柳生清厳 津島街道をゆく 2

 柳生宗矩が従五位下の官位と但馬守を叙任したことは尾張柳生にも大きな影響を与えた。特に若い清厳は、直接雌雄を決したわけでもないのに江戸柳生が尾張柳生より上のように見られてしまうこの状況が許せないらしい。

 彼の父親である利厳も似たような想いを抱きもしたが、さすがに彼ほど激情に流されることはなく、むしろそこまで憤れる清厳の執着心を危惧したほどであった。このままでは清厳は悪い暴走をしてしまうかもしれない。そう危惧した利厳は息抜きとして津島街道の見回り任務を持ってきた。

 清厳は少々不満ながらもこれを受諾した。


「承知いたしました。津島街道の見回り任務、承りましょう。大した道ではありませんし、早速明日にでも出ようと思います」

「うむ。頼んだぞ、権平(清厳の幼名)」

 利厳が持ってきた依頼を受けることにした清厳は、早速部屋を辞して道中共にするお供を見繕う。彼がまず向かったのは庭の鍛錬場だった。ここでは十数人の新陰流門下生たちが鍛錬の汗を流していた。

「皆よく励んでいるようだな。ところで儀信よしのぶはいるか?」

 初めから決めていたのだろう、鍛錬場に着くなりそう呼びかけるとすぐさま一人の若侍が清厳の元に駆けてきた。

「はい、こちらに。いかがなされましたか、清厳様?」

「うむ。実は先ほどこのようなことがあってだな……」

 事情を話す清厳。彼がお供の一人目に選んだのは幼なじみの武藤儀信よしのぶであった。同年代で腕も立つ儀信はこれまでも何度か清厳の外出に同行していた(第四話、第十三話など)。今回も急な話であるにもかかわらず、話を聞くや二つ返事で同行を引き受けるのであった。

「津島街道ですね。承知いたしました。早速準備をしてまいりまする」

「頼んだぞ。それとあともう一人くらい連れて行こうと思うのだが、誰か手の空いている者はいたか?」

「手の空いている者ですか?清厳様が命じれば皆喜んで同行いたしますよ」

 屋敷の者は皆清厳を慕っていたし腕前の方も申し分ない。誰を選んでもお供として十分に働いてくれることだろう。しかし清厳はそこまで真面目に考えなくてもいいと返す。

「下手に気を遣わせたくないんだ。今回の任務はたぶん本当に何の危険もない奴だ。だから本当に暇な者――軽く小間使いに出来るような奴が欲しいと思ってな」

「なるほど。それならば……」

 しばし思案する儀信。確かに話を聞く限り道中の危険はなさそうだ。だから腕前は二の次として……、小間使いとして扱っても問題ない奴で……、そしてちょうど手の空いている者といえば……。

「……それならば儀玄よしはるなんてどうでしょう?よく気が付く奴ですから、旅のお供にはちょうどいいかと」

 儀信が名を挙げたのは安藤儀玄という数歳年下の門下生だった。清厳との交流はあまりなかったが、真面目で目上の者の言うことをよく聞く事は知っていた。なるほど確かに彼ならば足手まといになることはないだろう。

「儀玄か。悪くはないな。では儀玄に話を通しておいてくれるか?」

「お任せください。ではまた明日に」

 こうしてお供も決まった翌日早朝。お役目に向かう三人は旅装束を身に纏い屋敷の門前に集まっていた。清厳と儀信、そして儀玄の三人である。

「いい天気ですね。これならば雨も数日は降りますまい」

「ああ。川が多いからそこだけが心配だったからな」

 お役目前ではあったものの旅慣れしている清厳と儀信はとても落ち着いていた。対し新たにお供に選ばれた儀玄は今回が初めての遠出の上、目上二人の手伝いということでひどく緊張していた。

「き、清厳様!不肖安藤儀玄、此度はお二方の邪魔にならぬよう誠心誠意励みます!」

「あー、わかったわかった。だがそんなに畏まらなくてもよいぞ。どうせ三日もかからぬ旅だ。気を張らずに楽に行け」

 初々しい反応に苦笑する清厳たち。実際清厳の言う通り今回の旅は気を張る必要のないものだった。

 名古屋から津島までの距離はおおよそ五里(約20キロメートル)。途中幾本か川を越える必要があるが、それを差し引いても今日のうちにたどり着ける距離である。加えて津島街道は比較的安全な街道として知られている。ゆえに清厳たちはこれをお役目とは名ばかりの、ちょっとした気分転換の小旅行と捉えていた。

