第4話 孤児仲間――

「……ってさ。なに鏡花ってば、変なことを言い出すのよ? そんなの無理に決まっているじゃん」

 唇の端を小さく上げてから、ルーシーは顔を下へと向ける。

「わ、わたしは……」

 思わず手を前に出して、その姿は彼女――ルーシー・Mを繋ぎ留めたいという気持ちが焦ったのか?


 孤児仲間――


 泉鏡花のその手は、空をかすめて……。


「鏡花ってば、朝っぱらから私を“カタギ”に戻したいから、ここに呼び出したんだね……」

 ルーシーは両手を拳にしてから、腰に当てる。

「あんたって、暇なんだよ。やっぱ――」

 下を見つめているルーシーの視線は、路地のレンガを突いている自分の靴元。

「わたしは、そんな……別に、暇だからルーシーを」

「カタギに戻したいってねぇ……? でもさ、」

 グイっと顔を上げるルーシーは、


「鏡花さ……、あんたが“再就職”できた……その武装探偵社ってのもさ。どっちかっていうと私達側の組織じゃないかな?」


 ルーシーにとっては、少しばかりの嫌味を込めた気持ちだった。

「あんたは、よかったじゃない? ポートマフィアから追われることもなくなって……。というより、むしろ組織の幹部達からも、『おめでとう……』と言われてさ。ついでに武装探偵社のメンツからも、就職祝いも受けたっていうじゃない」

「武装探偵社……お祝いも」

 かすめる手を静かに……空しい気持ちで納める泉鏡花、

「どうして……」

 まるで、庭先の鳥籠で鳴いている小鳥を、電線の上から見つめて、同じ鳥同士なのにどうしてあの小鳥は鳥籠に入っているのだろう?

 という、鳥籠の中に入っている小鳥からすれば、なんて恩着せがましい……とさえずるるあの鳥に辟易してしまうような気持ちを、鳥籠から羽ばたいて行った泉鏡花は純粋無垢に問うのだった。


「あんた、組織ギルドの情報網を甘く見てんの? み~んなバレバレだって!」

 その問いに、ルーシーは肩を竦めながら軽くあしらった。


「鏡花……、あんたが、どういう経緯でポートマフィアをなんとか抜け出せて、どういう経緯で、誰から援助してもらって、今こうして武装探偵社にお世話になることができたのかって……ことも、組織ギルドはみ~んな知ってるよ」

「……そう、そっか。だよね」

 ウンウンと頷いて自分なりに納得する泉鏡花である。

「だって、組織ギルドなんだからね……。ポートマフィアと互角に戦っているんだから……なんでも私のことなんかも知っているんだね」

「当たり前だって―― 鏡花だって、それくらい知っていたんでしょ」

「うん……」


「……だったら、私が組織ギルドを抜けられないことも、もちろん、わかるでしょ」

「うん……」


 そう小声で呟きながら、何度も何度も頷く泉鏡花を、ルーシーはというと、しばらくじっと見つめていた――

 でも、ルーシーの本心は嬉しかった。

 孤児仲間として……、泉鏡花は日本の某所の児童養護施設で、自分はカナダの孤児院で幼少期を生きてきた。

 そんな出生は違うけれど、同じ孤児として生を受けて生きて……、生き抜いてきたことは確かだ。


 だれだって幸せになりたいと願うものだから、それはルーシーにとっても正直な気持ちであり――


 自分は孤児院で生きてきたからこそ、なお一層に心の内にまってある幸せへの欲求は強い。




       *




(孤児院で生き抜いてきた自分……か)



 ルーシーは心の中でそう思うと、また、視線を下へと向けた。

 こんな境遇で生きることを運命付けられてしまった自分を……、今更、誰だか知らない、見たこともない”両親”と呼ばれていた相手に対して恨んでもしょうがないんだ。

 恨んだところで、その両親は私のことなんてなんとも思っていないだろう。

 思っていてくれたとしても、所詮は子供を産んでから捨てた人達なんだから、私が今更ながら、その両親に愛情を求めようなんて……、これっぽっちにも思えないのだから……。


 覚えている言葉がある。



(さよなら……。ルーシー)



 私はあの時、孤児院の前に立っている“両親という大人2人”を見上げていた。

 隣には孤児院を運営するシスターが立っていて、私の右手をずっと握っていてくれたっけ。

「さよなら……ルーシー。どうか……、幸せに生きてね」

「ルーシー……。さようなら」

 母と父だろう、その大人2人が私にそう言って、私の頭を静かに撫で始めて。

 そのまま、しばらく私は両親という大人2人から頭を撫でられ続けて、

 続けられて――


「何が、さよならだ……」

 視線を鋭く見上げながら、その両親という大人2人を睨み付けたのだった。


「……ルーシー」

「……ルーシー?」


 その時の、両親という大人2人の呆気な表情を、私は今でも思い出せる。

 思い出して、今でも腹立たしいと思うのだ!


