傀儡

星野光留

プロローグ

 僕、天宮紘あまみやこうは、幼い頃から言い続けられてきたことがある。


「紘、お前はおかしい。少し普通になりなさい」


 悲しいことだが無理もない。

 生まれつき、僕には幻覚が見えるのだ。


 僕は何も、化け物が見えるだとか、階段が歪んで見えるだとか、そういうことを言っているのでは無い。


 僕と、常人とを隔てる違いはただ1つ。

 人の見た目についての解釈、それだけだ。


 生物において、類い稀なる『社会規範』に基づく人間という生物には『糸』が付いている。

 僕たちは、頭や肘、膝などの関節、指先などをその『糸』で括られ、操られているというわけだ。


 糸は動く。僕らの行動、言動に合わせて。

 同調、重圧、本能の制限。規範に則っている人間は知らぬ間に操られていると言ってもいい。


 周囲に存在する人間は誰も彼も、穏便に事を進めようと糸に操られていて……僕は、時に訝しみながら、時に吐き気を催しながら、それを見続けている。


 今となっては自分でも信じられない話になってしまったが、僕は最初、それが自然に生えてくるものだとばかり思っていた。


 糸の本数に個人差こそあるものの、同じ幼稚園の女の子から、杖をついているお年寄りまで……動物園で見たゾウやサルにはついていなかったけれど、およそ人間と断定できるもの全てに、糸はついている。


 それならば、僕自身はどうなのだろう?

 いつから糸が生えてくるのか?


 5歳。素直にそう思って母親に聞いた。


 洗い物をしていた母の優しい眼差しが、異形いぎょうを見る目に変わっていくのを、幼いながらに感じ取ることができた。


 僕は母と同じような表情になった。


 下がる口角と眉、見開かれた目。

 驚きと恐怖によって半開きになった口。


 今でも染み付いて離れない顔。

 僕と、母の、絶望が始まった瞬間の顔。


 僕以外の人間には理解しえないものがある。

 僕がどんな努力をしようとも、その壁は絶対に越えられない。


 突きつけられた現実は、幼い僕にはあまりにも重すぎるものだった。

 会社務めで秩序を重んじる両親からは腫れ物のように扱われ、病院からは異常者のレッテルを貼られた。


 だから僕は……『普通』になった。

 規範に基づく糸に操られることにしたのだ。


 正しいかどうかなんて、最早どうでもいい。

 もう化け物扱いはこりごりだ。


 そう覚悟したのが10歳の頃。

 そこから6年が経ち、僕は今や……高校生。


 洗面台の鏡には、約20本もの糸に括られた自分の姿が映っている。

 もはや顔を洗う行為さえも、僕がやっているのか糸がやっているのか区別がつかない。


 いつもの、陰鬱な朝だ。


 僕は、今日も糸に操られるまま普通を演じる。

 これ以上、ありふれた日常を壊さないために。

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