第8話 暴走

 時刻は8時45分。

 ホームルーム後、クラスメイトたちはまるで何事も無かったかのように授業の準備をし始めた。


 僕の所有する全ての糸が、軋んだ音を立てて僕を制御しようとする。


 見過ごせ、無視しろ、なにもかも……。


(ギ、ギィー……ギギギギ……)


 糸に括られた関節が折れ曲がりそうな勢いだ。


 それでも、僕は……。

 渡り廊下に足を運ぶ。


 すっかり見慣れた2つの三つ編みを追いかけ、話す。


「織田倉さん、ちょっといいかな」


「…………」


「織田倉さん?」


 2回目の呼びかけで、結衣はようやく振り向いてくれた。しかし……彼女の瞳は、かつての真っ直ぐな輝きを失っていた。


「私、授業があるから……ごめんなさい」


(ギリリリリ……ギリ……)


「――どうして、俺を避けるの?」


 痛みに耐えながら、穏やかに問う。


「……ごめんなさい」


 結衣は答えてくれなかった。


 そんなやり取りが休み時間のたび行われ、4時間目の前に至っては結衣に逃げられてしまった。


 そして、昼休み。


「よぉ紘! 弁当食おうぜ!」


「翔……」


 座った状態から虚ろな目で翔を見上げる。

 すると、翔は唐突に肩を組んできた。


「あっ、おい……」


「潮田を問い詰めて口を割らせよう。録音すれば教師もようやく動かせる。行くぞ」


 賑やかな教室では聞こえないような声で囁き、翔は潮田にずんずん向かっていく。


「……えっ」


 と、翔が動きを止めた。


 先客……結衣がいたからである。

 結衣は正面を見据え、教室にも響く声で堂々と呼びかけた。


「潮田さん」


「あ、織田倉ちゃ〜ん。なぁに?」


 誰もいないかのように、教室はしんと静まり返った。ここぞとばかりに、結衣は続ける。


「私の机に花瓶を置いたの、貴方よね?」


「へぇ……で? あたしだったらどうするわけ?」


 結衣は、圧力を増していく潮田の態度に一切ひるまず、強く言葉を発した。


「お話を、しましょう」


「ふふっ……あは! お話ぃ? この前の昼休みお香焚いてたやつが何言ってんの? あー、まじウケたわあれ。ねっ?」


 振り向きざまに同意を求められた大人しそうな女子生徒は、一瞬体を硬直されると、こくこくと頷いた。……胸糞悪い。


「言っとくけど、足はつかせないし、あんたの言うことなんて誰も信じないから。分かった?」


「…………」


 言葉に詰まる結衣。

 真っ直ぐと、潮田を見ている。


 結衣が黙ったことで調子に乗ったのか、潮田は笑い混じりに話を続けていた。


「まぁ、どうしても止めて欲しいっていうなら?もっと空気読んで動けば? そしたらみんなも許してくれるかもよー?」


 僕の内側からフツフツと、熱い感情が込み上げてくる。何が許してくれるかもだ? 馬鹿らしい。


「……許されねぇのは、どっちだよ」


「あ"?」


 雑音が聞こえたような気がしたが、構わず思考を回す。この感情を脳内だけでも言語化しないと、正気でいられそうな気がしなかったから。


「人間ってのは、本来誰にも操られちゃいけないものなんだ。僕だって、結衣だって、他人を尊重しながら『自分』を持って生きようとしてた。それなのにお前らが邪魔するもんだから、何も喋れなくなった」


「紘、お前――」


「人を黙らせれば、そりゃ自分は優位に立てるかもしれない。自分が黙れば、本意不本意に関わらず、誰かが自分の変わりに行動する。でもそれが何の解決になる? 他人の意見を聞き入れて、自分の意見を話し、違いを見つけてそれを尊重し合うことこそ正解なんじゃないのか?」


「はぁ……?」


「紘。おい紘!!!」


 翔に肩を強く叩かれ、僕はようやく思考を止めた。……止めたときには、教室内の生徒全員から、母からと同じような異形いぎょうを見る目で見られていた。


「あっ……、えっ…………?」


 固まる体。

 糸の痛みは既に感じすぎていて、意識を失いそうなほど強く鈍く感じるのみだった。


「……行こうぜ」


 翔に半ば引きずられるような形で、僕はその場を後にした。

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