「何が、さよならだ! 今の今まで裕福に、あんた達は生きてこられて、会社もうまくいってお金もいっぱい入ってきているでしょ? それを、自分達が楽をしたいために子供を捨てる……。自分達が快楽の末に産んだ子供を……私を捨てようとする。


 あんたらは、人として最低だ―― お金を選んで私を捨てたのだから。


 だから、私はあんたらを……殺してやる」


「ルーシー?」

「この子は、なんてことを……言うんだ?」


 両親という大人2人の唖然とした視線が、私の見上げる視線と向かい合って、

 だから、私は更に言ってやろうと決心したんだ。

「殺さなければ、私は本気で本気で腹が立つんだから。あんたらは、そうやって自分達を本当は守っていて、自分達は健全にお金を稼いでいますと思っているんでしょ? それこそ……、私からすれば、そのお金をどうして子供の幸せのために使えなかったのですか? と胸を張って言ってやるんだ!」



「何が、さよならだ……」



 絶対に、殺してやる――

 私は本気で……本気で両親を殺すことを夢思ったっけ。

 両親という大人2人は絶句していた。どうして、自分達が非を浴びなければいけないのか……ぽかんとした表情だった。なんの責任も自責も感じていない、そういう表情だった。


 まるで……、幼児が友達の玩具を取り上げても悪いとも何とも思っていなくて、相手の気持ちなんてない、自分の気持ちが全ての人のようなしつけられてこなかった人だ。


 自分達は親として、正しいことだと思って孤児院に入れているのだから……

 自分達は、あなたとの今後の関係を考えて、あなたを孤児院に預ける……


 預けて……



(逃げんなよ……)



 自分達と距離を取ることで、ルーシー。あなたも……

 あなたも、これから立派な大人になれると思うの……



(だったら、逃げんなよ……)



 だって、あなたはちゃんとした女の子だから私達は――

 ちゃんとした、女の子として生きていけるようにって――



(本当は、私が邪魔だから捨てたんでしょ……)




       *




「それこそが欺瞞なんだってば! 思い上がりだって言うんだよ!」

 俯くルーシーが、その口から大きな声を上げた。

「この……無能の役に立てなかった両親め……」


「……ル、ルーシー?」


 たまらず泉鏡花がルーシーの傍に歩んで行く。

 彼女の両肩にそっと手をのせてから、

「私……、あのルーシーに言っちゃ」

「ううん……。そんなことないよ……鏡花」

「そ、……それなら、いいんだけれど」

 ルーシーの怒りを目の当たりに見てしまった泉鏡花は、彼女から大丈夫と聞けたことに少し安堵を感じ、乗せていた手を静かに下す。

「……心配しないでって、鏡花――」

「う……うん」

「少しだけ、幼い時の辛い記憶をさ……。思い出しただけなんだから――」


 ――ん、足元に違和感を覚えるルーシー。

 俯く先の靴に、いつの間にか溝のネズミが2匹……。自分の靴をかじろうとしているのが見えた。

「……」

 そのネズミをルーシーは、無表情に足払う。

「……」

 無言で、




 ――横浜中華街、もうすぐ夜明けも近い。


 でも、誰も店先からは出てはこなかった。

 ゴミ収集車は忙しなく行き来しているのだけれど、人というか店員らしき人影はまったくといって見当たらない。

 そんなのは先に書いたこと……早朝の横浜中華街のお店は開店していないからでしょ?

