第6話 咖喱を売った男
咖喱を売った男
the man who sold the curry
♪~
私たちは階段ですれ違って
We passed upon the stair
昔のことを話した
We spoke of was and when
私は「そこ」にいなかったのに
Although I wasn’t there
彼は私のことを友達と呼んだ
He said I was his friend
これは驚いた
Which came as a surprise
私は彼を見つめて言った
I spoke into his eyes
あんたは独りで死んだと思っていた
I thought you died alone
遠い遠いインドで
in far far India
ああ、俺じゃない
Oh no, not me
俺は決して「情熱」を失わなかった
I never lost passion
お前は向き合っている
You’re face to face
咖喱を売った男と
With the man who sold the Curry
~♪
1
燃えたぎる太陽が地平線へ消えていく。
そのまま地上に落ちて、何もかも焼き去ってくれればいい。そんな感傷に浸る日が誰にもあるだろう。今日がその日だ。
あの火球は地面に落ちるのではなく、西方の楽園を照らしに行くのだ。そんな当たり前のことが、今日の私にとっては残念でならない。くだらない日常に飽きてきたところだ。天地を揺るがす大事件を望んでいる。
階段の踊り場から夕焼けを眺め、黄昏ていると、誰かが上がってきた。
その男は、カランカランと金属音をさせて現れた。音の正体はバックパックからぶら下がったおたまと鍋のふたがぶつかり合って生じたものだった。
男は帽子替わりに鍋を目深にかぶっていた。鍋を、だ。私が思わず身構えてしまったのも無理はないだろう。それ以外にどんな対応をとったらよいというのか。
もし夕暮れに怪人鍋男と遭遇した経験のある方がおればご教授願いたい。
「लंबे समय!」
私は大学で鍋男語を履修していない。英語かフランス語で頼む。いや、フランス語の授業も出席したことがないんだった。
「きゃ、きゃん、ゆー、すぴーく、いんぐりっしゅ?」
男は笑い出した。なんだか知らんが奴に敵対の意思がないことはわかった。未知との遭遇においてコミュニケーションを試みた私の勇気は子子孫孫語り継がれるだろう。
「すまん、ついヒンディー語がでてしまった」
鍋男の公用語はヒンディー語らしい。
「久しぶり、といったんだ」
「生憎、鍋男の知り合いはいない」
「そう怖がるな。俺だよ」
そう言うと鍋男は鍋をとった。真っ黒に日焼けした顔が現れる。どこかで見たような顔だ。
「せっかく数年ぶりに再会したんだ。そのみっともないファイティングポーズをとけ」
男の顔に張り付いた憎たらしい笑み。この見ているだけで腹が立つ感覚。私は思い出した。咖喱の深淵を求めて天竺へ旅立った阿呆がいたことを。
2
中略(入学早々カルトサークルに引っかかってしまった私は鍋男こと彼と出会い、隠れ蓑としてカルトサークル咖喱教を立ち上げた。しかし架空の宗教に入れ込んだ彼はカレー修行のため聖地インドへ旅立ってしまった。話すと長くなるので省略)
3
「お前の力を借りたい」
奴はそういって、私を指さす。失礼な奴だ。
「指をさすな」
「I WANT YOU。アンクル・サムだ。知ってるだろ?」
髭を蓄えた男が星柄のシルクハット(鍋ではない)をかぶり、指を突きつけてくるポスター。一度見たら印象に残ることは間違いない。しかし、どうしてインド帰りの奴が、アメリカにかぶれているんだ。
「インド帰りじゃない。アメリカ帰りだ」
土産だといってスニッカーズを渡してくる。成分表示は日本語だったが。
「インドで修行を終えた俺は、カレーを売って歩いたんだ。世界中をな」
「即実践に移ったわけか。大した奴だ」
私はあきれ顔をして見せたつもりだったが伝わらなかったらしい。彼は二目とはみたくない照れ顔をさらしている。あと三秒その顔を引っ込めなかったら殴ってやる。
「まあ好きで世界を回ったわけじゃないんだ」
確かにそう語る彼の顔には苦労のあとが垣間見える。殴るのは勘弁してやろう。
「修行中に金が尽きてしまってな。仕方ないからカレーを売って路銀を稼ぐことにしたんだ」
「だったらインドにとどまっていたらいいじゃないか」
「インドの料理に飽きたのさ」
誰かこいつを殴って目を覚ましてくれる奇特な人はいなかったのだろうか。
「それで、世界を回ってみた手ごたえはどうかね」
「いまいちだ」
意外だった。天上天下唯我独尊、自信の塊のような彼が、自信を喪失しているらしい。彼から自信をとったら何が残るか。
「俺のカレーは完璧だ。だが売れない。いや、完璧だから売れないんだ」
そういって彼は夕陽を見つめる。これまで自分がカレーを売り歩いてきた道を振り返っているかのようだ。
「俺のカレーは完璧だ。故に面白みがなく、飽きられてしまう。一皿とは言わず一口で飽きられてしまうんだ」
完璧だ、完璧なんだ。自分に言い聞かせる様子は痛々しく、私は階段のほうへ目をそらす。
「そこでだ。話を戻すが、お前に協力してもらいたい」
