第3話 ルーシー・M――

「あっ……、芥川先輩がスカートを履くわけないでしょ!」

 その間、数秒上に目をやってから、たぶん、組織ギルドの幹部――芥川龍之介がフリフリのスカート男子になったところを想像していたのだろう。

 表情をあからさまに赤らめてしまう樋口さんだ。

「履くわけないじゃん! 鏡花ちゃん……、いくらなんでも……それはないないって」

 右手を左右にフリフリして全否定する彼女、その姿を私、泉鏡花はというと、

「いや、まんざらそうでもないんじゃね……です」

 少し(否、かなり?)意地悪っぽく、私は樋口さんに言ってみた。

「だって、昔から男性が女装する傾向はありますから……、」

「ある……の?」

「ええ」

 そんな真顔で返されても困るんだけど、ほんの冗談で言ってみたつもりだし……。

 でも、樋口さん。どういうわけか真剣身に私に身体を迫り出してきて、


「……本当にあるの」

 と、何度もしつこく尋ねてくるものだから。


「はい。ありますよ……。例えば、歌舞伎の世界には“女形”があるじゃないですか? 能の世界だって女の能面をかぶっていますし。それに、落語の役も女がでてくるでしょう。男性が女性に変化へんげするなんて、昔から日常的にあったのですから」

「……ああ、言われてみれば……そうかもねぇ」

 うんうん……と、納得してくれたみたい。口元と目の力を緩めて樋口さんが大きく何度も頷いている。

「それに、テレビでも……女装タレントが大勢いるでしょ? 横浜中華街の外れにある界隈にも女装をウリにしている夜のお店もあります。別に、探せばどこにでもいますって」

「いるんだ……」

「ええ、だから、芥川さんも夜な夜な……人知れずスカートを履いて……」


「ないない! ないって!! それは鏡花ちゃん」


 ただの私からの例え話だったけれど、なぜか樋口さんは芥川さんの女装話を受け入れない。

「あ……芥川先輩が女装するなんて、そんなの絶対にないって」

 私の両腕を強く握りしめながら、それだけは絶対に認めたくない、認められない様子だ。

「……あの、樋口さん」

「何かな!」

 顔が近いです……、鼻息も掛かっていますよ……とは、とても言える雰囲気ではなかった。

 だから、

「樋口さん……。た、例えば話です。例え話ですからね」

「例え話――うん、それは理解しているよ」

「そ、そうですか……よかったです」

 よくよく考えてみれば、樋口一葉はポートマフィアの殺し屋でもあった。二丁のピストルを両手で構えてバンバンと容赦無く打ち続ける殺し屋――

 こんなにお互いが近い距離で、血迷ってか、あるいは頭に血がのぼって胸元だろうに隠しているピストルのトリガーに指をかけてしまう事態になってしまったら……と思うと、さすがの私の異能力――夜叉白雪でも刃物を振りかざし切り殺すことを決断する。


 今この場で、彼女を刺し殺すことは容易なのかもしれないけれど、そんなことをしたら武装探偵社の皆さんに……どう説明すればよいのだろうか?

 通り掛かりついでに、ポートマフィアの一人を血祭りにしました……

 いや、ポートマフィアの彼女がピストルを構えたものだから、不可抗力で戦いました……


 それとも、

 女同士の意地の張り合いの延長線上にできた殺し合ですから、問題ないです……


 いや、ありすぎだ……


「……よ、要するにです」

 私、泉鏡花は樋口一葉とこの“フェミニズム運動”のテレビ討論会のような話の論点というか、要点をササっと脳内で整理する。

「……その、樋口さんは……要するに、自分の脚線美に自信を持っていてパンツスーツでその脚線美を自分なりに披露……しているけれど」

「うん……そうだけれど」

 樋口さんは否定しなかった――

「……でも、パンツスーツだとおみ足というか生足を見せることもできないから、だからスカートを履いた方がいいのかなって悩んでいるのだと思います」


「……」

 無言で頷く樋口さん。またも否定はしなかった――


「樋口さん?」

 私は『ああ……そういうことなんだ』と、気が付いたのである。

 かなり呆れるくらいにだった。


 要するに――、

 脚線美を優先してパンツスーツを履くと、生足を見せることができない。

 じゃあ生足を見せるためにスカートを選んだら、今度は脚線美を見せることができない。


 樋口さんって、ポートマフィアの構成員の中でこんなことを日々思ってきたんだ……と私は、



 しらっと。 ~♡



 眉間を寄せて呆れたのだ。

 樋口さん――あなたも私と同じく殺しを専門に生きてきたじゃないですか? 人を殺害する方法はそれぞれ違いはあるけれど、でも人の命を奪うことは共通しています。

 上からの指示で、殺害するべき時に人を殺す――

 それだけの存在でしかないあなたと、今はもうそういう黒歴史から足を洗うことができて武装探偵社に入り、少しは日の光を浴びてもいい世界に来ることができた、孤児育ちの私――泉鏡花。


