【第四章 混沌の灰空】

【第四章 混沌の灰空】


 意識が戻る……。ずっと眠ってたようにも思える。頭が重い。身体も思うように動かない。というよりも動かせない。血が巡ってない気がする。頭は覚醒しつつあるが、身体の隅々まで覚醒はしていない。いや、どうせなら覚醒しないでほしい。思い出してきた……今の現状を。

(どうやら……また死にそびれたようだな)

 あちこち痛めつけられた身体は、少し動くだけで全身に激痛が走る。しかしその激痛もあと少しで和らぐ筈だ。ここ最近は毎日のように嗅がされるあの匂い……。今が朝か昼か分からないが、俺が目覚める時にあいつはやって来る。

 早く俺にあの匂いを嗅がせてくれ! 

 あの匂いを嗅ぐと、苦痛も……憎悪も……嫌悪も……悲しみも、全て忘れて楽しい想いに包まれる。今、俺の楽しみはそれしか無いんだ。

 それ以外は、腐ったような飯と、石の床のベッドと、壁と鎖で繋がれた足枷あしかせと、拷問のような暴力だけだ。

 あの惨劇から運良く生き残っても、この地獄が待ってたのなら、あの場で死んでいたかった。

 バランは……頭を吹き飛ばされてたので助かるまい……。ミレーユ王女とシレンは逃げ延びる事が出来ただろうか? いや、俺が殺されずに拷問されてるのが証明している。二人が捕まるか殺されてるなら、俺なんてとうに殺されている。バネンシアまで無事に帰れている事を祈るだけだ。

 毎日繰り返される暴力も俺が死なない程度に加減されている。殺してくれと何度頼んでも殺してくれない。と言っても日々、衰弱してくのだから、いつかは死ぬだろうがな……。だがまだ死ねない。あの匂いを嗅ぎたいんだ。早く……早く来てくれ……。

 ふいに、ガチャガチャと、この地下牢の施錠が外される音が聞こえた。来たか?

「さあ、フィル。あなたが望む香りを持ってきましたよ」

 この女……なぜ俺の名前を知っているんだ?

「あなたの名前はあなたが教えてくれましたよ? バネンシア王国の軍師フィルさん?」

 俺が毎日のように嗅いでるあの匂い……。あれか? あの影響か? 自白の効果があるのか? しかしそれよりもこの女、俺の心が読めるのか?

「さあ、お待たせしましたね。この香りでまた痛みを忘れて至福に包まれましょうね」

 鼻の辺りにいつものあの匂いが漂ってくる。あぁこれだ。これを嗅ぎたいんだ。もう何もかもどうでもよくなってくる。

 あぁ……意識が朦朧もうろうとして……この感覚だ。そうだ、この感覚だ。俺が待ち望んでた感覚……。あぁ、気持ちいい……。

「ふふっ。いい子ねフィル……」

 あぁ……最高の気分だ……。


          ♦️


 意識が戻る……。眠りから醒めようとしてるんだ。あの日、王女を奪還したあの日から、僕の中で気持ち良い目覚めというのが無くなってしまった。

 予定通りに二日余りでバネンシア王都に帰って来れたのは良い。到着が夜中だったので、帝国兵に気付かれる事なく、王女を王宮へと連れて行けたのも良い。

 だが、あれから三日経っても、王女は目覚めない。医者の話では、頭を強く打ってるので、その影響があるだけで、暫くすれば回復して目覚めると言っていたけど……。内心どこかで、このまま目覚めないでくれたらいいと思ってる自分が居る。

 正直怖い——。今までの経緯を話すのが怖い。これからどうするかを話すのが怖い。確かに王女は救い出した。しかし、心を引き裂く結果になってしまった。

 仲間を死に追いやったと責められるのが怖い。責められずに良くやったとお礼を言われるのが怖い。何も触れずに今まで通りに接してくれる事も怖い。何もかもが怖い……。

 起き出して、顔を洗い、身支度をして朝食を摂る。特に何かをする訳でもない。ただ死なずに生かされてるだけの日々。もう、疲れた……。

「よお、シレン! おはよう! って、何だあ? まぁだ、そんなシケたツラしてやがんのかぁ?」

 いきなりドアを勢い良く開けて入ってきたのはランドルフだ。バネンシアに帰還後、まず彼の家に寄って、王女を王宮に秘密裏に運ぶ要領だったで、僕がバネンシアにいる事を知ってるのは彼ともう一人だけだった。

「すみません……」

「かーっ! これがあのシレンかよ! そんなんじゃ、フィルもバランも他の奴らも犬死にだな!」

 ランドルフは大きく手を広げて、大袈裟に嘆いている。普段通りの彼の表現だけど、今の僕には背中に重くのしかかる……。

「すみません…………」

 いきなり顔に衝撃が走ると同時に、座っていたイスから投げ出されて床に投げ出されていた。殴られたのか——?

