〈幕間4〉宮廷魔術師は滅びの竜とお茶をする
「どうして父上はわたしの研究を分かってくださらないんですかっ」
たまに娘の夢を見る。
亡くなった妻に似たのかいつも娘は感情の起伏が激しく泣いてばかりいて、そのくせ強情で、私の言うことなど聞いた試しがなかった。いにしえの竜などという古代の遺物にばかり目を向け、その果てに——、
帝国の皇帝に仕えるのではなく、いにしえの竜を追いかけて国を出てしまったのだ。
* * *
「今、何と言った?」
温かみのない冷ややかな声で尋ねる。
もとより優しさなど持ち合わせてはいない。その一欠片でもあれば、私は一人きりになどなっていないのだから。
「いにしえの竜だと言いました」
喧騒の中にも関わらず、女の凛とした声がよく通った。
我々人族と変わらない肉声だった。
「お前がいにしえの竜だというのか?」
「はい。あっ、でもハスミもぜんぶ覚えているわけじゃないんです。封印されている時のことはあまり分からなくて。でもハスミを助けてくれたひとが言っていました。ハスミは
「待て、勝手なことは——」
もとよりマイペースなタチなのか、この女も私の言葉に耳を傾けなかった。屋敷を出て行った娘のように。
金属製の四角い缶を開け、女は上機嫌に茶葉をティーポットの中に入れていく。
そばにはもう一つ魔法製のポットがある。沸かした湯をしばらく置いておける代物で、私の屋敷でも愛用しているものだった。
なるほど、金回りがいいオルタンシア卿らしい趣味だ。客が寝泊まりする一室に過ぎないとはいえ、使用するポット一つでも良いものを置いている。
紅茶の茶葉、傷ひとつなく品のあるデザインのカップ。どれをとっても最高級なものばかりだ。他種族どもの避難所にしては金をかけるべきところにはしっかりかけているじゃないか。
それにしても
闇の属性と
この世界は彼が六種族の王達の間で交わされた平和協定から独立したことがきっかけで、
そう、弱者である他種族の者どもを狩るのは違法ではなく、世界的な目で見れば合法なのだ。であれば、
「旦那さま、お茶が入りました」
「淹れろと言った覚えはないが、まあいい。人ですらない貴様が淹れる紅茶がどんなものか、飲んでやろうではないか」
「はい、きっとご期待にそえると思います。味には自信があるんですよ」
上品な香りが鼻腔をくすぐる。カップには琥珀色の液体が並々と注がれ、照明の光を反射しきらめいていた。
ふん、見てくれは悪くないな。自信を持って断言するだけのことはある。
カップを口につけ、傾ける。花の香りと共に温かな紅茶は舌の上を滑り、そして——。
私の喉を焼いた。
「きゃあっ! 大変です!! 旦那さま、大丈夫ですか!?」
反射的に口に入れたものをすべて吐き出した。いや、吹き出したとでも言うべきか。焼け付くような喉の痛みがすべてを拒絶する。
女はすぐに立ち上がって、吐き出したものを丁寧に拭き取ってくれた。さすがは手慣れているが……。
「なんだ、これは!? なぜ高品質な茶葉で、こうも渋い紅茶が淹れられるのだ!!」
正確には喉を焼くような渋みだった。実際には焼けていない。いや、そんなことはどうでもいいのだ。
「よくも期待に添える、などと言えたものだな! 質の劣った茶葉でもこんな不味い茶にはならんぞ!?」
「あれ、おかしいですね。シャウラ様はいつも美味しいって飲んでくれるんですけど」
「貴様、敵とは言え我らの皇太子殿下になんてものを飲ませているのだ!」
「……はう、申し訳ありません」
一瞬毒かと疑ったがそうではないらしい。他意はなかったらしく、女は視線を落としてシュンと項垂れている。
そういえば、いにしえの竜は人族に危害を加えることは許されていないんだったか。そしてかれらは決まって手先が不器用だとも、例の本に書いてあったような……。
女は見れば見るほど不思議な女だった。
髪の間から見える羽耳と背中の両翼は、ひと目見れば
女は緩く編んだ髪も大きな瞳も、すべて黒だった。
人外だからなのか、容姿は遜色ない。目を伏せると睫毛の影が落ちるさまは儚げで、その辺の男ならすぐに落ちることだろう。すらりとのびたしなやかな手足と豊かな胸はその辺の女よりと比べようもないほどに美しい。美女、と言い表した方がいいのかもしれない。
「……貴様の名はハスミというのか?」
いつまでも項垂れたままでいられるのも面倒だ。深く考えずに聞けば、女はパッと顔を上げた。
「はい、そうなんです。シャウラ様が名付けてくれたんですよっ」
「そうか。では、ハスミ」
「はい、何でしょうか」