「せっかく父上が持ってきただからな。堪能しなければ申し訳ない。……ふむ。人の流れもだいぶ穏やかになってきたな。ではそろそろ行こうか」

「はっ」

 急ぐ旅でもないため無理に朝一に出る必要もない。早朝の混雑が落ち着くのを見計らい、清厳一行は名古屋の町を出るのであった。


 名古屋の町を出た清厳一行は、朝の陽ざしを背に浴びながら、まずは西へと延びる美濃路みのじを進んでいく。

 美濃路とは尾張・名古屋と美濃・垂井たるいとをつなぐ街道のことで、古くから清須きよす墨俣すのまたに向かう旅人たちが利用してきた。そして清厳たちが目指す津島街道もこの美濃路から分岐する。

「今見えている何人かも津島街道に向かう人なんでしょうね」

「ああ。そしてそのまま三里の渡しを使って伊勢まで行くのだろう」

 清厳と儀信がそんな話をしていると、それを聴いていた儀玄が恥ずかし気に尋ねてきた。

「あのぉ、儀信殿。三里の渡しとは何なのでしょうか?七里の渡しならば知っているのですが……」

「なっ!?お前、何も知らずについてきたのか?」

「す、すみません!昨日のうちに誰かに訊こうと思っていたのですが、思っていたよりも旅の準備に手間取ってしまいまして……」

「お前……」

 普段の真面目な態度を評価してお供に呼んだ儀玄であったが、早速意外にもおっちょこちょいな一面があることを知ってしまった。

 こんな調子で果たしてこの先大丈夫なのかと溜息をつく儀信であったが、それでも一応三里の渡しの説明はしてやった。

「三里の渡しってのは津島と伊勢・桑名宿とを結ぶ海路のことだ。ただし東海道の一部として認められている七里の渡しとは違って、こっちは正式な官道として認められてはいない。つまりは非公認――違法な海路ということだな」

「違法!?よ、よろしかったのですか?そんな大事な場所へのお供が某で。もっと腕が立つ方もいらしたでしょうに」

 どうやら違法と聞いてアウトローな雰囲気を想像したようだ。思わず及び腰になる儀玄であったが、清厳は気にすることはないと続けた。

「非公認と言っても古くから地元の者が使っていた道だ。大して危険な場所じゃない。そもそも公認非公認の話も、十年以上前に尾張防衛のために敷かれたものだからな。そこを除けば普通の街道となんら変わらんよ」

 七里の渡しが正式な官道となったのは、今から十三年前の1616年のことである。これは大坂の役の翌年のことで、おそらく牢人や敵対勢力を伊勢より東に向かわせないためにそう定めたのだろう。当時は今ほど旅も容易ではなかったため、それなりの効果もあったはずだ。

 しかし今は太平の時代。巨大な敵対勢力がいなくなった結果、非公認の街道を監視する意義は年々薄れていた。実際非公認という点を除けば、三里の渡しは天候に左右されにくい便利な海路である。

「とはいえ非公認なのも事実。あまり野放しにしておくと御公儀が舐められかねない。そんな背景から生まれたのがこの見回り任務というわけだ」

「なるほど。三里の渡しそのものを取り締まるのではなく、道中の治安維持の方に力を使うというわけですね。これなら地元の人や普通の旅人が被害を被ることもないと」

「そういうこと。そしてここからが本格的に津島街道というわけだ」

 新川の橋を渡った一行の前に大きな追分が現れた。道はそれぞれ西と北西に続いている。

「このまま北西に進めば清須。西に進めば津島に着くのですね」

「そういうことだ。では行こうか」

 美濃路もここまで。一行は改めて西に指針を取り津島を目指すのであった。


 さて、本格的に津島街道を歩み始めた清厳たちであったが、その道中ははっきり言って平和そのものだった。

 天気は快晴で見晴らしもよく、春霞の向こうには遠い養老山地の山々が見えている。街道沿いの新田はまもなく田植えなのだろう、百姓たちが鍬や鋤などを使って田面を整えており、その傍らでは暖かい季節がうれしいのか稚児たちが走り回っていた。近くの水辺ではクイナがクックと鳴き、見上げればトンビが高く輪を書いている。

