【第五章 崩壊の輪舞】

【第五章 崩壊の輪舞】


 カイヤの作ってくれたスープはとても温かく、身体の芯からホッとさせてくれる美味しく、懐かしいスープだった。

 体調を崩してる時によく作ってくれたっけ。

 程よく煮込んだ野菜がとても柔らかくて、顎を使わなくても口の中で溶けるから食べやすく、消化も良いので大好きだった。

 またこのスープを口に出来るとは思っていなかったので、帰ってきたという実感と安心感で心まで暖かくなっている。

 あぁ、美味しかったぁ……ごちそうさまです。

 ベッドにテーブルをセットしてもらってたので、食べ終えた食器はそのままにしておく。帝国に監禁されてた時は、サラに任せきりにせず、自分でも家事はしていたけど、ここに帰ると右脚が痛いのもあるけど、やっぱり甘えてしまう。

 サラ……どうか無事でいて……。

 シレンが来たら聞きたい事が沢山ある。一番気になるのは、やはりサラの無事だ。一緒じゃなくても、まだ帝国に監禁されていてもどちらでも構わない。怪我をしてなければいいけど……。

 顔を横に向けてベッド脇のサイドテーブルを見ると、持ち帰った本が一冊置いてある。

 ちゃんとあった。良かった……。

 ジェイクマン将軍から誕生日プレゼントとして貰った大切な本で、私の宝物……。あれは帝国に捕虜として渡ってから半年くらい経った頃かな——。


「ねえ、サラ? 今日って何の日か分かる?」

 帝国に来て半年が過ぎた。サラと二人、この塔での生活も慣れて、心に余裕が出て来た。今はもうこの塔が私の人生の拠点だと思い、嘆くのではなく、楽しもうと決めていた。

「もちろんです。ミレーユ様の生誕日です」

 以前まではサラには王女と呼ばれていたけど、その呼び方を改めさせてもらった。今の私は王女と呼ばれる資格が無いので、名前でミレーユと呼んでほしかった。サラは頑なに【様】を取ろうとはしなかったけどね。

「当ったりぃ! 私も十七になるのね……」

「そうですねぇ…………ミレーユ様! このサンドイッチ美味しいです! 卵がまた絶妙な味付けで、このパンに良く合います! 料理がまた上達されましたね? 素晴らしい年齢の重ね方だと思います」

「へへっ——。ありがとう……」

 サラは本当に私の事を解ってくれている。誕生日なのに誰も祝う事も無い現実を嘆かせるのではなく、かと言って嬉しい事が何も無い訳でも無いと教えてくれている。

 こんな生活も悪くないなと、思わせてくれるサラの心遣いが嬉しかった。

 ここに来てから、今までした事なかった家事を、サラに教えてもらいながら、するようになった。

 だって、する事無くて暇なんだもの……。

 一応、ジェイクマン将軍が気を利かせて、書物の類いは沢山用意してくれたけど、それだけじゃね……。

 朝食も終えて、食器の片付けをサラと一緒にしてる時にドアのノックをする音が聞こえた。

 ドアは鍵が掛かってるが、こちらからは解錠は出来ない。捕虜なので当然だ。それでもノックを忘れずにしてくれてるのは、私を客人として扱っているという事なので、捕虜として有り難かった。

 サラがドアの前で応対し、鍵が外れてジェイクマン将軍が一人だけで入ってくる。

 週に二回、主に食料だけど生活物資の搬入に兵士の方々がやって来るので、それだと思っていたが違ったようだ。

 一人なんて珍しい。どうしたのかな……?

「あら、ジェイクマン将軍じゃないですか? 今日はどうされたんですか? 私に会いたくて仕方なかったんですか?」

 食器洗いも終えて、タオルで手を拭きながら皮肉を言ってみる。通用するかな……?