「てめぇ、ふざけんなよ?」

「僕は……死んだ方が良かった……殺してよランドルフ……」

 今度は両手で胸ぐらを掴まれて宙に持ち上げられる。

「そんなに死にてぇのか?」

「ぐっ……」

 衣服で首を締められて、苦しくて息が出来ない。ランドルフの腕を掴んで離そうとするが、腕力では勝てない。そのまま壁に投げ飛ばされ、背中を強く打ち付けた。受け身を取る余裕もなく、吸い込んだ空気と共に激しく咳き込んでしまう。

「死にてぇ奴が首を締められて抵抗すんのか? ああん!」

 咳き込みは止まらずに、返事も出来ない。何とか立ち上がってみるも、また顔に衝撃が走り、壁に今度は正面から打ち付けられ、倒れ込む。

 ランドルフに片手で胸ぐらを掴まれて引き起こされて覗き込まれた顔は、さぞかし酷いものだったろう。

「いいか、よく聞け! てめぇの落ち込みなんざ知ったこっちゃねえんだよ。やる気があろうが無かろうが知ったこっちゃねえんだよ。死にたいなら死ねばいい。だが、死に方は選ばせねえ。死ぬなら戦って死ね! フィルやバランは戦って死んだんだ。てめぇも戦って死ね!」

「うっ……ぐっ……」

「その涙は何だ? 誰の為の涙だ? いいか? 人間はな、誰しもがごうを背負うものなんだよ。フィルやバランは、お前に自分の思いを託した。逆の立場から今のお前を見てみろ。自分が何のために死んだのかと憤慨するぞ?」

 そうか……フィル……バラン……。

「俺も悪魔じゃねえ。立ち直る時間位はくれてやる。だがな、お前は反帝国のリーダーなんだ。お前を信じて死んでった奴の思いに報いる為にも、お前がするべき事は、落ち込む事じゃねえ! 恨むなら自分自身じゃなくて自分の運命を恨め。そしてその運命に抗え! お前は反帝国の組織を立ち上げる時にそう言ってなかったか!」

 ハッとして、その時の光景が脳裏に浮かぶ。確かにそう言っていた。運命に抗う事で新たな運命を勝ち取る事が出来ると……。

「お前は信念を持ってその言葉を使ったんじゃないのか!?」

「ランドルフ——」

「目の色が変わったな? それでいい」

 ランドルフは胸ぐらを掴んでいた手を離し、僕を立ち上がらせる為に手を差し出してきた。その手をがっちり握り、スッと立ち上がる。

「ありがとう、ランドルフ。目が覚めましたよ」

「お前達突入部隊は目標の王女奪還の任務を完遂したんだ。胸を張れ」

「はい」

「よし。では要件を伝える」

「え? 別件があったんですか?」

「当たりめぇだ! お前の気持ちなんぞ、二の次だ」

「ははっ。言われちゃいましたね」

「お前が持って帰った帝国の新兵器をバラックが解明したそうだ。話を聞きに行くぞ」

「そうだったんですか! 分かりました。直ぐに行きましょう!」

 ランドルフと一緒にバラックの店まで急ぎ足で向かう。

 王女を抱き抱えて正面の帝国兵を突破する時に、一人の兵士から例の筒状の新兵器を一つ奪取していたのだ。最初から奪うつもりはなく、突破の足掛かりの際に、たまたま手に掴んでたものがそれだっただけだ。

 バラックなら同じ物が作れるかもしれないと、解析を依頼していたのだ。

 あの新兵器の威力は凄まじい。素人の人間が、剣の達人に勝てるだけの戦力差を生んでしまう。あれを量産されて全兵隊に装備されたら、帝国に勝てる者は皆無だ。同じ……もしくはそれ以上の性能差の兵器を持たなければならない。

 僕の中では、帝国を討つという目的よりも、王女を帝国から守る——という目的に、変わってるのは心の内に秘めたまま、ランドルフの背中を追って、バラックの店へと急いでいた。

 視界に入る空は雨が降りそうな曇り空だった。


          ♦️


 意識が戻る……。どれくらい眠ってたのだろう?