「何といいましょうか……平穏ですね」

「ああ。まぁここは開けた場所だからな。こんなところで悪事を働くような馬鹿はいないということだ」

 清厳たちが歩いている津島街道を含めた名古屋の西から北にかけては、国内五位の面積を誇る平野・濃尾のうび平野が広がっていた。この濃尾平野には木曾川支流の定期的な氾濫によってできた肥沃な大地が広がっており、古くから中部の穀物庫として知られていた。織田信長や豊臣秀吉、徳川家康などがここで覇を競ったと言えばこの地の重要性もわかるだろう。

 とはいえそんな血で血を洗う争いも昔の話。今は先程述べたような穏やかな春の景色が広がっており、清厳たちも思わずお役目も忘れて行楽気分になるほどであった。

(あぁ……、きっと今回のお役目は何事もなく平穏無事で終わるのだろうな……)

 そんな思わず呆けてしまうほどの平和な道程であったが、日光川の分流の一つを越えたあたりで少しばかりトラブルが起こった。

「っ、てて……」

「ん?どうかしたか、儀玄?」

 振り返る儀信。見れば儀玄が足を引きずるようにして歩いていた。しかしどうやら儀玄はそれに気付いてほしくなかったみたいで、すぐさま真っすぐ立って何でもないと首を振る。

「あ、いえ、何でもありません。気にしないでください……」

「いやいや、何でもないわけがあるまい。足か?どれ、見せてみろ」

「あっ、ちょっ、儀信殿……!」

「おっと、こいつは……」

 儀信が無理矢理確認すると、儀玄の足の甲には草鞋の紐による擦り傷ができていた。

「血がにじんでるな。強く締めすぎたのか?」

「いえ、その……。濡れた草鞋が変に食い込んだみたいで……」

「ああ、なるほど。川を渡った時に濡れたのか。それで肌に当たる部分の滑りが悪くなってしまったと」

 ちょっとした不運からケガをしてしまった儀玄。それを黙っていたのは年長者二人に迷惑をかけたくなかったからだろう。しかしこのまま放っておいても悪化するばかりである。儀信はさっさと儀玄を座らせて応急処置をした。

「今できるのはこんなところだな。次の村までもうすぐだから、そこで改めて薬を塗ろう。清厳様もそれでよろしかったですか?」

「構わんよ。ちょうど昼飯時だしな」

「すみません。某が未熟なばかりに……」

 しょげる儀玄の背中を儀信はバンバンと叩いた。

「まぁ誰だって初めはそんなもんだ。確かにちゃんとしたお役目の最中だったら怒鳴ってたが、今日はそういう雰囲気でもない。運が良かったな」

「は、はい!」

 こうしてちょっとしたハプニングはあったものの一行は再度歩きだし、まもなくして三宅川沿いの村・勝幡しょばた村へと入るのであった。


 勝幡しょばた村。現代における愛知県西部・愛西市付近にある村で、清須や名古屋が発展する以前は濃尾平野における商業の中心地として栄えていた村である。

 そんな歴史の名残なのか、大通りには幾軒もの茶屋や旅人のための雑貨屋が並んでいた。清厳たちはそのうちの一つに適当に入って、儀玄の治療がてら昼食を取ることにした。

「とりあえず茶と、炒り豆でももらおうかな。他に何か頼まれますか、清厳様?」

「いや、津島も近いし軽くつまむくらいでいいだろう。ところで足の具合はどうだ、儀玄?残りも歩けそうか?」

「は、はい!問題ありません!申し訳ございません。某が不甲斐ないばかりに……」

 幸い歩けなくなるほどのケガではなかったが、自分のせいで年長者二人に迷惑をかけてしまったと儀玄は意気消沈していた。

 それに気を遣ってか、清厳と儀信はあえてそこには触れずに他愛のない雑談に興じるのであった。

「それにしても今回のお役目は平和ですね。普段から城の方々が見回りをしているおかげでしょうか」

「おそらくはな。……というよりも去年のが強烈過ぎたのだ。本当はこのくらいが普通なのだろう」

「前回と言いますと小牧に向かわれた時でしょうか?兼平殿から聞きました」

「ああ、それだ。あの時は春豪殿もいらしたときだな」

 清厳たちの話題に上がったのは、昨年行った小牧街道の見回り任務の話であった(第十三話)。あの時はいろいろあって最終的に楽田にて牢人たちと死闘を繰り広げた。清厳たちは口では「大変だった」と言いつつも語る表情は誇らしげな、まさに武勇伝であった。

