泣き虫の庭

koumoto

泣き虫の庭

 生まれたときから、泣いていた。それは正常なことでもあろう。だが、彼女は泣きつづけた。六日のあいだ、休みも眠りもせず、声をあげて泣きつづけた。ちょっとした天地創造である。実際、この世に生まれるということは、この世を創り出すということに似てはいないか? 少なくとも、生まれてくる者にとっては。

 常軌を逸した永遠のような慟哭に、医師も母親も疲れ果ててうんざりする頃、ようやく彼女は泣き止んだ。ただ、その休息は、常に嵐の前の静けさをまとっていた。泣くことが人間の常態であって、それ以外は仮初めの姿、些末な余計事にすぎない、とでもいうかのように。

 育児は困難を極めた。障害につぐ障害だった。子どもは泣くことが普通であるが、泣くことだけに特化した子どもは普通ではない。彼女は幼少期から外れていた。生まれついての異端だった。

 家で泣く。街頭で泣く。車内で泣く。病室で泣く。店で泣く。公園で泣く。地上のどこにおいても彼女は泣いた。涙が彼女の守護天使であるかのように泣いた。瀕死の人間にとっての死神のように、涙は彼女につきまとった。なにかを求めて泣いていた。水でも糧でも玩具でもない。なにを与えても泣き止まなかった。それでもなにかを求めていた。彼女が泣き止むのは、願望が満たされたからではない。埋まらない欠落との、ふとした気まぐれで結ばれた一時的な休戦協定でしかなかった。

 たゆみなく忍耐強い努力と執念と愛によって、彼女は守られ、育てられた。だが、外れた人間にとっては珍しくもないことだが、学校という場で明らかにつまづいた。

 彼女の机にはいつもバケツが置かれていた。とめどなく泣き、とめどなく流される彼女の涙を、聖杯のように受け止めるために。滴り落ちる彼女の涙で、バケツはすぐにいっぱいになった。泣きながら彼女は窓へと近づいて、屋外にバケツいっぱいの涙を捨てた。そしてふたたび席につき、授業に登場した数式が、まるで指折りの悲劇であるかのように、ひたすら涙をこぼしつづけた。マラソンランナーの汗よりも多量に、それでいて脱水症状を起こすこともなく、日がな一日泣きつづけた。

 異端が目をつけられない学校は存在しない。もしくは、少数しか存在しない。もしくは、この国においては存在しない。もしくは、現在においては存在しない。人が集まる、それすなわち、異端は排斥される。他人の集合体は、ずれに敏感だ。厳格といってもいい。

 雨漏り娘、泣き女、濡れガチョウ、妖怪赤子ババア、などなど、いくつもの愛称や蔑称をちょうだいしたが、要は「泣き虫」ということだ。実際、彼女は泣き虫としかいいようがなかった。いつでも泣いているので、いじめてもばれにくかった。激しく泣いていても、その点に関してはだれも気にしないからだ。彼女を長年いたぶった仕打ちについては、数かぎりないので、バケツに関する事柄だけにとどめておこう。水は、もちろん、洗礼にもいじめにも重宝だ。

 バケツいっぱいの涙を、流した当人の頭にぶちまける。ノートや教科書に染み込ませる。涙に浸した雑巾で頬を打つ。バケツに満たされた涙にトカゲやクモやゴキブリを放り込み、泣き虫に顔を突っ込ませる。などなど。オリジナリティを競うかのように、様々ないじめの方法が考案されたが、ためらいなく加害に踏み出す人間の想像力は、得てして貧困であることが多いため、そのオリジナリティはたかが知れていた。世界のいたるところで繰り広げられる、人間が人間をなぶるみすぼらしい光景だった。ちょっとした終末の光景である。

「本当に、あの子にはうんざりする」

 もはや登校不能であることが決定的になった後で、彼女の母親は吐き捨てるように言った。哀しく、やるせなく、疲れた声だった。

「どれだけ苦労をかけるの? どうやったら普通になれるの? 周りに合わせることすらできないの?」

「あの子は泣いているだけだ。泣いているだけなんだよ」

 父親は彼女を庇うようにそう言った。とはいえ、この父親は、あまり家には帰ってこなかった。娘のことは母親に任せきりであった。対岸にいるからこそ可能な優しさでしかなかった。それが母親をなおさら苛立たせた。