「う……ここは?」

 ゆっくり開いた瞼の先に見える天井の光景は覚えがある。つい二年前程前まで、毎日見てきた天井だ。

「私の……部屋?」

 意識がはっきりしてくると、起きあがろうと身体を動かした時に激痛が走る。

 痛いのは頭と、右の太もも辺り。起き上がるのは諦め、首を左右に向けて誰か居ないか確認すると、ふくよかな体型で給仕服を着た年配の女性が、背中を向けて拭き掃除をしていた。

「カイヤ……!」

 声に反応したのか、驚いた表情で振り向いた女性は間違いなくカイヤだった。私が物心つく頃から王宮の給仕の全てを取り仕切っていて、爺やと共に、とても頼りにしていた。

「まぁあっ! 王女様! お目覚めになったんですのね? 良かったぁ……」

 カイヤは近づいてきて、涙を流しながら手を合わせて喜んでくれていた。

「王女様が戻られてからずっと眠ったままでしたので……心配で心配で……」

「私、どれくらい眠ってたの?」

「はいぃ。戻られてから五日は眠っておられました……本当に良かった……」

 五日か……。という事は、あの日から七日から十日位は経ってるって事か……。

 どうやって帰ってきたんだろう……。

「ねえ、カイヤ。シレンやフィルは?」

「はいぃ。フィル様は存じ上げませんが、王女様をお連れ下さいましたのはシレン様でございます」

「そっか……ありがとう」

 そっか……シレンが……そっか……。

「シレンを呼んでき——」

(ぐぅうーっ!)

「まあ! 王女様はいつでも王女様ですね!」

 顔が赤くなる……。目覚めて直ぐに鳴る私のお腹はどうなってるの!? そりゃ七日以上も食べてない計算になるから、お腹空くのは分かるよ? でも起きて直ぐはないでしょうよ!

「このカイヤ、安心しました。王女様が変わらないままで……。そのままで、殿方にお会いになるのはどうかと思いますので、まずは食事を先にしましょうね? 消化に良いスープを持って参りますから、待っていて下さいましね?」

「ありがとう、カイヤ」

 そう言ってカイヤは部屋を出て行ってしまう。状況の整理は後にしよう。まずは身体を治さないとだね——。

 サラ……フィル……無事でいて下さい。

 カイヤが消えたドアの反対側に顔を向けると、窓が開いている。窓から見える空模様は雲が多く、雨が降りそうな天気だった。


          ♦️


 意識が戻る……。もう朝か。あの日、ミレーユ王女の脱走事件から幾日が過ぎただろうか……。未だに管理責任者としての俺に処罰は無い。今日はサウザーに呼ばれてるので、この後、宮廷の方へ行かなければならない。呼ばれた理由は……恐らくは処罰が決定したのだろう。他の臣下の目もあるので、厳重にし、温情的な計らいは止めてほしいものだ。

 しかし、あそこまでの罠を用意しておいて、ミレーユ王女一人を連れてバネンシアまで逃げ果せるとは……敵ながら天晴れと言う他ない。

 顔を洗って、身支度を整える。朝食を摂ってる時に考えるのは、最近ではいつもサウザーの事だ。半年前辺りから様子がおかしいと思っていたが、実際に会うのは今日で三ヶ月ぶりだ。

 一体どうしてしまったのだろうか……。この目で確かめる機会でもあるので、今日の呼び出しは俺としても願ってもないことだった。

 将軍をクビにされるか、殺されるか……。どちらにせよ重罪は免れまい。だが、俺としてもその方が有難い。

 元々、警備の面で重点を置かずにいた俺の責任は大きい。ミレーユ王女にストレスを与えたくないという想いがそうさせたとしても、あの罠で殲滅出来ると思ってはいた。脱走を許したのは指揮官が無能すぎたのか、はたまた敵が有能すぎたのか……。しかし、ミレーユ王女まで殺すように命令した覚えはない。あのバカ指揮官め……一歩間違えれば王女までもが、あの場で死んでいたかもしれないのだぞ。

 いずれにしても、王女の命が無事だったのは良かった……。報告では、右足を撃ち抜かれてるとの事だったが、その程度で済んで良かったにしておこう。もし王女があの場で死んでいたら……俺はとても冷静ではいられないかもしれない。

 ふ……たかだか十八歳の小娘一人に、何なのだ、この心の焦燥感と空虚感は……。それ程に大事な存在だったのか?

