<終章>


<終章>


 目が覚めると、満天の星空が広がっていた。

 地面には砂と砂と、砂しかない。劇場はおろか、高層ビルの影も形もない。

 起き上がろうとする。

 倒れた。

 体のバランスが滅茶苦茶だ。先ず下半身、足というか、股というか、その辺りの違和感が凄く。妙にスースーして………………冷え、蒸れ、いや、あれ?

「何じゃこりゃぁぁぁぁ!」

 ない。

 玉も竿も、男の一番大事なものがなかった。

 後、胸。

 胸がある。

「うわぁ、うわぁ」

 そこそこ柔らかい。キヌカより大きい。胸のサイズはよくわからないけど、Bか、Cか、たぶんその辺り。

 長い髪が視界を遮る。極めつけは指。白魚のようで傷一つなく、逃れようもなく俺の体が『あの女』のものという事実を突き付けてくる。

 体を乗っ取られたことも、奪い返せたことも、全部予想外だが、これが一番予想できなかった。

 そういえば、功労者のボロはどこだ?

「あ」

 潰されていたな。機械のことは何もわからないが、あんな壊れ方したら修理は不可能だろう。こんなことなら、ケチらず体を買ってやればよかった。もしかしたら、半壊くらいで済んだかもだし。

 他に、あの二人も見当たらない。

「ユルル! マンハンター!」

 砂に埋もれている可能性を考えて呼ぶが、返事はなかった。

 肝心なことを忘れていた。

「ヘル・イーター」

 左腕を伸ばして呼ぶ。

 戻っているならこれで………………だが、変化がない。波というべきか、力の揺らぎを全く感じない。当然、剣も出せない。

 嘘だろ。

 力がなくなった? それとも一時的に使えないだけか? また何もない無能に逆戻りはごめんだ。しかも、あのクソ女の体でとか。

 気が遠くなりかけ、ふらふらする頭を抱える。すると、ボコっと砂が盛り上がり、ササが出てきた。

 砂からササだ。

『ぎゃあああああああああああ!』

 声をハモらせ悲鳴を上げた。

 今気づいたが、俺の声まであの女のものだ。

「殺さないでください! 殺さないでください! 食べないで~!」

「落ち着け、俺はあの女じゃない。中身は飛龍だ」

「………マジで?」

「マジ。だから少し落ち着け、クソボケビッチの裏切り者」

「言葉並びが、落ち着けないんですけど!?」

 内心冷や冷やしている。今の俺ではサメも殺せない。ササが何かしらの力を残していたら、喰い殺されて終わる。

 取り繕ってやり過ごすしかない。

「とりあえず、お前に危害を加えるつもりはない。お前が襲ってこないかぎりな」

「襲おうと思っても、ササさんにはなんの力もないし。キャロラインちゃんも死んじゃったから………………なんで、ササさん生きてるの?」

「知らねぇよ。生きてるから、生きてるだけだろ」

「即物的だシャー」

「これが人間だ。人間の俺が言うのだから間違いない」

「いやいや、ヒリュー。そんな体で人間のつもり?」

「人間だ」

 性別は変わったが、そっちの方が人間かどうかよりショックだが、俺は変わらず人間だ。

「意味わからんですが、根拠は何よ?」

「はぁ? ねぇよ、んなもん」

「なおさら、意味不」

「大体人間なんてもんは自――――――」

 意識に空白が生まれた。

 喉元まできた言葉を忘れてしまう。

「どしたのヒリュー?」

「なんか忘れた」

「何を?」

「何を忘れたのかも忘れた」

「あ、はい。大変デスネー」

 体の変化のせいだろう。

「女の体って大変だな」

「いきなりの差別発言、止めてもらっていいですか?」

「女の体で言っても差別なのか?」

「心の問題かと」

「じゃあ、人間も心の問題でいいだろ」

「上手く繋げたおつもりで?」

「我ながら、ぼんやりとした頭ではそこそこに」

 やはり、何を忘れたのか思い出せない。思い出そうとすると霞がかかる。

 ひとまず、

「俺のことはいい。ササ、お前どうすんだ?」

 復讐する感じは見えない。

 今のところ。

「誰かさんにキャロラインちゃん殺されちゃったからなぁ~」

