ゆっくり歩こう

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 歩くのが好きだ。ジブリアニメの歌にも、

「歩くの大好き、どんどん行こう ♪」

 というのがある。歩く事はもちろん健康に良いのは言うまでもないが、頭の活動も活性化するようだ。かつて、多くの芸術家、音楽家、思索家が散策の中で作品や思想を生み出してきた。訪れた事はないが、ゲーテが歩いたハイデルベルクの哲学者の道は有名だし、ベートーベンも歩くのがとても好きだったようだ。


 私は、ここ健康市に住んでいる。大都市郊外のベッドタウンだ。趣味でいくらか物書きをしている。家でじっとしているとなかなか新しい構想は浮かんで来なくて、脳ミソは直ぐに「停滞状態」に陥る。しかし、外を歩くといろいろなアイデアが去来する。不思議なものだ。これは五感が刺激されているせいだろと思っている。自然の音や匂い、風や地面の感覚、目に入る風景などなど。歩くのは、やはり原初的であるが故のすがすがしさが魅力だ。五感が一番さらけ出された状態である。

 さすがにスマホをいじりながらの場合には、何も頭には浮かんでこない。また、ヘッドホンをしていると、折角の聴覚に蓋をされてしまう。

 とは言っても、歩いているのは人里なので、自然にだけ囲まれているわけではない。騒音もあるし、「香害」もある。住宅の軒先を歩くと時々、人工的な強い香りが漂って来る事がある。テレビで宣伝している「フローラルな香り」だろうか。それは瞬時に自然の香りを上塗りしてしまい、鼻に残ってしまう。


 同じ歩く事でも、あんまり早足で歩くと、歩くことに一生懸命になり過ぎて頭が空っぽになる。走る世界で言う「ランニングハイ」と同じノリかもしれない。ただ、「空っぽ」は悪い事ではなく、これはこれで頭や心の癒しになるので心の健康に良い。禅坊主は「空」を目指すし、比叡山の千日回峰行者は何かを考える暇など無く、早足で山を巡るという。ゆっくり歩く事と、早足で歩く事は、適宜使い分ければ良いのだろう。

 私は元来、早足が得意では無いので、ゆっくり歩く。かつての哲人よろしく、なんとなく思索にふけりながら、また四季の移り変わりを楽しみながら歩く。その代わり1時間から2時間くらいと、少し長めに。現代社会では、ちょっと贅沢だ。


 ここ健康市も初夏に掛かり、うぐいすも大分と上手に鳴くようになってきた。時鳥ほととぎすも鳴いている。ここは住宅街だが所々に緑があり、田畑が広がっている所もある。水が張られた水田では、アオサギが餌を探してひょこひょこと歩いている。珍しく、ゴイサギがじっとしている姿も見られる。クリ畑も花盛りだ。誰も収穫しない梅の実は道路に落ちてぐちゃぐちゃになっている。オオスズメバチが巣作りをする場所を探しているのだろうか、単独で飛んでいる。


 いつものように、季節の変化を楽しんで歩いていると、少し気になる事があった。なんだか周囲の人がいつもよりせわしく見える。しかし、風景はいつも通りだ。近所の駄菓子屋のおばさんもなんだか、セカセカと歩いている。

「おばさん、いい天気だね。そんなに急いでどうしたの?」

 私は挨拶代わりに聞いてみた。

「いや、年寄りにはきついね。でも速く歩かなくっちゃね」

 そういうと、どんどん行ってしまった。なんだか要領を得ない。いつもののんびりしたおばさんらしくない。まあ、気にせずに行こう。

 その後に歩いてきたのは、これも近所の小学生だ。良太という。

「良太、こんにちは。今日は野球かい?」

 休みの日に、良太は近くのグランドで良く野球の練習をしている。

「うん」

 それだけ返事をすると、良太は立ち止まることも無く足早に過ぎ去っていった。確かに、なんだかいつもと違う。後ろから来たベビーカーも慌しい様子だ。私を「高速」で追い越して行った。凸凹の歩道に、乗っている子供も上下に弾んでいる。大丈夫だろうかと心配になる。ベビーカーは速度を落とすことなく、どんどん遠ざかって行った。

