第2話 樋口一葉――

 早朝の横浜中華街、私達以外に人の気配が見当たらないことは、前に話した。

 いるのは……カラスとネズミくらいだということも、同じく。


 カラスは中華街の店々みせみせから排出された――残飯のゴミの山、山……山。

 日本国中から、あるいは世界から訪れてくれる横浜観光の客人達が、お昼に……あるいは夕食か夜の会食で店に入って、注文して、食べて、食べて、食べ残して。

 その食べ残しを厨房にいる新人シェフによる“賄い”により、いくつかの量は減るのだろうけれど、それでも減りそこなった食材を、こうしてゴミとして週二回店の前に捨てて置く。


 ここ横浜中華街の鮮やか艶やかな看板や門とは対照的に映っているであろうゴミの山を、もしかしたら観光客、取り分け外国人のそれらにしてみれば、

「エキサイティング!」

 と……物珍しくスマホで写真、動画を撮影してはSNSにアップするのだろう。

 でも、地元民……私も今は横浜市の武装探偵社にお世話になっている身であるから、地元民に分類されることだろうが、私から見てこの早朝の横浜中華街の風景はというと、


 所詮は、大きな鳥籠に飼われている極彩色の鳥が、止まり木から下へと落とすフン――


 そうフン!

 どれほど見た目が綺麗な鳥でも、食べれば……その後に待っているのは排泄、つまりフンなのだから。


 横浜中華街と観光名所になっているここも、所詮は飲食店が立ち並んでいる界隈である。

 当然、食べ残しされた食材が残ってしまうのは当たり前であり、それがゴミとして“排泄”されてしまう現実は受け入れるしかない――


 受け入れなければ――

 そういう世界なのだ……と。




       *




「い、いいわね~。鏡花ちゃんはさ、そんな艶やかな着物をまとっていて……さ」

「……そ……りゃ、どうもです」

 私、泉鏡花――は無表情のままペコリと頭を深く下げた。

「で……、でもさ、鏡花ちゃん? 普段から着物ってさ、その……歩きにくくないかな」

「歩きにくく……ですか?」

「ええ……そう思うから」

 とかなんとか言いながら、彼女――樋口一葉は私と視線を合わせ……るかと思ったら、すぐに逸らしてしまうのだ。

「歩きにくく……ですか。そうですね……」

 私は自分の下半身の帯から下を見た……。んで、

「……歩きにく……くは、ないですよ」

 即答――


「そう……、なんだ?」

 逸らしていた視線をグイと戻すなり、私の無表情なままのこの顔を凝視する樋口さん。

「……」

 樋口さんの頬に一滴の液体が見える。冷や汗なのか?

「でもさ、鏡花ちゃん?」

「……はい?」

「鏡花ちゃんって、あたしあなたがポートマフィアにいたころから……ずっと思っていたんだけれどさ」

「なんでしょう?」

 無表情の私、素気な返事をしてしまう。


 なんなのだろう?

 この私と樋口さんの会話って?


 私に何を尋ねたいのだろうと……、私はさっきからずっと心の中で私達のこの会話の本質を考えている。

 差し当たり、思い当たることといえば……樋口さんのパンツスーツの会話だ。

 私が樋口さんのことを思い出したとき、本当は最初から知っていたのだけれど。

 その時に……、『パンツスーツの樋口さん』というフレーズを発したこと。

 もしかしたら、樋口さんって、私が言った“パンツスーツ”という言葉を彼女なりに気にしてしまっているんじゃ……?


「……あの…さ」

 案の定?

 樋口さんは両手の人差し指をツンツンと当てながら、頬をほんわりと赤らめてから、

「あのさ、ポートマフィアって日々ね、工作活動をしていて……戦っているじゃない?」

「工作活動……ああ、ターゲットを殺害することですね」

「そそ……そういう行為のことを工作って言うんだ」

「言うんですか?」

「ええ、ポートマフィアの間で……」


 初耳だ――


 私も以前、ポートマフィアに属していたことがあった。

 何人も何人も、私はターゲットを殺害してきた。

 今知った。私が行ってきた殺害を“工作活動”と言うのだ……と。


 工作……ってなんだ?


