、伸ばしてみようよ! 私みたいに!」

 王女の髪の毛は当時は肩に掛かるかかからない程度の長さで、真っ直ぐな黒髪でサラサラしていて、綺麗だった。

「えー! 何で伸ばすの? 女の子みたいでヤダよ」

「シレンの髪の毛は絶対に長い方が良い! 私の直感! 知ってる? 私の“勘”て当たるのよ?」

 もう既にこの頃から王女の能力は周知の事実となっている。

「知ってるよ! でも本当に? 嘘付いてない?」

「はい! 誓います! シレンに嘘つきたくないもの……に嘘……どうするのよ……」

「え? なんて? 最後なんて言ったの?」

「何でもないよーだ! で? 伸ばすの?」

「う〜ん。じゃあ伸ばしてみるよ。笑わないでよ?」

「笑わない笑わない! あ! 見えてきたよ?」

 聖堂に到着したら、馬を降りて二人で中へ入って行く。王女は何回も来ているようだが、ボクはこの時に初めて中に入ったんだ。不思議なとこだな。その程度にしか思ってなかった。

「ねえ、ここだよ! この扉の先がそう!」

 そう言って奥の扉を開ける王女の顔はイキイキとして少し赤らんでいる。不意にも可愛いと見とれてしまっていた。

「シレンも手伝ってよー! 案外、重いんだよ?」

「ごめんごめん! あ、本当に重いね。」

「でしょー? 大人でも大変そうにしてたんだから私達じゃ、もっと大変よ!」

 二人で呼吸を合わせて半分くらい開いた所で止める。通れれば良いので全部開ける必要はない。中を見て絶句したのを覚えている。七色に瞬く光が中央の台座を照らしてるのが、神秘的すぎて天国に来たかと思った程だ。

「わぁ! すごい! 光のカーテンだ!」

「へへぇ。すごいでしょお? 私、ここが好きなんだあ! 晴れてる時じゃないと光が入らないのよ。」

「こんな場所があったんだね! 知らなかった!」

「いつも一人で来てるけど……あ、扉は爺やに開けてもらってるの。でね? この間ね? キャリーに教えてもらったんだけど……この場所には、ある“伝説”があるんだって!」

「へー。その伝説って何?」

 王女の方は見ていない。ボクはこの神秘的な台座に興味が移ってしまっていた。上から下まで何度も視線が動いては、光に触れたり台座に上がったりしていた。そんなボクを横目に王女はお構いなしに語り続ける。

「この台座の上で、光の中で、えへへ。後は内緒よー!」

「えー! 教えてくれないの?」

「女の子だけの秘密! 男の子には教えられなーい!」

「ずるいなぁ。女の子って秘密ばっかり」

「あ! これだけは言えるかな? 私はね? 他の誰でもないシレンとここに来たかったの。私と一緒にここに来れるのってシレンだけなんだよ?」

「そりゃあ、馬を出せるのも、外出許可取れるのもボクだけだし。あ! フィル……は馬に乗れないか」

「もう! 鈍いんだから! ったくぅ。これだから男の子って……なん……だから」

「え? 何? なんて?」

「もういいですよーだ! シレンのバーカ!」

「えー! ボク何かした? 確かにバカだけど……」

「あははっ! 違うよぉ! もぅ……。そうね。私達じゃまだ早かったみたいね。まだ子供だもんね。うん。でもね? シレン……」

 いきなり近づいて来て、じっとボクの目を見て話してくる王女の顔が近すぎてドキドキが止まらなかったのを今でも覚えてる。あんな近距離で王女の顔を見たのは初めてだった。

「もし……私達が大人になって……許されるなら、また二人で一緒にここに来てくれる? その時に“伝説”を教えてあげる」

「うん。大丈夫だよ。約束する!」

「ありがとう。約束ね?」


 ふっと夢の世界から現実に引き戻された。朝日が窓から差し込んでいる。もう朝か。

 嬉しそうに頬を赤らめて指切りする王女の笑顔を、今もはっきりと覚えている。しかし、あの時のボクは、何も理解していなかった。王女がボクに何を期待していたのか? ボクはまた馬に乗せてもらいたい位にしか思ってなかった。その真意に気付けたのは、随分と後……その時には既に王女は帝国の手の中だ。