「『高速ベビーカー』だな、あれは。きっと親は乗っている子供を将来F1レーサーにしようとして鍛えているんだ」

 そんな事を思いながらも、やはりこのせわしさや違和感を払拭することはできなかった。その理由は、ほどなく判明する事になる。


 翌日、私はいつものようにスーパーに通じる大通りの歩道を歩いていた。まっすぐな片側二車線の大通りはいつも混雑し、大型トラックが多い。騒音と排気ガスは嫌だが、これが私にとってはスーパーへの最短経路だ。そんな時、後ろからゆっくりと近づいてくる車に気付いた。後ろを振り返ると、車の屋根に拡声器が見える。健康市の広報車らしい。拡声器はしゃべり出した。

「そこの歩行者さん、ここは時速6キロです。よろしくお願いします」

「はぁ?」

 私は思わず立ち止まった。すると拡声器は慌てた様子で、またしゃべった。

「あっ、あっ、立ち止まってはいけません。歩いてください」

 私が良くわからないという顔をしていると、広報車は停車して中からスーツ姿の華奢な男が慌てて降りてきた。

「こんにちは、健康市役所の者です。ここは最低歩行速度時速6キロです、ほら、そこに標識があるでしょ」

 言われた方を見ると、確かに道路標識がある。速度制限の標識に似ているが、歩行者の絵があり、その下に数字と下線がある。一応免許を持っている私は、その下線の意味を知っていた。

「この下線は最低速度制限の事ですよね」

 市役所の職員は、少しほっとした様子で言った。

「はい、そうです。歩行者の絵があるから『歩行者最低速度制限』です。初めて見ましたか。今月から施行されているんですが」

 その職員の説明によると、健康市独自の施策として『歩行者最低速度制限』が条例で定められたそうだ。違反者には過料が課されるという。私は思わず反応した。

「えっ、えっ、えっ、そんなの知らないですよ。本当ですか」

 男は少し下を向いて考えてから顔を上げ、私に告げた。

「この大通りでの過料は免除しますので、その先からは標識に注意して通行して下さい。それでは、よろしくお願いします!」

 去って行く健康市の広報車を見ながら、私はまだ信じられずにいた。

「歩行者に最低速度制限? マジ?」


 スーパーの帰りに改めて、来た道を見てみると確かにその標識はあった。その数字は「6」だった。つまり、最低速度制限は時速6キロメートルだ。これは私には一寸ちょっと無理だ。私の歩く速度はたぶん時速4キロメートルくらいではないだろうか。元々歩くのが遅い方である。私は一瞬ここから家に帰れなくなるのではないかと心配したが、迂回路を確認してみることにした。迂回路は遠回りだが、その入り口の標識は「時速4km」を示していた。ほっとして大通りから離れ、そちらの道に入る。

 回り道を歩いていると、さっきの駄菓子屋のおばさんが、今度はセカセカせずに普通に歩いて来て言った。

「さっきはどうも。やっぱり6キロは体に堪えるね。無理せず5km以下の道を行くようにするよ。あんたは若いから6キロも楽々でしょう」

 私は、最初にこのおばさんが私に言った、

《いや、年寄りにはきついね。でも速く歩かなくっちゃね》

 の意味が、ここに来てやっと分かった。良太の早足も納得できた。「高速ベビーカー」も。

「あー、知らなかったのは私だけだったという事か」


 帰りの回り道は、ちょっと不安だった。今は「4キロ道」だが、この後5キロや6キロが出てきたらどうしよう。短時間なら5キロは、まあなんとかなるが、6キロは私にとってはほとんどジョギング速度だ。しかし、うまくできているもので、家までの道は概ね4キロで、ほんの少し5キロの区間があっただけだった。ただ、スーパーとの間の道のりは、大通りの最短経路に比べて1.5倍くらい遠回りになってしまう。もちろん過料なんて払いたくないので、今後はこの遠回りの道を使うしかない。私は不満に思ったが、何故かこの条例自体に疑問や反感を抱くことはなかった。皆が従っていれば、自分も特に考える事なく従ってしまう素直な性格らしい。