「はぁ……、やはりすごいのですね、清厳様も、儀信殿も」

「なに、偶然そんなお役目が回ってきたというだけの話だ。もしかしたらこのお役目もそのようなものに化けるかもしれないぞ?」

「い、いやぁ、某には少々荷が重いと言いましょうか……」

 引きつった笑みを見せ畏まる儀玄に、二人は「ははは」と笑った。

「まぁ実際あんな大立ち回り、早々出会えるものではない。ちょっと前まで駿府で怪しい動きがあるという噂もあったのが、それも流れてしまったしな」

 清厳が続けて話題に出したのは、半月ほど前によく耳にした噂話であった。なんでも駿府付近に幕府転覆を狙う悪人が潜んでおり、それを討つために近々名古屋城城主・徳川義直が挙兵するのではないかという噂である。実現すれば大坂の役以来の大戦おおいくさなので期待する者も多かったが、結局それ以降音沙汰なく噂自体もいつの間にか消えていた。

「あぁありましたね、そんな話。あれはいったいどうなったんですかね?」

「どうもこうも、ただの根も葉もない噂だったんだろ。何かあったら自然と耳に入っているはずだからな」

 そう言って単なる与太話だったと切り捨てたこの話――実はこれは秀忠が主導した忠長改易計画のことであった(第十四話)。

 どこが発端かは知る由もないが、うっかり漏れ出た改易計画が巡り巡って尾張にまで届き、それが清厳たちの耳にも入ったのだろう。幸いなことにその計画は家光たちによって阻止され実現することはなかった。さらに言えばこの件で活躍したことにより宗矩が従五位下の官位を得たのだが、これもまた清厳たちが知る由もないことである。

 そうとは知らぬ清厳は炒り豆を頬張りながら、自分もどうにか官位を得られないものかとぼやく。

「はぁ。某らも官位を貰えるような事件に出会えんもんかな。そうすれば江戸と対等に渡り合えるというものを……」

「清厳様……」

「そんな目をするな。わかっているさ。そんな大事件、起こらない方がいいということくらいはな。しかしこのままでは江戸との差がどんどん広がるばかりだからな……」

 清厳がそんなことを呟きながら、もう一粒つまもうとしたその時だった。にわかに表の通りが騒がしくなったかとと思うと、「いい加減にしろ!」という男の哀願するような叫びが聞こえてきた。


「いい加減にしろ!それは大事な商品なんだぞ!」

 皿に伸ばした手を引っ込めた清厳が何事かと首を伸ばすと、どうやら騒動ははす向かいの雑貨屋で起こっているようだった。見ればその店先にて店主らしき男と、それによく似た顔の牢人風の男が言い争っていた。

「欲しいものがあるのならば金を持ってこい!それが道理だろうが!?」

「ケチケチしないでくれよ、兄上。兄弟なんだ。困ったときはお互い様だというだろう?」

「何がお互い様だ!まともに働きもせずに昼間からぶらついて!挙句こんな風に店先を滅茶苦茶にして、お前は父上らに申し訳ないとは思わんのか!」

「死んだ人間に何を申し訳なく思えってんだよ。はぁ、まったくそういったところばかり親父に似てきたな」

 どうやら言い争っている二人は兄弟らしい。しかし似ているのは顔ばかりで、兄の方はまげも小袖もきっちりと整えているのに対し、弟の方は牢人らしい見た目で、ガラの悪い仲間たちを引き連れてニヤニヤと態度悪く笑っていた。

