3-34 月読命
思い返せば、
欠けを知らない満月が、見上げた夜空の闇色を、深い藍色に染めている。今も『
「地下にこれだけの空洞があるんだ。モンスターの被害で地盤もやられてるだろうから、探索中に足場が崩れても不思議じゃない。そのときは、この水晶で串刺しだ。怪我のリスクを負ってまで、この真上を目指す価値があるとは思えんな」
「そうでしょうか。私は、とても気になりますけど」
「〝神様〟のお墓参りが終わったら、この真上に上がれないか、皆さんで知恵を絞ってみませんか? 何か新しい発見があるかもしれませんよ。――例えば、誰かが隠れ住んでいるとか。〝常夜〟には、二年前に蒸発した方もいらっしゃいますから」
――〝神様〟の『
「〝常夜〟滞在歴が七年の私は、この真上のエリアを覚えているわよ。神社跡地の周辺は、枯れかけた鎮守の森と、その森を囲む雑居ビルがあったけれど、管理していた住人たちは、すでに〝常夜〟から消えた人たちよ。食料を始めとした仕入れの機能は使い物にならないし、電気と水道も同じよ。『
「それなら、なおさら絶好の隠れ場所では? でも、食料を外部から調達する必要があるのなら、定期的に市街地まで出てこなくてはなりませんね。人目に触れるリスクが生じますから、ミキさんの主張も納得できます」
「あんたねえ、いくら失踪して〝常夜〟が荒廃する原因になったかもしれない男が相手でも、〝神様〟の座を引き継いでしまった住人のことを、空腹で人里を荒らす熊や
「そんなつもりでは……この真上には何もないと、どうして言い切れるんですか? ミキさんには、何か確証がおありなんですか?」
熊や狸と批評されたことがショックなのか、榊が少し恥ずかしそうな早口で言い返した。「まあね」と答えたミキは、にやりと笑った。
「エイジさんが、一度だけ
「ミキ。余計なことをバラすな」
エイジが、
「余計なことついでに補足の説明をすると、この先にある〝神様〟のお墓の場所は、神社の
「えっ? そうなんですか?」
「ぴったり計測したわけじゃないから、大体だけどね。お墓がど真ん中にある世界ってどうなのよって、なんだか呆れちゃうわよねえ」
言葉通りの呆れ笑いを浮かべるミキに、榊がすかさず「その符号には、何か意味があるのでしょうか」と問いかけた。〝神様〟の特権についてはまだ訊けなくとも、可能な限り情報を集めようとしているのだろう。零一としても、一つでも多くのことを知りたい気持ちは同じだ。――六〇二号室で、たった一人で待つエリカのために。
「さあね」と答えたミキは、質問を予期していたのだろう。この件については隠し立てする気はないようで、榊の質問に応じていた。
「〝常夜〟には〝神様〟の役割を担う住人がいることは、〝常夜会議〟で説明した通りよ。そんな〝常夜〟の歴史については、一つ興味深い言い伝えがあるわ。ここに存在する神社跡地は、〝常夜〟の初代〝神様〟が、この世界に与えた最初の影響だそうよ」
「初代の……〝神様〟?」
零一は、驚いて復唱した。榊にとっても予想外な打ち明け話だったのか、切れ長の目を瞠っている。ミキは試すような口調で「これも全て
「〝常夜〟の住人たちは、あなたたちも知っての通り、〝現実〟に
例を挙げていったミキは、零一が〝常夜〟に与えた影響については触れなかった。零一が呼び寄せた隕石が、〝常夜〟を毎晩傷つけていることに対して、ミキなりに気遣ってくれたのだろうか。榊はもの言いたげな目をしたが、静かに話を聴いていた。
「〝常夜〟に影響を与えるのは、住人だけでなく〝神様〟も同じよ。〝常夜〟を治めた原初の〝神様〟――この世界を存続させるための炎を生み出した存在であり、神々の聖火のトップランナーは、ここに神社を生み出したの。それが〝常夜〟という世界の成り立ちよ。
「つくよみのみこと?」
榊と零一は、ほとんど同時に訊き返した。ミキが「ええ。一般的には『つくよみ』と読むけど、神社では『つきよみ』と呼ぶみたいね」と打てば響くように答えると、沈黙を守っていたヒロが、ミキの足にじゃれついた。
「ミキねえさん。『ごさいじん』って、なあに?」
「ああ、神社に祀られている神様のことよ」
「んー……? じゃあ〝常夜〟には、神様が二人いるの?」
「確かに、そういうことになるわねえ。でもね、神様が二人いたとしても、それは不思議なことじゃないのよ。私たちが暮らしていた〝現実〟の日本でも、岩に、森に、山に、自然に、
「やおよろず?」
「数がとっても多い、という意味よ。今回の場合は、
「ふうん? 難しいねえ」
「難しいわよねえ。分かることを、ゆっくり増やしていけばいいのよ」
ミキとヒロが長閑な問答を続けていると、榊が「待ってください」と言って割り込んだ。緊張の面持ちで、ミキに一歩詰め寄っている。
「ミキさんは、この神社跡地の名前をご存知ですか?