 思えば初めて王女に会った、あの時から俺の中の何かが変わったのかもしれないな。あの時、俺は何故か王女を守らなくていけない衝動に駆られていた。あの二年前から——。


「サウザー、しつこいと思うかもしれないが、お前自らが出兵する程の事案か?」

「本当にしつこいな。何度も言ったろう? バネンシアという国を実際にこの目で見ておきたい。それだけだ」

 マイトの宿営地を出て、バネンシア王国攻略の為に進軍する軍は総勢二千人。予想される敵兵力は、ざっと五百人。しかし、こちらの装備は馬車、戦車、騎兵のみで歩兵は居ない。新兵器の鉄砲は所持してないが、圧倒的すぎる戦力で、まず負ける事は無いだろう。

 電撃的に進軍して、一日と掛けずに陥落させる予定でいる。だが、本当の目的は別にある。

「バネンシアは下々の人間すらも平和な王国だと聞いている。その平和はどういった制度で成り立つのか……その平和な下々の人間の顔を、この目で見ておきたいのだ」

「お前が理想とする国家なのだから、仕方ないかな……」

「ところで、ジェイク。お前はどう思う?」

「何がだ?」

「かのバネンシアの王女の奇跡をどう思う?」

「偶然……にしては、上手く出来すぎている。王家の威信を高める為の広告戦略だと考えていたが、バネンシアは元々の威信が高いので、あまり意味を成さない。となれば、そのままその通りに事実だと、俺は受け止めている」

「ふむ。王女は魔女なのか?」

「そんな訳ない。人間だ。しかしその能力は人間のそれを超えている。それだけだろう」

「流石だ。俺と同じ意見だ」

「ふん。俺を試したのか?」

「まあ、そんなとこだ。合理的に物事を見てない者は俺の臣下には必要ないからな。その点で、お前は一番信用している」

「そいつはどうも。で、お前の答えは何だ?」

「ジェイクは心理学は詳しいか?」

「まあ……と言っても、俺の知識は戦略、戦術に特化してるから偏ってるぞ?」

「そいつは仕方ない。人間には本能と理性があるのは分かるな?」

「ああ。大体はな」

「王女の能力も、その本能の領域の成せる技だろう……詳しくは知らんがな。そいつの謎解きも込みで参加している」

「なるほど。その王女と面会してみたくて、わざわざ出向いたのか。バネンシアの下見は二の次か?」

「バレたか。まあ、大目に見てくれ」

「しょうがない奴だな……」

 ——そこからは順調過ぎる程に順調で、国境突破から大した抵抗も受けずに、王宮の包囲まであっさりと完了してしまう。あまりに脆弱ぜいじゃくな国防態勢に拍子抜けしてしまう程だった。まあ、侵略の危険がほぼ無い立地なら、この危機感の無さも仕方無しだがな。

「申し上げます! バネンシアの王女と名乗る者が、お供の侍女一人を連れて投降して参りました!」

 包囲戦の陣形を整え、野営陣地の指揮所のテントを張っている時だった。前線に出ていた兵士から報告が来た時には、本当にびっくりした。サウザーを見ると、ニヤリと笑っている。

「ふっ。面白い王女じゃないか。ジェイク、ここに連れてきてくれ」

「分かった」

 サウザーは兵に直接指示は出さない。必ず俺か、俺が居なければその時の責任者に指示を出す。軍の縦社会の規律をよく解ってる。

 ここに連れてくるように指示を出し、デリケートな内容になりそうなので、テント内には俺とサウザーだけ残して、人払いを済ませておく。

 しばらくすると、給仕服を着た女性一人を連れたバネンシア王国の王女を名乗る者が眼前に現れる。

 第一印象でこの娘が、かのミレーユ王女だと確信した。小柄で、白いワンピースのような服を着て、動きやすいようにズボンのような物を履いて、足元はブーツスタイルだが、醸し出す雰囲気は王家の誇りが漂っている。腰まで伸びた長い黒髪は、邪魔にならないように、花をあしらった髪留めで後ろに一つに束ねている。

