第三部 再びの春

「最終章」

 研究室の長椅子で女が眠りこけていた。


 馬のしっぽの形に束ねた髪をほどかずに寝たせいだろう。ぎこちない寝姿で、時折ギリギリと歯ぎしりの音を漏らしている。


「さて、次のニュースです。今月下旬に米国ケープカナベラルでの打ち上げを予定している国産火星開拓船・タケミカズチ。そのテラフォーミング技術に、県内の大学が関わっていることをご存じですか?」


 時刻は午後五時を少し回ったところ。つけっぱなしのテレビから流れてくるのは、地方局のニュース番組だった。


厳川いずかわです。わたしは今、県大の生物資源研究センターに来ています」


 画面が切り替わって、薄暗い建物の内部が映し出される。天井高があり、金属製の棚が所狭しと並んでいるあたりは何かの倉庫のようにも見えるが、棚の上に置いてあるものはいずれもサボテンの鉢植えだった。


「ご覧の通り、こちらではマーズカクタス火星サボテンの名で知られるサボテンの栽培が行われています。成長すると十メートル近くまで大きくなることもあるそうですが、ここにあるものは発芽して一年以内の小さいものだけです」


 レポーターの声に合わせてカメラが鉢植えに寄る。小さいながらも地中から天に向かってまっすぐに伸びた鈍色のサボテンに分枝はなく、てっぺんの少し下あたりだけがメキシカンハットの鍔のように広がっている。どことなく中世ヨーロッパの両手剣を想起させる形状だった。


「それではこの施設の責任者である深山准教授にお話を伺いたいと思います」


 次いでカメラが捉えたのは、白衣を着た初老の女性だった。ぴんと伸びた背筋は健康的で、ポニーテールがよく似合っている。知性的な瞳とやさしげな口元。年相応に落ち着いた化粧も涼やかな顔立ちによく似合っていた。一点、唇に引いたルージュの色だけは妙に子どもっぽい印象を与えるものだった。


「よろしくお願いします」


 女性は穏やかに笑って言った。


「准教授、タケミカズチにはここで栽培されているサボテンの種が積み込まれているそうですね」


「正確には種子をセットした種床たねどこですね。それをつなぎ合わせて緑化テクスチャーを作り、火星地表に貼り付けていくんです」


「火星の平均気温は-60度以下と地球に比べてずっと低いそうですが、そんな環境でも芽は出るんでしょうか?」


「もちろん発芽の段階では保温や保湿、酸素供給が必要不可欠です。しかし、ある程度まで育てば火星に近しい環境でも生存できることが確かめられています。植物の育成に関して、絶対ということはありませんが、現時点では比較的勝算の高いテラフォーミング手法だと思いますよ」


 穏やかな中に、静かな自信を感じさせる声で、女性は語った。


「ありがとうございます。今回、深山さんが長年続けてきた研究が、人類の夢である火星への移住に繋がる第一歩として実を結んだわけですが、今のお気持ちはどうですか?」


「とても光栄に思います」


「聞くところによれば、深山さんは大学に入学した当初からサボテンの研究に取り組みたいとの希望をもっていたそうですね。やはり、その頃からこうやって人の役に立つようなことをしたいと思っていたんでしょうか」


 レポーターの口ぶりは質問というよりも確認に近いものだった。


「いいえ」


 一瞬だけ、女性の知性的な瞳に凶悪な光が、やさしげな口元に殺意に似た感情が宿った。


「人の役に立とうだなんて思って研究をしたことなんて、一度だってありませんよ。こういう次第になったのは、行幸としか」


 カメラ越しにも現場が一気に重苦しい雰囲気になったことは明らかだった。リポーターはしどろもどろになりながら「み、深山准教授は謙虚なんですね」と言った後で「最後に一つだけ。これから火星へと向かうサボテンに何かメッセージをお願いします」と話をまとめにかかった。


「今まで考えたこともありませんでしたが、そうですね、こういうのはどうでしょう」


 そういったときにはもう、女性の顔にはさっきまでと変わらぬ穏やかな微笑みが浮かんでいた。


「好きにやればいい。こっちはこっちでやっていくさ、と」


 研究室の長椅子では相変わらず女が眠りこけている。


 女――先ほどまでテレビのニュースでリポーターの質問に答えていた県大生物資源研究センターの責任者と同じ顔をした女は、いつの間にやらすやすやと気持ちの良さそうな寝息をかいている。うまくポニーテールを気にせずに眠れるポジションに落ち着くことができたのだろう。


 そして女は夢を見る。


 地球から遠く離れた果ての世界が薄明に包まれる頃、大好きだった少女と二人で育てたサボテンの末裔たちが一斉に白い花を咲かせる夢を――。

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世界の果ての薄明に、サボテンの花が咲く mikio@暗黒青春ミステリー書く人 @mikio

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