第27話 屍の素顔

 ダンと椅子を倒して横山が立ち上がった。そして唾を飛ばして叫んだ。


「言いがかりです! いくら僕が香水を使ってるからって、そんなの考えが飛躍しすぎです! やめて下さい! 何の根拠があってそんなことを!」

「まあ、似てる気がするってだけの話だよ」

「きっと花の匂いですよ。例によって、沢山花が挿してあったんでしょう?! ガーベラの匂いですって!」

「ガーベラは、薔薇や百合みたいに香る花じゃないけど?」

「と、とにかく、僕を変に疑うのは止めて下さい!」


 佐木は頭をポリポリと掻き、小さな子どもを見るような目で横山を見つめた。必死な顔が、いっそ可愛く思えてくる。

 ふと、佐木の動きが止まる。そして、すぐにイヤホンを軽く耳に押し込んだ。数秒耳を澄ませ、そして呟く。


「……なんとまあ……」


 大きなため息をついて、ギロリと横山を睨んだ。

 幼子は純真無垢でありながら、ときに無自覚な残酷さをみせる。それは特別なことではないし、成長過程の中で次第に自覚され矯正されてゆくのだろう。

 だが、矯正されずに大人になったらどうなるのか。世界が自分を中心に回っていると勘違いし、自己愛の強い醜悪な人格が出来上がったりはしないだろうか。欲望のままに行動し、他者の人格を踏みにじる人間になるのではないだろうか。

 佐木はそんなことを考えながら、また深いため息をついた。無性に吐き気がしていた。


「疑うなって言うなら、自分で疑いを晴らしてみなよ」

「同じ匂いだって言うけど、香水は経過時間で匂いが変わるんですよ! 僕と一緒だってどうして言えるんです。印象だけで語らないで下さい!」

「ああ、知ってるよ、香水は香りの変化を楽しむんだよね。今、君から香っているのは、まだミドルノートかな。先日、ここへ来たときに嗅いだ香りとは確かに違うね。あの時は午後だったから、ラストノートだったわけだ。ねえ、横山くん、香りの変化を主張することが、それほど重要かい? さっきも言ったけど、画像投稿時に香りをつけたとして、発見されたのは8時間後なんだよ。遺体の香りはラストノートだったんだよ」

「あんたが同じと思っただけじゃ、説得力がないって言ってるんです!」

「ま、それはそうだね」


 佐木は白けた顔で答えた。横山の返答は、佐木の予想の範疇から一度も出ていない。やりやすい相手だが、面白くはなかった。

 さっきから胸も悪くなってきたし、早く終わらせようかと、佐木は再び座り直し、横山を正面から見た。

 いまや彼は顔面蒼白で、死神に大鎌を喉に突きつけられているかの如く、息も絶え絶えだった。


「ねえ、横山くん、桐田さんってモデルみたいだよね。スラっとして身長は170センチくらい。髪の長さはミディアムかな。すごく美人なんだけど、ちょっと違うと思わない?」

「知りません! 何が違うかなんて、知りません」

「これまでの被害者の共通点を知らないの?」

「……い、今までの作品と違うってことですか、でも、僕の知ったことじゃない! 被害者のことなんて知りません!」

「でもさ、同じ大学だし、桐田さんのことは知ってるでしょ?」

「知りません」

「ええぇぇ、本当にぃ? 学内ですれ違ったりすることもあるでしょ?」

「医学部と法学部とじゃ接点なんてありませんよ!」

「でも、去年のミスA大だって聞いたし、桐田さんって有名なんじゃないの?」

「そんなもの興味ないし、僕はなんて知らない!」


 ニッと笑って佐木は立ち上がり、うつむいて肩で息をしている横山の間近に立った。


「もういいよ。よく分かったから。横山くん、君は屍で、殺人者だ」

「……え、え?」

「花師に『君は何の花を生ける?』と聞かれて、屍である君は『リスペクトをこめてガーベラを』と答えた。そうだろう?」

「……あ、いや、ちが……」

「ラストサンクチュアリはもうチェック済なんだよ。屍のアカウントの情報は丸裸だ。そう言えば分かるだろ?」


 佐木は軽く腰を丸めて横山を覗き込んだが、深くうつむいた顔を髪が隠していた。恐らく絶望の色をにじませているだろうその顔を観賞できないことが、佐木には少し残念だった。だが、あと一言二言与えれば、彼は顔を上げて存分に見せてくれるだろうことも分かっていた。クスリと笑う。