 そして何よりもこの娘の目が……ぱっと見ではまだまだ幼く、少女のような見た目に反して、とんでもない目力を発揮している。情報ではまだ十六歳だと伺っているが、それを感じさせない色を宿している。そこらの人よりも大きな瞳をしているのは確かだが……ただそれだけではないのは、その態度からも見て取れる。

 この軍勢の中をお供と二人でやって来て、物怖じせずに堂々としているのだ。たかだか十六の少女が……だ。

「ようこそミレーユ王女。私がガーランド帝国の皇帝、サウザーです」

「え……あ、はい。初めまして! バネンシア王国のミレーユです。宜しくお願いします!」

 そう言って、一礼する王女は少女そのものだ。

 一瞬。一瞬だった。ほんの僅かな一瞬だけ時が止まったかのように感じた後、俺もサウザーも笑い出していた。

「あ、申し訳ありません。何か失礼がありましたか?」

 ミレーユ王女は、お供の侍女にすらも助けを求める視線を送っていた。

「いやいや。私どもが失礼しました。あなたが気に病む事はありません。無礼をお許し下さい。なあ、ジェイク!」

 そこで俺に振るのか、サウザー……卑怯だぞ。

「そうですとも、ミレーユ王女。あなたが余りにも堂々となさってるので、もっと貫禄のある方と思ってたら……。こんなにも可愛らしい挨拶をされるので、つい……。失礼しました」

「も、申し訳ありません。まさか皇帝がいらっしゃらるなんて、思いもしなかったものですから……びっくりしてしまって……」

 どうしたものか……。可愛らしいと思ってしまっている自分が居る。俺には詰問きつもんは無理だ。サウザーに目で訴えると、頷いて了承してくれる。

「ミレーユ王女。では、改まって王女を演じなくて結構です。私も皇帝を演じません。腹を割って、お話ししましょう」

 しばし王女はサウザーを見つめて考える素振りをしていたが、いきなり屈託のない笑顔で話し始める。

「それなら良かったです。王女らしく振る舞うのって、疲れるんです……。皇帝のお心遣いに感謝します」

「いえいえ。それで? お一人で乗り込んできて、私どもに何か御用ですか?」

 こちらの真意は知らせず、相手の緊張を解いて、相手の真意を探るのはサウザーの最も得意とする話術だ。

「ごほん……。はい。あなた方帝国のバネンシアへの侵略は、私の身柄の確保が狙いと推察しております。ですので、これ以上の進軍を止めていただきたく、自ら参りました」

「はい。大変良く出来ました。ここまでの道中で、そちらのお供の方と練習されましたか?」

 図星なのだろう。王女はお供の侍女と顔を見合わせて動揺している。笑いが込み上げるのを堪えるのは大変だというのに……。サウザーは平気なのだろうか?

「え、なん、あ、はい。すみません……」

「構いませんよ。それで、私があなたの要望通りにすると本気でお思いですか? 私は世界制覇の夢に、バネンシアが邪魔なので潰しておこうと考えているだけですよ? なので、あなたの行動は自己満足に過ぎません。殺されても仕方ありませんね」

