花火

 どこかの草むらに隠れている鈴虫の声を聴くと、もうすっかり秋なのだと実感する。今年もあと二カ月で終わりだ。長かったような気もするが、思っていたよりも短かくも感じる。

 それでも、歳を重ねるに連れて月日の流れが早くなるというのは本当の話らしい。子どもの頃、周りの大人たちは皆そろってそんなことを言っていた。これからは更に早く感じるようになるのだろうか。


 背もたれ代わりのベッドに寄りかかりながら本のページを一枚めくる。書かれている文字を目で追っていると、秋の音色に紛れ、外から大きな音が聞こえてきた。何の音だろうかと考えている間にも、続けざまに短い音が鳴り響く。

 カーテンを開けて窓を見ると、すっかり陽の落ちた空に色鮮やかな光の粒が舞っていた。どうやら、どこかで花火が打ちあがっているらしい。

 この時期に花火だなんて珍しい。ベランダからなら見えるかもしれないと、少しだけ期待をしながら窓を開けた。



 冷たい空気をまとった風が前髪を揺らす。薄く煙の香りが交った秋風。マンション前の道路には、浴衣を着た男女がぽつりぽつりと歩いているのが見える。下駄の鳴る音がどこか懐かしい。その後ろには、女子高生らしき賑やかな集団。やはり近所で花火大会でもやっているのだろう。そういえば、祭りになんてしばらく行っていない。

 通行人を見物している間にも、次々と花火が打ちあがっていった。場所によっては木や建物に隠れてしまう部分もあるが、少し見るくらいなら気にならない。菊、牡丹、千輪。昔、祖父に教えてもらった。祭りも久しく行っていなければ、花火だってずっと前に見たきりだ。祖母に手を引かれながら妹と祭りに行ったのは、いったい何年前のことだっけ。


 ぼんやりと夜空を見上げていると、玄関からドアノブを回す音が聞こえてきた。きっとこの部屋の主が帰ってきたのだろう。30分前にコンビニに行くと出ていったのはずなのに、ずいぶんと遅いお帰りだ。

 部屋に入り扉の方を見ると、やはり思っていた通りの姿があった。手には真っ白なビニール袋が二つぶら下げられている。


「ただいま。ごめんね、遅くなっちゃった。近くで縁日やっててさ。なんか懐かしくてさ、これ買ってきちゃった」


 そう言いながら一つの袋をこちらへと差し出す。いったい何を買ってきたのだろう。

 受け取って中身を見ようとすると、ふわりと甘い香りが漂ってきた。白いビニール袋の中にあったのは、薄手の茶色い紙袋。そっと開くと、コロコロとしたベビーカステラがぎっしりと詰まっていた。


「ベビーカステラか、ありがとう。でも、二人分にしては量が多くないか?」

「あー、うん。俺は大丈夫だって言ったんだけどさ、屋台の人がおまけだって、たくさんくれたんだ」


 少し目線を外し苦笑をこぼすその姿に、思わず笑ってしまいそうになる。

 ああ、なるほど。そういえば一緒に出掛けたときも同じような場面をよく見た。観光地の土産店、大学祭の模擬店、デパートの物産展。きっと屋台の店主は女性だったのだろう。人好きのする笑顔と物腰柔らかな雰囲気は、どこにいっても効果抜群のようだ。


「花火も打ちあがってるみたい。この部屋から見えるかな」

「ああ、さっきまでベランダで見てた。結構綺麗に見えるぞ」


 立ち話をしている最中にも、花火が響く音が次々と聞こえてくる。ベビーカステラの袋を片手に、再びベランダの方へと向かった。


「あ、本当だ。ここからでも結構見えるんだね」

「だろう?」

「綺麗だね。花火見るのひさしぶりかも」

「俺もしばらく見ていないな」


 そんな話を続けながらベビーカステラをひとつ摘まむ。思っていたよりも甘い。こんな味だったかと記憶の中を探るが、あまりうまく思い出すことができなかった。花火の名前は憶えているのに。舌の方は案外いい加減なのかもしれない。それとも、歳を重ねたことにより味覚が変わってしまったのか。



 鮮やかな光が隣に立つ恋人の顔をぼんやりと照らす。

 時期が来れば、いつか終わってしまうのだろうか。来年のことだって今はまだわからない。

 花火に夢中な隣の恋人をじっと見つめる。忘れてしまわないように。変わってしまったとしても、思い出せるように。時間が流れるのは、自分が思うよりずっと早いのだから。



 視線に気が付いたのか、恋人が花火から目を離しこちらを向いた。見ただけで安心するくらい穏やかな表情。今度は、はっきりと顔が見えた。


「花火、また来年も一緒に見ようね」

 

 大きな音が鳴り響き、鮮やかな花火が夜空とベランダを照らす。混じりけのない紅色をした菊の花。

 また来年。その言葉にゆらゆらと心が溶けていく。じわりと温かい感触。当たり前のように言われたことが、こんなにも嬉しい。また、来年も一緒にいてくれるつもりなのか。こうして花火を見たいと思ってくれているんだ。


「約束」


 小さく笑って左手の小指を隣に差し出せば、途端にいたずらっ子のような笑みが浮かび、右手の小指をゆっくりと絡ませてきた。


 来年が早く訪れるのならば、時の流れが早くなるのもそこまで悪くないのかもしれない。

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【BL】陽だまりの足跡 七瀬川ひらぎ @nanasegawa

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