「いや、そういう訳ではない。ミレーユ王女に許可を貰いに来たのだ」

 やっぱり通用しなかったか……。どこまで堅物なのよ、この人は——。

 ジェイクマン将軍はテーブルに着席して、既に切り出す気でいた。談笑する気も無いのね……。でも最初の頃よりは慣れてきたのかな? 初めは女性の部屋だからって、勧められない限り自分から座ったりはしない人だった。私が遠慮してほしくないとお願いして半年……ようやくここまで遠慮しなくなったけど、まだまだ堅く、一度も笑った所を見た事が無い。

 この人に笑ってほしい……いつの間にかそう思うようになっていた。

「さ、聞きますよ? 私に何の許可を戴きたいんですか?」

 テーブルに着席し、両肘を付いて手を組み、顎を乗せてイタズラっぽく首を傾げて上目遣いで将軍を見つめる……どうだ!?

「いや、あの……ですね、その……」

 お? 照れたか? 顔を背けてどもる姿が、ちょっと可愛いって思っちゃった。

「サラ、すまんが水を一杯もらえないか?」

 落ち着きたいのか、水を要求するなんて……。これは今が攻め時ってやつかな?

「ミレーユ王女にお願いしたい事があって来た」

 サラに用意してもらったグラスの水を一気に飲み干して、一つ大きな深呼吸をしてから私を見て言う台詞の内容が最初と変わっている。

 お願い? 許可を貰うんじゃなかったの? 間違いなく今が攻め時だ!

「はい。どんなお願いでしょう?」

 今度は椅子の背にもたれかかり、腕を真っ直ぐに伸ばして、クロスさせて膝に乗せる。顎を引いて微笑みながらの口調はとても優しくを心掛ける。

 将軍が用意してくれた本の一つの物語に出て来るキャラを真似た動作だけど、どうだろうか?

「あ、ああ。ええと……」

 頬を指でポリポリと掻いて、また顔を背ける反応……効いてますね。どうしよう、楽しくなってきちゃった。

「他ならぬ将軍のお願いですもの。何でも仰ってください。私は将軍の……ですから」

 両の頬に手を当てて恥ずかしそうな仕草をする。具体的な単語は、あえて言わない事。そこが重要だ。

「からかわないでくれ。本題に入る」

「は、はい!」

 急にキリッとして真面目な表情をするから、調子が狂っちゃう。これが素の姿なのか、作ってる姿なのか判然としない。全然掴めない人だ。

「実はミレーユ王女に会いたいと言う人が居る。皇帝の妹君で、バーバラ皇女です。ミレーユ王女の三つ歳上になる」

「え、そんな方が何で私に?」

「同じ王家の歳が近い女性が近くに居るんです。興味があるんでしょう」

「……はい。断る理由なんて無いので、いつでもお会いしますと、お伝えください」

「ありがとう。ミレーユ王女も退屈しのぎになると思う。俺ではミレーユ王女の相手は務まらないからな。すまない……どうも昔から女性が喜ぶような話が出来なくて」

「あら、そんな事はないです! 私は将軍の講釈を凄く楽しみにしてるんですよ?」

「またまた。年頃の女性が戦術や心理戦の話を聞いて楽しい訳が無いでしょう?」

 ジェイクマン将軍が来ると、決まって戦略や戦術に関する講釈や、心理戦の極意などを教えてもらっていた。

「いいえ。今まで私が知る事の無かった知識なんですもの。新鮮で楽しいです。先日に貸してくださったこの本なんて、もう二回は読み返した位にハマってるんですよ?」

 そう言って、テーブルに置いてある一冊の本を将軍に指し示す。

「これは……“勝つ為の交渉術”か。この本は俺の愛読書の一つでね。もう何百回も読んだかな?」

「そうだったんですか! 将軍の愛読書だったんですね……どうりでハマる訳です」

 本では、人間の個人心理と集団心理の特性が細かく分析されていて、その特性を活かした交渉術が書かれていた。これまで将軍が話してくれた戦術論に繋がる所があり、戦術と心理を噛み合わせた交渉術を修得するには最適な本だ。