「横山くん、遺体が埼玉で発見されたことは確かに報道されたよ。ガーベラの花が使われたこともね。ネットで画像が晒されたこともあって、色々な憶測を交えて情報番組では派手に報道している。でもね、被害者の情報はまだ公表されてないんだ」

「…………」

「でも、君は、彼女のフルネームを知っていた。法学部だということも」

「あ、あんたが名前を言ったから……引用しただけだ」

「いいや、俺は言ってない。言うはずがない。お前に言わせようとしてたんだから。俺はね、『桐田きりたさん』って言ったんだ。ちょっと曖昧にね。『桐谷きりや紗季さき』とは言ってない」

「…………」

「DNAを調べればすぐに分かる」

「…………!」

「お前、エグいよな。腹腔から精液が出たとよ。腹を刺してそこにナニをつっこむとか、悪趣味がすぎるんじゃないか?」

「うわあああぁぁぁ!!」


 俯いていた顔をいきなり上げた横山は、まさに鬼の顔をしていた。歯をむき雄たけびを上げて、佐木に殴りかかってきた。

 大ぶりの初撃はかわしたが、続く二撃目は食らってしまった。腕でガードしたし、体重の乗らない腕の振りだけのつたない打撃だったというのに、佐木は吹っ飛んでいた。椅子を数脚まきぞえにしてホワイトボードにぶつかり、背中から倒れ込む。部屋に派手な音が響いた。

 倒れた椅子を蹴飛ばして、横山がなおも向かってくる。

 その背後で、ミーティングルームのドアが勢いよく開いた。


「どうしたんですか?!」


 鳥居だった。

 倒れた佐木に、さらに殴りかかろうとしていた横山が振り返る。相手が女なら勝てるとみたか、興奮した横山は攻撃相手を替えようとしていた。その足がドアへ向かう。

 佐木の脳裏に殴り倒される無残な鳥居の姿がよぎり、思わず叫んでいた。


「鳥居!」


 倒れた態勢から、とっさに蹴りを放った。膝裏にヒットし、横山はバランスを崩す。佐木は素早く立ち上がり、襟首をつかもうと腕を伸ばした。が、横山の頭はスッと沈んでいき、腕は空振りとなる。

 ダンと、横山の背が床に叩きつけられていた。

 鳥居が横山の首を決め、みぞおちに膝を食い込ませるようにして押さえ込んでいた。

 彼女は、自分に迫ってきた横山の襟をとると、足払いをかけてそのまま押し倒していたのだ。押さえ込みから、すばやく横山を腹ばいにさせると、後ろ手に腕を捻り上げた。


「確保!」

「おお……ナイス、ファイト」

「あのぉ! アカウントの特定できました! この子が横山信雄ですね?」


 鳥居が息を弾ませ、佐木を見上げて言った。


「ああ、コイツが屍だよ。そんで、花師の模倣犯にして下劣で低俗な殺人犯だ」

「どうして暴れてたんですか」

「さあ? 逆ギレ?」


 鳥居は、横山の腕に手錠をかけた。

 その冷たく硬い感触に、横山は一瞬ビクリと身体を震わせ、そして首をねじって懸命に佐木を睨みつけた。


「バカにしやがって、僕は、僕は花師だ! 花師なんだ! 世紀の芸術家だ!」

「はぁぁ? 何言ってんのかな?」


 倒れるときに、ホワイトボードの脚に打ちつけた横腹をさすりながら、佐木はイラッと眉を吊り上げる。往生際が悪いのは見苦しくて嫌いだった。

 鳥居に引導を渡してもらおうと、目配せをする。


「屍のアカウントから身元を割りだしました。横山信雄さん、あなたが屍です」


 鳥居は、ここにくる少し前に横山の家を訪ねていた。母親に話を聞くと、プロバイダー契約をしているのは横山の父親であったが、主にPCを使用しているのは息子の信雄だと分かった。証拠品としてPCなどを押収したあと、鳥居はA大に向かった。

 そして丁度先ほど到着したところだったのだ。佐木が横山から聞き取りをしていると近藤から聞き、部屋の前で待機していたのだ。

 呆然とする横山の身体から、力が抜けていった。


「お前はウジのわいた、ただの屍だ。花師はお前みたいにずさんじゃないんだよ。一分の隙もない完璧な作品を作り上げる、美の探究者なんだ。お前は二番煎じと言うのもおこがましい劣化版じゃねえか」