「神社の名前はともかく、神主さんの名字なら伝わっているわ。
「くさかべ……『くさかべ』ですって?」
「びっくりしたでしょ? でも、これはただの偶然よ。漢字も、日差しの日に、上下の下、部活の部で、
「ミキ。そろそろ進むぞ。このペースだと、帰りが遅くなる」
エイジが、おもむろに口を挟んだ。腰袋に工具をぶら下げた後ろ姿は、すでに神域に足を踏み入れている。榊は口を開きかけたが、ひとまず新しい情報を得られて満足したのか、水晶と鳥居が雑多に入り乱れる道を進み始めた。
ヒロが「僕も!」と言って月明かりの下へ飛び出したので、零一も「走るな、危ないだろ」と制止して追いかけようとしたが、隣でミキが静々と
それに――二人の『くさかべ』という〝神様〟のことも、気になった。
名字の一致は、きっとミキが言うように偶然だろう。ありふれた名字を持つ他人同士は、〝現実〟にも数多く存在する。だが、そんな偶然を墓参りの道中で知ったことに、運命を感じずにはいられなかった。
「零一君、考え事をしてたら転ぶわよー」
「は、はい。……ミキさん。この辺りって、水晶とか鳥居の瓦礫とかで、荒れてますけど……見た目よりは歩きやすいっていうか、誰かが手入れしてくれた感じがします。もしかして、また
「あら、気づいたのね。そうよ、先に来た宇佐美さんが、通行の邪魔になる落石を片付けてくれたみたいね。散らかったままでも、私たちでどうにかしたのにね。でも、とても助かるわ」
「はい。最近お会いできてませんし……墓地で会ったら、お礼を伝えたいです」
「ええ。……そうね。宇佐美さんも、零一君たちに会いたがってるわよ」
「ミキねえさん、榊さん、エイジおじちゃんも、こっちに来て!」
零一とミキは顔を見合わせると、ヒロの元へ急いだ。先に進んでいた榊も、焦った様子で戻ってきて、「ひー君、どうしたの? 怪我?」と訊ねている。
「ううん。これ、見て!」
けろっと答えたヒロは、満面の笑みで足元を指さした。
「この足跡、猫だよね?」
黒い岩場の道には、確かに――掠れて消えかけていたが、小さな肉球のスタンプが押されていた。周辺の岩場は乾いているので、地上の泥で足が汚れた状態で、地下に紛れ込んだのだろうか。小型の
「あの……〝常夜会議〟で集まった純喫茶跡地『最果てにて』の前に、エサ皿が置いてありましたよね? 〝常夜〟には、猫がいるんですか?」
零一は一同を見渡して、再び呆けた。ヒロの呼びかけで集まった面々の中に、エイジの姿だけが見当たらない。振り向くと、エイジは零一たちから少し離れた鳥居と水晶の陰にいて、露骨にそっぽを向いている。ミキが、楽しげな笑い声を立てた。
「見つかっちゃったわねえ。隠し通したかったみたいだけど、話してあげたら? エイジさんが、今もすっごく心配で仕方がない、可愛いあの子のことを」
「別に、俺は心配してるわけじゃない。身体の丈夫さが人間とは違うから、面倒を見てやってただけだ」
「そういうのを、心配してるっていうのよ。面倒臭い性格をしてるわねー」
「やかましい」
エイジは悪態を
「〝常夜〟には、猫が一匹だけいる。その足跡の主は、一年と二か月前に、俺と一緒に〝現実〟から〝常夜〟に流れ着いた相棒さ」
星架ランナー 一初ゆずこ @yuzuko
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