「それなら、その本差し上げましょう。俺はもう暗記する程読んでいるし、ミレーユ王女が気に入ったのなら、本も喜ぶ」

「本当ですか? ありがとうございます。私、今日が誕生日なんですよ。素敵なプレゼントを頂きましたね」

「そうか、誕生日だったのか……そんな物がプレゼントでいいのか?」

「私には宝石が散りばめられた装飾なんかよりも、ずっとずっと嬉しいプレゼントです……」

「そうか。それなら良かった」

「さ、今日は前回の続きを聞きたいです。絶体絶命の包囲網から生き残る術の答え合わせをしましょう?」

「こんなに熱心な生徒は初めてだよ」

 笑いながら言う将軍は少し表情が輝いていた。

 しかも……笑った!? 笑わせる事が出来た!

「ありがとう、ジェイクマン将軍。今日は今までで一番の誕生日です」

「固い内容の本を貰って、戦術論を語る誕生日がか?」

「そうですよ? いけませんか?」

「よく分からん人だ。ミレーユ王女、あなたは……」


 懐かしいな……。あの次の日にはバーバラ様が押し掛けて来たんだっけ。「わたくしに内緒で勝手に誕生日を迎えるなんてダメですわよ!」て言われた時には驚いたけど、甘えられるお姉さんが出来たみたいで、凄く嬉しかった。

 翌年の誕生日はバーバラ様が祝ってくれて、これも凄く嬉しかった。

 私が捕虜生活で心を病まずに済んだのは、バーバラ様とジェイクマン将軍のおかげだ。二人にはとても良くしてもらっていた。第二の家族と言ってもいいくらいに好きになっている。

 バーバラ様……また会えるかな……?

 ジェイクマン将軍……。

 切なさが込み上げてきたので、本をギュッと抱きしめて、涙を堪える……。


          ♦️


 家から宮廷への道のりでは、至る所で物売りが荷車を引いて商売をしている。王国時代には無かった光景だ。

 サウザーの作った税制度は単純明快だ。その日の収入が低額の者は五パーセント。高額の者は十パーセントを収めれば良いだけだった。他に課される税金は無い。

 戦略物資だけは帝国の管理が必要で、扱いには許可がいるが、その他の物資は誰が何処で何を幾らで売ろうと自由だ。罰則があるとすれば、他人の商売を邪魔する時だけだった。逆に言えば、新しい商売を考えた者が、より多い富を得られる世の中になったと言える。

 そうする事で、王国時代の倍以上は人々の暮らしは楽になっている。人が動き、物が動き、金が動けば、国は自然と発展する。サウザーはそれを実証してみせた訳だ。

 帝国が建国されて七年の月日が経っているが、首都ランドの経済規模は一都市でありながら、豊かで知られるバネンシア王国の国一つ分に匹敵する程に成長している。

 攻略済みの他の王国領内も、同じ制度を導入し、その地域の人々の表情も明るくなっている。そうして未攻略の王国にもプレッシャーを与えて、帝国がで、王家の支配がだという意識を人々に植え付けておけば、後々の攻略も難度が下がるというものだ。

「将軍様! 朝食は食べましたか? うちのパンどうだい? さっき焼けたばっかりですよ」

 パン屋を営むこの婦人は俺の部下の母親だ。

「ありがとう。だが済ませてきてしまってな。悪いな」

「そうですかい。うちのバカ息子をもっとしごいてやって下さいよ! まぁた生意気な事言ってるんでねぇ」

「平和な証だよ。そのうちに忙しくなるから、その時に働いてもらうさ」

「そうならいいけどねぇ。これから宮廷ですか? 帰りにまた寄ってくださいよ?」

「そうするよ。では」

 帰りが俺にあるかどうかは分からないが、そんな事を婦人に言ったって意味は無い。

 宮廷に着くまでに何人も語りかけてくるので、少し遅くなってしまった。だが、人々を野暮には出来ない事はサウザーも承知しているはずだから大丈夫だろう。その位で気分を害すようなら皇帝の器ではない。もちろんサウザーは真の皇帝だ。あいつ以上に上に立つに相応しい男を俺は他に知らない。

 そんな呑気に構えながら、門番の兵士に挨拶しながらサウザーの待つ謁見えっけんの間へと急ぐ。

 何だろう……。何だこの空気は……。宮廷はこんなにもドス黒い空気が漂っている場所ではなかったはずだ。これは一体どう言う事だ?