「お前、キャロラインから色々聞いていたのか? あいつ自身のこととか、ユージーンとの関係とか」

「聞かなくてもわかるよ。造物主のことなんだから。好きな人を、陰でこっそりメソメソしながら、自分らしく陰湿に助けるってね」

「人を殺してな」

「そりゃ殺すでしょ。人間だって人間を殺すのだから」

「自分を含めた『人』だ」

「それは、んーどうでしょう? ササさんわかんない。とても気になるけどわかんない」

「わかっとけよ」

「乙女の秘密だからなぁ~深淵だからなぁ~」

 ササはグルグルと回りながら、何かを思い付いた。

「思い付いちゃった。“キャロラインちゃんを作ろう。”作って聞こう。自分を殺して日陰の愛に生きたのか? もしくは、別の理由があったのか? その理由を。これは生きがいだね♪」

「作るって、サメじゃあるまいし。あ、サメか」

 可能か不可能かはさておき。ボイドが造物主を作るとは、愉快なような不愉快なような。味わったことのない気分になる。

「工房に残った画材を使えば………………たぶんいける。サメだけじゃなくてなんでも作れる、かも。なんなら、ユージーンとカナリアも作っちゃう。あ、妙案。そこにキャロラインちゃんも自然と混ぜて幸せな家族を創ろう。どうよこれ?」

「お人形遊びと何が違うんだ? あいつらへの冒涜だぞ」

「お人間遊びです。そこ間違えないで」

 こいつはここで、滅ぼすのが一番な気がする。

 折れた剣すら出せない今では、不可能に近いが。

「して、してて、ヒリューはどうすんの?」

「先を進む。体を戻す方法を探す」

 最低でも下半身の問題はクリアしないと、性欲で発狂する。

「そうかぁ、ヒリューはなくしたチンコを探しに旅立つのね」

「………何一つ間違っていないが、言葉を選べ。女が恥じらいもなくチンコとか言うな」

 ササは頬を赤らめ、体をくねらせ言う。

「チ―――」

「恥ずかしがりゃ何言ってもいいと思うな」

「チッ、つまんない男」

「ああそうだよ! 男だよ俺は!」

 何か異常に腹が立つ。

「てなことで、そろそろお別れ? 今生の別れ?」

「そうだな。正直言えば、お前とは二度と会いたくない」

「またまた~ご冗談を。お世辞はいいってばよ」

「………え、本気だが」

「………え? かなりショックなんだけど」

 できるなら後顧の憂いを消し去ってから、この階層を後にしたい。そんな気持ち。

「つーか、一体、お前のどこに別れを憂う要素がある」

「顔? スタイル?」

 顔もスタイルも、実はまあ好みのタイプだが、中身とイベントでマイナス値を限界突破している。

「性格とか人格とか言わない辺り、多少の自覚はあるんだな」

「でも、男なんておっぱいの大きい女が適当にしなだれかかってきたら、なんでもオーケーしちゃう生き物でしょ?」

「残念ながら、今の俺は女だ。そういうのは効かん」

「都合の良い性別転換!」

「利用できるもんはなんでも使う。それが今の俺だ」

「さようでございますか。んじゃま、ヒリューがメス堕ちする時にでも、ササさんのこと思い出してください」

 ツッコミするのも面倒になる。

「………………さっさと消えろ。マジで殺したくなる」

「ササさんだけにさっさと?」

 ササの顔面に拳を叩き込む。外れた。バランスを崩してすっ転ぶ。

 ひでぇ体。

 運動神経がちぐはぐ。一から鍛え直さないと使い物にならないぞ。

「シーユー、ヒリュー。また会おうね。次は新しい家族を紹介してあげる。もしかしたら、そこにはあんたもいるかも」

「お前ッ」

 やっぱここで殺すべきだと思い直すが、ササは巻きあがった砂の柱に飲まれて消える。

 ホォォオオン、と高い場所から鳴き声が響いた。

 空を泳ぐのは、マッコウクジラと見間違う超サイズの巨大なサメ。ササはあの中だろう。

 サメは優雅に呑気に星空を泳ぐ。

 手を伸ばすが、今の俺に届く手段はない。

 サメを眺めて、すぐ飽きた。俺はたぶん、水族館とか通り抜けるタイプだ。

 キヌカを探すために歩き出す。

 と、投下ポッドが落ちてきた。

 要請したのはキヌカか? それとも?