 その後、健康市のホームページを見てやっと趣旨や実施要領が分かった。簡単に言うと、市民の健康増進のため「ウォーキング」を推進するという説明だった。まあ、もっともな話しだが、最低速度を設けるのはやり過ぎだ。さすがに、障害のある人などは対象外だ。

 よく見ると、このホームページからはアプリがダウンロードできた。いわゆるカーナビのようなアプリだが、歩行者用にできており、速度を入力できるようになっている。この「速度」は利用者が歩行可能な「速度」だ。つまり、例えば「5」と入力すれば、時速5キロ以下の道だけを使った経路が表示される。私は、家からスーパーまでの経路検索に「6」と入力してみた。すると、思った通り、例の大通り沿いの歩道が表示された。最短経路だ。次に「5」を入れてみた。すると昨日スーパーから帰ってきた回り道の経路が表示された。

「うむ、これは便利だ」

 条例に対する不満も忘れて、私は感心していた。普段良く行く場所への経路を「4」と「5」でいろいろと調べてみた。どこに行くのも、少なくとも「5」以下でなんとかなるようだったので少し安心した。しかし、私が良く行く図書館は、「6」の道がいくらかあり、これを避ける為には、最短ルートの二倍くらいの遠回りをしなければならない事が分かった。これは不便だ。


 この「歩行者最低速度制限」は徐々に全国に知れ渡って行った。すると面白いことに、早足に自信のある向きや、「全国歩こう協会」などから健康市を訪れる人が増えてきた。彼らは、果敢に6キロ以上の道に挑戦してはウォーキングを楽しんでいた。マニアックな連中だ。条例が観光振興にもなってくる事は、健康市当局も予想していなかったらしい。

 しかし一方で、速く歩けない、或いは早足が嫌いな人々は自転車やバイク、車を今まで以上に使い始めた。これらに乗れない高齢者などは、お金がかかるがやむを得ずタクシーを使った。中には条例について行けなくて健康市から転出する者も現れた。この条例の問題点は認識されていたが、観光収入の増加に気を良くした為だろうか、直ぐに改善しようという動きは見られなかった。


 最低速度を気にしながら歩く日々が続いた。やはりなんだかせわしい。過料は1キロ下回る毎に千円と決して高い訳では無かったが、そんな事でお金を払うのは悔しかった。何ヶ月かする内にさすがに私も慣れてきた。適度に速度を調整しながら歩く。果たして、これで市の思惑通り市民が「健康」になっているかどうかは良く分からない。しかし、私について言えば、いつもセカセカ歩くようになったため、これまでのように思索に耽りながら、或いは自然や四季を感じながら歩くことができなくなっていた。ゆっくり歩けば過料になってしまう。最低速度が3キロ以下の道でないと安心してのんびり歩けないが、そういう道は少なかった。

 早足で健康増進の恩恵を受けている人がいる一方、体を壊す人も出ていた。早歩きが始まって以来、整形外科や接骨院にお世話になる人が急増したと聞いている。


 それから半年が過ぎた。私のアパートの窓からは、以前住んでいた辺りが遠くに見える。そこでは市民達が一生懸命歩いているのだろう。私はとうとう「歩行者最低速度制限」に耐えかねて、お隣の、に転居したのだ。こうしてこのアパートで暮らしている。私の他にものんびり町に引っ越した人が何人もいると聞く。

 根無し草の私のように、いつでも引っ越せる者は良いが、長く住んでいる、例えば駄菓子屋のおばさんのような人は大変だろう。


 ここでは、以前と同じように「のんびり散策」を楽しめるようになった。もう速度を気にすることも無い。私は「思いっきり」ゆっくり歩いた。あれこれ思索しながら歩くのに丁度良い。それなりに健康にも良い。次の作品のストーリーを考えたりしながら「低速歩行」を満喫していた。

