第26話 質問の時間

 松田は佐木たちの前までくると、学生を紹介した。

 前回ここへ来たときにお茶を出してくれた、あの学生に間違いないことに、佐木は満足げに微笑む。


「さっき言ってた学生です。えーっと横田くんだっけ?」

「……横山です」

「近藤です」

「ども、佐々木です。一度会ったことあるよね。ってか、松田くん、人の名前覚えられないんだねぇ」


 横山は軽く頭を下げながらも、なぜ警官たちから自己紹介されるのかと訳が分からない様子だった。立入禁止だと言われたすぐ後に、同じ警官からちょっとついて来いと言われたのだ。一体何事なのか首を傾げるのも無理はなかった。


「佐々木さん、もうさっさと帰って下さいよ!」


 からかわれてムッとした松田が立ち止まっている間に、遺体を運んできた県警の係員は、ストレッチャーを押して解剖室へと入っていった。扉が閉まりかけると、慌てて松田もついていった。


「えっと、あの、佐藤先生はどちらに? レポートを持ってきたんですが……」


 横山が、少し緊張気味に近藤にたずねた。


「今、着替えて準備をされてる」

「あの、今日解剖があるらしいですが、昨日発見されたという花師の被害者のでしょうか。それとも別の?」

「それを訊いて何だというんだ?」

「あ、いえ、埼玉で見つかったと新聞に出てたんで、どうしてうちに来たんだろうと思って……」

「捜査に関することは言えないんでね、ノーコメントだ」


 近藤ににべもなく断られて、横山は肩を落とした。そこに佐木がすかさず声をかける。


「君、解剖の見学ってしたことあるの?」

「はい、何回か」

「じゃあ、ちょっと教えてもらってもいいかな。小野田先生の指導の様子とか」


 馴れ馴れしく肩に腕を回して、ミーティングルームのほうへと横山の向きを変えた。横山は虚をつかれたか、近藤の顔を見たり佐木の顔に怯えたりと、おどおどとしている。


「え、あの、僕、用事があって……」

「いやいやいやいや、時間、あるよね?」


 逃げ腰の横山の顔を覗き込んで、佐木は形だけの笑みで圧をかけていた。そして近藤に背を向け、後ろ手にVサインを送って歩き出す。

 厳しい顔で二人を見送ったあと、近藤は遺体と小野田たちが待つ解剖室へと入っていった。



 

 ミーティングルームでは、佐木は向かい合わせではなく、テーブルのコーナーを挟んで横山の斜め横に座った。

 対面では緊張感が強まるし、横だと表情が見えないうえにカップルでもない男同士では不自然すぎる。斜め横が丁度良かった。

 イヤホンから流れてくる近藤の解剖実況を聴きながら、横山がかけている眼鏡がいいセンスだとかどこで買ったのかと、他愛のない話をしながら、佐木は彼を観察していた。

 横山は平静を装ってはいたが、内心の動揺は隠せていなかった。瞬きの回数が非常に多く、時計に何度も視線を走らせているのだ。


「ところでさ、横山くんはなんで法医を目指してるの?」

「いえ、まだ決めてはいないです。親は法医なんかダメだって言ってるし。うち開業医なんで、僕が後を継がないと……」

「なるほどね。臨床医か、法医か悩み中と」

「はい」


 佐木は背もたれに深くもたれて、ふんぞり返るように座っている。少し下から横山を見上げるような形だった。音声が聞き取りづらくイヤホンの位置を直していると、椅子からずるずると滑り落ちそうになり、佐木は座り直す。

 近藤の陰鬱な声が、裂かれた腹の一部に生活反応があることが分かったと伝えてきた。下腹部に生きている時に刺された傷があり、死後、その傷を起点に腹を縦に割いているというのだ。

 一瞬沈黙したが、佐木は表情を変えることなく、横山との会話を続ける。


「まあ、横山くんの未来がかかっているからね、しっかり考えればいいさ。とは言え、時間はあまりなさそうだ。家業を継ぐのか、法医になるのか、それとも……」

「あの、教授の指導の話を聞きたいんじゃなかったんですか」

「そうだったね。でも、それは後でもいいかな」


 佐木は、今度は前のめりになる。テーブルに肘をつき頬杖をつく。どんどんと固くなっていく横山から視線を外すことはなかった。


「佐藤先生からメール貰ったでしょ。あれ、俺が送るように頼んだんだ」


『おはよう。横山くんのレポートの添削をしてあげると言っていたのに、何日も休んでしまって申し訳ない。今から解剖があるんで、レポートはいつでもいいので僕の机に置いといてください。添削したらまたメールします』


 特に急ぐものではない用件を、佐木はあえて連絡するように佐藤に頼んでいた。文言は考えたのは佐藤だが、佐木の要望に応えた内容になっていた。

 横山は不審げに首を傾げる。


「それはなぜですか?」

「横山くんはとても熱心な学生だって聞いたから、もしかしたら来るかなと思って」

「どういうことですか?」

「佐藤先生のメールには、いつでもいいって書いてあったでしょ? 今から解剖があるっていうのは、俺が付け足してくれって頼んだんだ。でも本当に来るとは思わなかったなあ。なんで来たの?」

