第3章

 佐々井の提案で、この日の宿は高岡市のゲストハウスに決まった。荷物を置き、路面電車に揺られて駅前へ出る。日曜夜の繁華街は閑散としていた。

「路面電車のある風景って良いですよねえ」と美菜は自前の一眼レフでしきりに写真を撮った。佐々井はそんな美菜を見ながら「いいねえ、カメラ女子は絵になるねえ」などと言ってニヤニヤしている。なんでこんな男がモテるのか。

 奴がここにしよう、と言った渋そうな居酒屋に入った。お通しの山菜の煮浸しが美味い。適当な男だが、佐々井が選ぶ店に外れはなかった。乾杯し、2杯、3杯とジョッキを煽るうち、美菜の破天荒な呑みっぷりが露わになった。ガンガンと呑む。佐々井が負けじとペースを上げ、2人の飲み比べみたいになった。会話も弾んだ。饒舌になった美菜の話は面白かった。旅行中、泊まったゲストハウスの主人に気に入られ過ぎて奥さんに睨まれ逃げた話、大雨の日に宿が見つからず、やむなくコインランドリーで一夜を明かした話。

 すぐ隣の飲み屋になだれ込み、カウンターで呑む。話していると偶然店主が僕と佐々井の大学の先輩だと判明し、タダで料理が出てきた。

 2軒目を出る頃には、僕はここ数年にないほど酔っていた。久しぶりの酒がまわってクラクラする。路上でふざけた佐々井が美菜に抱きつき、彼女は瞬時に鮮やかな一本背負いをキメた。受け身を取ることなくアスファルトに尻を打ちつけた佐々井が叫びながらゴロゴロ転がり、2人でしばらく手で押して転がしてやった。酔っ払いの馬鹿騒ぎが面白く、無性に笑えた。

 その後は泥酔してよく覚えていない。3軒目、立ち飲み屋でたらふく呑み、隣にいたおっさん連中が何故か一杯ずつ奢ってくれて仲良くなる。阪神ファンの美菜とおっさんが肩を組んで六甲おろしを熱唱した。おっさんと別れ、コンビニでさらに酒を買い込み、3人で並んで歩きながら呑み、結構な距離を歩く。奴が「『きみの鳥はうたえる』にこんなシーンあったな」と言った。確かに同じシチュエーションだ。路面電車のある風景のせいかもしれない。美菜があのヒロインみたいなビッチじゃないといいな、と朦朧とした頭で考えた。

 気がつくと海に着いていた。佐々井はコンビニで買ったであろう大量の花火を持っている。

「なんか怖いね、真っ暗な夜の海って」

 波打ち際にいる美菜が振り返って笑った。

 気の利いた返事を思い付かないので、近くに落ちていた空きビンのゴミを遠くの海にぶん投げた。バチャ、と水音がする。

 ちょうどいいのあったぞ、と佐々井がバケツを拾ってきたので、海水を汲む。

 手持ち花火に火を点け、吹き出る火花をお互いに浴びせながらはしゃいだ。3人で使い切るには多すぎたため、後半は一気に5本くらいずつ点火して惰性で消費した。


 テトラポットに腰掛けて、最後に残った線香花火をやりながら煙草を吸う。一本ちょうだい、と美菜が言うので渡し、火を点けてやる。長い睫毛が照らされた瞬間、確かに絵になるなあと思った。彼女がすぐ隣に座り、僕は落ち着かない気持ちになる。そういえばさっきから佐々井が見当たらない。


