第4章

 翌日の昼過ぎ、我らがダットサンはついに新潟県に入った。適当な場所で降ろしてくれていい、と美菜は言ったが、ついでだからと2人で言い張って彼女の実家まで送る。ここです、と言った家はかなり広く古風な一軒家だった。

「じゃあ、ありがとね。二人とも元気で」

 大きなバックパックを背に、見えなくなるまで手を振って見送ってくれた。


「いいのかよ、連絡先聞かなくて」

 ハンドルを切りつつ佐々井が言った。

「なんでだよ」

「お前惚れかけてたでしょ。昨日の晩とかなんかもう、目がやばかったよ。ハートだったぞハート」

「うるせえな正直タイプだったよ」

「追いかけるなら今だぞ」

「いやいい。なんていうか、ここで聞くのは違う気がする」

 ふん、と佐々井は鼻を鳴らした。

「まあ俺は聞いたけど」

「ああっ!?」

奴はLINEの画面を見せてきた。猫のアイコンで『ミナ』と登録されていた。

「ちゃっかりしてんなあ……」

「ちなみにグループラインも作ったぞ」

僕が自分のスマホを見ると「呑んだくれの会」とかいう適当な名前のグループが出来ていた。なんだそれ。


 車は再び国道8号線に乗った。新潟まであと136キロ。夕方には着きそうだ。もうすぐ旅が終わってしまう。


 しばらく会話もなく走る。オーディオからは地元のラジオの慣れ親しんだ声が聞こえる。昨晩の出来事は酔っていたせいか朧げで、思い出したいような忘れてしまいたいような、なんともむず痒い記憶だった。2人の前で泣いてしまったのはやはり気恥ずかしい。スマホには美菜が花火の火の粉をバックに踊り狂う動画が残っている。手ブレがひどいが、それでも割とよく撮れていた。音を差し替えたらプロモーションビデオの素材にでもなりそうだ。彼女が許すか知らないが。


 ついに新潟市に入り、旅の終わりはすぐそこだ。

 最後に一服するか、と佐々井の家の隣にあるコンビニに車を停めた。吸い殻入れの前で、2人で並んで煙草を咥える。西日が眩しい。

 火を点けながら奴が「お前に渡すものがある」と言った。車のドアを開け、一冊の本、というより分厚い紙の束を持ってくる。受け取って見ると『雑踏(第一稿)』とタイトルが入っていた。

「脚本?」

「そう。最近書いた」

 ざっと捲ると300ページくらいある。

「最近また撮りたくなって、まず本を書いたんだよ。ずっと前から温めてたプロットで。学生の頃、俺の本で3本撮ったけど自主上映会でやったくらいで全部内輪だっただろ。本気で撮って、今度はコンペに送ってみたい」

 照れ隠しなのか奴は早口で言った。

「やろう」

 読む前に答えは決まっていた。

「まだ機材は借りれるよな。すぐ準備して撮り始めよう」

 佐々井はニヤッと笑った。

「監督はお前に譲るよ。俺は裏方でいい」

「えっ、いや……。共同監督にする?」

「お前が撮れ」奴は断言した。

「お前はもっと我儘になっていい。自分のために撮れ。やりたいことをやるべきだ。やるんだろ?映画」

 佐々井は僕の目を真っ直ぐ見て言った。


「あ、あとこれ」

 言いながら奴は僕にダットサンのキーを渡した。

「最後運転しろって?」

「いや、この車お前にやるよ。そのつもりだったから」

 えっ、と戸惑う僕に背を向け「じゃあな」と言って奴は去っていった。

 こうしてドライブの旅は終わり、僕はダットサン211型を手に入れたのだった。



 ○



 帰宅した翌日、僕は会社に辞表を提出した。様々なゴタゴタがあったが、もう全てがどうでもよかった。オフィスに誰もいない時間を見計らい、自分のデスクの荷物を引き上げた。これからは職場に自分の席はない。何の感傷も湧かず、晴れやかな気持ちだった。


 これからの人生がどこに向かうかはわからない。でも途方に暮れるわけではなく、やりたいことは頭の中にあるのだ。すぐにでも撮りたい映画の構想が頭にいくつもある。これからは他人に使われるのではなく、自分のための人生を生きてやる。そんな確固とした思いがあった。

 そして、自分が大丈夫になったときに、美菜に会いたいと思った。そのとき彼女に話せるような話題をいくつも持っておけたらいいなと思う。


 荷物を積んだダットサンのエンジンを回し、シートの振動に身を委ねた。どこへだって行ける気がする。大好きなあの映画の台詞が浮かんだ。

「ケツを上げて、ギアを入れるんだ」

 ハンドルを握り、アクセルを踏んで、前進した。

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避行 高里 嶺 @rei_takasato

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