 建物というものは、そこに居る人間によって空気が違う。華やかな場所であれば華やかに……葬儀があれば哀しみに包まれる。

 謁見の間に進むにつれて、まるで魔界に来たような空気を吸っているように気分が悪い。

 サウザーの身に何かあったのか?

 何故だか分からないが、俺は今日死ぬ気がする。この空気がそうさせてるのか……?

 謁見の間のドアの手前に知ってる人間がそこに居た。珍しい所で珍しい巡り合わせだった。

「ご機嫌よう? ジェイク様。これからお兄様に、お会いになるのですね?」

「これはバーバラ皇女。珍しい。どうされたのです? 私を待ち伏せていたかのような登場の仕方ですね?」

 久しぶりに会うバーバラ皇女は、以前までに見られた天真爛漫な明るさは消え失せ、沈んだ表情をしていた。バーバラ様までどうしたのだ?

「待ち伏せてたのですわ。ジェイク様、お逃げ下さいませ。このままではジェイク様は殺されてしまいます!」

「また物騒な物言いですね? 私が殺されると……一体誰に?」

 言い終わった後に自分でも理解した。もう俺の知るサウザーではないのか……。一体何が起きている?

「お兄様に決まってるじゃありませんか! もうお兄様はわたくしの知るお兄様では、ありません……」

 バーバラ様は今にも泣き出しそうな哀しい声で訴えてくるが、何か知ってるのだろうか?

「バーバラ様、話は後で聞きます。サウザーに呼ばれていて、私は遅刻してるんです。急がねばならないので失礼します」

「そうでしたわね……ジェイク様はいつもそう……。なら、やはりわたくしが……」

 そう言ってバーバラ様は駆け出して見えなくなってしまった。

 本当に一体何が起きてるのか? 侍女のジーナは一緒ではないのか?

 いぶかしげに思いながら、謁見の間のドアを開けて中に入る。

 この謁見の間は、かつてはサウザーの父王をこの手で殺害した部屋を改装したものだ。他にも部屋はあったにも関わらず、サウザーはこの部屋を大事な面会の場に選んでいた。あいつらしいと言えばらしいが、俺をこの部屋に呼んだという事は、いよいよあいつの真意は読み取れている。

 先程、バーバラ様にはとぼけた感じで答えたが、俺は今日殺されるのだ。部屋に入ってそれは確信に至る。

 部屋の中は、かなり濃く香が焚かれているが、その香に混じって火薬の匂いがする。

 部屋の改装工事に俺は携わってないので、どこに鉄砲を構えた兵士が潜んでるのかは把握出来ない。だが、いつでも俺を射殺出来る態勢にはいるだろう。

 パッと見た感じでは、狙撃ポイントとして最適な場所は幾つかある。もしその通りの場所に潜んでいるなら、射撃を避けるにはしか無い。しかし俺にそれを避ける資格は無いがな……。

 部屋の中央の処刑場と化した、円形のテーブルはそのままか。ここが俺の死に場所になるのだな……。

 視線を前に戻して、部屋の奥に玉座があり、サウザーはそこに座っていた。その横にはドレスを着たジーナが立っている。

 サウザーとジーナ……。別に驚くような光景では無い。ジーナのような聡明な女性ならサウザーのきさきに相応しい。

 しかし、それは俺の知る二人のままであったなら……の話だ。今、目の前に居る二人はまるで別人のようだ。

 ジーナ。随分と着飾ってるが、君はいつからそんなに冷徹な瞳をするようになったのだ? 人を見下す視線と態度は、サウザーの忌み嫌う旧王家のではないか。サウザーがそんな君を受け入れている事が信じられん。だが、サウザーを見やるとその疑問は疑問でなくなった。

 サウザー。一体どうしてしまったのだ!