 そう言ってサウザーは腰の剣を抜いて、切先を王女に突き付ける。随分な演出をするものだ。内心楽しくて仕方ないんだろうな。

「はい。殺される覚悟はしてました。けれど、皇帝にお会いして確信しました。私は殺されないです!」

 ほお……。

「なるほど。いい度胸です。ですが、私は王女を殺さないと……? 何故そう思うのです?」

「私の直感です。私の勘は外れた事がないんですよ?」

 しばしサウザーは真面目な顔で、じっと王女を見ていたが……剣を鞘に収めようとしながら、身体を半分捻っている。

「よろしい。想像以上の能力のようだ……。私も自分の勘は信じていてね。私の勘は王女……あなたを殺さなければ、私が殺されると告げている。この機会に殺しておこう」

 いかん! あのサウザーは本気で殺しにかかっている。剣を収める……と相手を油断させて次の瞬間に斬りかかる、常套手段だ。

「ひゃっ!」

 間一髪で間に合った。鋼同士がぶつかる、甲高い音が響き、サウザーの剣の切先が王女の首を切り裂く前に、俺の剣がサウザーの剣を止めた。

「どうしたサウザー! 本気か!?」

「止めるなジェイク。この娘は、いずれ俺を滅ぼす」

「たかだか十六の小娘だぞ!?」

「だが、その能力は危険すぎる。危険は花開く前に芽のうちに摘んでおかなければならない」

「ならば王女の命、俺が預かる」

「なんだと……?」

「このまま帝国内で監禁する。外の情報に触れさせなければ、能力が育つ事も、花開く事もないだろう?」

「……良いだろう。ジェイク、お前が全責任を取り、王女を監視しろ」

「承知した」

 サウザーは剣を鞘に収め、背中を見せたまま、テントから出て行ってしまった。

 サウザー……お前、まさか……。

「大丈夫ですか、ミレーユ王女?」


 ——その場で立ち尽くして呆然としていた王女も、ハッとして目を見開いてお礼を言ってくれたな。あの時は自分の勘が外れたと、王女は本気で落ち込んでいた。しかし、本当の事はサウザーの手前、王女には言えなかったが、あの時の王女の勘は外れてなどいない。

 サウザーは初めから命を取るつもりはなく、あれもサウザーの演出だ。王女自身に「自分の直感は完全ではなく、たまたまの偶然が重なっただけ」という意識を植え付ける作戦だ。それだけでも王女の能力の封印の役目となす。

 そしてもう一つ、自分は命を助けられた身分で、帝国やサウザーに恩を感じるように仕向けている。事実、それ以降の王女は帝国に従順していた。完全にサウザーの術中の手の中だった。

 あの時、俺がサウザーの剣を止めなくても、サウザーの剣は王女に届いてなかっただろう……。もっとも、その事実を王女が知る事は今後もう無いかもしれないがな。

 その頃を含め、昔を懐かしく感じるのは、今が充実してない事が原因か……。サウザー、ミレーユ王女……この先、俺はどうしたらいいのだ? その答えを今日、示してくれるのか?

 窓から見える空は一面雲で覆われており、空は答えを示してはくれなかった……。


          ♦️


 意識が戻る……。辺りが明るい……。もう朝か……。眠っている間は気分が良い。何も感じずにいられるからだ。だが、一旦目覚めるとダメだった。ひどく気分が落ち着かない。

 ベッドから身体を起こす。脇にあるテーブルの上のグラスに手を伸ばし、中の液体を一気に飲み干す。

「お目覚めですか? サウザー様」

 声がした方を見ると、同じベッドで寝ていた女性が上半身を起こして、こちらを見ている。

 普段は髪の毛を後ろに束ねて纏めているが、この時は解いており、胸の辺りまでかかっている。見慣れた給仕服も着ておらず、その均整の取れた肢体を隠すものが無い。少し斜めに構えた姿勢に薄暗い陽光が当たって、何とも言えない色気にまた昨夜の情景が頭をよぎる。

「ああ……。起きたよ。気分もな……」

 たまらずに押し倒し、その首から胸元へと唇を走らせる。

「まぁ……随分と、ご気分がよろいしのですね? 今日は久しぶりにジェイクマン様とお会いになるからでしょうか?」

 心地良い……心地良すぎる……特にこの胸元から漂う香りがまた俺を心地良い気分へと変えてくれる……。

「そう……かも……しれん……な」

「いいのです。もっと愛して下さいまし……」

 そう言いつつ、俺を優しくもキツく抱きしめてくれる。どんどん気分が昂揚していくのが分かる……。俺が俺でなくなっていくのも分かる……。だが、この甘美な香りと身体に、もっと酔いしれていたい……。もっとだ。もっと俺にくれ!

「ジーナ……俺のきさきになれ」

「サウザー様のお気の向くままに……」

「俺を助けてくれ……君無しではもう俺が俺でいられない……」

「大丈夫ですわ、サウザー様。私はいつも、お側に居ます。安心して下さいまし」

 脳が溶けるような感覚……。不安と安心と興奮と安寧が全て押し寄せてくるこの感覚……。

 これだ。これを求めてたんだ。俺は全てを手に入れたんだ!

「お前は俺のものだ、ジーナ。世界も俺のものだ。違うか?」

「いいえ。その通りです。何も間違っておりません」

 ジーナの身体を照らす陽光が弱いと思い、視線を上げて窓の向こうの空を見ると、雲で覆われている……。

 あいにくの空模様だな……。だが俺の心は晴れ渡っている! 爽快だ!

 眼下の女の瞳も輝いている! 俺の勝ちだ!

 ふははははは——。



次回【第五章 崩壊の輪舞】

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