「人を殺害するのに服装なんて、スカートなんて関係ないですから。やるのはこの両手の、樋口さんの場合はピストル、私の場合は刃物で人を殺す。殺せれば、それでいいのだと思いますよ」

 呆れた自分の表情を隠す気持ちもなく、私は素直に「あなたは、これからもポートマフィアの構成員として職責を立派に果たしていってください」という思い、服装なんてどうでもいいのだ。


 と、私は言葉を吐き出したのだ――




       *




「そうだ! これはどうかな? 鏡花ちゃん??」


「あの……。今度は、なんでしょうか……」


 唇の力を緩めて明るい顔を作ってしまう彼女――樋口一葉。

 こういうのをげんきんな人というのか?

 ポートマフィアでは利発なお姉さんとして通っているとばかり思っていたけれど、こんな意外な……私にとってはであるけれど、スカートを履くはかないで悩んでしまうなんて……。

 面白いと思ってしまっては、かつて私が所属していたポートマフィアの樋口一葉という先輩に失礼にあたる。


 けれど、面白いんだ……


「パンツスーツとスカートのさ! あいだを選んでタイトスカートっていう選択肢は……どうかな」

「タイトスカート……ああ、その手がありましたね」

 げんきんな人ではあるけれど、やっぱり利発なところがあるんだな。

「そうですね……。タイトスカートでしたら樋口さんご自慢の脚線美も、それに膝上からの生足も見せることができますね」

「そ……そだよね? そう思うよね??」

「……」

 私は、返事を少し躊躇い無言でコクリと大きく頷いて見せた。

 そんな私を見てから、これグッドアイデア! と思ったのだろう。樋口さんは私に合わせるように一つ大きく頷いてから、自分の両足を交互に伸ばして自分の脚線美をチェックし始める。


「……似合うかな?」

「……パンツスーツが似合うんですから、タイトスカートも似合うと思いますよ。良かったですね樋口さん――じゃ、これからはパンツスーツじゃなくてタイトスカートを履いてください。じゃ、私はこれで……ルーシーと会う約束をしてますので」

 私はお腹に両手を揃えてから、今度こそ御暇できるだろうと……少し大げさに一礼した。

 してから、さあ、ルーシーの合わなきゃと思い、大きめに歩幅をとってあること、


 着物の裾を大きめに開く――


「でもさ……鏡花ちゃん!」

「あの! まだ……何か」

 ……歩こうとした瞬間、後ろから樋口さんが、

「でもさ、タイトスカートって歩幅が制限されて歩きにくくない? それにさ、あたしってピストルを使うから、撃つ時にさ……、けっこう両足で踏ん張らないと身体が後ろに持っていかれちゃうんだ」


 イラっとな……


「もう、知りませんって! 私はもう行きますからね!!」




       *




 孤児仲間、という言葉があるのだろうか――


 私は孤児だった。身寄りの者はいなかった。

 いないから孤独だった。ずっと、孤独に生きてきた。


 私を孤児として生まれさせた神様を、私は無意識に恨んでしまっていたのだろう。

 そうだからこそ、私はポートマフィアに入ることになり、殺しを生業として生きることを選択したのだろう。

 私は孤独と共にずっと、ずっと生きてきた……

 ずっと、孤児の間でも友達なんてできなかった。自分からも友達を作る気にはなれなかった。相手も自分なんかと友達になんかなろうとも思ってくれなかった。

 私は幼い時から、そんな孤独な闘いが当たり前の世界なのだと信じて生きてきた――



『私は鏡花、35人殺した。もうこれ以上、一人だって殺したくない!』



 その頃は、武装探偵社を敵視していた私が、彼――中島敦くんと出会って、あの時の交差点で私は自首して人生を終えようと思った。


 自らの孤独をはらすために人を殺害するという私の身勝手な動機は、到底世間では受け入れてはくれない。

 当たり前だ。この人間社会では人が人をあやめることは重罪なのだから。

 それくらいのこと、孤児上がりの私にだって理解できている。……理解できているのだけれど、私の無意識がこの孤独感をなんとかして消そうと藻掻いて、その結果、私は殺しの道を選択したのだった。