「いつまで泣いているのよ? 限度ってものがあるでしょう。ただ泣いているだけで、これから先、あの子はどうやって生きたらいいのよ? 社会がそれだけ優しければいいわよ。でも、そんなわけないでしょう? 泣いているだけで許されるほど、世のなか甘くない。そうでしょう? そんな余裕なんて、どこにもない。わたしにもない。子どもを生んだというだけで、なぜこんな目に遭わなきゃならないの?」

「でも、あの子は泣いているだけだ。泣いているだけなんだよ」

 社会通念にまみれたありきたりな愚痴と切り捨てるには、あまりにも痛切で実感のこもった母親の言葉にも、父親はそう呟くばかりだった。無責任で無頓着で、人の親としてはおそらく非難されるべき態度であった父親ではあるが、泣き虫が泣くことに関しては、それを責めるようなことは一度も口にしなかった。その優しさは、結局は他人事の何の役にも立たない薄っぺらな優しさでしかなかったのだろうか? それはだれにもわからない。

 父親は、ほどなくしてこの母子のもとから去った。金だけを送る存在と化した。彼の出番はここで終わりである。この物語にはもう登場しない。

 学校にはいられなくなったが、泣き虫の人生はもちろんつづく。涙も途切れることはない。泣いて泣いて泣いて、いつまでも泣いていた。部屋で泣いていると、カーペットに甚大な水害が広がったので、庭に持ち出した椅子に座って、草木を見守るようにして泣いていた。滴り落ちる涙を、大地はそれが慈雨であるかのように吸い取った。そのためかどうかは知らないが、外国にしか見られないはずの虫や植物が庭先を彩ったりと、珍妙な現象が泣き虫を取り囲んだ。その姿は噂にもなった。涙で育まれた、見たこともない花と戯れる、得体の知れない泣き女の庭。どれだけ晴れ上がった日も、洪水の後のように、周囲はいつも水浸しだという。まるで庭全体が泣いているかのように。

 何年も何年もそんなふうに過ごした。これでは埒が明かないと、母親は荒療治に出た。怪しげな評判の施設に娘を押し込めて、薬の力と手厳しい矯正によって、涙を止めようとしたのだ。一時的に、それは成功した。泣き虫は泣くのをやめた。いまにも死にそうな顔色ではあったが、とにかく泣くのをやめたのだ。母親は狂喜した。施設の人々に泣きながら感謝した。施設の人々ももらい泣きするほどの喜びようだった。泣かない泣き虫だけが、無表情に押し黙っていた。

 そうして、泣き虫は働きに出た。だれでも出来る簡単な仕事、ということだった。ちょっとした単純作業だ。なるほど、仕事自体は問題なかった。だが、彼女はそもそも外が向いていなかった。外には哀しみがいっぱいだった。世界は泣き虫にとって苛酷すぎた。一歩出るだけで潰されそうだった。

 テレビでニュースが流れていた。戦争と、殺人と、事故と、自殺のニュースだった。死を告げる、ひとつひとつのニュースの言葉を、泣き虫は無表情で聞いていた。道端に人が横たわっていて、通りすぎる人々は、そちらに目をやらないように歩いていた。泣き虫は立ち止まり、無表情でじっとその横たわる人を見つめた。電車で、なんの断りもなく触ってくる人間がいた。泣き虫は無表情で、ただ凍りついていた。帰宅する途中、見覚えのある顔とすれ違った。学校で泣き虫をいじめていた人間のひとりだった。綺麗な服を着て、溌剌と歩いている。こちらを一瞥し、気づいたように目を見張り、ひきつったようにかすかに笑い、憐れむような表情を示して、何事もなく通りすぎた。泣き虫は無表情で、無表情で、無表情だった。

 ほどなくして、彼女はふたたび決壊した。母親が泣き虫の部屋の扉をノックしてから開けると、隙間から水があふれ出てきた。床に水がたまり、泣き虫のベッドは浮かんでいた。泣き虫自身も水浸しだった。すべて涙だった。