「めっちゃ酔いました」

「明日二日酔いかも」

 美菜は吸い慣れない煙草を持て余していた。

「なんか学生時代に戻ったみたい。純粋に遊んだのなんて久しぶりだよ」

 しばらく無言で暗い海を眺めた。

「で、修也くんは?」美菜が海の方を向いて聞いてきた。

「これから先どうするの」

「テロリストになってホワイトハウスを爆破する。それから南極を占拠して独立国家をつくる」

「南極は寒いし駄目だよ。真面目に答えて」

 美菜はこちらを向く。

「どうするんでしょうねえ」

 美菜と見つめ合うのが恥ずかしくて海を見た。酔っているのを自覚する。何も考えたくない。

「じゃあ、質問を変えます」先生みたいな口振りだ。

「修也くんは、小さい頃何になりたかったんですか」

「小さい頃かあ……」

 波打ち際をぼんやりと眺めながら考える。内気な子供だったと思う。スポーツは苦手だが勉強は得意な方だった。小3、友達の家で毎日ゲームをした夏休み。小5の初めてのスキーで骨折した。中1、文化祭でちょっとした映像を上映した。クラスのイメージビデオ、みたいなコンセプトだった。流行りの曲に合わせて全員で踊ったり、川原を走ったり、影で文字を描いたり…そう、教師から借りたビデオカメラで撮影して、家のパソコンで編集もした。教室のスクリーンで映したらみんなに絶賛されて、泣きたいほど嬉しかった──

「映画監督だ」

 美菜を見つめて言った。

「中学の時、文化祭でクラスのPVみたいなやつ撮ったんです。その時なりゆきで監督役やらされて。自分なりに考えて絵コンテまで書いて撮った。そしたら最優秀賞取っちゃってヒーロー扱いされちゃって。友達にも教師にも褒められて、いま考えると人生のピークでした。それで映画監督になりたいな、って思っちゃいましたね」

「じゃあ、決まりだ。これからは映画監督目指そう」

「えっ」

「まずは私を撮ってみて」

 言うが早いか、美菜は立ち上がり走り出した。急にどうした?僕は追いかける。浜辺に一本だけ立った街灯の下まで来ると、美菜は一瞬こちらを振り返り、手元のスマホを操作した。音楽が流れ出す。

「いくよ、撮って」

 美菜はサンダルを脱いで放り投げ、いきなり踊り始めた。

 アップテンポの曲に合わせて、美菜は髪を振り乱しながら踊った。跳ねるように動き、しなやかに手を伸ばす。砂を蹴り、爪先で回転し、足を振り上げる。手足の先までコントロールされた、どう見ても玄人のダンスだった。

 しばらく呆気に取られて見ていたが、ポケットのスマホに手が触れた。撮らなくては。録画モードにしてスタートする。中腰になりながら、街灯を背に踊る美菜をあらゆる画角から撮った。真横から真下から、陰影が付く角度で、アップで、遠景で──

「おーい、また買ったぞ花火」

 歩いてきた佐々井は動き回る2人に目を丸くした後、おもむろに両手の花火に点火して割り込んできた。

「あはっ!よくわからんけど混ぜろ!」

 踊る美菜、手持ち花火を振り回す佐々井、動画を撮る僕の3人でぐるぐる回り、はしゃぎ回った。火花がかかって熱い。笑いすぎて息が持たない。目がまわる。ブレながらも夢中で撮る。花火の逆光で浮かび上がった、踊る美菜のシルエットは美しかった。

 やがて足が絡れた佐々井と僕がぶつかって倒れ、それにつまずいて美菜が倒れ込んできた。砂の上で折り重なり、疲れ果てて誰も動けない。汗だくだ。風が気持ちいい。

「なに、やってんだろ、大人3人で」

 息も絶え絶えに言った。

 美菜が体を起こし、手を差し出してくれた。掴まってなんとか立つ。目が回って軽く吐き気がする。僕は砂の上に伸びている佐々井を引き起こそうと屈んで、鞄の中身をぶちまけてしまった。佐々井がその中の何かを手に取るや否や、思い切り海の方へぶん投げた。それは高い弧を描いて飛んでいきドボン、と海に落ちる。

「え、何投げたの」

「ダサいガラケー。お前の会社のやつ」

「えっ!?」

 頭が真っ白になった。なんてことしやがる!

 呆然とする僕の横で美菜が爆笑していた。

「いいじゃん、辞めちゃえ仕事。映画監督志望でやってこうよ」

「いよっ、自称監督志望!」

 立ち尽くす僕を2人のガヤに囃し立てる。よく考えたら、全てが些細なことに思えてきた。仕事なんてもうどうでもいいんだ。なんだか面白くなって笑えてきた。2人と顔を見合わせて笑った。そうか、辞めてもいいんだ。好きなことをやってもいいんだ。

 しばらくすると急に目の奥が熱くなり、気がつくと僕は笑いながら泣いていた。

 泣き笑いはしばらく止まらなかった。

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