 目の前のサウザーは、容姿こそサウザー本人だが、その表情はまるで死期が近い病人そのものだ。顔色も薄暗く、頬も削ぎ落ちており、目の周りはくまが濃い。だいぶ痩せたか? 覇気が無く、怠そうに椅子にもたれ掛かっている。何よりもその表情は不安な色で一杯で、おどおどしている。重大な病いにかかったのか?

「ジェイク……紹介しよう。俺の妃のジーナだ。貴様もジーナを狙っていたようだが、俺のものだ。くっくっく……」

「あ、ああ……そうか。それより、お前は誰だ?」

「無礼者が! 俺はこの世の支配者たる皇帝サウザーだぞ! 口の聞き方に気をつけろ!」

「な……! なるほど。そういう事か……」

 この一言で全てを悟るのに充分だった。もう俺の居場所はどこにも無い。そしてサウザーにもだ。かねてからの約束通り、俺がお前を楽にしてやる。安心しろ。俺もすぐに逝く。

 腰の剣に左手を添えて、右手は力を抜いておく。射撃の合図はサウザーかジーナか……分からないが、一撃目を避け切ればサウザーを斬る時間が出来る。射撃を避ける場所は円形テーブルの下だ。そこに到達出来れば俺に勝機はある。

「サウザー。何があったか知らないが、そんな醜いお前は見ていたくない。今、俺が楽にしてやる」

「醜いのは貴様だ。ミレーユ王女をまんまと取り逃し、未練たっぷりに俺のジーナを付け狙う裏切り者め——」

 剣を握り、腰を落として半身で構える。斬りかかるためではなく、射撃を素早く避けるための動作だ。正常のサウザーなら見抜いて当然の動作だが、恐らく今のサウザーには見抜けまい。直ぐに射撃の指示を出すだろう。

「俺に歯向かう貴様はこの場で処刑する! 殺せ!」

 サウザーの言葉と同時に前方の円形テーブルの下を目指して駆け出す。待ち伏せ射撃の基本は上からの狙撃の方が成功率は上がる。その基本通りならテーブルを盾に出来るので、逃げるならそこしか無い。

 あと半歩で目的のテーブル下に届くという時に、そのテーブルの下の床が跳ね起きて、兵士が鉄炮を構えてこちらを狙っていた。

「——な!」

 まさかの床下からとは思わず、完全に不意を突かれた。視界に入った兵士は四、五人は居ただろうか……。全て床下からの登場だ。

 戦場において最も大切な事は、瞬時に正しい判断を下し実行する事にある。一瞬の迷いやひるみが即、死に繋がる。

 この時もそうだった。そのままテーブルの下に行けば狙いすまされて蜂の巣になっていた。

 剣を抜いて一番近くの兵士に投げつける。発砲させない事が重要な狙いなので、その一撃で仕留め切れなくても構わない。

 剣を投げつけられた兵士は、剣を避ける動作で照準が明後日の方向を向く。その隙を突いて、スライディングタックルの要領で蹴り上げ、兵士を倒すのと同時に他の射撃を躱す。

 数度の発砲音と共に、頭の上や顔の横を弾丸が空気を裂いて通過するのが分かった。一斉射目はなんとか避け切った。だが、直ぐにニ斉射目が来るだろう。俺なら保険としてニ斉射目を用意しておくからだ。ぐずぐずはしていられない。

 蹴り上げた兵士を当て身で気絶させ、奪った鉄炮を手に、床下のスペースから半身を乗り出しサウザーに銃口を向けようとした時だった。

 部屋の入口のドアが大爆発と共に吹っ飛び、煙が立ち込める。何だ——!