 母親は激怒した。

「人が毎日死んでいるなんて、当たり前でしょう? 浮浪者? そんなの気にするのは、余裕のある人だけよ。あなたよりよほどその浮浪者の方がしっかりしているわよ。人の心配なんて出来る立場? 痴漢に遭ったなら、なぜ声をあげなかったの? どうせ泣くなら、そのときに泣き叫びなさいよ。学校のことなんて、忘れなさい。いつまで過去の傷にこだわっているの? あなたは泣くのをやめて未来に歩き始めたはずだったのに……なにもかも台無しじゃない。なぜ、泣くの? 泣いてどうなるの? あなたはまともに生きたくないの?」

 そう責め立てる母親自身、泣いていた。普通を願い、普通に脅かされ、普通ではない娘を責めるこの母親は、父親とは違い、最後まで懸命に娘をそばで支えようとしたにも関わらず、周囲からは頑迷で理解のない冷たい人間と見られていた。その献身は、結局は普通の娘という幻想にからめとられた、的外れな押しつけにすぎなかったのか? それはだれにもわからない。

 母親は、ほどなくして病気で世を去った。思い出だけを残す存在と化した。彼女の出番はここで終わりである。この物語にはもう登場しない。

 その頃にはもう、泣き虫の父親は消息不明だった。親戚のあいだをたらいまわしにされた後、泣き虫はしかるべき施設に収容された。ここでも、泣き虫はいつも庭にいた。あいかわらず、庭には涙の慈雨がそそがれ、得体の知れない植物が生え、ちょっとした異界を形成していた。施設の人々はそれを優しく見守り、優しく放置していた。それ以外、どうしようもないからだ。彼女の涙を咎める人間は、もういなかった。彼女と話そうとする人間も、もういなかった。

 泣き虫は毎日泣いて、泣いて、ひたすら泣いて、そして孤独に問いかけていた。

 わたしは、なぜ泣くのだろう。哀しいのだろうか。寂しいのだろうか。虚しいのだろうか。やりきれないのだろうか。わたしの涙と、わたしのこころに、どんなつながりがあるのだろう。涙はわたしの、こころだろうか。どれだけの涙を、わたしは流したのだろう。言葉よりも多く。生きるよりも熱心に。ただ、泣いて。父を遠ざけ、母を傷つけ。だれにも親しさを覚えることなく。涙だけを友とし伴侶として。なにかを求めて焦がれるように。

 彼女は泣きながら庭で眠り、ときどき夢のなかで、この世に存在しない庭を見た。そこでは彼女は泣いていなかった。彼女の出会っただれもがいて、だれもが泣いていなかった。だれもが優しく、だれもが傷ついていなかった。きっとだれも死なないだろうし、だれもいなくならないだろう庭。その庭には、すべてがあった。もう、哀しまなくていい。なにひとつそこでは過ぎ去らないのだから。だれも痛まなくていいのだから。木々は枯れず、花は永遠に咲いていた。その永遠を保証するなにかを、泣かなくていいたしかな理由を、彼女ははっきりと感じていた。夢のなかで。存在しない庭に座って。

 月日は流れ、彼女は死んだ。彼女の出番はもうない。彼女の物語は終わった。もう登場しなくていい。もう泣かなくていい。二度とこの世に生まれなくていい。

 その死に関しては、諸説ある。有力なのは、自身の涙でついに溺れてしまったという説だ。鼻と口が涙で塞がれ、朝には窒息していたのだとか。あるいは、バケツに汲んだ涙に頭を突っ込み、自殺したとも言われている。あるいはそれとは全然違って、通りすがりの暴漢が、泣き濡れる老女を撲殺したとも語られる。いずれにしても、明るい話ではない。

 その他の説としては、晩年の彼女は泣くことをやめ、親しいだれかと語らうような、すべてを懐かしむような優しい表情で、穏やかに日々を過ごし、庭に座ったまま、眠るように息を引き取ったという。あまりに静かで幸福な最期のため、信じる人は稀である。

 ただ痛み、ただ哀しみ、ただ泣くだけだった泣き虫の彼女は、生まれない方がよかったのだろうか? 哀しみに意味はなく、涙は無価値で、痛みが報われるような幸いは存在せず、生まれなかった方がよかったと、どれだけこころが泣き叫んでも、存在してしまうやるせない不幸は、この世がつづくかぎりつづくのだろうか? それはだれにもわからない。

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