 佐木は靴の先端で横山の額を蹴り飛ばす。


「答えろよ。出崎のSNSに被害者の腕の画像とメッセージが送られてきた。発信元は桐谷紗季のスマホだ。あの腕は桐谷か? メッセージを送ったのはお前か?」

「…………」


 横山は、自分を見下ろす佐木をギリギリと睨み返すだけで答えなかった。


「まあいいさ、近藤さんにじっくり絞ってもらえや」





 解剖室で小野田の解説を聞いていた近藤のスマホが、再びブーンと震えた。発信者は、先ほどと同様に鳥居だった。

 法医たちに軽く頭を下げてから、近藤は部屋の隅で電話に出た。そして分かったと短く答えて通話を終えると、そのまま解剖は続けてくれと言って一人退室した。足早にミーティングルームへと向かう。

 鳥居が、暴れだした横山を拘束したという。

 朝の段階で、屍のアカウントは、横山または横山家の誰かのものであることは分かっていたが、それだけで殺人の容疑までかけるのは難しかった。ふざけて書き込みをしただけだといわれればそれまでだ。

 だから、佐木が言葉で揺さぶることを提案したのだ。犯人しか知らない情報の暴露をさせるためだった。

 その間、解剖によって遺体の状況がこれまでとは違っていることが次々に判明してゆき、花師とは別人の犯行である可能性が高まっていった。そして精液が見つかったとき、花師の犯行ではないと近藤は確信した。こんな致命的な証拠を花師が残すとは思えなかった。

 DNA鑑定をすれば必ず屍をしょっ引けると、胸が逸った。ただし、犯行の非道さには反吐がでそうになったが。通常の性交でなければ見つからないと思ったか、我慢できなかったのか、どちらにせよ愚劣な悪鬼の所業に違いはなかった。

 この件は、スピード解決へと向かうだろう。だが、喜びは無く、近藤は陰鬱な気分だった。

 容疑者が被害者と同じこのA大の学生であり、花師の被害者の解剖を全て担当した小野田の教え子でもあるという事実は、きっとスキャンダラスに報道されるだろう。多くの関係者を巻き込むことにもなるだろう。それは、捜査に協力してくれていた法医学教室への風当たりもきつくなってしまうということでもある。

 解剖中の小野田たちには、自分が横山と直接話してから慎重に伝えることにしようと近藤は胃を押さえながら思うのだった。

 ミーティングルームのドアの前までくると、やめて下さいと叫ぶ鳥居の声が聞こえてきた。また横山が暴れているのかと、近藤に緊張が走る。


「おい! 大人しくしねえか!」


 ドアを開けると同時に、ドスの効いた声で怒鳴った。が、目に飛び込んできたのは想像していたものとは違っていた。

 佐木が、縮こまる横山の背と言わず頭と言わずガンガンと蹴りとばしていたのだ。しかも手は椅子を掴んでいて、横山に振り下ろそうとさえしていた。それを鳥居が懸命に止めていたのだ。まともに食らったら、横山は大怪我をするだろうから当然だ。

 走り寄り、近藤は即座に佐木を羽交い絞めにした。


「何してんだ、お前!」

「離せ、ごらぁ! 舐めくさりやがって、このクソガキが!」


 引き離されても激しく抵抗する佐木は獣のようで、その顔は常軌を逸していた。まるで6年前の彼を見るようで近藤はゾクリとする。

 やもを得ず、佐木の腹に拳を数発叩き込んだ。ぐっと唸って、あっけなく佐木の身体が沈むこむ。

 近藤はゲホゲホとせき込む佐木を床に座らせ、何があったと鳥居に尋ねた。

 横山はひぃひぃと泣いていた。


「横山が、1人殺したくらいじゃ死刑にはならないとうそぶいたんです。もし収監されても、出てきたら絶対お前の――佐木さんのことです――お前の女を殺してやると……」


 低い声でそう報告し、さらに声を潜めた。


「悪党の常套句ですけど、佐木さんには禁句ですよね」

「ああ、地雷だな。まあ、それだけでもないか……」


 散々蹴られてぐったりしている横山を、近藤は冷めた目で見下ろす。

 花師は確かに外道だ。だが、この横山も負けず劣らず鬼畜だった。被害者が味わったとんでもない苦痛や絶望を思えば、佐木でなくとも殴りたくなるというものだ。

 近藤は、雑に横山を起こし座らせると襟首を掴んだ。視線で射殺せるものなら殺したいと、怒りを込めて睨みつけるのだった。



 

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探偵スカルフェイスのザギ -美しくも忌わしき骸に花咲う- 外宮あくと @act-tomiya

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