 煙の中から装甲された軽戦車が現れ、突進してくる。この軽戦車は戦場において重要な役割を果たす。主に敵陣地に身を守りながら突進する時に使う。人が二人並んで立てる板に車輪が付いており、普段は馬に引かせて移動する。板の上にはコの字型に肩の高さまでの板で覆われ、その周りは薄い鉄板で防御されている。

 それに乗って現れたのは……。

「間に合いました!? ジェイク様ぁ!」

 バーバラ皇女は導火線に火が着いた火薬玉を周囲に投げ散らかしながら、軽戦車に身を隠して部屋の中央までやって来る。

 火薬玉はその名の通り、火薬で詰まった手の平に乗るサイズの玉で、細い導火線がチョロっと出ている。その導火線に火が着くと、ものの数秒で中の火薬に引火して爆発を起こす。至近距離でその爆風を浴びれば、身体が吹っ飛ばされるし、角度が悪ければ首の骨がもっていかれる。まだ帝国でも実戦配備されていない、試用段階の兵器なのに、何故バーバラ皇女が持っているのか? それも軽戦車に乗って……。

 戦場というものは想定外の事が起こるのが常で、どんな事にも瞬時に対応出来なければならないが……流石の俺もこの状況は予想外過ぎて、しばし呆然としてしまった。

「ジェイク様ぁあ!」

 軽戦車にロウソクを固定して、半身で軽戦車を押しながら片手ずつ火薬玉に火を着け投げまくるバーバラ皇女の見事な体捌たいさばきに見とれている場合では無かった。

 優先順位が切り替わる。サウザーを狙うよりもバーバラ皇女を守るのが先決だ。幸いにも火薬玉の爆発が起こす爆煙により、周囲は煙で立ち込めて視界が悪い。精密な射撃は出来ないだろう。

 足元の剣を拾い上げ、軽戦車に駆け寄る。

「バーバラ様! なんて事をしてるんですか!」

「ジェイク様! ご無事で何よりですわ。さあ、早くお乗りになって! 逃げますわよ!」

 バーバラ皇女はまるで狩に行く格好で、何とも勇ましい風貌だ。

「いや、戦車はここに置いてきます。馬を奪いにそこまで走りますよ? 急ぎましょう!」

「分かりましたわ! 行きましょう!」

 馬がいる厩舎きゅうしゃへの最短距離は、この謁見の間からほぼ直線で、途中で出会う兵士も理由は知らないはずなので、バーバラ皇女に道を譲る。なんとも楽な逃走だな……。

「バーバラ様、いいんですか? もう戻れませんよ?」

 走りながら、分かっててもつい聞いてしまう。

「構いませんわ。もう、お兄様もジーナもわたくしの知る二人ではありませんから。全くの別人ですもの。ジェイク様に付いて行きますわ!」

「分かりました。後で詳しく聞きます。それより今は逃げ切りましょう!」

「そうですわね!」

 厩舎に着いて、まずは一頭だけ馬を確保する。スピードよりも耐久力のありそうな一番体格の良い馬を選んでいる。

「バーバラ様、私が馬の装備を整えてる間に、他の全ての馬を解き放って下さい」

「かしこまりですわ! 追手に馬を使わせないようにですわね?」

「その通りです!」

 流石はサウザーの妹だ。じゃじゃ馬っぷりもさることながら、戦術に関しても長けている。頼りになる相棒だ。

「さあ、バーバラ様! 乗って下さい!」

 バーバラ皇女も全ての馬を解き放っていて、後は馬を快速で飛ばして逃げるだけだ。

「ジェイク様、ミレーユさんの国へ行きましょう?」

 小柄なバーバラ皇女は背中ではなく、前に乗せる。その方が俺の腕で支えられて振り落とされないだろうし、万が一の狙撃にも対応しやすい。

「バネンシアですか……よし!」

 確かにバネンシアなら距離も離れていないし、道中の襲撃の危険も少ない。何より……ミレーユ王女が居るのだ。バーバラ皇女も会いたいのだろう。ふっ……それは俺も同じか。

 馬を飛ばしてバネンシアまで走り出す。今となっては、バネンシアを落とした事は逃走に有利になっている。その地方の兵の配置が少ないからだ。

 地方の兵に中央の情報が行くまでには時間がかかる。情報が行き渡る前にバネンシアまで到達すれば良い。問題はバネンシアに着いた後の事で、どうすればバーバラ様の安全を確保出来るか……だ。