 深呼吸して、五感いっぱいに自然を感じる。そろそろジョウビタキやツグミがやって来る頃だ。川岸ではガマの穂が背伸びするように顔を出している。コナラやクヌギの雑木林からは実を付けたアケビが道路にはみ出しているのが見える。私は、自然と四季が再び日々の生活の中に帰って来た事を感じていた。


 ゆったり歩く日々を満喫している私だが、この、のんびり町に於いてちょっと気になる事がある。ここには歩行者の最低速度制限などというものはなく、早足でなくとも過料は徴収されないのに、何故か足早な人が少なくない。住宅街でも通学路でも。まるで通勤時間帯の、丸の内のオフィス街にいるようだ。大股で一心に歩いている。小学生は、追われて地面を逃げ歩くセキレイのように高速で足を回転させて歩いている。ベビーカーもせかされるように通り過ぎて行く。中の子供はブルンブルンと揺さぶられているに違いない。歩行者に最低速度を課している健康市と、なんとなく同じようなせわしさを感じる。

 ホームセンターでの出来事を思い出した。ある品物が無いか店員に聞いたところ、

「こちらです」

 と言って、広い店内をどんどんと右へ左へ歩いてゆく。私は追いつけずに、とうとうはぐれてしまった。店員の足の速かったこと。

「さて、これは日本中どこに行っても同じだろうか。もっと田舎の方に行けば、皆ゆっくり歩いているんだろうか」

 普段、余り旅行などしない私だが、日本の田舎町を訪ねて歩く、人々の速度を見てみるなんてのも面白いと思い始めた。


 翌年の夏、私は久々に車中の人となっていた。電車で東北地方の、悠久村という閑村に向かっている。もちろん新幹線は使わない。新幹線は運賃が高いという事もあるが、電車も歩くのと同じで、ゆっくり行く方が楽しめる。新幹線でパソコンをやりながら移動しているビジネスマンは多いが、彼らにとって移動自体は意味を持たない。で移動できるのが理想だろう。でも、移動が意味を持たないなら、水戸黄門や松尾芭蕉なんかは、人生の多くを「意味の無い時間」として過ごしたことになる。つまり、「移動」に意味を見出した瞬間、移動する「速度」は重要ではなくなる。

 などと、私は偉そうな事を考えながら車窓の風景を楽しんでいた。那須連邦の茶臼岳を過ぎると、いよいよ東北だ。昔の旅人はどんな気持で「みちのく」に足を踏み入れたのだろうか。その旅人からみれば、私が乗っている普通列車も「超高速」に違いない。

 悠久村に着いたのは、もう夕暮れ時だった。安宿に入り、横になった。外の暗闇からは、虫達の合唱に混じって、クワックワッと蛙の声が聞こえていた。


 翌日、早速外を歩いてみた。予想通り、人々はゆっくり歩いていた。この小さな村で、急ぐ理由など無いのだろう。人の歩みは、どうだろう、時速3キロとかせいぜい4キロだ。私には丁度いい。まあ、高齢者が多いというのもあるが、若者や子供もせかせか歩いている人は一人もいない。子供が駆けていく姿も見かけない。これには感動すら覚えた。これまで目の前を行く人は、右から左へ、左から右へと、何かに取り憑かれたように早足で行き行く人ばかりだった。小走りする人だっていた。

 ここではベビーカーもゆっくりしていた。ゆっくり過ぎるくらいだ。中の子供はゆっくりと揺られながら、気持ちよさそうに寝ている。いや、という呼称は似合わない。少し時を遡って、と呼んだほうがいいような情景がそこにはあった。


 細い道を行くと、見覚えのある標識があった。

「あれっ、これは『歩行者最低速度制限』の標識では? なんでこんな所に? でも、何かちがうなぁ」

 良く見ると、「最低」を表す「横線」が無い。つまり、これは「歩行者最高速度制限」だ。速度の数字には「4」とある。なので、ここは時速4キロ以下で歩かなければならないらしい。私は元々4キロ以下でしか歩かないから、別に問題は無い。見れば、この標識は随分古ぼけている。つまり、かなり以前からあるという事だ。