 ペッ、とポットから吐き出されたのは、ボロだった。いや、ボロの頭部によく似たユニット。

 頭部が転がり、俺の足元で止まる。

『確認、あなたのお名前は? またこの後、性交渉をする相手の名前も同時にお答えください』

「飛龍だ。それとキヌカな」

『まだ擬態の可能性があります』

「そういわれても俺は俺だ。お前こそ何だ?」

『私は、あなた方が【ボロ】と呼称した個体のバックアップです。廃棄決定された物ですけど、緊急措置で再々々利用されました』

「なんでまた?」

 本当にボロなら、それはそれで嬉しい………ような気もする。

『上層部は、あなたの存在を検知したことにより、あなたへの監視、監査、各種サービスを停止しました。ですが、野放しは危険過ぎます。私の再々々利用は、監視、監査、サービスの利用の代行です』

「俺の稼いだ金や、報酬はどうなってる?」

『それも私が預かっています。ふむ、今の受け答えであなたが【飛龍】である可能性は高くなりました』

「飛龍だって言ってるだろ。お前が頭に針ぶっこんで戻したんだ。自分の仕事を信用できないのか?」

『いえ、あれであなたの人格を戻せる可能性はとても低かった。【彼女】に対する嫌がらせみたいなものです』

「なんだかなぁ」

 ボロを拾って、腰に下げようと思ったが、この制服ベルトがない。

「って俺、スカート履いてた!」

 しかもタイツまで!

「マズ、マズイマズイマズイ、ボロこれはマズイ」

『何がでしょうか?』

「違和感がなかった。この服装に。タイツは蒸れてるし、足開きにくいし、意識したら死ぬほど恥ずかしい」

『これでかなり、あなたが飛龍さんである確率が増えました』

 ボロをぶらぶらと持ちながら、フラフラと歩く。

「俺がスカート………スカート」

『お似合いですよ』

「やめろぉぉぉぉぉ! 肯定するな! 否定しろ! 男の俺がスカートだぞ!」

『男性でもスカート履きますよ。そういう民族衣装もありますし』

「その民族衣装着てる男も恥ずかしさに耐えてる! 間違いない!」

『知りませんが、伝統は大事ですね』

「男物の制服を要請しろ。せめて、パンツスーツを要請しろ。頼む。スカートとタイツに慣れる前に」

『もう慣れてますよね?』

「慣れてるから怖がってるんだよ!」

『女装と思えば、別に変ではないかと』

「余計変だ!」

『多様性というのは』

「俺に多様性は必要ない! 滅びゆく存在でいい!」

『あなたは飛龍さんである可能性が更に上昇しました』

「どうも! はよ、制服投下しろ!」

『サービス利用パッチをダウンロード中です。五時間ほどお待ちください』

「お前、わざと待たせてないだろうな?」

『HAHAHA』

 などとしていると、正面に小さい人影。

 キヌカがいた。

 思ったよりも再会が早い。色々と心の準備ができていない。頭が真っ白だ。しかし、沈黙は良くない。すぐにでも俺が飛龍だとキヌカに伝えるべきだ。でないと、逃げられる可能性もある。