 戻れるならあの時に戻りたい。やり直したい。その後悔の念が、こうして夢を見させてるんだろうか? いや、やり直せる。王女との約束は二つある。帝国を倒し、王女を救い戻し、あの聖堂での約束を果たす。そのためならボクは何だってやってみせる。必ず達成してみせる。


         ♦️


 市場が最も活気があるのは朝だ。開店の準備や仕入れの確認。店の人間もそうだが、店に卸す商人の姿が一番多い。俺達みたいな多種の人間が目立たないようにゾロゾロ集まるには、格好の隠れ蓑だ。集合場所は鍛冶屋の前。バランの部隊の何人かは来ている。くつろいでいる者も居れば、精神統一(?)している者も居る。

 シレンはまだ見えない。あいつあれからちゃんと寝に帰ったかな? しっかりしているように見えて、たまに無茶をするんだ。昔からそうだ。何度俺が子守りとして、あいつを助けて来た事か。世話の焼ける弟だ。実の兄弟ではないがシレンとは十歳離れてるからか……昔からアニキアニキと慕って来てくれているから、可愛いんだけどな。と同時に恋敵でもあるが……。

「よう! フィル! 早いな!」

 現れたのは王国でも屈指の戦士の一人であるバランだ。自分は最強ではないと謙虚な所はあるが、実質は彼が最強だと俺は考えている。彼の運動神経と反射神経は世界一と言ってもいいだろう。よくシレンや王女やその他の才能ある人を化け物扱いしているが、生まれ持った天性の才能を、訓練により更に進化させた戦闘力を発揮する彼こそ真の化け物だ。

『まず精神を落ち着かせるんだ。波も立たない湖の湖面みたいに静かにな。そうすると、相手の次の行動や考えが俺の心? に映る。先が読める戦い程、楽なものはないだろ?』

 以前そんな事を俺に言っていたが、王女の能力の分析で得た知識なら、バランの能力も解析出来る。精神を湖面の様に落ち着かせると言う表現はその通りで、冷静に落ち着かせる事で“本能”を表出させてるんだろう。その本能が彼の最大の武器である人間離れした反射神経をフルに活用して“理性”に伝える。理性が処理した情報を元に、これもまた人間離れした運動神経をもって対処する。とまぁ、こんなとこだろな。いずれにしてもバランは化け物って事だ。

「バランこそ早い方じゃないですか? それよりも部隊の方々が気になります」

「心配ねぇよ! 全員来るぜ。もちろん死ににじゃなく、生きて帰ると言う信念をもってな」

「それなら安堵しました。それを一番心配していましたから」

 そうこうしている間にバランの部隊も揃い、後はシレンを待つばかりだ。

「リーダー遅えな?」

「昨晩に深酒してまだベッドにいるんじゃねえの?」

「ママが恋しくなったか?」

 強者揃いの面々も談笑に華を咲かせている。自分達の指揮官を蔑む言動は本来なら御法度なんだが、俺もバランも知ってて、あえて見て見ぬふりをしている。いくら生きて帰ると信念を持っていても、死は常に背後に迫っている。そんな旅路への出発なのだ。恐怖はあって当然。それを紛らわすジョークを辞めさせる訳にはいかない。

「おはよう! 皆さん! 全員お集まりですか?」

「シレン! 遅えぞ! お前が来ないから先に出発するところだったぜ?」

「あぁ、すみません。でもバランなら待っててくれると思ってますよ?フィルは……どうでしょうか?」

「ああ。俺なら先に出てるな」

「バラン聞きました? フィルの方が薄情者でしたね」

「違げぇよ。どうせフィルのこった。先にある危険を調べて後から来るお前を助けるつもりなんだろうよ」

「ボクもそう思います。なんだかんだでフィルは優しいんですよ」

「俺の事はもういいだろ? さっさと出発しよう」

「あ、ちょっと待って? 全員に渡すものがあります。これです」

 シレンは袋を取り出して目の前に突きつけてきた。何だこれ? 何やら、ジャラジャラしてるものが大量に入ってるみたいだが……金貨か?