 と思うかもしれない。それは事実ではあるけれど――違う。


 もう一つ、理由がある。

 それは、今現在に泉鏡花とルーシー・Mがいるように……、つまり、闇社会の住人が闊歩している時間帯でもあるからだ。


 まるで名作アクションRPGの夜のフィールドで、強敵が出現するかのような状況と心構えである。

 誰だって、闇社会に組織に巻き込まれたくはない。

 ショバ代も、しっかりと収めているんだから……。

 変に首を突っ込んでしまったら、それこそ一大事である。お店の営業もその闇社会の組織に牛耳られて、廃業に追い込まれてしまうのだから。

 そんなことは、一般の観光客には言えるもない。自分達は、ただ黙って日々の営業を続けていくだけ。

 続けていくことが、自分達にとっては最もな幸せなのだから――。


「……ルーシー」


「まあ、なんでもないから……さ!」

「……そう」

 自分の赤髪を両手で梳かしながら、ルーシーが問題は無いという表情を作る。

 ……のだけれど、向かいに立っている泉鏡花はというと心配な表情だ。

「……」

「だから、なんでもないって……」

「なんでもなくは……」

「だから、なんでもさ……なんでもね」

 足元にいるネズミ2匹を、サッサと足払うと……向こうに行けと足払い。


「私ってね、殺したんだよ……」

 唐突にルーシーはあっさりと……でも、口調は大人しく。

「殺したって」


「両親をさ――」


 吐き出したのだった。けれど――、

「両親、そうなの……」

「鏡花って驚かないんだね」

「うん……」

 泉鏡花には、なんとなくルーシーの気持ちが分かった――

「ルーシー、怒ったんでしょ? 悔しかったんでしょ。自分の境遇をこんなまでに陥れた相手を――」

「御名答ね――。そうだよ……でも、その話はもうしない」

「……ルーシー?」

「私が滅多刺しにして、殺したんだから……。それも組織に入ってから、やっつけたんだ。殺したんだ……」

 そう言うと、ルーシーは横浜中華街の路地裏の狭い空を見上げてから、大きく深呼吸を取った。


「でもさ、こんな……」

「……なに?」

「……こんなさ、私もさ。実は組織の目を盗んでは、……その就職活動ってのをしたこともあったのよ」

「しゅ……、就職活動って!?」

 初耳だった……。思わず大きな声で叫んでしまう。


「そう……。リクルートスーツってのを初めて着て、いつも着慣れているスカートとは違って、歩きにくいね……」

 自分が今履いているヒラヒラのスカートの裾を触りながら、

「歩幅の取りにくいそれを履いてさ、某企業に面接に行ったことがあったんだ……」

 唇を緩め、軽く微笑むルーシー。

「そんなことが、あったの?」

「鏡花! あなたの知らない私だってあるんだよ」

 ルーシーは自分の口元に手を当てて、少しだけ肩を揺らしながら微笑む。

「私はさ、礼儀正しくして、姿勢をよくして面接に出向いたんだけれど……。その先方の面接官がね……私のことをさ、」

『国籍は……その、』

「カナダです」

『そうですか……』

「あの、国籍が何か問題あるのでしょうか?」


(この時に、私は気が付いていたんだけれどね――)


『いえ、別に国籍が問題ではなくて……』

「では、」

『ええ、その住所が……横浜の……その、』

「わ……私は、現住所はそのマンションなのですけれど……それが」

『このマンションって、その……』


 その……?


『その……あの闇社会の組織っていうのですか……。そういう組織が根城にしている高級マンションなんじゃ?』


(ああ……。結局、遡上とか現住所とかで、バレるんだってね)


『もしかして……、あなたは……組織ギルドの関係者なのでは?』

「私は……、その」

『失礼ですが、関係者なのですか……』

 面接官からの容赦無いその質問に、私は返す言葉がなかった。


 だから、当然のこと不採用になり――


「ほんっと! 組織ギルドの分際でカタギの就職活動なんか……出来っこしないんだから。それに比べて、鏡花は武装探偵社に入ることができたんだから……あんたって、運がいいよ」

 あんたって、運がいいよ――と言った後の彼女の顔は、微笑から一転していて、眉間にしわを寄せた表情を作っていた。

「まあ、殺すことを商売にして生きてきた私だからさ……、当然の結果――報いなのかなって」

「ルーシー」

 殺すことを……、それは自分も同じだと思った泉鏡花は、




       *




「わ、私も……」

「なに?」


「私も、私だって……面接を受けてまっとうな社会人になりたいなって」

「へえ。鏡花もシャバで働きたいなって気持ちあったんだ……。あんた、大勢の人を殺してきても、それでも……そういう真っ当な人生に変えていこうって」

 自分だって、決して日に当たれない生き方を今まで生きてきて、

 だからと言って武装探偵社にお世話になっている今の現状には、これっぽっちも甘えてなんかはいないと自負している泉鏡花。

 だからこそ、これからの人生は――

「私だって、好き好んで孤児になったわけじゃないから……。そりゃ、色々と施設でイジメられたこともあったから、なんとかこの自分の人生を変えていきたいなって」

 ――という気持ちを本気で思っている


「いきたいなって?」

「いきたいなって……って、思ったから」

 首を傾けて尋ねるルーシー。

「……」

 しばらく無言に泉鏡花を見つめてから――意固地に?