「中島くん……」


 私は横浜中華街の路地裏の道を一人歩きながら、ビルに挟まれている小さくなった空を見上げている。

 彼に、あの時出会った私が、その後に彼のアパートで家事手伝いをすることになって、武装探偵社で働くことになって、

 生きることを許されて――



「な~にが、中島くん? なのよ、鏡花――」


「え? ……あ」

 不意を突かれた?

 元殺し屋らしからない失態だと思った。

「……」

 私は思考を思い出から、現実のこの路地裏に戻して声が聞こえた場所を――日陰のその場所を見る。

「鏡花って、あんなひ弱な男にさ、もしかして惚れている? やめときなさい」

 その声の主――彼女だ。

「ルーシー」

 私は気が付いた。

「久しいね。鏡花――」

 彼女――ルーシー・Mは日陰からゆっくりと私に向かい歩いてくる。

「やめときなさい。鏡花にはもっといい彼氏ができるわ」

「ルーシー。……うん」

 赤毛を胸の前でクルクルと指先で回しながら、ルーシーは微笑んでくれた。

「……じゃなくて。私は中島くんのことなんか」

 私は気が付く。勘違いされていることを――

「へえ~。敦のことを好きじゃないんだ。いい傾向だと思うよ」

「い、良い傾向……?」


「うん♡」




       *




 早朝の横浜中華街を、忙しくゴミ収集車が動いている。

 ゴミを収集時に出している夕焼け小焼けのメロディーが、私達が立つこの路地裏にも響いてくる。

 これが、けっこううるさく聞こえて、私はそのゴミ収集車のメロディーを耳にすると、一層思い出から現実へと帰ってくることができたのだと思った。


 ネズミ――


 ゴミを収集したのにも関わらず、ドブから這い出てきたネズミ数匹の群が、収集時にこぼした残飯を探して拾い食いする。


 ネズミ―― が、もう一匹。


 お互い身体をつけて、残飯を……食べていた。


 中華街の大通りの向こうのその光景を、しばらく、私とルーシーが見つめている。

 一心に目の前のご馳走である残飯をムシャムシャと食べようとしている2匹のネズミの姿を、私とルーシーはあまりいい気持にはなれない。

 私は無表情に見つめていたのだけれど、彼女――ルーシーはというと「ああ、見ちゃいられない。見たくもなんか……」という視線を作ると、すぐにその視線をこの裏路地へとかすめてから、ひとつ呼吸を整えたのだった。



「へえ……、タイトスカートねぇ」

 ルーシーは、ふふっ……と笑みをこぼしてから両腕を組む。

「私、樋口さんに似合うと思ったから、そうアドバイスをしたのですけれど……彼女、なんだかんだ言ってパンツスーツの方が気に入っているみたいで」

「確かにねぇ……。でも、ポートマフィアの樋口にはパンツスーツの方がお似合いかな」

 組んでから、ルーシーが路地裏の上に見える空へと顔を向ける。

「でも、あの樋口がおみ足に、そんなにコンプレックスを感じていたなんてね……」

「ルーシーはどう思います?」

「なにを」

「……その、樋口さんのファッションの」


「鏡花って、何? 暇なの??」

 空へと向けていた顔を下ろしてから、すかさず今度は私を見た――


「暇……。暇に見えますか?」

「ええ、ものすんごく……」

「は、はあ……。そうです……か……」

 なんだか、聞くんじゃなかったな……。

 私は、これ言わない方がよかったのかと、もっと……言ってはいけなかったんじゃと思った。

 女同士――ではあるけれど、所詮は武装探偵社とポートマフィアの敵対関係同士の会話のやり取りだ。それを、今度は組合ギルドの構成員であるルーシーに喋ってしまった。


 私は口が軽いのかな?