「バーバラ様、この先はかなり不自由な日々になります。馬を休ませる以外は走り続けます。また、バネンシアに着いても不自由な生活です。それでも宜しいのですか?」

「あら? 覚悟の上でございましてよ? それに……ジェイク様がご一緒して下さるなら、何処でもどんな生活でも構いません事よ」

「そうですか。ミレーユ王女に会えるといいですね?」

「会えますわよ。また会うと約束したんですもの。ミレーユさんは約束を守る方でしてよ?」

「そうですね。その通りです。さあ、飛ばしますからしっかり捕まってて下さいね!」

「行け行けーですわ!」

 国境という概念を無くす為に、関所じみた施設は全て解体処分してて良かった。ミレーユ王女を連れ去った者も、こうやって逃走しやすかったろう。

 追う側からしたら、足止め出来ないので大変だが、関所を維持する費用や兵力の分散が非常に効率悪い。それなら、元から逃走させない仕組みを構築した方が遥かに効率的だ。

 それに帝国は一つの国家なので、旧王国間の境などあってはならない。統一国家だと人々に浸透させる意味合いの為にも、やはり関所は置けなかった。

 そんな事を考えながら、ひたすら馬を走らせてポルネジアへと急ぐ。

 だが……行く場所は決まっているが、俺の進む道が決まっていない。それが一番の問題でもあった。


          ♦️


「来たかシレン」

 店のカウンターで待っていたバラックは、僕が持ち帰った例の新兵器を構えてこちらに向けてきた。

「うわっ!」

 さっと地面に伏せ、横に転がる。

「どうしたシレン? 何してんだ?」

 ランドルフが顎髭を掻きながら怪訝そうな顔をして見てくる。

 そうか……ランドルフはあれの性能をその目で見てないから、狙われても危機感が無いんだ。

 身体が覚えた恐怖心で咄嗟に避ける動作をしてしまったけど、そもそもバラックが僕をあれで攻撃する筈が無いな……。

 やれやれ……と立ち上がる。

「ふん。その動作からすると、こいつは相当にヤバいものだな」

 バラックは手の中のそれをマジマジと見つめながら感嘆していた。

「バラックも人が悪いですよ! 僕で試さないで下さい」

「すまん、すまん。じゃが、参考になった。それほどヤバそうな、こいつを量産すれば良いんだろう?」

「出来るんですか!?」

「一度バラして再度組み立てただけじゃが、構造自体はシンプルだ。鍛冶屋なら誰でも作れるじゃろうな……」

 バラックは角度を変えながら、それを手の中でクルクルと眺めて目を細めている。

 量産可能なら、これ程大きな戦力はない。帝国との戦力差も直ぐに埋まる。

「そんなすげぇ物なんか? 俺にはただの鉄の筒にしか見えねえがなぁ……」

「こいつはワシの推測じゃがな……これをもし実戦で装備出来たんなら、子供でもランドルフを殺せるぞ?」

「はっ! 言ってくれるじゃねーか! この俺が子供にられるってか!?」

「いや、バラックの言う通りです。あのバランが何の抵抗も出来ずにやられたんです。ランドルフでも避けられませんよ……」

「避ける? 何か飛んでくるってのか?」

「何が飛んできたのかは僕も分かりませんが、小さな何かが顔の横を見えないスピードで通り過ぎたのだけは分かりました。僕の目でも捉えられないスピードでした……」

「それを飛ばす役目は火薬を使っておるの……。この根本の部分に火薬の爆発したすすがこびり着いておる。とんでもない物を開発しおったの……」

 バラックはまだ色々と眺めている。よほど興味を惹かれたのだろうか。

「なるほど……あのバランが避けられねえってんなら本物だな。で、こいつを全兵士に持たせりゃ最強なんだろ? お手柄じゃねえかシレン!」

 兵器自体の量産は可能だろう。しかし……。

「ところがそう簡単には行かないんですよ。残る問題は二つあります。それをクリアしないと意味がありません」

「何だ? 何が問題なんだ?」

「火薬の入手じゃろう。今や火薬は自由に調合出来ん。火薬の材料の一つの硝石しょうせきは帝国が完全管理しておるからな」

「そうです。それはフィルが調べてくれました。硝石の発掘場所はバネンマイト山脈地帯なので、バネンシア領に分布が無いか調べる必要があります。あれば良いのですが、無ければ……」