「…………レポートもですけど、小野田教授に先日の講義のことで質問がありましたから」

「ふうん、でも午前の講義を抜け出してくるほどのことじゃないよね?」

「つまらない講義は時間の無駄だから」

「それは同感だ。でも、質問も急ぐ用事ではない。解剖があると知ったから、君はここに来たんだ。そうだよね?」

「…………」

「なぜ君がここに来たか、俺が答えてみようか。といっても横山くん自身がさっき言ってたんだけどね。本来なら他の大学に運ばれるはずの遺体が、なぜここに運ばれたのだろうかと疑問に思ったからだ。通常A大は都内の案件しか受けていないからね、不思議に思うのは無理ない。さて、ここでまた質問だ。通常ではない案件ではあるが、だからといって学生である横山くんには何の影響もないのに、講義を抜け出してまで来たのはなぜなのか。教えてくれるかい」


 じっと顔を覗き込むと、横山は微かに唾を飲んだ。そして苦笑を浮かべる。


「講義を抜けたことを、問題視しているようですけど、僕にしてみればよくあることですよ。良い事ではないですけど。僕は法医学を学んでいるんです。解剖に関心があるのは当然じゃないですか。刑事さんが何を言いたいのかさっぱり分かりません」

「もう一度言うよ。横山くんはね」


 ここで、佐木は一旦言葉を切った。横山と一瞬目が合う。

 そしておもむろに口を開いた。


「遺体がA大に運ばれてくるとは全く思っていなかったんだ。だって、遺体が遺棄されたのは都内じゃなかったから」

「だから?! そんなの誰だって思うでしょう。埼玉県の山奥なんて、A大の管轄じゃないですよ。でも、これまでずっと小野田先生は花師の事件を担当されていました。だから、ここに運ばれても不思議はないんですよ」

「ナイス・アンサー、正解です。ところで、今日の解剖について、俺も近藤さんもそれから佐藤先生のメールでも、花師の被害者だとか埼玉だとかいう言葉は一度も使ってないんだよ。そもそも犯罪被害者の司法解剖だとも言ってないのに、君の頭の中では花師事件の遺体が運ばれてきたと断定されているんだね」

「今、解剖しているのは、別の遺体なんですか? でも、あなたの口ぶりでは……」

「うん、君の言う通り花師の被害者だよ」


 佐木がクスクスと笑うと、横山は何なのだこの人はと言いたげに眉をしかめた。苛立った表情のまま反論した。


「あの、捜査に関することは、ノーコメントなんじゃないんですか?」

「いっけね、そうだった」


 わざとらしくヘラヘラ笑う佐木に気分を害したのか、横山は乱暴に立ち上がり失礼しますと言って、部屋を出ようとした。

 その横山の前に、佐木は足を出して通せんぼをする。


「話はまだ終わってない。座れよ」


 佐木の顔には笑みが張り付いていたが、声は高圧的だった。下から横山を睨み上げ、座れとあごで示す。これからだというのに、逃がす訳がないだろうと唇の端を吊り上げるのだった。

 横山は目を泳がせて、佐木と扉に交互に視線を送ったのち、諦めたのか小さくため息をついた。少しでも佐木から遠ざかろうというのか、椅子を移動させて腰を下ろした。

 

「一体、何の話なのか、僕には分かりません」

「じきに分かるさ。ところで横山君、今日もいい香りだね」

「は? え、まぁ……」

「香水、愛用しているんだね。俺がこの前ここに来た時に、臭いのが苦手って言ってたよね? そんなんで法医なんてできるの? 何日も経った遺体を解剖するなんてざらだし、夏場なんて内臓すぐ腐るし、水死体とか、マジ鼻曲がるよ?」

「それは、そうなんですけど……死因究明は患者を治すことと同じくらい大事なことですから」

「それ、小野田先生の言葉だね」

「尊敬してますから」

「ふうん、尊敬しているんだ。先生が聞いたら泣くかもねぇ」


 佐木は鼻で笑った。

 この部屋に入った時と比べて、あきらかに横山は落ち着きを失くしていた。呼吸は浅く早く、全身に力が籠っている。


「香水の持続時間ってどのくらいか知ってる?」

「……さあ、結構もちますね」

「パルファムは約7時間くらいだそうだよ。場合によったら朝付けた香りが夕方まで続くこともあるんだって。知ってた?」

「あの、一体、何が言いたいんですか?」

「まだ分からない?」


 佐木は、膝の上に置いた横山の手が細かく震えるのをじっと見つめながら続けた。


「発見時、遺体は死後約40時間が経過していたんだ」

「…………」

「遺体の画像がネットに投稿されたのが、6月4日の午前3時。遺体発見は、その8時間後の午前11時頃だ。さて、ここでクイズを出そう。被害者は6月2日の朝、大学に行くために家を出た。その日、彼女は少し寝坊したそうだよ。だから朝、髪を洗う時間なんて無かったんだ。彼女がいつ風呂に入ったかまでは聞いてないけど、前日の夜だと考えていいだろうね。よく聞いてくれよ。6月1日の夜に髪を洗ったシャンプーの香りが、4日の昼までまるで香水のように辺りに香るなんてこと、あると思う?」

「…………」

「ないよね。ってことはシャンプーの残り香はしないってことだ。しかし、実際には発見されたとき遺体からはいい匂いがしていたんだ。一体、どういうことなんだろうね。そして、香水の持続時間は長くもって12時間だというのに、死後40時間以上経った遺体から、なぜ香りがしたんだろう?」

「…………」

「簡単さ。香水を使ったのは彼女ではなく、犯人なんだよ。恐らく画像投稿の前後で香水を使ったんだ。血の匂いが気になったのかもしれないね……」


 佐木はずりずりと椅子を引きずって、何も答えない横山に近づく。そして、震える呼気を吐き、引きつるように息を吸う彼の耳に囁くのだった。


「君の香水の匂いと似ている気がするんだけど?」


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