 私って、闇組織とか組織そのものに向いていないのかな――


「鏡花って、やっぱポートマフィアを抜けてよかったね」

 クスクスと微笑みながら、ルーシーがはっきりとそう断言。

「……そうかな?」

「ええ……、あんたは武装探偵社の方がお似合いだと思うから」

「お似合い……」


 あ、ありがとう。


 と、心の中で思った私――


「……」

 なんだか嬉しい……半面、少し恥ずかしくなってしまった。

 私は無言のまま、顔を下へと隠してしまう。

 今まで生きてきて、こんな気持ちに達することができたなんて……孤児育ちの私が。


 こんな社会も、何もかもを殺したい――

 これが私の本心だった――


 殺して、殺して、孤児として生きる運命を背負わされたお前達に恨みをはらすことができれば――

 どうして生まれから育ちからで、自分の運命が決まっている?

 そんな私の悲痛な思いも何もかもを、それが闇組織の生き方なんじゃね? という無関係を装いながら、どこか気にして関わり、傍観者として利己主義に「闇組織に肩入れしている、お前が悪いのだ!」と決めつけてくる奴等を殺したい。


 なんだか自分の境遇に絶望して、実際今から数年前に、お稲荷さんのやしろの木にロープを垂らして、自ら命を絶とうと思ったこともあった――


 でも、できなかった……。


 私が死のうと思ったからなのか? その罰として。時同じく私の遠い遠い親戚の命が奪われた。

 奪われた原因は、工作員からの毒物をもらったことによる惨殺だった。

 この時に私は――ああ、私も俗世間と同じように命を狙われる立場なんだと、この時に思って。

 そして――、


 こんな社会も、私に関わってきた……、人の命をあやめる覚悟も何も知らないお気楽な傍観者を、私は何もかもを殺したいと思った。


 本気で――


 そんな……、今でも少なからずそんな憤りを夢に描いてしまうのだ。




「お似合い……ですか。そうですか……それはどうも、ありがとうございます」

 私はもう一度同じ返事をした。


 ネズミ?


 気が付いた。

 さっきまで大通りのゴミをあさっていたネズミの2匹が、私の足元にいる。

 私の草履をかじっていた……。

 お前達は、そんなにお腹を空かせているんだね……。

 私は2匹のネズミを見ながら、

「お前達も……、嫌なんだろう? こんなゴミあさりの日々を――」

 と呟いてみる。


「だから、な~にシケた表情を作ってんのよ?」

 ポンッと、ルーシーが私の肩に手を当ててくれる。

「……いえ」

 私は俯いたままだった。




       *




「ところでさ……? 私を呼び出した理由は何かな?」

「ところで……」

 そうだった。

 ルーシーを早朝の横浜中華街に呼び出したのは私だ。

「そう、ところで……私を」

「ところで……ルーシー」

 私は、木霊こだまを繰り返すように同じ言葉を言ってしまう。

「何……、鏡花?」

 たまらず、ルーシーから話を、私が呼び出した理由を聞き出そうと――


「……ルーシーは、そのヒラヒラのスカートは問題ないの?」

「え……? ええ?」

 ルーシーは自分のスカートの裾を思わずガン見してしまう。

 それから、

「まっ、ま……まあ。私にとってはこのスタイルの方が動きやすいから」

「動きやすい!」

「う……うん」


 その言葉を聞きたかった――泉鏡花だ。


「そうですよね……。私達にとって裏社会で人殺しをするストレイドッグスな身分の私達にとっては、見た目とかそういうのじゃなくって、自分が人を殺しやすいスタイルでいることが、いちばん良いんですよね??」


「う……うん」


 私は納得できた――

 樋口さんがハイカラなだけだ……と思えたのだから。


「鏡花―― そんなことより」

「そ……んなことより」

「ええ、そんなことより……私に言いたいこと、ことがあるんじゃない?」

 両手を腰に当てると、ルーシーは寂しく微笑みを見せてくれた。

「……ル、ルーシー」

 見透かされているんだろう――


 でも、思い切って、孤児仲間という思いを込めて、



「その……私はルーシーに……。その……、組織ギルドから抜けて……武装探偵社に来てほしいと思っている」



 ふっ……



 ルーシーは私の話を聞いてから、そう……吐息を漏らす。

「……やっぱ、そういう話なんじゃないかって、思っていたわ」


「……うん。そういう話」

 私ははっきりと頷く。そして、今度こそはという思いで自分の気持ちを言おうと思ったから――




「そう……。私が組織ギルドから武装探偵社にねえ……。ふふっ!」





 続く


 この物語は、フィクションであり二次創作小説です。

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