「帝国からでも奪取せねばならんな」

「そうです。帝国はその硝石を独占する為にマイトとポルネジアを最初に攻略したんですから」

「なーるほどな。この兵器を他の王国に使わせずにいたら、自分達は無双出来るしな。頭いいじゃねーか!」

「それともう一つの問題が——」

「こいつで何を飛ばしてるか……じゃろ?」

「そ、そうです」

「石などは火薬の爆発と一緒に粉々になる。かと言って鉄は重すぎてそんな飛ばんじゃろ。爆発の熱と衝撃に耐えて、軽くて丈夫で安価な金属……と言ったところかの?」

「バラックは何でもお見通しですね!」

「ふん。鍛冶屋なら誰でも分かるもんじゃ。それよりどうやって解決する?」

 胸のポケットから飴玉サイズの小さな丸い玉を取り出してバラックに差し出す。

「これがその正体です。ミレーユ王女の右脚を貫通せずに残っていたものだそうです」

 命中した傷口から肉を裂き骨を傷つけ、更に肉を裂いたが、反対側の外皮の所で止まっていたらしい。医者から渡されてずっと持っていたものだ。

「これは……鉛じゃな」

「すげぇな、バラック。見ただけで分かるんか!」

「鍛冶屋を舐めるんじゃない。そうか、鉛か……なるほどなぁ」

「どうですか? これで大丈夫そうですか?」

「あぁ。飛ばす物はこれでええ。加工も簡単じゃし、直ぐにでも大量に作れる。後は硝石じゃな……。火薬が精製出来んと、これもただの鉄の棒じゃ」

「そうですね……ミレーユ王女が回復したら探しに行ってみようと思ってます」

「ミレーユ王女と? 王女の奇跡に頼るのか?」

「フィルが教えてくれました。王女は探し物の天才だそうです」

「そうそう上手く見つかるといいがな……」

「ワシも知り合いに硝石を横流ししてもらえるか聞いてみるとするか」

「ではバラックはそちらのルートの入手が出来るか聞いてみるのと、この兵器の量産を開始しちゃってください」

「分かった。任せておけ」


 バラックの店を出て、自分の家に戻ってる所だった。家の前に王宮の兵士が二人、立っているのを見つける。ランドルフはいつの間にかふらっと居なくなっていた。

 全く……勝手なんだから……。将としては優秀なのに、個人として自由過ぎるのがランドルフらしいと言うか何と言うか……。

「シレン殿、お帰りをお待ちしておりました。王宮でカイヤ殿がお呼びでございます」

 僕の帰りを待っていたらしい兵士が駆け寄って来てカイヤのものと思しき書状を渡される。

 カイヤから……ミレーユ王女が目覚めたのかも!

「分かりました。支度して直ぐに行きます。ご苦労様でした」

 伝えに来た兵士を労い、家に入り着替えて支度をする。王宮に行くのに服装は気をつけなければならない。だけどそれ以上にミレーユ王女に、だらしない格好を見せたくないってのが大きな理由だ。

 緊張の場ではなく、リラックスした王宮で王女に会えるのだ。浮き浮きした気分が実感出来る。

 だがそれとはもう一つ、皆んながどうなったのかの説明もしなければならないと思うと、気が重くなる……。

 間違いなく王女は心を痛める。消えない傷を僕が王女の心につけるんだ。そう思うと、更に気は重くなる……。

 あの王女の優しい笑顔を守ると誓った僕が、僕自身の手で汚すんだ……どんな顔して会えば良いのだろう……。

 どんよりとした曇り空は、まさに今の自分の心境だな……。

 空を見上げて一つため息をついてから、家を後にし王宮へと足を進めていく。



次回【第六章 光儀の約束】

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