「き、キヌカ」

 ぐちゃぐちゃになった頭の中で必死にひりだした言葉は、

「すまん、チンコをなくしたからセックスは少し待ってくれ」

「うわ、飛龍だ」

 一番嫌な形で俺が俺だと理解された。

 傍に寄ってきたキヌカは、無遠慮に俺の胸を掴む。

「きき、キヌカさん!?」

「………………飛龍、ダイエットしようか」

「割と瘦せ型だろ。この体」

 ぐにゃ。

「ほら、これ脂肪だからね? ね? 脂肪」

「いだだだだッ」

 胸を捻じられ、激痛が走る。

 キヌカの目は本気だ。

「何が悲しくて惚れた男が女体化して、しかも胸が自分よりも大きいのよ。意味がわからない」

「戻るから! 絶対、俺男に戻るから! 今は我慢してくれ!」

「正直、中身が飛龍なら女の体でもいいよ? ここだけは気に入らないけど」

「ぎゃー!」

 本気で悲鳴を上げたら、キヌカは解放してくれた。

 もげるかと思った。

「結局、ボロの言っていた作戦は上手くいったの?」

『予想外に上手く行きましたね』

「予想外なんだ………」

『予想を超えるのが人間ということで一つ。あなた方が今までやってきたのも、似たような成功確率でしたよ』

「アタシたち場当たり的だもんね。流石に飛龍が女になるのは、欠片も予想していなかったけど」

「俺もだ」

 胸が痛い。

 物理的にも心象的にも。

「ボロ、【あの女】って何だったの?」

『詳しく情報を開示することは許されていません。権限が“どうの”というわけではなく人類には知らせてはいけない存在なのです』

「今ここにいるよね? 胸鷲摑みしたし」

『はい、飛龍さんが主体になっていることで、脅威を一時的に無効化しているのです。初観測の異常事態です。上層部は恐々としながら理由を知りたがっています』

「あの女が、飛龍を押し退けて出てくる可能性は?」

『高いです。飛龍さんの感情の動きや、肉体への過度なダメージ、他ボイドによる影響等など。安定していることの方が異常な状況ですので、爆発物のように取り扱ってください』

「そういうこだそうな。俺に前より優しくしてくれ、キヌカ」

 胸を揉むときは特に。

「むううう。優しくしてほしいのはアタシもなんだけど、手足もこれなんだし」

 キヌカは、ボイドになって手足を振る。

 俺がこんな情けない体になって、ホントすまんと思う。

『私は、ベータクラスの権限を貸し与えられています。キヌカさんの手足や、眼球を、元の人間の物に取り換えることは可能です。ボイドを完全に切除できれば、ですけど』

「すまん、キヌカ。俺は今、ヘル・イーターが使えない。完全にただの一般人以下だ」

「ウソでしょ」

「折れた剣すら出せない」

「あの剣って、男性器の変化した姿だったんじゃ?」

「そんなわけあるか。そんなもん振り回していたとか、恰好がつかないだろ」

 急なボケはやめて。

「まあ、飛龍は無力なのね? 胸が大きいだけの」

「………はい」

 胸は大して大きくないけど、力では全く勝てないので黙る。

 キヌカは、なんでか知らないが、滅茶苦茶嬉しそうに笑う。

「しょうがないなぁ~しょーがないなー。アタシが守ってあげるわよ。しょーがないなーもう、ダメな人なんだから♪」

 そういえば、キヌカってこういうところあるよな。駄目人間が好きみたいな。

 俺、複雑。

「ほら、行くわよ。さっさと次の階層行かないと」

『ですね。ここにはもう、何の発見もありません』

 キヌカとボロが、先を進み落ち込む俺を急かす。

 遅れて続く俺が、どうしても一つだけ、キヌカに言っておきたかった。

「キヌカ、俺がまたあの女になったら、迷わず殺してくれるか?」

「いいわよ」

「そうか」

 安心した。

 できるなら、自死してやりたいけど。不可能なら頼むしかない。

 その後、キヌカは。

「その後、一緒に死んであげる」

「冗談だよな?」

 冗談には思えず、背筋が薄ら寒くなった。

「ふふっ、どうかなぁ」

 彼女は、後ろ姿で笑いながら返す。

 俺は、それ以上は何も言えなかった。


<終>

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ヘル・シーカー 赤錆の暗き神の座 麻美ヒナギ @asamihinagi

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