 私は殺害だと思う。殺害をそう呼ぶのだろうか? たぶん、そうなのだろう。

 言葉を濁す――というものなのか?


 どうして、濁すのかな?


 濁さなくても、私はずっと私の異能力――夜叉白雪と共に幾人のターゲットを殺害してきたのだ。

 別に隠そうとも思わない。今更……、

 何故なら私は闇社会の住人なのだからして、隠そうと言葉を濁そうと殺しは殺しなのだから、殺すことを生業なりわいにして今まで生きていたのだから、……それを今更、


 私の両手はずっと前から、血で汚れているのだから――


「……あのう、樋口さん?」

 私は大きく息を吸って、それからゆっくりと吐き出すと、

「私に何を言いたいのでしょうか……。私、樋口さんの言いたいことがなんだか……わかりにくく思っていて」

 ポートマフィアのメンバーらしからぬ樋口さんの言葉の濁し様に、少しイラっとしてきた私は率直に尋ねることにした。

「……鏡花ちゃん。……つまりさ!」


 パチン!


 ツンツンしていた人差し指から、今度は手のひらを大きく開いて合わせて音を出す。

「日々、ターゲットと戦ってきたあなただったら……たまにこんなことを思ったことないかな?」

「こんなこと?」

「この着物って歩きにくい……とか、振袖もなんとかならないかな……って」




       *




 カー カー


  カー カー



 ゴミの山に群がっているカラス達が、餌の奪い合いをしている――

 電線で羽を休めているカラスの数羽が、目下にあるゴミの山でゴミ袋をくちばしで突き突いて残飯をあさっているカラス達と、お互いに鳴き声でお互いを威嚇し合っている。


 縄張り争いなのか?


 カラスの……とくに繁殖期のカラスの自分の巣を守るために、通行人に鳴き声を出して威嚇してくる様と同じに見える。

 カラスの縄張り争いはしつこい。

 通行人はただ通行しているだけなのに、カラスはあっちに行け……と、通行人が通り過ぎて行くまで鳴き声を上げて威嚇してくるのだ。



「……べつに、私は子供の頃から着物で生きてきましたから、べつに歩きにくいなんて思ったこともないし、戦いにくいことも思ったことがありませんよ」

 正直にそう述べた――

「そっか……。そうなんだ。鏡花ちゃん……」

 両手の平をゆっくりと放しながら、樋口さんが両目をパチパチさせている。

 緊張? それとも拍子抜けかな?

「樋口さん、あの……もう一度、私は言いますけれど。私って今までずっと着物で生活してきたので、ご心配なく。私にとって振袖の着物は動き易いから……です」

 両手をお腹の前で合わせて、私は自分なりに丁寧な説明を樋口さんに返したのである。


「……そう。なら……いいか」

「……はい。ご理解をどうもです」


 そして、もう一度深く私は頭を下げた。




       *




「ところで……ねえ? 鏡花ちゃん」

「はい? 今度はなんでしょう」


 まだ、何か言いたいことが?

「あの、私――その、もう行かないと……いけないのですけれど」

「そう、どこに?」

 樋口さんは、両手を腰に当てて横浜中華街から見える狭い空、早朝の横浜市の空を見上げている。

「どこにって……言える訳ないですって。私、今では武装探偵社に厄介になっている身ですので」

 守秘義務ってやつ……、否、もっと重要だ。

 相手は樋口さんというポートマフィアの幹部クラスの人に、つまり敵対関係の相手に自分のこれからの行いを言えるはずがない!

「そうだよね。言えないっか……聞いたあたしが変だったね」


「そ……そうです。そうだと思いますよ。樋口さん」

「うん……」


 見上げたまま、私に返す樋口さん――

 なに、早朝からているんだろう?