声に先ほどまでの悲壮感はない。目を離したすきに彼の顔には憎たらしい笑みが戻っている。まだこの男は情熱を失ってはいないのだ。
「協力しろというが、おれに何ができるっていうんだ」
四畳半で、もぞもぞしていただけの私に。
「お前というノイズが欲しい」
「ノイズだと」
雑音呼ばわりとは心外である。
「ノイズは悪かったか。ではセンスと言い換えよう。俺はお前のセンスを買っている」
苦笑を禁じ得ない。これでおだてているつもりだから困る。
「俺のカレーは完璧だが、未完成だ。俺は基本を極めることが、料理を極めることだと信じ、そして極めた。しかし基本は基本。基本を極めても教科書的な料理ができるだけで、面白みを欠く。だから、お前のセンスで、俺のカレーに遊びを持たせて欲しい。俺が主旋律を奏でる。お前は伴奏を担当してくれ」
「雑音から伴奏に昇格とは大出世だな」
「雑音呼ばわりしたことは謝る。わるかった。つい嫉妬心が出てしまったんだ。だが、俺は本当にお前のカレーセンスを認めているんだ」
さっきからこいつは何を言っているんだ。センスだのなんだの私の何を知っているんだ。
「知っているさ。お前の才能をな。今だから言うが、俺がはるばるインドまでカレー修行にでかけたのはお前のカレーを食ったからだ。」
驚天動地。大山鳴動して驚愕の真実。こいつを阿呆な旅へ駆り立てたのは私だというのか。
「なんのことかわからない」
「俺とお前で作った咖喱教。その活動を少しでも実体あるものとしようとして手作りカレーの交換会をしたことがあったろう」
確かにそんなことをした覚えがある。カルトサークルから逃れるためとはいえ気持ち悪いことをしたものだ。
「俺は張り切ってカレーを作っていった。カレーには自信があった。一方お前は、はじめて作ったというカレーを出してきたな」
そうだったろうか。確か私は……
「信じられなかった。俺はたまげた。これが初めてのカレーか、と。一見素朴だが、心に染みてくる味。そう懐かしい味、とでも言おうか。初めてでこんなにも感動的なカレーが作れるなんて。そのときは認めたくなかった。しかし今なら言える。お前はセンスの塊だと。センスだけで、才能で素晴らしいカレーを作れてしまう。俺は嫉妬した。お前に勝ちたいと思った。努力が才能に負けると認めたくなかった──」
沈んでいく日を背に、彼は両手に抱えた鍋の底に目を落としている。私もつられてなべ底を見ているうちに、あの日のことを思い出していた。
「だからインドへ?」
「そうだ。俺は本場でカレーの真髄を学び、お前を越えようと思った。だがダメだった。どうやってもお前のカレーを越えるカレーは作れなかった。人々の心をつかむカレーを作れはしなかった。カレーを作れば作るほど、お前のカレーのすごさが分かるばかりだった。そして売れないカレーを売って歩くうち、俺はある結論に至った」
彼の言うようなすごいカレーを作った覚えはない。あのとき、私が彼に食わせたのは……
「お前のカレーの魅力。人の心を、俺の心をつかんで離さない魔力……これは売ったら儲かる‼」
馬鹿だ。阿呆だ。戯けだ。
「俺とお前が手を組めば世界が狙える!俺の完璧なカレーにお前のセンスが加われば、究極のカレーが完成する!この究極のカレーで世界に繰り出そう!世界を俺たちのカレーで統一するんだ!カレーによる統一、カレーによる統治、カレーによる秩序、カレーによる平和だ!」
日が落ちて踊り場の電灯に光がともる。世紀の阿呆が血走った目でつかみかかってくる。
「頼む!俺とカレーを売ってくれ!」
「わかった!わかったからサバ折はやめろ!そこまで言われて断ったら男が廃るというものだ」
「おお……協力してくれるか!」
「だが、カレー屋を開く前に、お前に言っておくことがある」
「なんだ?なんでも言ってくれ。俺にできることならなんでもしよう」
「あの時、おれがお前に食わせたカレーだが」
「ああ、あのカレーの味は今でも昨日のことのように思い出せるぞ」
「あれはレトルトだ」
4
人と動物を分かつものは何か?
あるものは意思を挙げる。人には意思があり、目的がある。目的無しに人は生きられない、と。
しかし本当にそうだろうか?目的のない人生などありふれてはいないか?目的があったところで、その目的が設定される過程は問題としないのか?
人の意思はときにとんでもないことをしでかす。特に意思疎通の齟齬ほど、事件を出来させるものはないだろう。
彼の今回の狂奔は、十中八九彼が責を負うべきであるが、一か二は私が負うべきなのかもしれない。意図的ではなくとも、彼を遠い西方の楽園へ向かわせたのは私なのだから。悪意はなくとも、善意でなくとも、瑕疵はあったかもしれない。去っていく彼とのコミュニケーションを怠ったことは私の非か。アメリカに渡った件については私は知らないが。
だから彼の求めに少しは応じてやってもいいのかもしれない。彼と私の間にはそれぐらいの余地はあるかもしれない。
だから、学園祭で売れないカレーを売る手伝いくらいならしてやるつもりだ。
カレー夜話 菅沼九民 @cuminsuganuma
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