「って……もうさ! 武装探偵社に入ってんだから、鏡花は救われたんじゃないの?」

 首を傾けて、ちょっとだけ揶揄う気持ちを心に抑えながら、彼女に対して苦笑する。


「……そ、私だって」

 それに対して、意地に、悔しさに……

「私だって、自分の人生を好転させたいって気持ちが……その、あったから……。だから、……その」


 あんたって、運がいいよ――


 と言い放ったルーシーの言葉が、脳裏に鮮明に聞こえてきた。

 自分は別に、救われたなんて思ってはいない。



『私は鏡花、35人殺した。もうこれ以上、一人だって殺したくない!』



 泉鏡花が思い出したのは、自分がかつて夜叉白雪と一緒に刃物で殺害した、罪もない35人の屍だった。

 殺して、殺すことが自分の人生だと信じて、だから殺したのだ。

 その後で、交差点の交番に自首しようと、逮捕されようと、逮捕されてから――死刑になろうと。


 どうせ、ポートマフィアはいつでも私を厄介者にして”鉄砲玉”にできるし。

 警察なんて……、消防も……自分を躊躇ためらわずに容疑者にできて、蔑んで……。でも、結局は自分達が報復されて死ぬのが怖いから、だから、見て見ぬフリをしているだけで。


 今日も多くの人が闇社会の手によって殺される――そういう現実を見てきて。自分も殺す側に立っていることを気にしだして、そんな自分の運命を嫌気に思ったから、だから、本気で死のうと思って。


 もう、死のうと思って、私――泉鏡花は死にたいと思ったんだ。



「だから、殺した……。人を殺して、殺せるだけ殺して、駅中での大量無差別殺人でもいいし、小学校の児童殺傷でもいいし、校門に子供の生首を飾っての劇場犯罪でも……。ここまですれば必ず死刑に――そういう気持ちで35人を殺害した……」

「人をありったけ殺しておいて、自分も死にたいなんて……。鏡花ってさ、凶悪殺人犯なのかな?」

「凶悪殺人犯って……」

 ルーシーは泉鏡花の目を見つめながら、

「だって……そうでしょう? 私達って所詮は闇の人間なんだから……、でも、武装探偵社に属しているあなたは違うといってしまえば、そうなのかもしれないけれどね。でも結局は、闇を商売として生きていることには変わりはないと思うんだ。だから、さ……」

 ルーシーの瞳に小さな涙粒が溜まりつつあった。


「だって……、私は、死のうと……思っ」

「死ねなかったんでしょ? 鏡花――」


 その涙粒が、ルーシーの頬を静かに……スッと流れ落ちていく。

「……ルーシー?」

「……って、何でもないから」

「なんでもって? ……わたし、その……ごめん」

 泉鏡花は自分が口走った内容が、もしかして、彼女の生い立ち――孤児院の頃を思い出させてしまったのではないかと、直観に気にした。


「な~にって、鏡花が誤るわけ?」

 涙を拭う指、その指に濡れた涙粒をそっと服の袖で拭うと、

「……鏡花、ごめんね! 私はさ……、そのさ」

 ルーシーは、また顔を下へと俯かせながら――

「ルーシー、わ……わたし」

 その先の彼女の発言、素早くそれを察知した泉鏡花が慌てたのだけれど、


 しかし――


「なんとしてでも、組織ギルドからあなたを抜け出させてみせるって。……そんなことは、鏡花には思ってほしくないから」


「……ルーシー」

 いつの間にか自分の頬にも、自然と涙を一筋に流していることに気が付いた泉鏡花は――

「そんなことは……ないから。だって、私だってポートマフィアから簡単に抜けられたわけじゃないし」

「それはね、何度も言うけれど、あんたが運が良かったってことだよ」

 頬に流れる一滴を、静かに指でぬぐってくれたルーシーは、


「……鏡花。ありがとね」

「ルーシー。……うん」


 横浜中華街の路地の裏、闇社会で生きることを運命にされてしまった孤児仲間――

 2人が立ち話している場所というのも、当然のこと薄暗くて。

 でも、

「……横浜の朝だね」

 泉鏡花が、薄暗い路地の上に見えている狭い空を見上げた。

 暁の光量が少しずつ……明るくなってきていることに彼女は気が付く。

 

 カチコチに凍ったアイスクリームが、雪解けのように溶けるように――液体となってコーンカップからしたたるように。


 どうやら、開店準備の時間が来ているようだ。




「でもね……。ルーシー」

「なに……?」


「私はルーシーを……、あなたを取り巻く全てを皆殺しにしてでも、そうしてでも助け出すんだから……」

 まだ残る涙粒を自分の指で拭い切ってから、表情を真剣に、ルーシーに自分の気持ちを伝える泉鏡花――





第一章 終わり


この物語は、フィクションであり二次創作小説です。

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花散里に生きる、鏡花。 橙ともん @daidaitomon

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