いにしえの竜に名前を与えたからと言って、特別な何かが起こるわけではない。なのに、皇太子殿下はなぜわざわざ名前を付けたのか。意味もないし、非効率的だ。理解できん。
部屋の外ではまだ激しい物音や悲鳴が上がっている。
荒事はハイドレイジア卿が率いる親衛隊に任せてあるし、しばらくはこの女を調べて上げてみるのも一興か。
だが、その前に。
「紅茶の淹れ方を教えてやる」
徹底的に教育し直すことが先決だ。
「え? 紅茶、ですか?」
「貴様、あれを毎回皇太子殿下に出すつもりか。そんなことは断じて許さん。いや、それ以前にあのような劇物が紅茶などと、一貴族として断じて認めるわけにはいかん! いいか、この私自らの手で貴様に本物の紅茶とはどんなものなのか教えてやる」
「本当ですか!?」
再び女の顔が輝いた。
「すごく嬉しいです。シャウラ様に喜んでいただけるように、ハスミ頑張ります!」
「言っておくが、私の指導は厳しいぞ?」
「はい、覚悟の上です。よろしくお願いします、旦那さま」
「セレスタイトだ。セレスとでも呼べ」
「はい。わかりました、セレスさま」
どこかおかしな展開になっている気もするが、気にしないでおこう。
花宿制圧後の段取りは決まっていて、ハイドレイジア卿がすべて取り仕切ることになっている。加虐趣味の彼が宿の中にいる他種族どもをどう扱おうと、私には関係のない。おそらく無事では済まないだろうが。
どちらにせよ、宮廷魔術師である私がすべきことなど、現段階ではあまりない。
私はいにしえの竜であるこの女が手に入ればそれでいい。研究材料の一つとして入手できれば、それでいいのだ。
実際にこの手で触り、生体を徹底的に調べ上げる。
いにしえの竜を研究することで娘が何を目指そうとしていたのか、分かるかもしれない。
「では、一度ポットを洗ってきますね」
「待て。洗うにはその手袋は不便だろう。外していけ」
椅子から立ち上がったところを女の手首を掴んで制止した。
この女、話す言葉は丁寧なくせに、マイペースすぎてちょっとやそっとでは言うことを聞かない。身体を使って覚えさせなければ。
「あ、でも。シャウラ様には何があってもこの手袋は絶対に外すなと言われているんです」
女の小さな両手は白い手袋に覆われていた。
一見普通の手袋のようだが、皇太子殿下のことだ。なにかあるに違いない。もしかすると精巧に術式を織り合わせた魔法道具の一種なのだろうか。
職業柄なのか、それとも珍しく知的好奇心が刺激されたのか。いつになく私はその手袋に興味を抱いた。
「命令だ。今ここで、手袋を外せ」
「セレスさまでもだめです。シャウラさまの命令は絶対ですもの。——あっ」
たわんでいる場所を見つけ、指で摘み引き抜くと手袋はするりと抜けた。
女のやわらかな手が露わになる。
羞恥のためなにか、女の白い頬がわずかに紅く色付いた。
「だからだめって言いましたのに。セレスさま、お願いです。手袋を返してください」
「駄目だ。どんな代物か調べた後でなければな」
「そんな、ひどいです。それはシャウラさまがくれた大切な贈り物なんです。お願いです、返してくださいっ」
おっとりした雰囲気だったくせに、女の様子が変わった。
眉を寄せ、身を乗り出して私がこの手で掴んだ手袋を取り返そうと手を伸ばしてくる。
しかし、私も男だ。いくら人外であるいにしえの竜が相手であろうと、そう易々と女に負けるはずがない。高く手を掲げ、女から手袋を遠ざけ、私は鼻で嘲笑う——、はずだった。
すがるように触れた女の小さな手のひらが、私の身体に触れた。一秒にも満たないその一瞬。
目の前の空気が弾けた。
娘が書いた本の中で読んだことがある。
滅びの竜は
そのせいで、どんな呪いでも吸収し無効化するという特殊な力を持った滅びの竜は、今まで誰の目にも触れず忘れ去られてきた、と。
世界を覆っていた霧が晴れていく。ぼんやりしていた彼女の顔が鮮明になっていく。
身体全体を侵食していた鎖が砕けたのが分かった。
今、この瞬間。私にかけられた狂気の呪いは覆された。
遠い昔。
それが人喰いの
「そういうこと、だったのか」
皇太子殿下が魔法製の手袋を使ってでもハスミの手を隠そうとした理由。
世界の初め、
滅びの竜が、その手で触れた呪いを例外なくすべて無効化するからだったのだ。
迷子の小鳥は脱獄王子に拾われて、兄奪還に挑みます! 依月さかな @kuala
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