 私は思わず笑ってしまった。なんと健康市より先にやっていた所があったのだ。もちろん最低速度と最高速度なので真逆ではあるが。

 私がいつまでも標識を見ているので、近くで畑仕事をしていた男性が声を掛けて来た。

「旅行の方かい。それは歩く速度の標識だ。でも、お守り程度に立ててあるだけで、別に気にしなくていいよ。罰金取られたりしないから、ハハハ」

 彼は話しを続けた。

「でも、みんなゆっくりしているよ。ここには小学校があるが、運動会の駆けっこだって、走らない。歩くんだ。だから、競争にならない。ハッハハハ」

 再び大きな声で笑う彼に、私は聞いてみた。

「あの、この標識はどうしてあるんですか。実際は守らなくてもいいという事ですけど」

 男性は持っていたすきを立てて腰を起こし、こちらに向き直った。

「あっ、あっ、お仕事中すみませんねえ」

 私は思わず口に出した。

「あー、別にいいですよ」

 そう言って、彼はこの悠久村に伝わる話を聞かせてくれた。泡多々しい都会なら、私のような者は不振がられるか、面倒ぐさがられるだろうが、ここ悠久村では暖かく接してくれる。ちょっと足を伸ばした甲斐があったというものだ。


◇ ◇ ◇


 昔々、悠久村には悪代官がおった。領主様からは年貢が少ないといつもお叱りを受けていた。のんびり農作業をしている村人を見た代官は、一計を案じた。村人がもっとさっさと歩くようになれば、仕事の能率も上がり、農作物も沢山収穫できるのではないかと。

 そこで代官は領主と結託して御触れを出した。

「悠久村の村人は、歩く時はいつでも早足で歩くべし」

 従わなければ投獄される。村人は老いも若きも、皆早足で歩いた。代官はそれを見て満足だった。これで年貢も増えるだろう。実際、思ったほどではなかったが、農作物の収穫量は増えた。しかし、農作業だけでも大変なのに、いつもいつも早く歩く事を強要されて、村人は疲弊していった。しかし、代官には逆らえない。人々は辛い日々を送っていた。

 領主様は満足だった。代官に対して言った。

「そうかそうか、それはよくやった。褒美をつかわすぞ。受けとれい」


 ある夏の日、大地震が悠久村を襲った。多くの村人が死んだ。また、地震による地割れで、田や溜池の水が全て抜けてしまい、稲は全滅した。その年は収穫も年貢も全く無かった。天災の事とはいえ、腹を立てた領主様は、悪代官を打ち首にしてしまった。

 村人は、人々が余りにバタバタ歩くので、地面の下にいた大ナマズが怒って暴れたに違いないと考えた。それ以来、御触れは撤回され、悠久村では早足で歩くことは戒められたという。


◇ ◇ ◇


「ふーん、いやどうも興味深いお話しありがとうございました」

 私は男性に礼を言うと、歩き出した。振り返れば、彼は何事もなかったように鋤を手に農作業を続けていた。

 時計を見た私は、帰りの電車まで余り時間が無い事に気付いた。

「あぁ、随分長居してしまったな。急がなくっちゃ」

 早足で歩き始めた私は、直ぐに歩みを止めた。なんだか、この村では早足で歩いてはいけないような気がしたのだ。

「ま、電車に一本乗り遅れるくらいいいか。二時間くらい待つだけだ」

 そう思ってゆっくり歩いて駅まで行った。


 帰りの電車を待つ間、駅に一人いた私はスマホをいじくってニュースを見ていた。ちょっと気になるニュースが目に入った。今朝早く、結構大きな地震があったようだ。人的被害は少ないが、多くの建物が倒壊したようだ。また、地下水脈が寸断されたせいで、灌漑用の水が全て抜けてしまったという。記事を読むにつれ、私は焦燥感に駆られた。その地震の震源地が健康市だったのだ。隣の、のんびり町も相当揺れたに違いない。

「私のアパートは大丈夫だろうか。駄菓子屋のおばさんは無事だろうか。とにかく早く帰ろう」

 すっかり傾いた日に照らされて、電車はゆっくりとホームに入ってきた。車窓からは、田畑の上を一羽の隼がすうっと飛んでいくのが見えた。


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