「それによぉ、金なら当てがあるって言ったじゃないか。上手くいったらちゃんと利子付けて返してやるって」

「まさかお前、本当にあれに手を出すつもりなのか!?馬鹿な真似はよせ!あれはお爺様が遺された大切な……!」

「あー、だからもうとっくの昔に死んでんだろうが。そんなもんに義理立ててどうすんだよ。ともかく俺は行くが、その前に少し色々と借りてくぜ。おい、お前ら!」

 そう言って弟が合図を出すと、彼は牢人仲間たちと共に店先の草鞋やら包帯やら保存食やらをどんどん懐に仕舞っていく。

「お、おい!何をしている!?店の者に手を出すなと言っているだろう!?」

「そう騒ぐなよ。ちょっと入り用だから借りてくだけだ。それに上手くいったらこれの代金も払ってやるから心配すんな」

「こ、この……!」

 なんと傍若無人な振る舞いだろうか。これに店主の兄は怒りで顔を赤くするが、残念ながら力のない彼はそれを止めることができず、店が荒らされるのをただ黙って観ている他なかった。


「やれやれ。飯がまずくなる連中だ。どうします?懲らしめますか?」

 そう呟いたのは近くの茶屋から一部始終を見ていた儀信である。確かに見ていて気持ちの良くなる連中ではない。しかしこれに清厳はそっけなく首を振った。

「よせ。私たちは土地の者じゃないし、聞くに家族の問題のようだ。そういったものに不用意に首を突っ込むなと父上も言っていた」

 他の家のことに下手に口を挟まない方がいいのはこの時代も変わらない。もちろん直接頼まれれば手を貸さないこともないだろうが、そうでないのなら遠巻きに見ておくに限る。

 そうこうしているうちに漁り尽くしたのか、牢人たちは雑貨屋から去っていった。

「それじゃあな、兄上。困ったらまた来るよ」

「うぅ……。この馬鹿者が……」

 荒らされた店先では店主の男が膝をついて力なくうなだれていた。かわいそうではあったが、力のない者はそうなっても仕方のないのがこの世の性である。

 そんなことを思っていると、偶然近くに立っていた店の女中が痛ましげに呟いた。

「あぁ駒屋さんところ、またか。お兄さんもかわいそうに……」

 どうやらそれほど珍しいことではないらしい。気になった清厳はこの女中に軽く声をかけてみた。

「もし、何か騒がしかったみたいだが、あそこはいつもあんな風なのか?」

 女中は急に声を掛けられたことに小さく驚いたが、元がおしゃべり好きなのだろう、一度口を開くとべらべらと内情を話してくれた。

「え、あ、はい。そうと言えばそうなんですが、あそこまで大暴れしたのは久しぶりですね。というのもあそこの弟さん……、あ、さっき暴れていたのはあの店の旦那さんの弟なんですよ。それでその弟さん、しばらく家を出ていたから……」

「出ていった?奉公にでも出ていたのか?」

「いえいえ、単なる家出ですよ。実はあの弟さん、顔は似ているけど妾さんの子でね。それで居心地が悪かったのか昔から素行が悪くって。最近では今みたいに悪い連中とつるむようになって、家に帰らないことも多かったんです」

「それが久方ぶりに帰ってきたと」

「ええ。まぁどうせ遊ぶ金がなくなったから、せびりに来たんでしょうけど。まったく、先代もそうでしたけど今の旦那さんももっとガツンと言えばいいのに。そうしないからああも大きな顔をするんですよ」

「ふむ、そうかもな」

 女将の話に相槌を打っていた清厳であったが、実を言うとこの時すでに清厳はあの店主に興味を無くしていた。まったく、なんと情けない男なのだろうか。長男として跡を継いだのならば何を差し置いてでも家を守るのが道理である。にもかかわらず道を外れた弟を切ることもできず、ただめそめそと泣くばかり。同じ男として、長男としてこっちが恥ずかしくなるくらいである。

(これ以上は見てられないな)

「すまないな、女将。某らは急いでいるのでそろそろ発たせてもらうよ。それでは行こうか、儀信。儀玄」

「えっ、あ、はい……」

 急に立ち上がった清厳にお供二人も慌てて残りの茶を飲み干しついていく。

「どうかなされたのですか、清厳様?」

「なに、ちょっと真面目にお役目に励もうと思っただけだよ」

 そんな去り際、清厳はちらと荒らされた店先を片付けていた店主に目をやった。眉尻の下がった何とも頼りがいのなさそうな男である。これでは付け込まれるのも仕方のないことだろう。

(まったく、こんなのでも主になれるのだから商人というのも楽なものだな)

 自分はこんなものにはなるまいと一瞥するやすぐに前を向く清厳。目的地の津島まではあと一里というところであった。

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怪異改め方 柳十兵衛 きらめくはにわ @IDkaiduka2000

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