「……」

 私はしばらく、その物思いか何か分からないのだけれど……なんだか消化不良な気持ちで表情を薄暗く見せている樋口さんの心情を探ってみた。



 まあ、これくらいは言っても大丈夫かな――



「樋口さん――」

「なに……」

 私と目を合わせようとしない……、樋口さん。

「樋口さん。私、これから組織ギルドの構成員――ルーシーに会いに行く途中ですよ」


「ルーシー?」


 すると、

「……ああ、あの女……赤髪のハーフっぽい」

「知っているのですか」

「勿論よ。ポートマフィアの全員、彼女のことを知っているから」

 というよりも、組織ギルドの構成員の全員をすでに把握していると言い直した方が妥当なのだろうけれど。

「そうですか……」


「樋口さん、私これから、ここ早朝の横浜中華街で組織ギルドのルーシーと会う約束をしていまして……」

「どんな……やくそ……。まあ、聞かないでおくかな」

 樋口さんがようやく視線を、中華街の狭い空から私に向けた。

「……はい。お心遣いに感謝します。樋口さん」

 私は畏まり深くお辞儀した。

 彼女と私は、かつてのポートマフィアの仲間同士だった。

 本来はこういう話をしちゃいけないんだけれど、まあ、同業者という仲でもあるのだから言える範囲内で言うことには問題はないと、私は判断。

「ルーシーねぇ……。あの、赤い髪の毛と――」

 瞼を少し落として、敵対関係である彼女の記憶を思い出している……のだろうか?

「ルーシー」


「ええ……ルーシーです」

 私、樋口さんの記憶の手助けになるかと思って、

「赤い髪の毛とヒラヒラとしたスカートがの、組織ギルドの構成員ですね」

 と喋りました。


「スカートがなんだよね。ルーシーってさ――」



「ええ……。スカートが?」

 あれ、もしかして喋っちゃいました??




       *




「ねぇ? 鏡花ちゃん」

「あの、何でしょう?」


「あたし……ってね」


 フッ……


 前髪を掻き上げる樋口さんだ……。搔き上げながら小さく吐息をつく。

「あたしはパンツスーツの方が、あたしなりには工作活動し易いんだと思っているんだ」


 工作活動……ああ、要するに殺害ですか。


 私は心の中で呟いた。

「それにね、あたしはね……こう自分で言うのも恥ずかしいのだけれど、自分の脚線美ってパンツスーツの方が似合っていると、ちょびっとだけ自信アリアリだからね」

「はあ……アリアリですか」

「うん……。ま……まあ、脚線美をスカートのヒラヒラの合間にチラ見せするって方法もアリアリかなって、そう思うこともあるんだけれど」

「……あるんですか」

 私は気が付いた――


 私が樋口さんはいつもパンツスーツですね……という会話から、ルーシーのヒラヒラしたスカートがお似合いの……という会話から、


 こういうのを、地雷を踏んじゃったというのですかね。

 それとも、今風に言うところのフラグが立ったかな?


「でも、ふ……太腿からの脚線美ってパンツスーツの方が大得意じゃん……って」

「大得意……ですか」

 まあ、ヒラヒラのスカートをたくし上げて、太腿をチラ見せるって変だと思うし。

「でもさ……」

 身体をクネクネさせながらの樋口さんが、

「でも……さ、スカートのたくし上げによるおみ足には負けちゃうけれど、パンツスーツの太腿からの脚線美は、それはそれで……そそる……とこがあるよね?」


 何が『そそる』のか……


「じゃあ……樋口さんも、これからスカートを履いたらどうですか?」

「え……ええっ!!」

 まるでムンクの叫びの如く、両手を頬に当ててから、

「あ……あたしが、スカートを履くって……。それもろ女性じゃん」


「履かなくても、樋口さんの性別は……女性ですよ」

 私は、素気にそうツッコミを入れた。

「じゃ……私、もう行きますから。いいですね」

 

「ちょ! ちょっとって、鏡花ちゃん。かつてのポートマフィアのよしみだよ」

「ええ……かつてですけれどね」

 強引にこの場から私が御暇おいとましようとスタスタ歩き出そうとした矢先、樋口さんが強引に私の片腕をギュッと握ってくる。

「ね……ねぇ? 鏡花ちゃん」

「……なんでしょうか?」



「……どうして、女性はスカートを履かなきゃいけないのかなって。……ふと思いついちゃったんだけど」



「……」

 私、泉鏡花――

 彼女に掴まれた両手を払って、振袖の着物の襟首を直しながら、


「じゃあ、芥川さんがスカートを履いていたら……。樋口さんはどう思いますか? 嫌でしょ??」


 と、分かり易い例え話を言ってやったのだ。





 続く


 この物語は、フィクションであり二次創作小説です。

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