「皆さん、王国だと分かるような装備や備品は持って行かないようにして下さい。ボクらが王国の回し者と思われないようにする必要がありますから。かと言って、紋章も何も無いのでは騎士団としての気品を損ねる気がしまして、バラックに作ってもらいました。かと言って正体がバレるのも避けなければならないので、目につかないネックレスタイプになっています」

 なるほど。俺もそこまで考えてなかった。俺は非常に合理的に考えるタイプの人間だ。感情とか感傷とか、あまり考慮しない。しかしシレンは、そういう所にも配慮が行き渡る。指揮官として、リーダーとして任せるに値する。お前がリーダーで本当に良かったよ。一時は俺やバランが候補に挙がっていたが、俺は軍師としてサポートするのが性に合っている。バランも前線でこそ活躍するタイプだし、そもそも面倒臭いの一言で片付けてしまった。最年少のシレンがリーダーになっても、誰一人として反対者は出なかったのだから、コイツの人望がどれほどのものか、それが証明している。

「おう! どれどれ? へー! カッコいいじゃねぇか! 誰のデザインだ? シレンか?」

「はい。ボクがデザインしてバラックに作ってもらいました。あんなに大きな躯体で、こんな細かい精製が出来るんですから凄いですよね。ほら。フィルも」

 シレンは一人一人に配って回っている。受け取ったネックレスを手にやると、意外にも軽い。金属で出来ているとは思えない程の軽さだ。ミレーユ王女が発見した鉱山から採れた良質の金属は、とにかく軽いのが特徴的だ。強度は然程も強くはないが、こうしたアクセサリーやスプーンなどに使われている。この軽さなら首に掛けても気にならないし、長さも丁度、鎖骨に埋まる感じで戦闘の邪魔にならない。何よりデザインが俺たちにハマっている。チェーンタイプのネックレスだが、先の飾りは、そのチェーンにぐるぐる巻きにされた短剣がある。と言うよりも、短剣がチェーンに巻きつかれて、首に飾られていると言った表現の方が適しているか?

「さて、皆さんに行き渡りましたね? これがボクらを象徴するシンボルです。鎖の一つ一つが各々の役割で、それが集まり、一つの形を成してます。短剣は勝利を司ります」

 なるほど。本当に良く考えているな。昔から人は祈りや願いを、形あるものに込める事で他者との共有がよりしやすくなる。そう言う象徴を作る事は、結束力を高めるのに非常に効果的だ。国旗、王家の紋章といったものも、ただの名札のようなものではなく、そういう効果を見込んで活用されている。このネックレスもそれを踏まえてのものだろう。

「さあ! それでは出発しましょう! ボク達の勝利への道のりの第一歩はここから始まるんです!」

「うし! お前ぇら、行くぞ! 1人も死ぬんじゃねえぞ?」

「「おぉおっ!」」


 こうして俺たちの文字通りに“命を賭けた”旅は始まった。願わくば全員が生きて帰って来れる事を……。いや、せめてシレンだけでも……シレンだけは絶対に死なせない。シレンの死を誰よりも悲しむのは誰だ? ミレーユ王女だ。俺の心を激しく揺り動かした初めての女性……。彼女に哀しい思いはさせたくない。彼女に王国へ戻ってもらい、シレンと共に幸せに暮らしてもらえれば……。

 誰にも打ち明けていない、俺の胸に秘めた俺だけの決意。俺の願いはたったそれだけだ。簡単だろ? 俺になら出来る。その為に準備してきたんだ。さあ、行こうか。彼女の笑顔を取り戻す為に。



次回【第二章 覇王の生誕】

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